危険物乙4の写真の更新期限がきた。確かこれって取得から10年で更新なのでもう10年経ったのか、あっという間だ。当時のブログは1度消してしまって、(宅建2回落ちた際にネットで煽られて何故か自分の擁護とアンチが自分のあずかり知らぬ所でケンカしてて面倒になって辞めてしまった。)勿体ない事をしたな。
当時はまだ婆さんも呆けてなかったし、本当ならセルフスタンドの夜勤をしながら3-4年かけて30くらいまでに地方の国立医学部入れればいいや位に思っていたんだよな。結局婆さんが呆けちゃって介護が必要になったり、その後も相続で揉めたり物件管理もあって、いろんな事情から居住地を横浜に固定して国立医学部へ行くことは困難だろうと判断して鑑定士の受験を始めたんだよな。会計士は当時情報がまだそこまで出回っていなかったので試験に受かっても監査法人で勤務できないと無駄になると思って、鑑定士は120万だか払えば実務修習を大学で受けて資格登録できるので、無駄が無いなと判断して受験を始めた。今思うと医学部で6年間おっさんがやっていけるかというと、かなり疑問視せざるを得なかったので、この選択は今となっては良かった気がする。
学力面もさることながら体力面で朝から晩まで授業についていける自信が無い。鑑定士も結局ピーク時でも2-3時間しか勉強しないで後は毎日お昼寝してたしね。
本当に10年で色々あったよ、元彼女も大学に合格して働き始めたし自分の人生もいろいろあったなと思う。人間って10年で当たり前だけど色々変わって、婆さんは呆けて老人ホームに入る事で体力も凄い落ちたし、あらゆるものが良くも悪くも変化していくので、現状維持を目指しているとあっという間に置いて行かれるなという恐ろしさも感じた。
当時はまだ婆さんも呆けてなかったし、本当ならセルフスタンドの夜勤をしながら3-4年かけて30くらいまでに地方の国立医学部入れればいいや位に思っていたんだよな。結局婆さんが呆けちゃって介護が必要になったり、その後も相続で揉めたり物件管理もあって、いろんな事情から居住地を横浜に固定して国立医学部へ行くことは困難だろうと判断して鑑定士の受験を始めたんだよな。会計士は当時情報がまだそこまで出回っていなかったので試験に受かっても監査法人で勤務できないと無駄になると思って、鑑定士は120万だか払えば実務修習を大学で受けて資格登録できるので、無駄が無いなと判断して受験を始めた。今思うと医学部で6年間おっさんがやっていけるかというと、かなり疑問視せざるを得なかったので、この選択は今となっては良かった気がする。
学力面もさることながら体力面で朝から晩まで授業についていける自信が無い。鑑定士も結局ピーク時でも2-3時間しか勉強しないで後は毎日お昼寝してたしね。
本当に10年で色々あったよ、元彼女も大学に合格して働き始めたし自分の人生もいろいろあったなと思う。人間って10年で当たり前だけど色々変わって、婆さんは呆けて老人ホームに入る事で体力も凄い落ちたし、あらゆるものが良くも悪くも変化していくので、現状維持を目指しているとあっという間に置いて行かれるなという恐ろしさも感じた。