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すみません。
あとちょっとだけ血腥い話にお付き合い下さい。
蘇秦の対斉合従策が見事に当たって「鉅燕(きょえん:大きな燕)」「全燕(ぜんえん:完全な燕)」と呼ばれる全盛時代を迎えた燕国だが、その隆盛は長くは続かなかった。
理由はお定まりの内紛である。
燕が斉に打ち勝ったのは楽毅と云う天才将軍が与って大きな力があったが、昭王の次の国王である恵王は彼をよく思っていなかった。
斉の宰相田単はここに眼を付け、「反間の計」巡らす。
反間の計とは間者(スパイ)を送り込んで内紛を起こさせる計略である。
敵国にまで伝わるくらいだから恵王の楽毅に対する悪意は相当露骨なものだったのだろう。
この計略は見事に成功し、誅殺されることを恐れた楽毅は魏に亡命する。
折角楽毅が奪った斉地は田単によって取り戻され、燕は元の東の辺境の国に戻ってしまう。
秦をほったらかして(どころか燕は連衡策に戻って秦と同盟を組んだことすらあるらしい)斉との闘争に力を注いだツケはやがて払わされることになる。
各国が斉との闘いに集中している間に十分力を蓄えた秦はいよいよ中原制覇に向けて動き出す。
最初は趙に侵略したが、これはなかなか手ごわく、名将李牧に撃退されてしまった。
次は秦と隣接し最も兵力の弱かった韓を攻撃し、韓は戦国七雄の中で最初に滅亡した。
さらにまたもやお定まりの讒言によって李牧が誅殺された趙に再度侵略し、今度は首都邯鄲を落として趙幽繆王が捕虜となって趙は滅亡した。
秦との緩衝地帯であった趙の滅亡によって燕は一気に脅威に晒されるようになる。
秦の度々の侵攻によって危機に陥った燕は、一発逆転を狙った奇策に出る。
秦王政の暗殺である。
政は後の始皇帝であり、中国全土の最初の統一者であるから、これが結果的に失敗したことは云うまでもないのだが、ちょっとしたアクションドラマさながらの光景が展開する。しかもこれは史実である。
暗殺を立案したのは燕の太子丹である。
丹は秦王政の人質仲間であり、趙で共に生活したことがあったらしい。
この当時は同盟の裏切りを防ぐために各国の王族の中で皇位継承順位の低い者が人質として交換されることがよくあったらしい。同盟が破れたら勿論殺される訳だから、日々を不安な気持ちで暮らさなければならない。
成長期にある彼らの精神状態には悪影響があっただろうことは想像に難くない。
丹はよほど王から疎んじられていたのか、斉での人質生活が終わったら次は秦の人質として12年を過ごす。
丹にすれば政は苦難の時代を共に乗り切った同志であるから、政が自分を厚遇してくれるに違いないと思っていたらしい。
ところが何せ政は『史記』「始皇本紀」に「秦王の人と為り、蜂準(ホウセツ)、長目、摯鳥(シチョウ)の膺(オウ)、豺の声、恩少なくして虎狼(ころう) の心あり。(現代誤訳:秦王の人となりは、鼻が高く、切れ長の目で、鳩胸、濁声、恩を感じること薄く、猛獣じみた残忍な心を持っている。)」といわれた人物である。
冷遇されること12年、耐えられなくなった丹は政に燕国への帰国を懇願する。
政の答え。
「烏の頭白くして馬角を生ずれば還さん。(現代誤訳:烏の頭が白くなり、馬に角が生えたら返してやろう。だれが帰すもんか。ばーか、ばーか。)」
ところが何と頭が白い烏(おそらく鵲だと思われる)が現れ、馬に角が生えた(おそらく四不像だと思われる)ので、丹は帰国することが出来た。
それにしても秦王政、約束守るんだ…。
いずれにせよ、燕太子丹が秦王政を深く怨んだのは間違いない。
暗殺の刺客には荊軻(けいか)という人物に白羽の矢が立てられた。
荊軻は元は衛の人だが、遊説家を志して諸国を巡ったものの何処でも用いられず、燕に流れ着いて土地の侠客である田光の食客として遊侠の日々を送っていた。
「傍若無人」とは荊軻のことを評した故事成語である。
荊軻は燕の市場で高漸離(こうぜんり)という筑(楽器)の名人と犬肉商人の3人で酒を飲むのが日課のようなものだった。
荊軻は酔いが深まるにつれて高漸離の伴奏で高歌放吟し、しまいには感極まって慟哭し、「傍らに人無きが若(ごと)く」であった。
誰か暗殺を成功させられるような人物はいないか。
太子丹から相談された田光が推挙したのが荊軻だったのである。
ここで現代の私達が唖然とするようなエピソードが挿入されている。これ以下の書き下し文は『史記』「刺客列伝」による。
田光に相談の後、太子丹は「くれぐれも他言無用」と念を押す。
すると田光は太子が帰るとすぐ、側近にこんな言葉を漏らす。
[書き下し文]
是れ太子の光を疑うなり。それ行いを為して人をして疑わしむるは、節俠にあらざるなり。
[現代誤訳]
太子が私に他言無用と念を押したのは、私を疑っているのだ。自分の言動によって人を疑わせてしまうのは、まともな侠客とはいえないのだ。
そして、
[書き下し文]
願わくは足下は太子に急過し、光すでに死すと言え。明らかに言わざるなり。
[現代誤訳]
お前は今から早速太子の所に行き、田光はもう死にましたと言え。死人に口なしだ。
そう云うや否や、田光は首を掻き切って死んでしまった。
おいおい。もう少し命を大切にしろよ。
そして、荊軻にとっては恩人が暗殺を成功させるために自殺してしまった訳だから、プレッシャーその1、である。
暗殺を依頼された荊軻は、どうやったら秦王政に近寄れるか考える。
強硬策では護衛の精兵にあっと云う間に殺されてしまうだろう。
何か秦王が見知らぬ人物でも近くに寄らせる気になるようなエサはないか。
エサは二つ考えられた。
1つは燕が領土を割譲すること。国土の中でも最も肥沃な土地の1つである督亢(とくごう)が択ばれた。
もう1つは秦王が欲している命。諫言によって秦王を怒らせ、一族が誅殺されてしまって燕に亡命してきた樊於期(はんおき)将軍である。
領土は暗殺が上手く行ったら言を翻せばよいとして、命の方はどうするか。
樊将軍は燕を頼って亡命してきた人物である。「窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さず」と云うではないか。これは人としてどうか。太子丹はこちらのエサについては却下した。
すると荊軻は自ら樊将軍に会いに行く。
[原文]
願わくは将軍の首を得て、以て秦王に献ぜん。必ず喜びて臣を見(まみ)えん。
[現代誤訳]
よろしければ将軍の首をいただいて、それを秦王に献上すると云いましょう。そうすればあなたの一族を皆殺しにした、あの憎き政の奴めは喜んで私に会うでしょう。
樊将軍は憤然として首を掻き切って死んでしまった。
おいおい、以下同文。
プレッシャー2。
太子丹は越国伝来の名剣を百金をはたいて手に入れ、これに毒を焼き入れした。
呉越は名剣の産地として昔から有名なのである。
この短剣を死刑囚を使って試し斬りしたところ、囚人たちはあっと云う間に死んでしまった。
おいおい。以下同文。
これはプレッシャーにはならないか。そんなヤワな人間じゃなさそうだし。
「お前たちの死は無駄にはしないぞ」くらいのことは云いそうだが。
ここに秦舞陽というゴロツキがいた。
13歳で人を殺し、乱暴者として有名だった。
太子丹は万一のため、彼を助手としてつけようとしたが、荊軻はこの青年の人格が当てにならないということを見抜き、別に楚人の薄索という友人を助手にしようとした。
しかし、楚と燕は遠い。
友人の到着を待つうちに、丹は荊軻が怖気づいたのではないかと疑い始めた。自分の疑いのせいで田光が死んでいるのに懲りない太子である。
荊軻が丹を怒鳴りつける。死を決しているから怖いものなどないのだ。
止むを得ない。
荊軻は出発することにした。
出発の日、全員が喪服姿で荊軻を易水まで送る。
易水は黄河の支流であり、易水を過ぎるとかつての趙国、今は秦の地である。
男たちが皆涙を流して佇む中、荊軻が別れの歌を歌う。
[書き下し文]
風蕭々として易水寒し
壮士ひとたび去ってまた還らず
[現代誤訳]
吹く風寂しく流れ冷たき易水の畔
ますらお去りて帰ることなきこの旅路
直訳すると大したことは云っていないので激しく誤訳してみたが、やはり書き下し文で楽しむ方が良いようだ。
[書き下し文]
士皆目を瞋(いか)らし、髪尽(ことごと)く上がり冠(かんむり)を指す。
[現代誤訳]
その場に居合わせた人々はみな眼が吊り上がり、怒髪は冠を衝いて天に向かった。
これが「怒髪衝天」の由来だと思う人がいるだろうが、若干表現が違う。
怒髪衝天は趙の宰相藺相如が秦に対して璧を全うした「完璧」と同じ瞬間に出来た故事である。
この故事も面白いのだが作文体力が尽きそうになっているのでまた今度。
[書き下し文]
是(ここ)に於(お)いて荊軻車に就きて去り、終(つひ)に已に顧みず。[現代誤訳]
荊軻は歌い終わると車に乗って去り、一度も振り返ることはなかった。
駄目だ。
これから暗殺失敗場面を熱を入れて書くには体力を使いすぎた。
幸い休日なので一休みしてからこの緊迫の場面を紹介したい。
いつになったら「隗より始めよ」に辿り着くのやら。