編集元: 何を書いても構いませんので@生活板131

865: 23/05/01(月) 23:48:02 ID:hV.tk.L1
最近気が付いたけど、
才能って言葉を使うと反発してくる人がけっこういる一方で、
だいたい同じ文脈で才能を適性とか向き不向きって言葉に言い換えると
反発されることがほとんどなくて同意されやすい


865: 23/05/01(月) 23:48:02 ID:hV.tk.L1
例えばだけど
「才能がないと成功するのはまず無理だよな」みたいなことを言うと
「そんなことはない!それは努力が足りないだけ!」的なことを
言う人が出てくることがけっこうあるんだけど
「適性がないと成功するのはまず無理だよな」的な言い方をすると
素直に賛同されることが多い
才能って言葉を使うか適性や向き不向きって
言葉を使うかで反応が変わるのはなぜなんだろうか
ニュアンス的には大きな差はない気がするんだけどな

866: 23/05/02(火) 06:57:32 ID:pR.rx.L1
才能っていうと神の領域というかなんというか、
宗教臭がするんじゃないかな少なくとも反発してる連中からしたら
人間にはどうしようもないことじゃねーかとブチ切れる
要はロマンチストなんだよ
適性だと「俺には才能がないんじゃない、ただ向いてないだけだ」と
諦めもつく(言い訳できるとも言う)
適性がないだけなら努力次第でどうにかなりそうな気もする
多分、ニュアンス的には才能を素質に言い換えても反発する気がするよ

867: 23/05/02(火) 07:01:03 ID:pR.rx.L1
才能も素質も「選ばれた人間」感が出るから
それがないと言われた人は怒り出すんだろうなぁ
適性だと「向き不向き」だからさ
「やれはするけど難しいよ?」感というか…
言葉にするの難しいな、これ

868: 23/05/02(火) 10:33:26 ID:uO.dn.L1
一般的には「才能」は「適性」の上位互換と認識されてるような
「野球の才能がある」は大谷クラスじゃないと適用できないけど、
「野球に適性がある」なら甲子園に出たくらいでも適用できる
だから「才能」はないけど「適性」はある、
という人が世の中には結構いて、
そういう人が努力すれば
「才能だけで努力しない人」には追いつけるかもしれない、
というロジックが成立する
そして「世の中には努力できる天才がいてな…」という話になる

869: 23/05/02(火) 10:53:53 ID:SC.rx.L1
努力でなんとかならない領域のことを才能と読んでる。
適性は「やってて嫌じゃない程度にはその動作が好きかつ、
任意に人を集めた場合その集団の平均を上回ることができる」
くらいの意味で使ってる。

だから、大谷翔平は野球と努力の才能がある。
草野球チームの山田さんは野球に適性がある。

870: 23/05/02(火) 10:55:11 ID:lf.3m.L22
>>865
才能が無いと成功できないという意見の成功の定義はとても高く
努力でなんとかなるという意見の成功はなんとか食べていけるという程度も
成功と定義していそうなので
会話の時に意見が噛み合わなくなるというのもありそう

「適性なし・不向き」だとそこそこの結果を出すために
熟練度をあげるというだけでも人並み以上の苦労をしたり
さらには「努力をすることが出来ない性質」の意味合いまで内包していると
「適性がないなら仕方ない」という納得や諦めが得られるのかもね

871: 23/05/02(火) 11:03:21 ID:lf.3m.L22
才能があって努力できる人と
才能があるけど努力できない人と
才能は定かではないけど努力できる人と
才能も定かではないし努力もできない人
会話をする時は各々が思い描く「才能」と「努力」のありようがあって
「成功」の定義も違うからスッキリと互いに
腑に落ちる終わり方がなかなかできないなと思う