能は、シテの強い想いに焦点が当てられ、見る方はそれを堪能する。強い想いをだけを生々しく際立たせるためなのか、能面を含め、物理的な生々しさを極力排除するという演出に徹している。
船弁慶に前半は、静御前が義経との別れに際し舞を披露し悲しみを表現する。
その瞬間、義経との別離を終えた静御前の悲しみ・絶望の余韻がこちらに押し寄せてきた。
見ていると段々と魅入ってしまい、ついには異空間に誘われるような不思議な感覚を覚えた。謡いの内容は、よく聞き取れないがいつしかそんなことは全く気にならなくなった。
これを書きながら、ふと山岸涼子先生の漫画を思い出した。山岸先生の漫画も余白が多い。いやむしろ「余白だらけ」と言うべきか。でもその余白にこそ、見る者の心をざわつかせる何かが宿っている、それは能と同じだ、それを言うなら日本画も同じだな。
外国人の観客も結構多い。能は、現代アートとかコンテンポラリーダンスなどにも通ずるところはあるように思えるし、そういうのが好きな人は言葉がわからなくても独特の世界観に魅力を感じるのではないかな。
上演中、オペラグラスで時々覗いていると、どこかで見た人が…!!