11月15日は、親父の一周忌。
変わり者で形式的なことを好まなかった故人には、省略して何もしないかもしれない。その方がいいかもという連絡が1月前ほどにあり、その時から心の中ではある計画を考えていました。
結局、田舎では周囲の人達の意見もあり、一応お決まりの事をすることになったのですが、ここは変わり者の親には変人の次男あり。
強行^^することにしました。
変わり者で形式的なことを好まなかった故人には、省略して何もしないかもしれない。その方がいいかもという連絡が1月前ほどにあり、その時から心の中ではある計画を考えていました。
結局、田舎では周囲の人達の意見もあり、一応お決まりの事をすることになったのですが、ここは変わり者の親には変人の次男あり。
強行^^することにしました。
田舎の家に上高地から見た穂高を描いた「絵」がずっと飾ってあって、親父はこの絵を見て「ここは上高地と言って日本で一番綺麗な場所なのだ。」と、とても個人的な感想をいつも言っていたものです。
子供心には、「そんなもんかな?」という程度でしたが。
子供心には、「そんなもんかな?」という程度でしたが。
その親父が生涯でただ一度(たぶん)ここを訪れたのが、私が高校生の夏。2人で「槍ヶ岳」に上り「穂高」を縦走しようというものでした。
自分にとっても上高地はその時が初めてで、新島々から乗ったバスが釜トンネルの急坂を喘ぎながら登り、大きく右にカーブを切った瞬間に大正池越しに見える穂高連峰がフロントガラスを通して見えた時の感動は今も良く覚えています。
その後、上高地~横尾から長大な槍沢コースを辿り、槍ヶ岳に登るのですが、親父の体調が思わしくなく山頂直下の槍ヶ岳山荘で1泊し、翌日はそのまままた槍沢を下り引き帰すことになりました。
日の暮れかかった山頂では、残念そうに穂高の方を見ながら「また、来ればいい」と何度も言っているのだけれど、その時そういう弱さを子供に見せないといけなくなったあの頑固な変人おやじの体調はよほど良くなかったのだろうと思います。
自分にとっても上高地はその時が初めてで、新島々から乗ったバスが釜トンネルの急坂を喘ぎながら登り、大きく右にカーブを切った瞬間に大正池越しに見える穂高連峰がフロントガラスを通して見えた時の感動は今も良く覚えています。
その後、上高地~横尾から長大な槍沢コースを辿り、槍ヶ岳に登るのですが、親父の体調が思わしくなく山頂直下の槍ヶ岳山荘で1泊し、翌日はそのまままた槍沢を下り引き帰すことになりました。
日の暮れかかった山頂では、残念そうに穂高の方を見ながら「また、来ればいい」と何度も言っているのだけれど、その時そういう弱さを子供に見せないといけなくなったあの頑固な変人おやじの体調はよほど良くなかったのだろうと思います。
槍ヶ岳から大キレットを越え北穂までの間は、その時から何故か未だにそのまま残ってしまって、この周辺ではまだ歩いていない場所になってしまいました。
その後一度逆コースの計画があったのですが、その時は「九死に一生」的な展開で歩けていないのです。
そのことはまた機会を見つけて書こうと思いますが・・。
その後一度逆コースの計画があったのですが、その時は「九死に一生」的な展開で歩けていないのです。
そのことはまた機会を見つけて書こうと思いますが・・。
そんなわけで、上高地は親父との思い出の場所のひとつ。
つい2ヶ月前に通った「新平湯温泉」に宿を取り、変人おやじの一周忌を自分流にやってきました。
つい2ヶ月前に通った「新平湯温泉」に宿を取り、変人おやじの一周忌を自分流にやってきました。