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話は始皇帝暗殺から遡ること85年、戦国七雄の1つ燕国で、太子平が昭王として立った。
父王が隣国斉に殺され、斉の傀儡となることが条件の即位であった。この時、燕は事実上の亡国状態だったのだ。
何とか国を再興し、斉に復讐して父の仇を討ちたい。
そのためには富国強兵である。
人は石垣、人は城。
その礎となるのは優秀な人材である。
昭王は臣下の郭隗に尋ねた。
[書き下し文]
斉、孤(こ)の国の乱るるに因(よ)りて、襲いて燕を破る。孤、極めて燕の小にして以(もっ)て報ずるに足らざるを知る。
[現代誤訳]
斉は私の燕国が乱れるのにつけこんで、襲って破った。私は、燕が極めて小さい国で斉に報復することができないのを知っている。
昭王の父王である噲(かい)は宰相である子之(しし)に王位を禅譲しようとした。
禅譲は位の高い者が低い者に位を譲ることで、中国の伝説の帝王堯がその後継者舜に禅譲を行ったと云われている。
ところが実際には折角保持している権力を目下の者に譲ったりする聖人がそうそういる筈もなく、大抵の場合は「譲らないと殺(と)ったるぞ」と脅されて「禅譲」と称して権力を手放すのが大方の実態である。
燕王噲の場合がどうだったかは詳らかではないが、はっきりしているのは血で血を洗う戦国時代にそんなことをしたら国が乱れるだろうことで、実際燕は大混乱に陥る。
燕王噲を燕国民(少なくとも臣下)がどう思っていたかを表す現象がある。
それはこの人に諡(おくりな)が無いことだ。諡は諡号(しごう)とも云い、王などの貴人が死んだときにその人の生前の人柄を偲んで付けられる名前である。
たとえば燕王平には昭王という諡が付けられたが、これはおそらく「世の中を明るく治めた王」という意味で、名君であった証拠となる諡である。
これがたとえば「湣(びん)」などという諡を付けられると、「この人の代は国が乱れていました」といった意味になり、たとえば後に昭王と張り合って首都を占領されてしまった斉王には湣王という諡が付けられている。
閑話休題(しょうおうのちちおやではなしがとまってるぞ)。
『十八史略』のこの一文を「やっぱり『十八史略』だな」と思うのは話が単純化されている点で、父王の禅譲に反対して挙兵し、斉軍を燕国に引き入れたのは他ならぬ太子平、つまり昭王なのだから、「よく云うよ」と云わざるを得ない。
まあ先に進もう。
[書き下し文]
誠に賢士(けんし)を得て国を与(とも)に共(とも)にし、以(もっ)て先王の恥を雪(すす)がんこと、孤(こ)の願いなり。
[現代誤訳]
何とか賢明な士を得てこれと国事を共に担い、そして先王の恥を払拭しようというのが、私の願いです。
「雪(すす)ぐ」は「きれいにする」という意味で、「恥を雪ぐ」は「雪辱」という二字熟語として残っている。
[書き下し文]
先生、可なる者を視(しめ)せ。身之(これ)に事(つか)うるを得ん。
[現代誤訳]
郭隗先生、これという者を教えてください。私はその人を師と仰ごうと思います。
流石にどん底状態の傀儡政権の主だけあって腰が低い。
この問いに対して郭隗は故事で答える。
[書き下し文]
古(いにしえ)の君に、千金を以(もっ)て涓人(けんじん)をして千里(せんり)の馬を求めしむる者有り。
[現代誤訳]
昔の君主で、千金を遣って内侍に命じて千里を走る名馬を求めさせた者がいました。
涓人(けんじん)は宮廷の雑事を行う役で内侍(ないし)とも云う。古代中国では多く宦官がこの役に就いた。宦官とは去勢(刑罰として行われるときは宮刑と呼ぶ)により男性機能を喪失した人である。宮中にある女性たちは建前上は全て王の女であるから、彼女たちに手を出すという不祥事が起こらないようにこうした役柄が必要とされたのだ。中には貧困から逃れ宮廷に入るために自宮(自ら去勢を行うこと)して宦官になる者もいたという。
[書き下し文]
死馬の骨を五百金に買いて返る。君怒る。
[現代誤訳]
内侍は死んだ馬の骨を金500両で買って帰ってきた。君主は怒った。
まあ、普通の反応だろう。馬は走ってナンボであり、死んだ馬は何の役にも立たない。
[書き下し文]
涓人(けんじん)曰(いわ)く、「死馬すら且(か)つ之(これ)を買う。況(いわ)んや生ける者をや。馬今に至らん」と。
[現代誤訳]
内侍が云った。「死んだ馬ですら大金を出してこれを買うのです。世間の人は生きた馬ならもっととんでもない大金で買うに違いない、と思うでしょう。馬はすぐに手に入りますよ。」と。
死んだ馬で金500両だったら、生きた馬なら金5000両は出さなければ相手も売らないのではないか。
それに内侍が持って出た金1000両のうち、500両はどこへ行ったのか。どうもこの内侍の話は怪しい。
[書き下し文]
期年(きねん)ならずして、千里の馬至(いた)る者三。
[現代誤訳]
期日だと思っていた年を待たないうちに千里を走る名馬が3頭も手に入った。
金1000両で馬3頭か。
どこの馬の骨ともわからないものに既に金500両は使っているから、残り500両で馬3頭を買わなければならない。
多少足が出たとして1頭200両で売主は納得したことになる。
千里の馬1頭が200両で納得するということは、売主が噂で聞いた死馬の骨の値段は20両程度ではないのか。
では、内侍が死馬の骨に使ったと報告した500両のうち、480両は何処に行ったのか。
賢明な皆さんはもうお分かりの事と思う。
閑話休題(はなしをもどそう)。
[書き下し文]
「今、王必ず士を致(いた)さんと欲(ほっ)せば、先(ま)づ隗より始めよ。況(いわ)んや隗より賢なる者、豈(あ)に千里を遠しとせんや。」と。
[現代誤訳]
「今王様が必ず賢明な士を手に入れたいと思うのならば、まず身近な私郭隗を厚遇してください。私ごときが厚遇されていると聞けば、ましてや私より賢明な者は、千里の道も遠しとせずに駆けつけて来るでしょう。」
「豈に~や」は反語表現であり、正式な場面(紀貫之の昔で云えば真名で書かれた日記)では「~だろうか、いや、~ではない」と訳さないとバツになってしまうが、この文章は仮名で書かれた日記のようなものだからもう少し自然な日本語に誤訳してみた。
[書き下し文]
是(ここ)に於(お)いて昭王、隗の為(ため)に改めて宮(きゅう)を築き、之(これ)に師事(しじ)す。是(ここ)に於(お)いて士、争いて燕に趨(おもむ)く。
[現代誤訳]
この話を聞いた昭王は郭隗のために新たに屋敷を建設し、彼を師と仰いで教えを請うた。その噂を聞いた賢明な人材は、争って燕にやってきた。
ここに云うところの「士」こそ、名将楽毅や蘇代(合従論の蘇秦の弟)たちである。
こうして漸く燕国の全盛時代が訪れようとしていた。