東ローマが西より1000年長持ちした理由
なんで?
重装騎兵を揃えられたので蛮族を撃退できた
アンティオキアとかアレクサンドリア
マルマラ海にそれくらいは保つ経済的価値があったおわり
金があったから
それで敵や第三勢力のほほをひっぱたくことができた
ソリドゥス金貨の束で頬をひっぱたいて、言うこと聞かせる凄惨な絵が浮かんだ
どうせなら北ローマや南ローマも欲しい
>>
ロスケ < 北ローマの地位ははモスクワが貰ったわ!
>>
ロマノフ朝は「第三のローマ帝国」を自称してる
イヴァン3世はビザンツ帝国の最後の皇帝コンスタンティノス11世の
弟ソマス皇子の娘ゾイと結婚してるからって
だからロシア国章もビザンツ帝国と同じ、双頭の鷲
>>
巨大な国家規模・強大な軍事力・正教会への信仰という意味でも
ローマ帝国の後継者に恥じない
現ロシア連邦も(ある意味アメリカ合衆国も)ローマ帝国のオマージュ
ならば地底ローマ帝国や空中ローマ帝国があってもおかしくはない
>>
ゲルマン人に族滅されたわけじゃないから
古代ローマ人のDNAは断絶せずに続いているけどさ
農業生産その他諸々
兄に東を与えて弟に西を与えた理由もそんなとこだろ
ゲルマン人が攻めてこなかったからだろ?ゲルマン人はみんな西に行っちゃったし
>>
その「ゲルマン人はみんな西に行っちゃったし」という原因に
東ローマと西ローマの対応の違いがあるんじゃね。
西ローマは途中で首都をラヴェンナに遷したのが防衛の点から拙かった。
精神的中心地であるローマ市を蛮族に略奪され、負け癖がついてしまった。
つまり皇帝ホノリウスが馬鹿だった。
>>
アルカディウスは利口だったのか?
>>
首都を変えたり有能な将軍を殺さなかった分だけ、マシだったとは言える。
この僅差が東西ローマの命運を分けたと言ってみる。
>>
分かりやすいし、反論しようとも思わないが。
「アルカディウスはビザンツ千年の礎を固めた」という説は初耳だ。
>>
アルカディウスはビザンツ千年の礎を
「固めた」とは言えなくとも
「固まる前に崩すことにつながる愚行はしなかった」
とは言える
>>
今はただ待つべき、という時期ってあるよな。
そういう時期に在位した君主が「無能だった」「怠惰だった」と後世言われても、本人には言い分あるんじゃないか。
>>
ニカの乱でユスティニアヌスがあっさり退位したのならば
バルカンがスラブ化したりしなかっただろうな
まともな皇帝ならば国を守る事を最優先にしたはず
>>
断絶度なら西より東側のが高そうだな
スラブ人はゲルマン人と違って
もともとローマ文化への理解も無さそうだし
西ローマも並の皇帝ならまだまだ保つはずじゃなかったかと思う。
ゲルマン人も一枚岩じゃないし、うまく同盟を組んでいけば
イタリア半島を守るくらいは余裕だった。
であるはずなのに、怪物的に無能な皇帝が出てきたせいで
国の命数が一挙に縮んだ、そんな感じ。
アラリックの西ゴートもテオドリックの東ゴートも
東ローマに誘導されて西へ移住した
西へ移住せずにバルカンにゴート族らが定住したら
後のブルガリアのようなゴート王国が出来て
東ローマの脅威となっただろう
>>
当時は、東の方が西よりも隙がなかった。
皇帝と大臣との関係がある程度は機能していたから。
もしあの当時在位したのがまともな皇帝だったら少なくともアフリカ失陥とイタリア半島略奪は避けられたはず
有能なら上手く外交を駆使してその都度他の蛮族と連合しつつ、邪魔な蛮族を片っ端から撃破するのも十分可能だった
ホノリウスが世界史史上最悪レベルの暗君だったとしか言いようがない
西ゴート族は百年間ワラキアとモルダビアを支配していたから
すでにラテン化し始めていてスペインに移住したら同化した
>>
今のスペインポルトガルの金髪碧眼は西ゴート族の末裔?
>>
ヴァンダル・スエヴィもいるけどね。
ちなみにガリシア人の1〜2%はスエヴィの子孫と言われている。
>>
1500年も経ってりゃ、満遍なく行き渡ってるだろ
スペイン人やポルトガル人でスエヴィの血を引いてない人なんているのかよ?
東ローマは結構アルメニア人の皇帝も即位しているし、フランク国王は800年にローマ教皇から西ローマ皇帝に認められたから
なりゆきいかんでは西ローマもオドアケル朝とか、東ゴート朝、ロンバルド朝、フランク朝と言う形で存続し続けたかも
>>
中国はまさにそんな感じだよな
「漢字一文字にする」と「ローマという名前にする」のでは
前者の方がハードルがひくいというかなんというか
ニカの乱でユスティニアヌス1世が退位していたら
東ゴートが西ローマを再建したかもしれない
ユスティニアヌス1世の東ローマはは北からスラブ人が南下
東から全盛期のササン朝に攻めれていて遠征する余裕が
なかったけど彼は遠征を強行した
彼以外の皇帝ならば遠征しなかったかもしれないし
同じく無理して遠征をしたかもしれない
遠征したのならばやはり東ゴートは滅亡しただろう
ローマ帝国の東部の方が経済的に豊かだったから
>>
4-5世紀東部の経済繁栄について詳細を書いた論文とか知りませんか?
ブライアン・ウォード=パーキンズ著『ローマ帝国の崩壊』では、西側に
ついては考古学的資料を多数提示して、西側の経済の衰退を証明しようとして
わりと説得力がありますが、
東側については、シリアの農村の事例がちょっと出てくるだけで、東側が
残った原因を「ヘレスポントス海峡があったから、ゴート人が小アジアに
進軍できなかったから」という理由しか書いてないので、隔靴掻痒の感じがしてます。
というか西ローマの経済的凋落が激しかった。
主要産業である農業の空洞化。現代日本も他人ごとではない。
後継の神聖ローマ帝国を含むと東ローマよりも300年以上はもった >西ローマ
自称後継者が認められるなら東ローマの後継を名乗ったオスマンも、ロシア帝国ももっと長持ちしてんじゃん
ローマを自称してた国ってロシア帝国とオスマン帝国が最後?
ソ連や現ロシア連邦やトルコ共和国はまさかローマを自称なんかしてないだろうし
>>
ナポレオンのフランス帝国は自称ローマ
ナポレオンの墓碑には「フランス人のローマ皇帝ナポレオン」とある
もっともロシアやオスマンより先に滅ぶが
ルーマニアはローマを自称するわけではないが
「ローマ人の国」という名乗りなのでこれも一応ローマと言えばローマか
まあ1000年停滞してただけだからゆるゆる長持ちしてただけとは言えなくは無い
どうしてイスラム教のくせにローマの後継なんてオスマンが言うのか?
だいたいトルコ人はアジア人だろ、ヨーロッパ人じゃない。
その証拠にEUには結局入れて貰えなかったろ。
>>
アラビア出身のローマ皇帝が居たのだしイスラム教でもいいじゃない
>>
別にローマ皇帝位の継承に血統は必須条件でないしなー。民族もラテン人・ギリシャ人に限定しない
前皇帝の後継者指名(子、娘婿、甥、養子……という身内が割と多い)と、軍部・元老院の承認とで皇帝の推戴というのが慣例になっていたけれども、
これも必須というわけではなく、混乱期には有力者が力ずくで帝位を勝ち取っている。
アジア(アナトリア、シリア)からの皇帝選出、混乱期にニカイア帝国のようなアナトリアにあった乱立亡命政権からの帝位の回復の前例もある。
コンスタンティノポリス奪取前のオスマン王朝は、脅して金品をせしめとったり和蕃公主のような懐柔のされ方をしていたのが実際だとしても、名目的には
東ローマ皇帝の帝室からの降嫁があったり、歳費を貰ってエーゲ海・マルマラ海、アナトリアの防衛を任されていたりいたりした、東ローマの有力近親・藩屏な
わけよ。
皇帝の統治能力が衰えたときに、アナトリア出自の異民族ではあるが、皇帝近親の有力者が、統治機構の混乱したところを力で収めて、帝位に就いた
というふうに、前例を何一つ違えることなく、ローマ皇帝暗位を得られる状態にあるわけよ。
イスラム教のくせに、ったって、そもそも、ヴィーナス=アプロディーテーの末裔たるアイネイアス以下ユリウス氏族ひいてはラテン人=ローマ人が
オリンポス十二柱神への信仰を捨ててキリスト教に切り替えた前例に比べれは、瑣末な問題だし。
>>
アラブ人やトルコ人らイスラム教徒にとってローマ帝国とは
コンスタンティノポリスを首都とするキリスト教徒の国
キリスト教徒ではないラテン人の古代ローマは知らない
西欧人にとってのローマ帝国と
ロシア人らスラブ人にとってのローマ帝国も異なる
スラブ人もイスラム教徒と同じくローマ帝国とは
キリスト教の東ローマ帝国
>>
コーランに、ローマなんてまだずっと先の大昔のシバの女王についての言及やら、イーサー(ジーザス)についての記述もあるのに?
キリスト教時代に焚書されたグレコ・ローマン時代の書物もイスラム圏に保存されていて中世末期に再移入されたあれはなんだったんかの?
>>
別にイスラムの法にローマの皇帝はキリスト教徒じゃなきゃあならんなんてものは無かったしなー
むしろ、イスラム教自体が、キリスト教・ユダヤ教の宗教改革を自称していていたくらいで、イエスやモーセが完全な形で伝えきれなかった
神の預言をマホメットによってようやく正しい形で伝えた、とか言ってるからな。
キリスト教国なんてイスラム教に塗り替えちゃるよくらいのものよ。
支配地の広がりからすると、オスマン王朝のルム・カイザリの方が後継として相応しいけどね
古代からローマ帝国の国境に接していたアラブ人は
古代ローマの事を伝えた続けていたかもしれないけど
スラブ人やトルコ人は東ローマになってから接触した
当時スラブ人達やイスラム教徒らの目の前に実在したのは
すでにギリシャ語が公用語となっていた東ローマだった
そもそもローマ東部はラテン化せずギリシャ語やアラム語
とかがイスラム征服時まで存続していた
イスラムの法とローマの皇帝はそもそもまったく無関係だが
東ローマ帝国もオスマン帝国も大帝国の生き残りなのは共通
コンスタンティノポリスは最後の安住の地だった
ローマ帝国の本拠地は言うまでもなくイタリア
イスラム・トルコ帝国の本拠地はホラサン
西欧文化圏ではローマ皇帝といえばカエサル(実際は皇帝ではないけどw)や五賢帝がイメージされる
ことが多いけど、ロシアではコンスタンティヌスなんだよなあ。昔話とかでも「昔々えらいツァーリがいて…」
なんて時にでてくるのがダビデ王、コンスタンティヌス、ウラジーミル聖公、ウラジーミル・モノマフあたり
だったりする。
コンスタンティノープルって日本で言えば小倉か博多、厳原を首都にしているようなものだ
あんな所に天皇陛下がおったら朝鮮半島から攻めて来たらあっという間やないかい
ニケーアやトレビゾントにしたって黒海沿岸だし、やっぱり首都はアンカラでないと
でもそこが首都になったのは1923年のトルコ共和国が成立してかららしい
日本の朝廷だったらあの辺なら絶対アンカラを真っ先に選ぶと思うけどなー
コンスタンチノープルみたいな交通の要衝を押さえると、関税収入が確保できるというのも
大きそうだな。普通は税金取り立てるにも官僚機構の維持整備が必要で、それが肥大化しすぎると
担税民の不満が募るけど、こういう場所で関税取るなら最小限の官僚機構でできる。
とジョン・ヒックスが言ってた。
リディアがアケメネス朝に征服されたように
ニコメディアやアンカラが首都だったら
ササン朝やセルジューク朝に一撃で
東ローマは滅ぼされてしまったはず
スラブ人に政治的統一性がなかったのが延命の理由かな
>>
西ローマを滅ぼした蛮族連中はもっとバラバラだったろ
けどコンスタンティノープルはローマじゃないんだよね
ローマを支配してないやつらがローマ帝国といってもね
そんなこと言い出すなら今コンスタンティノポリスを支配してるトルコは
トルコ人の本拠地だったトルキスタンを支配してないのにトルコと自称してますが
>>
けど実態はコンスタンティノープル帝国だからな
結局本物のローマにはかなわんな
元老院の存在が、西ローマ防衛の足を引っ張ったという側面はないだろうか。
>>
東では元老院は足を引っ張らなかったのか?
ローマが地中海を統一していなければギリシャ人やアルメニア人の武将が皇帝を自称しても
国号はマケドニアとか本当にビザンティン帝国、ギリシャ帝国、アルメニア帝国等と称し、
ローマ帝国とはしなかったはず カルタゴが勝っていたら東カルタゴ帝国や神聖カルタゴ帝国が
出来ていたかも知れないし、欧州はバアル教圏になっているかも知れない
その並行世界の欧州でも文字はアブジャドから発展したアルファベットが使用されるだろう
ギリシャ文字もアブジャドであるフェニキア文字から発展したアルファベットなのですがそれは
フェニキア人にはやはり寒い欧州は無理そうなので
北アフリカとスペインとイタリアの西地中海帝国になりそう
欧州では東のダキアと西のガリアが強国になりそうかな
おそらくカルタゴはキンブリ族に徹底抗戦しないだろうから
イタリアにキンブリ王国が建国する事になりそう
バルカンは引き続きマケドニアが支配していそうだよね
アナトリアとシリアがパルティア領になった時代もあるはず
ポントスがパルティアから独立して東ローマのような帝国に
なったかもしれないね
コンスタンティノープル帝国で充分
その後欧米キリスト教文化圏の基礎を築いた世界の首都ローマ様の名前を勝手に名乗るな
ローマのすごさは帝国が崩壊してボロボロになっても今度はキリスト教によって西欧世界を築き上げるからな
その西欧圏が今度は世界制覇するからな
すげー強運
地中海世界なんて今じゃゴミだし、北に目をやったのは完全に正解だったな
現代でもローマ市の市章にSPQRが残ってるね
てことはつまりオドアケルが皇帝名乗ってれば西ローマも存続したわけか
オドアケルもテオドリックも皇帝を名乗らなかったので
名目的にイタリアは東ローマ領という事だった
すなわち476年にローマ帝国は滅んでいなかった
オドアケルは西ローマの帝冠を返上してるから再統一された形だね
というかそもそも西ローマ皇帝らは東から派遣されていた
実はローマは完全に分裂などしていない
ガリアとかで反乱を起こした対立帝は鎮圧されてしまった
ガリアでの反乱が成功していたのならば名実ともにローマは
分裂したと言えるだろうね
マグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒した
テオドシウス1世が西ローマ没落の張本人
西ローマの分離独立は阻止されてしまった
ローマ時代にアラブ人が皇帝になってるからな
皇帝の出自より元老院の存在が重要なんじゃねーの
元老院が東ゴート時代にまで残ってたとか記憶にあるけど
帝政後期の将兵と皇帝はイリュリア出身が多かった
イリュリア人はローマ時代にラテン語を話していた
イタリアのアドリア海沿岸はイリュリア人の居住地で
アドリア海はイリュリア人の内海だった
東ゴート王国はイタリアだけでなくイリュリアとパンノニアも支配していた
ゴート族だけでなくイリュリア人らも東ゴート軍の兵士となっただろうから
東ローマ軍が東ゴート軍に苦戦したのは当然と言えば当然と言えよう
そこで勝てば完璧にローマ皇帝になれるな
カトリックに改宗すればラテン系も離反率も減らせるし
てかアッティラもカトリックに改宗してアッティラヌスとか名乗れば
それでローマ皇帝になる資格はあるよな
ローマ人(≒ヨーロッパ人)になるにはアタナシウス派に改宗すればOK
>>
皇女ホノリアとくっついていれば、立派なローマ皇帝だなアッティラヌスw
東ローマが生き残ったというより ローマが腐敗していたから コンスタンチノーブルに
遷都したんだろ ローマ帝国全体を立て直すのは無理だから東と西に分けた
西が先に滅びるのは当然の結果だ
>>
テオドシウス1世がマグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒すと
ガリアの軍事力が痛手を被り西ローマは再起不能となった
もともと軍事的には西の方が優勢でコンスタンティヌス1世や
ユリアヌスは西ローマから東ローマを征服した
ウァレンティニアヌス1世の治世には兄が西の皇帝で弟のウァレンスが
東の皇帝で西ローマはまだ充分に強大であった
もともと東の方が豊かだったからな
帝政が進めばローマが首都である理由もない
ユスティニアヌス帝亡き後は軍事的には負け続きで軍隊はまさに烏合の衆のようだったとか
政治が安定してれば軍隊が弱くても大国は繁栄し続けるようだ
東の方が豊かで先進的だったというが、
その豊かで先進的だった場所ってエジプトとシリアのこと?
なんでギリシャはずすんだよ
東の方で豊かで先進的だった場所はギリシャ語圏
エジプトとシリアとアナトリアとギリシャ
東の方でもバルカン北部のモエシアとダルダニアは
ラテン語圏で牧畜が盛んな騎兵の供給源
アエティウス将軍やユスティヌス1世の出身地
ギリシャには陶器やらオリーブ油やら高付加価値な産業があるから衰退しても強いのな
>>
ギリシャ人や中東人は古代・中世的なものを良しとし、近代的大量生産的なものには否定的な感じがする
イタリア人はゲルマン系ほどではないが、近代大量生産時代にも最後尾でついていった感
日本はゲルマン圏同様寒い地域なので野良猫は冬に悲痛な声を上げ、過酷な生存競争を生き抜く為に
顔つきも地中海沿岸の野良猫に比べて極めて険しく恐いやくざ的形相を持つ
ギリシャでは野良猫は極めて穏やかに過ごしており、トルコでもホテルに侵入しても従業員はニコニコ笑いながらつまみ出す
人間に慣れ切った猫はクタッとされるがままにつまみ出される 日本みたいに人間を見て逃げだす事はない
エジプトでは猫は神のように崇められた 近代とは寒い所に住むギャング猫がぬくい所に住む猫を経済的に制圧した時代鴨
ローマ帝国の東西分裂というより西側切り捨ての方が実態に近い気がする
>>
そう解釈するのはヨーロッパ人のプライドが許さない
>>
ローマ帝国からしたら、5世紀の東西分裂と西帝国の滅亡って、寂れて金ばかりかかる西側の直接支配は諦め、豊かな東側に集中したってことだと思うけどね。そうやって紆余曲折しながら1000年続いたと。
>>
東ローマは西ローマを身代わりにして生き延びたと言えるだろうね
そもそもゴート族がバルカンに移住した時には西ローマは無傷だった
バルカンのゴート族を西へ移住させたので西ローマは滅亡した
ゴート族がバルカンに居続ければやがてゴート族はブルガリアの
ような国になっただろうから東ローマはもっと早くにおそらく
イスラム以前にササン朝時代に滅亡したかもしれない
東西ローマはユスティニアヌス朝でほぼ同時に滅亡したとも言えそう
クラウディウス・ゴティクスからユスティニアヌス朝にいたる多くの皇帝は
バルカン出身で彼らの出身地がスラブ人に滅ぼされてしまったので
ヘラクレイオス朝以降はギリシャが公用語になった
ユスティニアヌス朝に婿入りしたマウリキウスはヘラクレイオスと同じく
カパッドキア出身で既にバルカンの将兵は枯渇していたのだろう
バルカンを守る為の戦争で反乱を起こした将兵らにマウリキウスは
殺されたけど将兵らは自らの故郷ではないから反乱を起こしたのだろう
まだユスティニアヌス1世の頃ならば当時の将兵らは命じられれば
喜んでバルカンを死守したはず
なんで東ローマの公用語は南スラブ語にならなかったの?
12世紀から滅亡まではスラブ人だらけだったんじゃないの?
>>
スラブ人が移住した土地は東ローマから独立していた
東ローマがバルカンのスラブ人を支配下にしたのは
ようやくバシレイオス2世の治世になってからだった
>>
してたの?
6世紀くらいから急に多数なだれ込んできて、今のギリシャ領の東マケドニアもテッサリアもエピロスも半島の南端近いペロポンネソスもスラブ人だらけになってたのに?
>>
ビザンツ暗黒時代(7-8世紀)のあと、ニケフォロス1世あたりから徐々に反転攻勢が始まる
アナトリア・南伊からスラブ占拠地域への帰還殖民も含めてね
それから2百年ほどのちの、ピークとなるバシレイオス2世時代にはかなりの達成度になった
少なくとも現代ブルガリア・ギリシャ・マケドニア・アルバニアまでの領域は確実に支配してた
プトレマイオス朝エジプトが支配者の言葉として準ギリシア語を公用語とした様なものだろ、
成り上がりを諦めた下々の者はまた別の言葉を話したろうが
じゃあなんでラテン語でなくなったの?
支配者としやってきた。もしくは太祖アイネイアスの生誕地へ本拠地移転なのに。
と、本当にプトレマイオス王朝でギリシャ語が公用語だったの?
王はファラオとして君臨してメンフィスの神官の権威を借りて統治していたわけだら、内政的にはエジプト語が公用語だったんではないい?
支配層はマケドニア系ギリシャ系であることの意識を失わずにいて、東はインドに接するあたりから西は地中海一帯まで外交語として通用
していたから、王侯貴族や職業軍人の必修の教養語としてギリシャ語は理解されていたろうけれど、祭祀から行政・商業から域内の文書や
口頭の通達やらはエジプト語で行われていたんではないかね。
イタリア半島を別格とすると
ローマ帝国は全体的に東方の方が西方より豊かだったみたいね。
ゴート族がバルカンに居続けたのならば
やがてゴート族はブルガリアのような国になっただろうから
東ローマはアナトリアとシリアとエジプトからなるオリエント
の国になったかもしれない
バルカンを失うと東ローマは軍事力がかなり弱体化したはずで
西の領土を奪回する事は不可能になったはず
東ローマがササン朝を征服するかササン朝が東ローマを征服して
オリエントが統一されたかもしれない
東ローマの歴史は長いが、ユスティニアヌスの征服活動以降ブルガリア帝国撃破くらいしか見せ場がないな。
数々の外敵に攻められまくってるのによく千年も続いたもんだよと感心するわ。
「東ローマ」と言うがオドアケルが西の帝位をゼノンに返上した時点で
もう東ローマではなく唯一のローマに戻ってる
その後「西ローマ」と称する国が出来たことはあるが
(カールの帝国やハプスブルク帝国)僭称でしかない。
ゼノン以後のコンスタンティノポリスの帝国にわざわざ「東」なんて付ける必要は無い
>>
後世から見て紛らわしいから呼び分けているだけですよ君。
東周や東晋と同じことです。
そもそもローマ帝国は東西に分裂していなかった
西の皇帝は多くが東の皇帝の臣下にすぎなかった
例外的なのは自ら即位したマクセンティウスとコンスタンティヌス1世らで
東に対して西が独立しておりコンスタンティヌス1世が東を滅ぼして再統一した
次にウァレンティニアヌス1世とウァレンスの兄弟皇帝では兄が西の皇帝なので
東の皇帝が西の皇帝の臣下だった
最後に西の将軍アルボガステスが東のテオドシウス1世に反抗したけど敗北したので
西は東から自立出来なかった
もしアルボガステスが勝利したのならばローマ帝国は本当に東西分裂したはず
東ローマ結構強くね?
ユスティニアヌスによる大征服
ササン朝とのガチバトル
イスラム海軍をギリシャ火で丸焼き
キエフ大公国の侵攻を重装騎兵と艦隊で撃退
ブルガリア帝国を滅ぼす
西欧 ゲルマン人の侵入で土人化
北欧 ノルマン人の根拠地で元から土人
中欧 アヴァールやマジャールなどの騎馬民族が割拠
南欧 サラセン海賊が略奪・人攫いしまくり
うーん、ビザンツ帝国以外は悲惨過ぎる…
>>
スラブ人の侵入で土人化
ブルガルやオグズ(セルジュク、オスマン)などの騎馬民族が割拠
ギリシャ人の根拠地で元から海賊
ササン朝とバトルアンドバトル
終わりなき戦い
ユスティニアヌスが西ローマの旧領を大征服するが
その後がランゴバルド、アヴァール、イスラムに領土を取られまくって
停滞の時代が続き、しばらくするとようやく安定して
バシレイオスの活躍で再び大国になるが、その後は暗君が続き
トルコ人にアナトリアを奪われる
更に十字軍によって一回滅ぼされる
なんとか復活するが、ふるわずオスマン帝国に滅ぼされる
色々あったけどよく1000年も続いたもんだよ
東ローマはボロボロになりながらもイスラムの西欧侵入を
食い止める防壁の役割を果たしていた。
東ローマがもっと早く滅んだパラレルワールドでは、
西欧がイスラム化してしまう確率がかなり高くなりそう。
>>
南国育ちのアラブ人には西欧は寒過ぎて征服は無理だろうな
イタリア育ちのローマ人でさえゲルマニアやカレドニアは諦めた
一方ロシア人は東ローマがなければイスラム教を選択しただろうから
東欧の方がイスラム化しそうだな
千年帝国を滅ぼしたオスマン帝国は、その後、20世紀まで続いた
激戦区の中近東で、これもまた驚異
>>
タイミングも大きいんじゃない?
西アジア勢はロシアにボコボコにされたし
>>
オスマン帝国は北方蛮族が文明化して
民族移動してこなかったので生き延びた
東ローマ帝国はバルカンにスラブ人が
アナトリアにトルコ人が移住してきたので
滅んでしまった
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