いい旅にしよう。

旅準備、旅日記。最近はまったこと。

京都・平安神宮で初めての薪能鑑賞

6月初旬、友人に誘われて平安神宮の薪能に行った。初めての能鑑賞だ。

闇に浮かぶ朱塗りの平安神宮を背に、簡素な木の舞台。
暮れゆく空とともに、徐々にボウッと浮かび上がってくる。

座席は自由席(早いもの勝ち)で、1時間くらい並んで真ん中位の右手側の席に座った。
(開始する頃には約8~9割方埋まっていただろうか。後ろの方は少し空いていた)。

演目は「橋弁慶」・「烏帽子折」・「船弁慶」。

大河ドラマ「平清盛」の大ファンだった私にとっては、この上ない演目だ。
演目のあらすじを熟読し、「平清盛」のDVDも見返し気分を高め準備万端で臨んだ。

「橋弁慶」「烏帽子折」は大立ち回りもある派手な舞台。
これらは座って見たのだが、前の人が大きくてよく見えなかったので、3つ目の「船弁慶」は、舞台に向かって左手後ろから立って見ることにした。

するとこれが素晴らしかった!!

舞台からは遠くなったが、立って見たため少し高い位置から全体が見渡せた。半分闇に覆われ畏怖さえ感じる平安神宮の風情もたっぷり味わえる。

能は、シテの強い想いに焦点が当てられ、見る方はそれを堪能する。強い想いをだけを生々しく際立たせるためなのか、能面を含め、物理的な生々しさを極力排除するという演出に徹している。

船弁慶に前半は、静御前が義経との別れに際し舞を披露し悲しみを表現する。

舞台左そでから、静御前(前シテ)が現れると、そこはもう異空間。

音もなく静かにゆっくり少しずつ動いていく姿にゾワゾワした。
静かにスっと入ってきてゆっくり歩き始めると、波が外へ外へと伝わっていくように、何かが舞台を支配していく。
最後は、無音の中、あるかなきか消え入るのように舞台袖に姿を消す。
その瞬間、義経との別離を終えた静御前の悲しみ・絶望の余韻がこちらに押し寄せてきた。

こういう感覚は、生の舞台ならでは、予習がてらに見た能の映像では感じられなかった感覚だ。
絵でも本物とポストカードは全く違うのだから当たり前か。

それに、私は能を見慣れないせいか、能面を付けたシテの姿は、2.5次元にのものに見えてしまう。なのに、それを映像で見たら、もはやそれは2次元であり、さらに物理的な生々しさは薄まって、同様にシテが作り出す心の世界もトーンダウンして見えてしまうのかもしれない。

実際の舞台は、遠い昔の“現”と“心”の世界が交錯する異空間。
シテは能面で顔を隠し、動きも生身の人間とは異なる。
人であって人でない感じ。
ゾワゾワする。
見ていると段々と魅入ってしまい、ついには異空間に誘われるような不思議な感覚を覚えた。
謡いの内容は、よく聞き取れないがいつしかそんなことは全く気にならなくなった。
能は余白が多い。その余白を堪能することもまた、能の醍醐味の一つなのだろう。
究極まで抑制した演出と動作で、シテの想いを際立たせる、客観と主観の扱い方の妙…長い歴史を持つ芸の深淵さに触れた気がした。

これを書きながら、ふと山岸涼子先生の漫画を思い出した。山岸先生の漫画も余白が多い。いやむしろ「余白だらけ」と言うべきか。でもその余白にこそ、見る者の心をざわつかせる何かが宿っている、それは能と同じだ、それを言うなら日本画も同じだな。

外国人の観客も結構多い。能は、
現代アートとかコンテンポラリーダンスなどにも通ずるところはあるように思えるし、そういうのが好きな人は言葉がわからなくても独特の世界観に魅力を感じるのではないかな。

それにしても、6月初めの京都の夜は結構寒かった。寒さに強そうな外国人も半袖では寒そうだったな。私は上着やらストールやら持参、タイツも履いてちょうどよかった。


上演中、オペラグラスで時々覗いていると、どこかで見た人が…!!

「あ!!朝ドラ「カーネーション」のあほぼん!」

茂山逸平さんというらしい。あの人、狂言の人だったんだ、初めて知った。

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泣いたわ~!2017年大河ドラマ『おんな城主直虎』まとめ感想

あ~、もう今日は直虎無いんだな~、と思うと、じわじわ直虎ロス。

最終回は~やっぱり泣けた。第33回に次いで泣けた。

戦国ラブファンタジー大河万歳!
日本昔話テイストも大好きだった。

最期、竜宮小僧の手が直虎の肩に…、労ってくれたんだよね…泣けた。
和尚の嗚咽「ボロボロじゃないか…」とか、直政の「百尺竿頭に一歩を進む…」の元服名もらうシーンとか、陽の光の下で楽しそうに囲碁をうつ直虎と後姿と手だけ政次、「おとわ」直親の声。ううっ(涙)。。。

柴咲コウさんは、特に晩年になってから芝居がすごく良かったな~。少し前だけど、家康の下でしっかり働いている万千代と会って、万感の思いで涙ためて見つめるシーン、泣けた。

今まであまり描かれてこなかった小国の苦悩や農民たちの暮らしにスポットを当ててるのも面白かったし、おとわ→次郎→直虎の女性の成長物語としても良かった。
そして何より、入れ替わり立ち代わりイケメンたちが支えてくれるっていう王道少女漫画テイスト最高!(笑)

3月くらいから思わせぶりな演出に「どうする、どうなる、鶴・おとわ!?」が気になって気になって…。すっかりしなびていた少女漫画脳が叩き起こされ、妄想猛々しく、毎週毎週それはそれは待ち遠しかったのだけど、第33回、予想をはるかに超える展開に唖然。そんなのアリ!?その後3日ほど思い出しては泣きそうになり、しっかり政次ロスに。

政次がおとわへの思いを封印しても尚、こぼれ出てしまう感じがね~、も~たまらなく切なかった。高橋一生くんの名演しっかり記憶に刻まれファンになったので、いつか大河の主役やってね!!しっかりご飯食べてね。

結局、おとわにとって政次は「かけがえのない人」ではあったのはわかったけど、男女のソレとしては余白残して終わっているところがニクい。果てしなく妄想が広がるよね~。

この物語で一番興味深かったのは、
第5話で次郎法師が言っていた「旗が揺れているのは人の心が揺れているから(物事の見え方は人の心次第)」というテーマだ。
政の場にしろ、人間関係にしろ、全編に貫かれていた。
それぞれがそれぞれの見方でその場その場で最適解を求めて動く。
人物が丁寧に描かれているので「この人ならこうするよね」と説得力があったわ。

そういう意味では何も語らない政次の気持ちは妄想しがいがあったわ~。細かいところまで行き届いた芝居で、もはや政次にしか見えなかったし、一層妄想を掻き立てられた。
第11回で井伊を守るために直親を裏切り、事ある毎に井戸端で直親に話しかけ、どんなことがあっても命がけで井伊を守ると心を決めた。
第32回で関口の首を手土産に徳川につこうとするも、その関口が武田に寝返ったと聞いて、最悪、手土産を自分の首にすることも考えたはず。でも直虎は成功を疑わず希望に満ちていて、政次も悪い方向に考えるのをやめようとした。
で、なつにプロポーズ。ここは色々意見の分かれるところ。
もちろん、つらい立場になっても傍にいて「大丈夫」と背中をさすってくれてたなつのことは手放したくなかったのだろうけど、直前に直虎と話し、今川を脱した後は「正しい主君と家臣」になって彼女を支えていきたいという思いを新たにし、自ら線引きしたってのもあるんじゃないかな…(切ないよう)。
政次の策は、直親を裏切ったことへの贖罪のため、常に自分の命を差し出すことも選択肢と一つに念頭にあったったんだと思う。自ら捉えられて、逃げる道を提案されても逃げなかったのは、井伊と直虎を守るためにそれが最適だと思ったから。
実際、直虎と共に逃げて別の策で井伊を守る道があったかもしれないし、これが最適だったかどうかはわからない。でも結局、政次は自らの命を差し出す道を選んだ。
瀬名もそうだったし、自分より大切なものがある者は、それを守るために躊躇なく命を差し出す。以前中野直由殿が言った「守るべきものを守るために死んでいけるものは果報者なのですよ」という言葉があったな~(泣)。政次の場合は、直親への贖罪の気持ちも強かったから余計死へ引っ張られたのではないかな・・。などと、あれこれ思い出したり妄想が止まらない。

でも私は「和尚!、政次にもっと前から“命あっての物種”とか“比翼の鳥”とかの話、なぜ言ってやらなかった!?有事の際は盾になってもらおうと思ってたやろ、絶対!」と和尚にキレたのであった。

でも、この物語の良い所は、「守るべきものを守るために死んでいけるものは果報者なのですよ」を一方通行に良い言葉とせず、「(瀬名に)残されるものの気持ちを考えたことがあるか!?」と直虎が憤ったシーンがあったこと。

まさに、「旗が揺れているのは人の心が揺れているから」。人によって物事の見方は違うのだ。
考えさせられた。

他は、
「〇〇(弱者)だからこそ、できることは必ずある」というテーマも力強くて励まされた。
特に最終回、直虎が於大の方に行った言葉が素晴らしい。
「子を持たぬ尼殿にはわからぬ」
「子を持ったことがないからこそ、皆子どもは等しく愛おしく思う」。
確かに、子どもが無ければ実子への愛というものはどうしたって100%実感できないもの。だからってそれを嘆いても憤っても詮無きこと。無いなら無いで、人はまた別の愛が持てるもの。なんて強く優しく愛情深い言葉!
弱った時は「やってみねばわからぬではないか」と一緒にこの言葉を思い出そう。

・「亡くなった人の志は、偲ぶことで、倣うことで、また倣わぬことで継いでいける」
・「卑怯者と言われようと戦わぬ道を探る」
とかも、色々考えさせられる言葉だったな~。

『平清盛』同様、一年間とっても楽しませてもらった大河だったよ。ありがとうございました。

視聴率は気にしない。
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大河『おんな城主直虎』何度も見返したよ第18回『あるいは裏切りという名の鶴』感想

 最近、今年の大河ドラマ『おんな城主直虎』を毎週楽しみに見ている。私の中では『平清盛』以来の盛り上がりだ。いつもと違うのは、天下を狙う壮大な物語ではなく、周囲の大国に揺さぶられる小国の苦悩とその領内の小さな話が中心だということ。
 でも、通常の大河以上に登場人物の心情を丁寧に描いているのが面白いし、行間を読ませる脚本も見事だ。(たまにご都合主義な設定とか流れがあるけどそこはご愛嬌)たまにはそんな大河ドラマもあっていいと思う。

 物語は、少女漫画風味、戦国ラブファンタジー『 直虎とゆかいな仲間たち ~井伊谷冒険譚~ 』といったところかな。そう思えば、竜宮小僧というファンタジーモチーフとか、筆頭家老なのに嫁をもらわない設定も気にならないし、中村梅雀さんの昔話風の語りもバッチリはまってる。
 ただこの物語はあくまで辛口。11話過ぎた時点で、登場人物がごっそり死に、結果、女子どもと家臣2人と目付1人しか残ってない。食べ始めは甘いのに、後で超辛くなるカレーの様だ。

 おんな城主を引き受けた直虎は、次世代虎松へ井伊家を無事引き継ぐため只今大奮闘中。
 
 前回の第18回は前半の山場。
 主人公・直虎の元許嫁で、今川に嵌められ殺された直親を裏切ったと思われていた幼馴染の家老、政次が実は裏切っていたのではなく、一人矢面に立ち、今川からの盾となって井伊谷を守ろうとしていたことが分かった回だった。

 行間をしっかり読ませる脚本も芝居も凄く良くて何度も見返したよ。この感じ、『平清盛』を思い出すわ~。『直虎』は、壮大さとは無縁、話もセットも衣装も地味、面白さのベクトルは違うけど、代わりに、懐かしの少女漫画的トキメキエッセンスがプラスされ、あ~も~たまりません(笑)。

■以下、第18回『あるいは裏切りという名の鶴』感想(ネタバレあり)。

今回の私の一番は、井戸で政次が直親に話しかける独白シーン。
「あいつの夢枕にでも立って、危なくなる故、早く下がれと言うてくれぬかの…」政次の鶴の表情にグッときた。

思えば直親が亡くなる直前、ここで2人は、
「今川が倒れたら次郎と一緒になってはどうか?」
「…次郎様がお望みにはならんじゃろ」と話してたね。
これは「自分はいつでもウェルカム、おとわのこと好きだ」って直親に言ってるんだよね。直親と好きな子の話をするまでに関係回復し、で、今川と共倒れにならない様、一緒に頑張ろうとしてたんだよね~。あ~切ない。
その後地獄を見て、相当の懺悔と後悔の思いで覚悟を決め、使命を背負って今川館の欄干を握りしめてたんだって、このシーン見て改めて思った。
「直親すまなかった、甘かった自分を許してほしい。お前に誓う。これから、今川の犬と呼ばれ、毛虫のように嫌われようとも、命を賭けてお前の代わりに井伊を、おとわを守る!」という感じかな。
おとわ同様、鶴の中にもいつも亀がいたんだ。

直親と政次の関係が戻った期間は短かった。もっと直親には生きててほしかった。「次郎と政次は一緒になればいい」と政次に勧めたものの、その直後、死を目前にして「戻ってきたら一緒になろう」とおとわを抱きしめる直親。表と裏をすごく自然に使い分けられる興味深い人物だった。黒い三浦春馬君もいつか見てみたい。
「(自分はさておき)次郎様のお好きなように…」という政次を見て、政次なら自分が死んでもおとわと井伊を守ってくれると確信したかもしれない。

前もここで、政次はSAJ三段活用(カルテットから引用)、今回また、急に直虎に袖をつかまれて驚き、またまた拗らせ三段活用…味わい深いよ…鶴。
「今更、嫁にもろうてくれといっても願い下げじゃ」って、直虎のモジモジ具合が少々可愛かったので昔みたいにからかいたくなった、and、話しやすくしてやったが、つい本音が混じってしまったというところかな。ああもう、いとおしいわ、鶴。

“今更”って「還俗して俺と一緒になるか」あっての今更?、つまり、前のは本気プロポーズだったって!?少なくとも「前はいつでもウェルカムだった」と言ってるよね(本当は今もだけど)。政次がいまだ嫁の席を空けてる話、つい先ほど聞いたばかりなんだからちょっとは察してやれよ、直虎ちゃん。
でも政次は「還俗して…」と言ったとき、「取りっぱぐれはもう御免じゃ」と余計な一言も言ってたから、直虎はそっちの言葉が本心だと思ってる。政次は家臣でただの幼馴染、自分に政次との結婚話があっても、それはあくまで小野の利益の為と。浮かばれないね~。

「はあっ?」って怒る直虎をしばし微笑み見つめてから、静かに「戯言です」という政次。でも、こ、この視線…おとわへの愛が溢れすぎじゃ…。まるで懐かしいおとわを、二人の時を味わっているかの如く…いや、もしくは、自分の言葉によるあるはずもないおとわの心の揺れを見ようとて、でもやっぱり何もなくて、「まあ、そうなるよな(第一話・鶴)」みたいな。あ~切ない。

直虎は核心に触れないように配慮しているらしいが、ほぼド直球。「だってそうじゃろ!…」と、取り繕えば繕うほど政次は直虎が気づいてしまったことを知った。高橋一生くんの徐々に焦っていく芝居、後ろを向いてさえも伝わる緊張感、見事。

直虎に「我は直親のうつしみになることを己で決めたのじゃ、女子だから守ってやらないとと思ってるのはお門違い、守ってもわらなくてもいい。我もそなたを使うから、そなたも我をつかえ」
と言われた政次は、かなり動揺。直虎を振り返り視線を交わす。哀しくグッときてるようななんとも複雑な表情。

ここは、
「お前を守っていたことに気づいたのか。それを無用の情けと…。なんと潔いのか、俺のおとわ。命懸けでお前を守ると決めたのに、もう守られてくれないのか?」
「女子だから守ってやらないと?え、女子?…そこはやっぱりわかってない…」
「使い使われ…つまり、二人だけの秘密で共謀共闘しようといってるのか(萌)」(→残念、南渓和尚も知ってま~す)
…でしょうか。

そして「私なら井伊をどんな卑怯な手を使っても戦わずして生き残る。それが小国の生きる道」と熱く持論を展開する政次。この言葉に嘘はないだろうけど、直虎にこう言うのは、彼女を守るため、絶対戦をさせないための愛に溢れた一つの策だと思う、きっと。「それでも俺はお前を守る」という強い意志を感じたわ~。現代日本も政次戦略を見習うべきだ。

政次の言葉を受け「良いな、但馬らしい」と目に涙を浮かべる直虎。直虎は、政次の井伊谷愛を感じ、これまでの彼の苦労…一人矢面に立ち、背負ってきた孤独と決意にも心を寄せたのだろう。直虎の様子を見た政次の目にも涙がキラリ。全部ではないけど再び心が通い合った瞬間。清風と名月は一体のもの。ああ、素晴らしいシーンだった、感動…。

バックには亀の笛の音、二人の中にいる亀が、再び二人を引き合わせてくれたんだ…ありがとう、亀。

この井戸のシーン、二人がそれぞれの思いで互いを思いやり、全てをぶっちゃけないところが、尊い。で、それは二人の秘め事という…みぞみぞするわ~。
またそれは同時に、共に建前を本音として使う選択肢が生まれたわけで、「井伊を守る」という目的の為には裏切りもアリなわけで…。裏切られることが最高の幸せって顔で、政次は死んでいきそう。

で、これから直虎ちゃんは、政次先生に「大事なのはそこではない」と言われながら引っ張ってもらい、成長していくんだ。…そのあかつきに、残酷な運命が牙をむく。
やっぱり『叔父を斬る(清盛)』路線?
それとも、愛する人を斬る『紅天女』路線?
どっちでもつらすぎます。

この大河、ベルばら風と言われるけど、私はどっちかというとガラスの仮面だと思う今日この頃。
「一真は愛する阿古屋を切れるか」《紅天女》テーマを掲げ、「あの子から目を離せない…」と言われる北島マヤの如き高橋一生が、紫のバラの人をやってて、なつは水城さん、いや聖さんだ、とか(笑)。

あと、南渓和尚、この人は井伊の為なら何でもする人とお見受けした。そうだカビ饅頭論者だった。捨て石は動かさない、もしくは普通の石をさりげなくく捨て石に仕上げて行く術を知っるね。
政次のこと「優しい子」と思ってるなら、政次のこれまでの行動も意図も薄々気づいていたはず。「わしは政次じゃないからの」であえて踏み込まないし、直虎やなつにも踏み込ませないよう持って行ってる。そうだ、この人、直親と政次が虎松誕生祝に土地を返し歩み寄った時(かな?)複雑な顔してたっけね。小国が生き残るためには、こういう非情な役目を担う人も必要なんだろう。。。

それから、小野家の晩酌もいい感じ。お疲れの政次を優しく癒してくれて、政次のお土産を直虎に持っていって“御役目”全うしてくれて、ありがとう、なつ。政次とは傍から見たらいい夫婦の様だよ…やっぱり情は移るよね。あ~切ない小野家。なつは政次ファン総代だね、これからも絶賛応援するよ。
なつは、これからも義兄上のために動きそうだから、なつ視点で政次の本音が見られそう。いずれあの鼓を直虎のところに持っていくのかな…(泣)。なつも切ない。でもこの予想は誰もが考えるところなので、脚本の森下先生には是非とも華麗なる裏切りを期待。

それにしても、政次が選んだお土産、なんと可愛らしい!そういえば前に佑椿尼様にも素敵な扇のお土産を持っていってたね。だから敵となった今も「一人の男子としてみたら、いいところも沢山ございましょう」とか言ってもらえるんだ(笑)。次郎にもお土産作戦展開してればちょっとは気づいてもらえたかもしれないよ。

それにしても直虎は、政次はただの幼馴染で全く興味無い。何も考えず政次のお土産ボリボリ食べてたよ(笑)「昔はやさしい所もあったような…」って、あんまりだろ。いつか「なんで嫁をもらわない?」と聞いてやれって。
政次の最期までに何か、少しくらい想いのカタルシスがないと不憫すぎるよ。恋愛でなくてちょっとズレてていいから、かけがえのない特別な存在になったことは伝えて、おとわから抱きしめてやって。
直親と直虎の最後の抱擁、直虎は手を直親に回してなかったよね、これは政次と直虎の最後に抱擁に向け、対比となるシーンなんじゃ?と密かに妄想驀進中。

あと、気になったのは、方久が氏真殿に種子島を井伊で作りかけたことを言ってしまったこと。あれヤバいんじゃ…と思ったけど、氏真殿がバカ殿っぷり発揮してたから大丈夫そう。よかった~。また今川の廊下で「謀反の根拠がなくなって良かった~」とか喜び合うんじゃないよ!も~政次でなくても、冷や冷やするわ~。
 
このドラマ、余韻にどっぷりはまるというか、引きずるのよね~、鶴・おとわ、私の時間を返して~!!
この調子、さらに高まりながら晩夏初秋まで続くのかと思うと、幸せしんどい今日この頃。
仕事のあれやこれやを乗り切れるんだろうか…少々不安な今日この頃(笑)。

明日第19回の予告、あれなんですかね。政次の馴れ馴れしいボディタッチな感じは。NHKよ、あざといぞ。
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大河ドラマ「真田丸」最終回(50回)感想


2016年、大河ドラマ「真田丸」が終わった。

なんだかんだ突っ込みながらも、「平清盛」以来、ここ数年の中では、結構毎週楽しみに見ていた。

10月には、草刈正雄さんを見るため、大阪城西の丸庭園でのパブリックビューイングにも参加!
見やすい位置も確保してかっこいい草刈さんを堪能させていただきました。赤備えのファン達と見るドラマは、楽しかった~。
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隣の歴女さんは、片桐旦元の失態に「かつもと~」と間髪入れず突っ込みを入れたり(笑)。何より、大音量のオープニングはヴァオリンの音が大迫力ですごくかっこよかった。

今回も群像劇だ。最初は父・昌幸、途中は秀吉、石田光成らがクローズアップされドラマは進む。
皆名優ぞろいなので、主人公が誰だかわからんくらい素晴らしい演技をされていた。
主人公信繁、どうも影が薄いな~と心配したものだ。

物語が進み、九度山脱出の話から、ようやく信繁が真の主人公に。

でも、このドラマの真田幸村は、私の持っていたイメージとずいぶん違う。もっと勇猛果敢で、昌幸のdnaを受け継いで好戦的なのかと思っていたのだが、堺雅人の幸村の行動の原動力は、自分の為ではなくすべて大切な人の為。私欲はまるでなさそうに見える。

夏の陣、家康陣に一騎で挑んだ信繁は、生き方が古いと否定されるも、「されどわたしはおまえを討ち果たさねばならぬのだ。我が父のため、我が友のため、先に死んでいった愛する者たちのために」と応じる。
(このシーン、少々リアリティ不足で、これイメージシーン?と思ってしまった。「すぐ撃たなあかんやん!」とテレビに話しかけてしまったよ)

見終わって、一番考えさせられたのは、信繁を突き動かした動機の部分。

何か大それた志があるわけではない。ただ、自分を信頼してくれた者たちの無念の思いに報いるため、
命を懸ける、これぞ、わが人生、という感じだろうか。

右往左往、周囲に振り回されながらも、全力で対応。そこに生きがいを見出していたようだった。


このドラマの幸村は決して偉人ではなく、どちらかというと身近にもいる器用貧乏ないい人。
戦において父ほどの天賦の才はなく、非情にも、狡猾にもなりきれない。
私欲のための野望もない。

とはいえ、最後は、身近な人の思いをバネに、自分の精一杯生きた証を求め、命懸けで家康に挑む幸村。
向いているとは言い切れないものの、必死にカリスマ性を装い、戦場に生きた証を求める幸村。なんだか切ない。上杉の殿様の共感にも納得。


「最後まであきらめるな、望みを捨てぬ者だけに、道は開ける」と言って周囲を励ましてはいたが、早蝉の声を背に、内記に「生きた証を残せただろうか…」とつぶやく。死ぬ覚悟というか、死の意識に引きずられてしまっていた。周囲を励ましながら、頭をもたげてくる死のイメージを必死に打ち消していたのだろうか…。

堺さんはこの複雑な難役を、上手く演じておられたと思う。


でも、あえて言わせて頂くなら三谷さんの脚本、行間大すぎやしないか。
堺さんの抑え気味な演技がさらっと流れてしまう。
もう少し、幸村の人となりや思いを客観的にでも伝えてくれたら、もっと確信持って感動できたのにな~と思うが。考えてわかる…、そのタイムラグが、私の涙を阻む。


幸村自刃シーンもやけにあっさり、「え?本当に今から切腹?」とあまり悲壮感がない。
人間、やりきったと思ったら、あんなに悲壮感もなく諦めがつくものなんだろうか。。。
仕事じゃないんだから、生き死にとなれば話は別、諦めるにしても動物としての生への執着をもう少し漂わせてほしかった。いや、深読みするなら、がつがつ私欲のために生きて来なかった幸村だからこその、粛々とした人生の幕引きという演出だったのだろうか。

そういう意味では、三十郎のシーンや前回のキリを抱きしめるシーンは、わかりやすく涙腺に来たわ。
キリとのシーンは、二人の実年齢を考えると少々萎えるが、ドラマの二人はとても美しかったのがよかった!!キリの幸せそうな笑顔に涙。

また、前回の伊達政宗との以心伝心シーンは、かなり状況がわかりにくかったので、前半の松の行方不明事件とかは割愛して、大阪夏の陣をもっと丁寧に描いてほしかったとも思いました。又兵衛たちは死亡フラグの後すぐ死んでしまったしな~。

それに一番モヤモヤするのは、千姫はちゃんと秀頼たちの命乞いをしたのか?帰ってこれてよかった~、で終わってないか?
ということと、キリのその後だ。キリが茶々様たちを助けてくれてたらいいのに、真田太平記の遥くらら同様、その後の真田家を見届けてくれたらいいのに、と思った。

また、最終回の家康の逃げっぷり、大変すばらししい演技で目に焼き付いた。今後も内野さんに注目しようっと!本多佐渡、近藤正臣さんの演技もさすが!信之との会話中に大阪からの伝令が来た時の複雑な表情、忘れられない。そして、幸村が家康を打ちそこなった後の佐助のミラクル忍術には呆気!彼のような忍びが30人くらいいたら、きっと豊臣方は圧勝だったかも!?(笑)。

みな誰もが頑張ったら、一番になれるわけじゃない。でも、自分なりの理由を見つけて、そこに証を立てるべく、全力を傾ける姿こそが美しい、そんなドラマだったと思う。

来年の「井伊直虎」も楽しみです!

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オアフ島からハワイ島へ日帰りキラウエア火山ツアー(8)サーストン溶岩トンネル

2014年3月11日(月)

「サーストン溶岩トンネル」へは、巨大シダが生い茂る遊歩道を通って行く。
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ハワイ固有種・巨大シダ「ハプウ」。でっか~い。
まといつく湿気…別世界へ来たみたい。まるでジュラシックパーク。
IMG_0654
ハプウの新芽「カクマ」。
人の顔の大きさ程あるよ(驚)。生まれたてだからニュルっとしてるね。
現地の人は食べるらしい…。巨大ゼンマイと思えばアリか!?IMG_0669
溶岩トンネルは何故だかあまり写真が綺麗に撮れない。うーん、なぜだろう。カメラは新しいのに。
ここはハワイ有数のパワースポットらしいから、その影響か!?
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正直、パワースポットか否かは、よくわからなかったが、そう言えばなんだか神秘的な場所のような気もした。
私としては、巨大シダの遊歩道の方が生命のエネルギーに満ちていてパワースポットに感じたのだが・・・。

ともあれ、ここはあまり期待してたわけではなかったけど、意外に素敵な場所だった。お勧め!
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