ヤス・マリーナのパドック・ライフ
◎ もやのかかったせわしなく騒々しいインドのあと、F1はアブダビで一息つくことができた。
ヤス・マリーナ・サーキットというオアシス(ピカピカの道路、きちんと刈られた芝生、抜けるような青空、素敵なマリーナ)は、野性的なデリーで先週末を過ごして逃げてきた人々を歓迎した。
近年のアブダビGPは最高のレースを生み出していないかもしれないが、このイベントはかなり人気があることがわかっている。
会場は素晴らしく、今年は今まで以上によく見えた。改名されたヴァイスロイ・ホテルはトラックの最終セクションにまたがっており、いつも印象的な眺めである。
娯楽の面でも、興奮するものがたくさんあった。レース・ファンのための1日を締めくくるコンサートは大きなアトラクションになった。そして、パドックの常連のかなり多くが、カイリー・ミノーグ嬢のコンサートを見逃すことがないよう金曜夜早めにトラックを離れた。
また、陸上のオリンピック金メダリスト、ジェシカ・エニスがF1の見学に来たため、パドックは大いに盛り上がった。
夕方のスケジュールと、土曜夜の長いスチュワードの審議のため、メディアと主要チームはほとんど毎晩夜遅くまでパドックに残っていたが、別の場所ではパーティが続いていた。
その場所とは、ほとんどの場合アンバー・ラウンジだった。ここはパドックから流れてきた人々をもてなしてくれるため、失望させられることはなかった。
アンバー・ラウンジには週末の初めにカイリーとダニーのミノーグ姉妹が現れ、キミ・ライコネンも、今シーズン最もスリリングなレースのひとつで優勝したあと、当然姿を見せた。
お祝いがいつまで続くのかと質問され続けた後、彼は「あと2週間近くある。次のレースに間に合う限りチームは満足すると思う。いつか家に帰るつもりだよ」と答えた。
◎ F1で最も長いシーズンがパドックに影響を与え始めており、アブダビの週末はどこを向いても、風邪やインフルエンザにかかった人、悪い咳をしている人ばかりだったが、ドライバーは、シーズン最後のひと押しのために警戒を怠らなかった。
ジェンソン・バトンはアブダビGPの暑さに慣れるため、アブダビのサーキットの周囲35劼鬟薀鵐縫鵐阿靴拭ブルーノ・セナはブラジルのナショナルチームとビーチサッカーをして過ごした。
しかし、陽光をあきらめ、他人のために何かをすることを選んだのはルイス・ハミルトンだった。彼はアブダビに向かう前にユニセフとともにインドのマドヤ・パラデシュ州を訪れ、インドに住む5歳未満の子供の半分近くが苦しんでいる飢餓と栄養失調を目の当たりにした。
数日後、体験を振り返ったハミルトンは目を大きく見開いて、数百万ポンドのスポーツであるF1と自身の見たものを比較した。
彼は「このふたつは百万マイルも離れている。文字通り対極にある」と語った。
「ここ(アブダビ)は今まで訪れた中で、一番裕福な場所だ。でも僕は見たことがないほど貧しい場所を訪れた。ただ… とてもとても悲しかった」
「多くの人が気づいていない問題を見るために、そこに行ったんだ。僕を含め、誰だって日々の暮らしを送っている。でも赤ちゃんを連れて路上生活をしている女性がいる。栄養失調の子供は死ぬしかないんだ」
「誰も助けに来ないし、赤ちゃんには戦うチャンスさえない。世界にこれほど多くのお金があることを考えると常軌を逸しているよ。十分全員に行き渡るよね…」
ハミルトンは、彼の訪問が大きな違いを生み出す可能性は低いと知っているが、少なくとも小さな影響を与えるだろう。それはどこかに大きな恩恵をもたらすかもしれない。
「僕の訪問はささいなことだ。影響があったとしてもごくわずかだろう。でも何事も最初の一歩から始まる。小さい頃、僕はずっと何かになりたいと思っていた… 池に小石を投げると波ができるようにね」
「水しぶきをあげるようなそういう小石になりたいと思う。そうすれば誰かが続くだろう。世界には素晴らしいことをしている人がたくさんいる。僕がそういう場所に行って2、3日過ごすのはどうってことない。本当に信じられなかった」
F1は、今は大きな存在感があるかもしれないが、今後の世代がF1を大切にするような取組みがある。
それが最もよく表れているのが「F1イン・スクール」のイニシアチブである。今年の決勝戦はアブダビのフェラーリ・ワールドで開催された。
22ヶ国から選ばれた33チームが、それぞれモデル・カーを設計し、圧縮空気を動力として20mのトラックでレースを行った。今年の優勝チームは、オーストラリアの「常温核融合」だった。
バーニー・エクレストンとF1イン・スクール優勝校
このコンセプトを以前からサポートしているバーニー・エクレストンが優勝トロフィを手渡した。伝説的F1デザイナーのエイドリアン・ニューウィでさえ、RB8のダクトと同様の優勝チームのダクト・システムに興味をそそられていた。
ニューウィは「とても印象的なマシンだね」と述べた。
「マシンは単なる物体だが、印象的なのは彼らがおこなった研究と、そのアプローチ方法だ。彼らはCFDでかなり手間をかけて最少ドラッグ・ソリューションを考案し、それにダクト・システムが含まれていたんだ」
◎ F1シーズンの終わりが近づくと、キャリアを終えることを決めた人々に別れを告げることが多くなる。
一部のドライバーは、覚悟ができる前に引退を迫られることもあるが、それ以外の人々は、幸い自身で引退時期を決め、送別会まで手配することができる。
アブダビで別れを告げたのは、ルノーで長年働いたマネージング・ディレクターのジャン-フランソワ・コウベだった。彼はルノーで何十年も働いた後、引退することにしたのだ。
コウベはルノーの乗用車部門およびレーシング部門で多くの役職に就いた。そしてF1部門でも働き、1990年代はウィリアムズ、最近ではレッドブルに協力していた。
インドでルノー・エンジンの画期的な150回目の優勝を見届けた後、コウベはアブダビの土曜夜ルノーの現役ドライバーや、ステファノ・ドメニカリ、マーティン・ホイットマーシュなどライバルのチーム代表、メルセデスのノルベルト・ハウグなどとともに、パドックの特別送別会に出席した。
フランス式にシャンペンがふるまわれ、F1が重鎮のひとりに別れを告げた。そして彼の上司には151回目の優勝がプレゼントされた。
-Source:autosport.com
ヤス・マリーナ・サーキットというオアシス(ピカピカの道路、きちんと刈られた芝生、抜けるような青空、素敵なマリーナ)は、野性的なデリーで先週末を過ごして逃げてきた人々を歓迎した。
近年のアブダビGPは最高のレースを生み出していないかもしれないが、このイベントはかなり人気があることがわかっている。
会場は素晴らしく、今年は今まで以上によく見えた。改名されたヴァイスロイ・ホテルはトラックの最終セクションにまたがっており、いつも印象的な眺めである。
娯楽の面でも、興奮するものがたくさんあった。レース・ファンのための1日を締めくくるコンサートは大きなアトラクションになった。そして、パドックの常連のかなり多くが、カイリー・ミノーグ嬢のコンサートを見逃すことがないよう金曜夜早めにトラックを離れた。
また、陸上のオリンピック金メダリスト、ジェシカ・エニスがF1の見学に来たため、パドックは大いに盛り上がった。
夕方のスケジュールと、土曜夜の長いスチュワードの審議のため、メディアと主要チームはほとんど毎晩夜遅くまでパドックに残っていたが、別の場所ではパーティが続いていた。
その場所とは、ほとんどの場合アンバー・ラウンジだった。ここはパドックから流れてきた人々をもてなしてくれるため、失望させられることはなかった。
アンバー・ラウンジには週末の初めにカイリーとダニーのミノーグ姉妹が現れ、キミ・ライコネンも、今シーズン最もスリリングなレースのひとつで優勝したあと、当然姿を見せた。
お祝いがいつまで続くのかと質問され続けた後、彼は「あと2週間近くある。次のレースに間に合う限りチームは満足すると思う。いつか家に帰るつもりだよ」と答えた。
◎ F1で最も長いシーズンがパドックに影響を与え始めており、アブダビの週末はどこを向いても、風邪やインフルエンザにかかった人、悪い咳をしている人ばかりだったが、ドライバーは、シーズン最後のひと押しのために警戒を怠らなかった。
ジェンソン・バトンはアブダビGPの暑さに慣れるため、アブダビのサーキットの周囲35劼鬟薀鵐縫鵐阿靴拭ブルーノ・セナはブラジルのナショナルチームとビーチサッカーをして過ごした。
しかし、陽光をあきらめ、他人のために何かをすることを選んだのはルイス・ハミルトンだった。彼はアブダビに向かう前にユニセフとともにインドのマドヤ・パラデシュ州を訪れ、インドに住む5歳未満の子供の半分近くが苦しんでいる飢餓と栄養失調を目の当たりにした。
数日後、体験を振り返ったハミルトンは目を大きく見開いて、数百万ポンドのスポーツであるF1と自身の見たものを比較した。
彼は「このふたつは百万マイルも離れている。文字通り対極にある」と語った。
「ここ(アブダビ)は今まで訪れた中で、一番裕福な場所だ。でも僕は見たことがないほど貧しい場所を訪れた。ただ… とてもとても悲しかった」
「多くの人が気づいていない問題を見るために、そこに行ったんだ。僕を含め、誰だって日々の暮らしを送っている。でも赤ちゃんを連れて路上生活をしている女性がいる。栄養失調の子供は死ぬしかないんだ」
「誰も助けに来ないし、赤ちゃんには戦うチャンスさえない。世界にこれほど多くのお金があることを考えると常軌を逸しているよ。十分全員に行き渡るよね…」
ハミルトンは、彼の訪問が大きな違いを生み出す可能性は低いと知っているが、少なくとも小さな影響を与えるだろう。それはどこかに大きな恩恵をもたらすかもしれない。
「僕の訪問はささいなことだ。影響があったとしてもごくわずかだろう。でも何事も最初の一歩から始まる。小さい頃、僕はずっと何かになりたいと思っていた… 池に小石を投げると波ができるようにね」
「水しぶきをあげるようなそういう小石になりたいと思う。そうすれば誰かが続くだろう。世界には素晴らしいことをしている人がたくさんいる。僕がそういう場所に行って2、3日過ごすのはどうってことない。本当に信じられなかった」
F1は、今は大きな存在感があるかもしれないが、今後の世代がF1を大切にするような取組みがある。
それが最もよく表れているのが「F1イン・スクール」のイニシアチブである。今年の決勝戦はアブダビのフェラーリ・ワールドで開催された。
22ヶ国から選ばれた33チームが、それぞれモデル・カーを設計し、圧縮空気を動力として20mのトラックでレースを行った。今年の優勝チームは、オーストラリアの「常温核融合」だった。
バーニー・エクレストンとF1イン・スクール優勝校
このコンセプトを以前からサポートしているバーニー・エクレストンが優勝トロフィを手渡した。伝説的F1デザイナーのエイドリアン・ニューウィでさえ、RB8のダクトと同様の優勝チームのダクト・システムに興味をそそられていた。
ニューウィは「とても印象的なマシンだね」と述べた。
「マシンは単なる物体だが、印象的なのは彼らがおこなった研究と、そのアプローチ方法だ。彼らはCFDでかなり手間をかけて最少ドラッグ・ソリューションを考案し、それにダクト・システムが含まれていたんだ」
◎ F1シーズンの終わりが近づくと、キャリアを終えることを決めた人々に別れを告げることが多くなる。
一部のドライバーは、覚悟ができる前に引退を迫られることもあるが、それ以外の人々は、幸い自身で引退時期を決め、送別会まで手配することができる。
アブダビで別れを告げたのは、ルノーで長年働いたマネージング・ディレクターのジャン-フランソワ・コウベだった。彼はルノーで何十年も働いた後、引退することにしたのだ。
コウベはルノーの乗用車部門およびレーシング部門で多くの役職に就いた。そしてF1部門でも働き、1990年代はウィリアムズ、最近ではレッドブルに協力していた。
インドでルノー・エンジンの画期的な150回目の優勝を見届けた後、コウベはアブダビの土曜夜ルノーの現役ドライバーや、ステファノ・ドメニカリ、マーティン・ホイットマーシュなどライバルのチーム代表、メルセデスのノルベルト・ハウグなどとともに、パドックの特別送別会に出席した。
フランス式にシャンペンがふるまわれ、F1が重鎮のひとりに別れを告げた。そして彼の上司には151回目の優勝がプレゼントされた。
-Source:autosport.com
markzu at 13:51│Comments(0)│F1GPパドック・ライフ
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