abemaで格闘技放送を見てるとこんなコメントがあった。
 
 「入場曲にラップはやめてくれ。盛り上がらない」

 と。

 そのことをふと思い出して思ったことがあった。
 格闘技は「ヤンキー文化」で支えられているんじゃないか、と。

◇格闘技における「ヤンキー文化」

 RIZINのようなメジャーな舞台なら別だが、たいていの格闘技の集客はものすごく地道なもので、選手がチケットを友人などに手売りして呼んだりするケースがほとんどとなっている。
 そこからの脱却を図ろうと「KNOCKOUT」のように脱・手売り志向を掲げるも失敗するケースもあったりしているのが現状だ。

 実際、人気選手でも朝倉未来のようにトライフォース赤坂の仲間内で強くなっているある意味「ヤンキー的」なファイターだったり、皇治にいたっては「軍団」を作り上げ、彼らの応援に支えられているなど、ある意味狭い世界での結束を大事にした結果、人気選手になっている部分もある気がする。
 マイナーな選手はいわずもがな、大体小さな「軍団」が応援団となってその選手を応援している。

 かつて言われた「マイルドヤンキー」は地域で仲間や友達と楽しく過ごす、みたいな分析があったが、格闘技の世界はまさにそういった「マイルドヤンキー」な側面に支えられているところが大きい気がする。

◇「ヤンキー」と「オタク」の融合

 最近のプロダーツを見てると、選手の友人といったある意味「ヤンキー」的な結束、そして特に上位者や女子選手にフォーカスを当てる「オタク」的なファンが、ファンの多数を占めている気がする。

 マイナー格闘技もそうだが、これらの競技は必然的に選手が身近になりやすい。世間に自分を売り出してようつべで稼ぐとかができるほどではないので、身近な応援で生活を支えざるをえないからだ。
 応援すればするほど選手が近くにいる、ということになるのだ(皇治くらいになると難しくなるけど)。

 その身近さが「応援」を加速させるというのはある気がする。応援するのは当たり前、応援するのは文化・・・サッカーチームなどもそういう深いかかわりをもつサポーターはいるが、しかしそれはファンの割合の一部に過ぎないはずだ。

 しかし、マイナー競技であればそういうコアなファンが主体になっており、選手側もコアファン側を重視するようになる(ライトなファンが少ないので・・・)。結果、選手とファンが狭い世界で固い結束で結ばれる「ヤンキー」的な文化が形成されることとなるのではないか。

◇そして苦境の時は「ヤンキー」が競技を支える。

 身近なコアファンは競技を支える。かつて、Jリーグの大分トリニータが苦境に陥っていたとき、当時の河野太郎観光庁長官(だったと思う)が「もう運営できないなら支えなくていいよ」とさじを投げて市場主義に委ねる発言をしていたような状況だった。
 それでも結局はファンが支えて持ち直し、近年ではJ1や天皇杯で躍進することになるのだが、一番大変になっていた時に支えていたのはコアなファンによる運動だったと思う。(なお、今シーズンは降格してしまったためJ2)

 格闘技も、ほかの競技もある意味友情や人情的な側面で支えているという部分はあると思う。全国区の巨大チームになったりすると存在感は薄くなるけど、苦境で人が離れている状態になると、その支えが非常に重要になると思う。

 とにかくこういった人は「連帯」を感じると良く動く。

 いい例ではないが、沖縄でバイクの子が警察の失態?で失明したときに警察署に多くの人がなだれ込んだのもある意味「ヤンキー」的な文化なんじゃないかと思う。
 「仲間」のためなら動く、そういう文化なんだと思う。いや、警察署に殴りこんではだめだし、あれは適正に処罰すべき事案だと思う。もちろん殴った警官側も含めて、それが法の在り方じゃないだろうか。

◇過度な「脱ヤンキー」への警笛。「悪」を取り除いて活かしていくしかない。

 とはいえ、ライトなファンや特別な友情を選手や興行から感じられない人にとっては「ヤンキー」的要素は正直邪魔でしかない。スタイリッシュには見えないし、はた目から見ると恐怖心を抱くようなシーンに思えるからだ。

 それが冒頭に話した「ラップはやめろ」だし、そうでなくても身内感が出てしまうと疎外感を味わう。秋葉原の路上でアイドルが無料ライブをやってファンが躍っているのを見たことがあるが、アイドルを知らない自分としてはものすごい入りにくさを感じてしまったのも事実だ。

 とはいえ現状選手を支えているのはそういった身近さの部分であるので、競技がメジャーになるまでは、しっかりと続けていく必要があるとは感じる。

 もちろん、沖縄の件のような「悪」の部分を含んではいけないし、それこそ昔のボクシングみたいに「組」の人が最前列を陣取るようなことはしてほしくない。ヤンキー的だけど、なんというかどれだけ「ホンモノ」を入れないかということも大事になる。

 バランスを考えながらも、やはり「ヤンキー的」な力に頼るしかないのが、今のスポーツの現状なんじゃないかと考えている。

いじょ。