ちわわ速報|修羅場・鬼女・2ちゃん生活まとめ

=用語= 🦴キチママ…思考回路がおかしい母親の事 🦴ボッシー/シンママ…母子家庭、シングルマザーの事 🦴サレ/シタ…浮気された側の事/浮気した側の事 🦴小梨/子蟻…子供がいない事/子供がいる事 🦴DQN…不良のような暴力的、非常識な人の事 🦴DQN返し…迷惑行為を受けた事に対する仕返しの事

    悲しい話

    365 :ちわわ 2017/05/15(月) 00:40:34 ID:6jt
    長文でふ。

    私が大学1年の時に付き合った大学院生。
    知り合ったのは高校の時からのバイト先に彼が入って来たから。
    私はランチからディナーで、彼はディナーから深夜時には朝までバイトしてた。
    そのちょっとシフト被ってる時にお喋りしたりしてたら私はいつの間にか好きになってた。

    彼の何に1番惹かれたかっていうと『車を持ってる事』だった。
    高校の時は同年代としか付き合った事なく『車=大人のステータス』みたいに当時の私(18歳)は思ってしまい、もうメロメロメロンだった。
    また彼は独り暮らし、所謂上京学生ってヤツだったがそれも大人~??と思ってしまっていた。
    そんな私に、彼が車の中でキスしてきた。
    びっくりしていると彼は「かわいい」「スキ」「さらっていきたい」「そばに居て」などなど…。
    まるで少コミか!と思う台詞を言う。
    私天にも登る気持ち。

    おkして付き合った。
    そしたら彼は一変した。
    独り暮らしの彼の家に行く時は彼のお迎えの車でなく私操縦の自転車(20分)で、しかも途中のスーパーで買い物して来い、これとこれとこれ買って来いメール届く。
    費用私持ち。
    彼の家に着いたら、掃除機かけて洗濯して、アイロンがけまでした、彼はその間PC触ってるか寝てるかマンガ読んでるか電話してるか。

    でも『大人と付き合ってる』んだから当たり前か~??
    だってこれって…『奥さん』みたいキャ~??
    とアホ脳満開の私だった。

    半年程経つと彼からの連絡は途絶えた。
    バイトにはお互い来ていたが、彼は深夜から朝までの時間に変えていた。
    ケータイかけても留守電、メールも返信なし。
    私は未来の妻に心配かけないで、とばかりに今まで以上に電話もメールもしまくった。

    ある時中学からの友達から久しぶりに連絡が来て、ごはん食べた。
    そしたら彼は今その子と付き合ってると、もう電話もメールもしないで欲しいと言われた。
    はじめ、頭に入っていかず、彼が浮氣したのかと思ったら、彼はもう私とは終わったと、で、つぎの彼女見つけたと。

    感情が湧かなかった。
    あぁそう、って思った。
    友達が彼を(名前+くん)って呼んでて、負けたと思った(私は苗字もじった+さん)
    友人とは縁を切った。

    そしてその半年後、友達も彼に振られた。
    振られたと云うか、彼には実家で将来を誓った恋人がおり、私と友達は所謂現地妻だったのだ。

    友達から連絡が来て、サイゼ○アに行った。
    2人でキャラフェワイン飲みまくった。
    飲みまくって、泣きまくった。
    同じ男に振られた同志、また友情が戻った。
    泣きながらお互い家まで歩いた。

    男なんてコリゴリ、そう男に冷めた。

    134 :ちわわ 2009/03/20(金) 21:30:34 ID:A49Ib0Ke
    すみません、長くなりますが吐かせて下さい。分けて書きます。
    先日祖母が亡くなった。大往生の末老衰だったんだけど、最期は家族で看取りたいと決めて自宅介護をした。認知症があり寝たきりで、最期に近付くにつれ会話もままならなかった。

    十数年前に私が中高生の頃、家庭内不和に耐えられずに恥ずかしながらヤンチャしていた自分は、祖母の財布から頻繁に金を抜いていた。それに気付いた祖母が両親に「泥棒だ、金を抜かれている」と訴えた。
    でも今思えば両親は恐らく犯人が私であると気が付いていて、警察を呼ぶでもなく、だけど問い詰めもしなかった。

    祖母はそれから数年経って認知症になった。認知症にはよくある事かもしれないけど、しょっちゅう「金を取った奴は許さない、泥棒!」と幻覚を見ている様だった。
    私は改心して介護に励んだけれど、祖母が呆ける度に申し訳なさでやりきれなかった。

    740 :ちわわ 2016/12/03(土) 00:02:51 ID:???
    15年飼っていたワンコが天国へ旅立って3日経つ。
    つらい、会いたい、もう一回だけ、もう一回だけ会いたい。
    写真見てたら涙がやばい。もっと撮っておけば良かったよー、仔犬の頃から今までたくさん思い出あるのに最後の1週間、餌もろくに食べず立ち上がれなくて無気力に寝転がっている所ばかり頭に浮かぶ。

    床擦れや筋肉負担が心配だからっつって、時間おいて体ひっくり返してたが、嫌だったろ。ごめんなー、ごめんなー、生きてるうちにもっと色々してやれば良かったよー

    117 :ちわわ 2009/02/12(木) 14:29:28 ID:m0uK0vX0
    大した体験でもありませんが、私にはとても衝撃的だったこと。
    長いので、嫌いな方はスルーしてください。

    数年前、久しぶりに小学校時代のA先生を見かけた。
    懐かしかったので話しかけた。
    その時の会話の要約↓
    私「A先生!こんにちは!」
    先「あらあら、お~!」
    私「私田です、覚えてますか?」
    先「うんうん、覚えているよ(ニコニコ)今は何をしているの?」
    私「〇〇で働いてます」
    先「そうか~。元気で頑張るんだよ」
    久しぶりに会った先生は、多少年老いてはいたものの、ニコニコした顔は
    変わっていなかった。
    懐かしい気持ちになり、小学校時代のことを思い出しながら、ほわほわした気分でその日は過ぎた。

    そんなことも忘れかけた頃、職場の代表電話が鳴った。
    ちょうど電話番をしていた(いつもは別に担当者がいる)私が受話器をとった。
    私「はい、〇〇でございます」
    相手「Aと申します。私田さんはいますか?」
    私「はい、どういった…。(あれ?この声は、A先生?)
    もしかして、A先生ですか?」
    A先「あ、私田さんかい?実はね…」
    先に述べておくと、私が勤めている職場は、一般の人は特に用事は無いようなところ。
    A先生が何の用だろう、と不思議に思い、話を続けた。

    704 :ちわわ 2014/06/03(火) 07:53:59 .net
    どこに書いていいか分からないから、ここに書かせて下さい。スレ汚しすまん。


    家が貧乏だった俺は必タヒに勉強し、国立大学を目指していた。オヤジとオフクロも必タヒに
    働いてどこにでもあるようなごく普通の幸せな貧乏家庭だった。ところが、俺が高校1年
    の時にオヤジが末期がんになり、呆気無く他界。将来の夢は特に決めてなかった俺だが、
    よくあるような「オヤジみたいな末期がんの患者を救いたい」とか何とか思い立って、ど
    うせ国立で同じ学費なら文系より医学部を目指そうとしたのが高校2年の春だった。少な
    いながらもオヤジに掛けてあった生命保険があり、国立大学であれば問題なく行かれると
    オフクロも応援してくれた。

    貧乏育ちの不幸な生い立ちだと、ドラマでは東大主席で卒業するような超優秀な奴だった
    りするんだが、俺はその点目立った成績では無く、東大や京大なんて逆立ちしても入れな
    い。でも、関東のどこか医学部に入りたいなあと思ってはいたので、ギリギリ妥協して関
    東甲信越地方のある国立の医学部に合格した。

    この大学のある町はそこそこ田舎だが、東京にも割りと近いから実家にたまに帰るのも問
    題無い限界地域だった。まあ、実家と言っても賃貸だけどな。それでも、小さい頃からず
    っと住んでた一軒家だから愛着がある。小さい頃からの思い出もあるし、それこそ俺の成
    長の記録である柱の傷ってのもあったりするんだ。

    俺が大学を卒業し、研修医として附属病院で勤務してる時、オフクロがぽっくり逝っちま
    った。タヒ因は急忄生硬膜下血腫。パートに無断欠勤するような人じゃ無いからって、一緒に
    働いてる人が無断欠勤した日に家に見に来てくれたら、冷たくなってたそうだ。医者の不
    養生とはよく聞くが、どうして唯一の肉親だった母親の体調くらい気遣ってやれなかった
    のかと悔やんでも悔やみきれなかった。

    378 :ちわわ 2009/09/18(金) 14:31:25 ID:I3m70l+U
    生後二ヶ月の息子がタヒんだ。
    まぁこれだけでも十分衝撃的だったのだが。

    霊安室に移されて霊柩車を手配するんだと思ってて看護師にどうすればいい?って聞いたら
    「え?お車で来てらっしゃいますよね?」
    って。オレ「???」
    「お父さんのお車で一緒に帰ってあげて下さい」
    って「何だかどうぞお持ち帰り下さい」って感じでいいのかそれで、と思った

    その後手続き色々済ませて車を病院の入り口に横付け。
    正面玄関ではないものの一般の人も多く出入りする入り口。
    しばらくすると泣き腫らした顔で真っ白な我が子を抱いた嫁が医師・看護師ゾロゾロ引き連れて出て来た。
    状況を察し一斉に散る外来患者or面会者(昼間だったから)。

    そんなシーンの真ん中にいる自分。
    まさかこんな日を迎えることになるなんて思ってもなかったよ。

    息子との最初で最期のドライブはなかなかいいもんでした。

    8 :ちわわ 2018/07/29(日) 20:26:28 ID:KKNTcib5.net
    叩かれるかもだけど…
    かなり昔のことだけど、他スレを見て思い出したので
    結婚して2年目に授かった赤ん坊を稽留流産でタヒなせてしまった
    その名の通り、母胎内に残っているので「人工中絶手術」を受けなければならなかった
    その手術名に納得いかなかったけど、医学的にそうなるなら仕方ないと思って手続きして嫁に受けさせた
    事後、しばらく安静にしてからでないと帰れないとのことで、病室に横になっている嫁に付き添ってたんだけど、小さな産婦人科だったので、出産後の年が変わらないお母さんと同室だった
    そこのご主人、「うちの子よりも、横に居た赤ちゃんの方が可愛かった」という意味のことを連発してた
    多分、タイミングからして俺たち夫婦の子供を褒めてくれてるつもりだったんだろうね
    それでも喜色満面とはこのことだろうなってくらいの嬉しそうな顔で奥さんと話してた

    分けます

    664 :ちわわ 2011/07/21(木) 20:02:44 0
    うちの父は私が物心ついた頃から鬱病で入退院を繰り返していました。
    当然まともな職につけるはずもなくずっと無職。

    私と兄と弟を食べさせて学校にも行かせてくれたのは母だった。
    母は美容師でしたが開業資金がなかったため(全部父の治療費と、私たちの学費で消えた)
    ずっと雇われでやっていました。
    美容師は若い子優遇で、店長でもない限り長くはやっていけない業界なのに
    母は私たちのため、同僚に笑われながらもずっと働いてくれていた。

    そんな母を尊敬していたし恥ずかしいと思うことはなかったんだけど
    兄が中学生になってからお弁当という問題に直面した。
    遠足なんかのときは母もはりきって作ってくれてたんだけどさすがに毎日は難しい。
    兄と弟と私とでなんとかがんばって、
    ・米を炊く
    ・たまごを焼く(スクランブルエッグ的ぐちゃぐちゃ)
    ・ウインナーをチン
    ・プチトマト、きゅうり
    という体裁だけでもなんとか整えられるようになりました。

    498 :ちわわ 2016/10/18(火) 00:43:19 ID:1Ex
    恋活イベントで男忄生からのアプローチゼロでへこんんでいます。

    私はもうすぐ30で顔は不細工なので、20代という武器をなくしてはいけないと思う感情と無理に相手に合わせ頑張って恋愛する必要はないという気持ちがせめぎあっています。
    みなさんはこんな気持ちを持たれたことはありますか?
    それをどうやって乗り越えてきましたか?
    私はまず不細工を克服するために二重に整形しようかなと本気で考えております…

    950 :ちわわ 2019/06/25(火) 06:50:56 ID:s5nd/Nky.net
    行く準備まではできたけど、辛くなって涙が止まらなくて電車乗れなくて帰って来てしまった…
    こんな自分が情けなくて余計に嫌になってくる

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