219 :ちわわ 2016/05/13(金) 03:02:38 ID:nav
私は小1の頃には中二病を発病していた

私は幼い頃、気管支が弱かった
大阪で生まれたものの、大阪の空気がわるくて喘息が酷かった
そこで親は3歳になる頃に隣県の田舎に引っ越した
そこは村社会が根強く残るような場所

ここから先は私の推理も入ってるのでもしかしたら一部真実は間違ってるかもしれない

私は大阪で幼稚園に行ってて、そこで体操服を購入していた
隣県で入った幼稚園にも体操服があったんだけど、勿論種類が違う
買い直す必要がなかったので、私一人だけ体操服が違った
その後小学校へあがるんだけど、幼稚園と小学校の体操服が同じらしく(うろ覚え)、幼稚園に行っていた子はその時の体操服を小学校で使えた(これは確実)
周り皆同じ体操服なのに、私の体操服だけが違う
私の体操服は肩の部分に紺色の指一本分の太さのラインが2本入ってたんだ
だから違うのは遠目から見ても一目瞭然だった
学校ってみんな一緒を美徳とするから、私の一人だけ違う体操服は好奇の目を向けられた
頻繁に「なんでハルちゃんだけ体操服ちがうのー?」と聞かれた
アホな私はその時体操服のシステムとか理解してなくて、「これが私の体操服」という認識しか無く、しかも周りとの違いを明確にしている肩の2本のラインがお気に入りだった
聞いてきた子の中には「一人だけ体操服ちがうんだ!悪いんだ!」って感じでせめてきた子も沢山いて
そんな時は私と同じ幼稚園に行ってたよく知らない子が「ハルちゃんは引っ越してきたんだよ!」と必タヒに説明してくれた
でも私は自分が悪いことをしてる認識もなかったので「何必タヒになってるんだろう」と相手の気遣いに気付かないどころか
「そうか!皆この私の体操服の2本のラインが羨ましいんだな!私の体操服だけについてるもんね!私のだけ特別だもんね!」と斜め上の解釈をし
「ハルちゃんだけ体操服ちがうー!」と嫌味言われる度に「ふふふ、また一人この体操服のファンが!」とアホなことばかり考えていた
220 :ちわわ 2016/05/13(金) 03:03:13 ID:nav
更に私の両親は共働きだったので、私だけ鍵っ子だった
当時は母親は家庭に入るものという認識が強く、働く母親はバッシングの対象
私の母も例外ではなく、看護師として大きな病院に務めていた母は土日も忙しく、外科だったから頻繁にオペの血の匂いをさせていた
参観日にも勿論来れない
私は「うちのカーチャンだけ働いてんだ!カッケー!」とこれまたその当時には独特の価値観を持っていたため
「お母さんがいないの、寂しいの」なんて思ったことは一度もなく
よくクラスメイトの保護者に「お母さん貴方をほっといて働いてるんだってねぇ?」と言われる度、嫌味だと気づかずに
「そうやで、うちのカーチャンは特別かっこいいんやで!」と胸を張っていたのだった
母は私の面倒を見れない代わりによく持ち物に気を使ってくれた
給食袋や上靴入れや体操服入れ、画板入れは、私の大好きなキャラクターの布で、嫁入り道具のミシンを使い作ってくれた
更に学校に持っていくファイルには狐が喋ってるシールを貼ってくれた
小1の頃には読めない漢字ばかりで何を喋ってるのか理解できなかったけど、担任が「お母さん優しいねぇ」と狐のシールを見て言ってたので何か私を気遣うシールだったんだろう
しかしこれまたみんな一緒を美徳とするクラスメイトには受け入れられなかったようで、嫌味を言われた
ところがである、私は母がシールを貼ったことをなんと、理解していなかった!
母が何も言わなかったもんで、小人さんか何かが家で寝てる間に貼ったんだろうと適当なことを思ってた
「フッ、私はいい子にしてるから小人さんがご褒美をくれたのよ!」と一人優越感に浸っていた

こんな忄生格だったので卑屈になることもなく、体操服の時から私を心配してくれたクラスメイトをはじめ、ボツボツ友達ができるようになった
それでもよそ者感は拭えなかったのだが
他にも書き出したらキリのないようなアホ思考は多々あったのだけど
2年生3年生では周りに馴染み、私のアホな思考も社会忄生を学ぶ上で消えていった、ように見えた
221 :ちわわ 2016/05/13(金) 03:03:37 ID:nav
事件は小4の頃に起きた
私のランドセルが無くなったのだ
その頃ぼつぼつ、クラスの誰かの持ち物がなくなる事件が起きていた
大体は靴関連、大きくなると体操服とかなんだけど、まさかランドセルが無くなるとは
その日私は先生にナップサックを借りてそこに荷物を入れて帰った
そして気づいた
「ナップサック超軽いじゃねーか!」
放課後先生がランドセルを見つけたらしくて、家まで届けてくれた
「チッいらねーのに」と思ったことは今でも反省している
当時赤いランドネルが主流だったのに、ピンクがいい、の一言で入学前に母が仕事の合間をぬって探して買ってくれた大事なランドセルだ
ところがその時の私はナップサックの軽さに取り憑かれた
先生にナップザックを返してしまったので、家中探し回り、ナップサックが無かった代わりにリュックサックを引っ張り出してきた
翌日からリュックサック登校が始まる
先生は優しく、何で私がリュックサックなのか聞いてきた
今思えば多分ランドセルを捨てられたことを引きずってるんだろうと思われたに違いない
実はその頃、私はランリュックと言う存在が世の中にあることを知っていた
転校してきた他学年の男の子が使っていたのである
私はその時こう思っていた
「なぜランリュックはよくてリュックサックはだめなのか
両方リュックではないか」
ものすごい名言だと思った、アホである
クラスメイトどころか、全学年の児童やご近所から好奇の目を向けられるのも構わず、私はリュックサック登校を続けていた
とうとう担任がたまりかねて、「リュックサックはやめようね」と言ってきた
つまるところ担任は「ランドセルで来い」と言っていたのだが、私はまたも斜め上の発想を展開した
「リュック“サック”だからダメなのか、サックめ、サックとはそもそもなんだ」
私は家に帰り、母に担任に言われたことを話した
この時のことを母は鮮明に覚えているという
私「お母さん、リュックサックはダメなんだって」
母「そっか(そりゃそうだろ)」
私「サックはダメなんだって」
母「そう(また変なことを言い出した)」
私「お母さん、サックじゃないリュックってある?」
母「さぁ(意地でもランドセルは背負わないのね)」
母は私が色々勘違いしてアホなことを考えているのを理解したうえで、私のためにサックじゃないリュックなるものを買ってきてくれた
真っ赤の布地で私の大好きなドナルドが描かれた、ショルダーにもリュックにもなるタイプ
サッチェルバッグというものらしい(今調べた)
新しいカバンで登校した私を見て、担任は色々諦めたのだろう
「お母さんが買ってくれたの?」と聞いたきり何も言ってこなくなった
222 :ちわわ 2016/05/13(金) 03:03:57 ID:nav
いい加減私の斜め上すぎる思考が女子たちの「みんな一緒トイレも一緒」思考を逆なでするようになり、五年生からは本格的にいじめられだした
私一人違う持ち物や私一人違う行動、そういうのが何もかも許せないらしい
教科書に糊付けされたり、落書きされたりした
しかしその時の私の思考はポジティブキング
「これ、担任に言えば新しいのに変えてくれるんじゃね!?私だけ教科書新しいじゃんラッキー!」
でも貰えたのは新しい教科書ではなく、友達の兄が去年使っていた教科書だった
でも算数の問題はすでに解いてあるし、社会や理科の教科書はラインや書き込みがすでにある
違う意味でラッキーだった
その後も作った図画工作は壊されるわ家庭家の作品は捨てられるわを繰り返したが、持ち帰るのが面倒だと思っていた私は「私だけ持ち物少ないぜウヘヘ」くらいにしか思っていなかった
それまでもクラス会でイジメはダメ的な指導はあったが、さすがにエスカレートしすぎってんで、先生方が大きく取り上げだし、イジメっ子の親にまで連絡が行った
ところが私の小学校は八割が中学受験をする学校だったので保護者たちが大慌て
個別に親がイジメっ子を連れて私の家に謝りにくることで学校に穏便に済ませてもらおうという保護者の話し合いがあったらしい
連日保護者に連れられたクラスメイトが放課後家に来るのでうっとおしかった
その当時FF9にハマってたので、インターホンが鳴るたび一々中断させられることにイラッとしたのだ
せっかくチョコボのミニゲームを極めていたというのに
その不機嫌な顔を何を勘違いしたのか、保護者が「この通りだから、大事にしないで!」と必タヒに謝ってきた
私は早くゲームに戻りたかったので「ごめんとかいらないから、さっさと帰ってほしいです」と、ただゲームがしたいが為に言い放った
母は私がイジメられていることを何となく気づいてはいたが、私が全く気にしていなかったので見守りながら放置していた
しかし私が(ゲームをしたくて)謝罪を受け入れないとなると、保護者たちは母の職場にまで電話をかけて謝りだしたそうで、母はたいそう迷惑したそうだ
結局イジメっ子たちの受験はオシャカになり、荒れまくっている公立中学に行くことになった
母はその時「流石にこの娘をこのまま放置してたらどんな方向にすっ飛んでいくかわからない、イジメっ子たちからの報復もあるかもしれない
中学は小学と次元が違う、もしかしたら何か危険に巻き込まれる可能忄生もある」と考えたそうで、私を進学校へ受験させた
私は自分がずっとアホだと思っていたので落ちるつもりでFF9の3周目を楽しんでいた
しかし何の間違いがポンと受かってしまった
それまでろくすっぽ勉強してこなかった私が初めて勉強に追われるようになり、初めて「解らない」という感覚を味わった
テストを前に全く一文字も手がかりさえ浮かんでこないという経験は中学で初めてだった
小学生のカラーテストなんて教科書を一読すれば満点なんて余裕だったから、解らないということがあまりにもショックだった
ゲームがしたくてしたくてしたくて泣きべそかきながら勉強ばっかりしてた結果
アホなことを考えているヒマがなくなり、いつの間にか社会常識を身につけてなんとか普通の大人になれて今の私がいる

おわり
227 :ちわわ 2016/05/19(木) 22:54:49 ID:mcr
>>222
そのポジティブさが羨ましい。
キツネが何と言っていたのかが気になる。
228 :ちわわ 2016/05/20(金) 00:35:18 ID:bfo
>>227
母に聞いたんですけど、母は私のいろんな持ち物にワッペンつけたりシール貼ったりとしてくれてたので
「ファイルに貼ったこと自体は覚えてるけど、セリフまではねぇ」と覚えてないようです

自分で言うのもなんですけど、私はアホな発想がわんさか出る分頭が良かったらしく
先生の反応からするに「超勉強頑張ってる、超賢い!」みたいな内容かなと
私が当時ものすっごくナルシストだったもので(まぁ今もですけど)、狐も言葉尻からそんなナルシストキャラ的な発言してたと予想してます
漢字辞典とか使える年なら漢字も調べられたんですけど、いかせん幼すぎて自分で調べられなかったことが悔やまれますね
引用元:kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1406715013/
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