実際に執筆したのは1988年の38歳当時の拙論で原文のまま、誤字の訂正以外は一字一句も改変せず。
また、特記すべきは『漢方医薬新聞』の昭和64年1月号(平成元年)にも、ほぼ全文が転載されている。
さらには故矢数道明先生御みずから、当時の『漢方の臨床』誌上で、印象に残った2つの論説の内の1つとして好意的に述べて下さったことを光栄と同時に大変な名誉に感じたものだった。
『日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱』の抜き刷りの実際の画像の一部分
さらに『漢方の臨床』誌第36巻5号、即ち本論発表の5ヵ月後に、「編集雑筆」欄において、編集のT氏が次のように書かれている。
京都の細野史郎先生がご逝去。漢方の御三家は、矢数道明理事長お一人となった。大塚・矢数・細野の三大大家が開拓、発展させた昭和漢方は平成時代にどのような道をたどるのか。下関の論客・村田恭介氏は切れ味鋭く論説しておられるが、いろいろ議論もあろう。「純粋な学問上の批判」なら大いにやって頂きたい。
以下本文
日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱(平成元年の提言!)たまには、応援のクリックお願いします!⇒
は じ め に
本場中国の漢方、「中医学」がかなり本格的に我が国に紹介され始めて十年以上の歳月が過ぎたと思われるが、これも国交回復という国家間の関係による影響が大きいと考えられる。
国家間のお付き合いにはお互いに謙虚でなければならないように、漢方医薬学という学問分野の交流においても、お互いに謙虚であらねばならない。
日本の漢方医薬学を学習し始めて十六年、並行して中医学を学習し始めて十数年の浅学の身ながら、冷静に分析判断して、これからの日本の漢方は中医学に吸収合併されるであろうし、またそうでなければならないとの私なりの結論を得るに到った。
即ち将来あるべき姿として、表題に掲げた「中医漢方薬学」の提唱である。
日本漢方の特徴と欠点
先ず日本の漢方について、その特徴と欠点を簡単に考察してみたい。
江戸時代に学問上の復古主義ブームに乗って登場した医学界の特異な天才、吉益東洞の主張した方証相対論による処方単位のパターン認識の漢方が、昭和後期の現代においても主流を占めている。
東洞は「親試実験」という実証主義のもとに、実際に現れる症候のみを重視し、従来の後世派医学の中心思想である陰陽五行論等の内経思想を空論臆説として、完全に否定した。と同時に医の原点復帰を唱え、『傷寒論』『金匱要略』のみを是としたが、必然的に『傷寒・金匱』の条文中に散在する内経思想を後人の注釈とし徹底的に排除した(文献1)。
この実証主義は徹底を極め、三陰三陽などの現代日本漢方でも基本とされる概念は勿論、客観化しにくいとして脈診までも排した。然るに実証主義とは言っても主観的観念的な一面もあり、万病一毒論を唱え「毒ヲ以テ毒ヲ攻メル」ことを治病の原則として強調したり、「万病は腹に根ざす、病を治するには必ず腹を窺う」として、腹診を特に重視するなどの大変な矛盾も犯している。
さすがに東洞の行き過ぎはその後に修正され、三陰三陽などの基本概念は復活されるが、「方証相対」による「随証治療」は現代までそのまま、日本漢方の伝統として受け継がれている。
ところで現在、特異な存在として東洞直系の思想を受け継ぐと考えられる近畿大学東洋医学研究所教授、遠田裕政氏は徹底した実証主義の立場から「漢方近代化の試み」の一環として、『康治本傷寒論』を原始『傷寒論』として独自の御研究を数々展開発表されている。氏の「固体病理学」の立場に立った考察は、漢方薬の作用を現代医学的に理解するうえで大変興味深い(文献2)。
但し、東洞がその時代に多くの批判を浴びたように、遠田氏の中医学思想や言語に対する非難と排斥は、東洞と同じ「観念的実証主義」の過ちを犯していると指摘する意見もある(文献3)。
このような東洞流の実証主義は、古代の試行錯誤を繰り返しながらの純粋経験による成果のみを重視して、その後に付加された観念的把握の試みである後人の讒入文や、注釈を荒唐無稽な観念論であるとして蔑視排斥した。そのために却って将来に発展する医学としては限界を作ったことに等しく、『傷寒・金匱』のみの閉塞的な医術に堕する自縄自縛の規範を作ってしまった。
自然発生的に生まれた各国の言語にそれぞれ独自の「文法」があるように、純粋経験のままの原始『傷寒論』にも、その後、観念的に把握される理論体系化がなければ永久に発達は望めないものと考えられる。これ等、観念用語による理論体系化の初期の試みが『傷寒・金匱』の条文に存在する後人の讒入文、あるいは注釈とされる部分であり、三陰三陽のみならず虚実、表裏、寒熱などの概念の、理論体系化につながる基本文法発見の探求であったはずである。
ところが、日本漢方においては、『傷寒・金匱』のみを是とした吉益東洞以来の悪習がどうしても抜け切れぬらしく、その良きにつけ悪しきにつけ、東洞の提唱した方証相対論による処方単位のパターン認識の方法論が主体のまま、未だに漢方基礎学としての「文法」が確立されていない。これから発達すべき医学、薬学としては完全に閉塞状態に陥っていると思われるのである。
両医学における病態認識のあり方
翻って、中医学には陰陽五行論を基本文法(基礎概念)として長い歴史の中で試行錯誤を繰り返し、成熟した独自の言語と、きめ細かい文法(理論体系)を持つに到った。
日本漢方の特徴が「方証相対」による「随証治療」であるなら、中医学のそれは「弁証論治」による「病態認識・治法・方剤・実際処方」(文献4)であろう。
日本漢方の<病態認識>は、それがそのまま<方剤=実際処方>として短絡的に繋がっており、その<病態認識>は方剤の名称をもって来てそのまま<何々湯証>として認識される。即ち、病態認識は存在しないに等しく、その病態に対する治療法ばかりが重要視される極めて民間療法的なものと言えよう。
中医学においては、独自の理論、分析手段により論理的、分析的な病態の説明<病態認識>が可能である。そして、それに対する治療方法とその理由<治法>、それに該当する基本方剤の設定理由<方剤>、その患者の特殊性を考慮しての具体的処方内容とそれぞれの配合目的及びその配合理由<実際処方>が、それぞれ筋道をたてて論理的に説明できる独自の言語と理論、法則がある。
専門用語が未熟な日本漢方
以上のように「方証相対」によるパターン認識医学の性質上、<病態認識>が実態的にも観念的にも把握不可能な閉塞状態にある日本漢方において、基礎学が未発達なままであるのは必然的なことであろう。
たとえば「虚実」の問題において、<体力が余っているのが実証><体力が衰えているのが虚証>と表現する漢方の一般向け啓蒙書籍が多い。その実、漢方の専門家個人個人によって様々にニュアンスの異なった解釈がなされているが、やはり結果は大同小異である(文献5)。この実証、虚証の極めて幼稚な解釈は数々の困った現象を生むことになる。
現代日本漢方の特異な風潮として、体質ばかりでなく方剤においても実証用、虚証用、虚実中間証用などと規定することに熱心な現象が見られるが、これは病人の状態を常に固定的に捉えることを奨励するような間違った観念を植え付けかねないものである。
一方、<実とは外因、内因を含めた病邪の存在をあらわす概念><虚とは生体の機能面、物質面の不足をあらわす概念>と規定する中医学のありかたにおいては、合理的な病態把握が可能である。「実とは邪気が盛んなこと指し、虚とは正気の不足を指す」のであるが、従って「実証」とは邪気が盛んなために現れる証候であり、「虚証」とは正気不足より現れる証候である。
現実問題としてとりわけ慢性的な疾患の場合、「虚実挟雑」状態であるのが一般であるが、疾病の過程はある意味では、正気と邪気との相互闘争する過程とも言える。それ故、中医学には「扶正袪邪」の法則がある。この理由から一般的な慢性疾患では「扶正法」、「袪邪法」を同時に用いる「攻補兼施」が治療原則となることが多い。
ところが現代の日本漢方に従っていると、体力の強弱のみで虚実を論じ続けるあまり、病邪(邪気)の存在に対する認識を忘却しかねない奇妙な医学と言わざるを得ない。その奇妙さをカバーするためか、かの徹底した実証主義者であるはずの吉益東洞が提唱した「万病一毒論」という「観念論」を利用して一事を糊塗する以外に、この極めて幼稚と思える漢方医学をどう弁明できるのであろうか?
このように、「虚実」の概念比較のみでも、既に吉益東洞の時代に<病態認識>に対する検討を放棄して一種の「観念的」実証主義に走った日本漢方の歴史的な失策の後遺症が、現在に到るまで回復出来ずにいるのである。
その証拠の一つとして、我が国の症例報告の多くは過去の私の漢方経験例報告も含め、中国におけるものと比較して、あいまいな病態認識の記事とその処方の使用根拠の乏しい報告例が目立つ。それは飽くまで、パターン認識術の叙述に終始しがちであり、またそれで良しとするのが日本漢方の特徴なのである。そして両国の治験報告記事を比較すれば一目瞭然、我が国の症例報告のあまりの幼稚さにガクゼンとしてしまうのである。
日本漢方の処方運用上の欠点
体力の強弱のみをもって虚実を論じるような幼稚な漢方医学においては、体格のみかけによって虚実を判別して良しとする誤解すら招くが、これとて大同小異と言わざるを得ない。
たとえば、婦人科系の処方において、桂枝茯苓丸を実証用、加味逍遙散を虚実間用、当帰芍薬散を虚証用に決め込んでしまう日本漢方においては、同一の病人に、これら三処方が同時に必要とする病態が存在する発想すら浮かびにくい(文献6)(文献7)。
もっとも、これは敢えてエキス製剤で投与する場合の話で、湯液で行う場合はもっと合理的な処方が可能なことは言うまでもないが、これはもっぱら中医薬学理論でのみ成し得ることである。
中医薬学の教科書
中医薬学は、陰陽五行論を基礎概念とした内経思想が主軸となり、試行錯誤を続けながらも時代と共に発展し続けたもので、広い中国国内の多くの流派、多くの学説を整理し系統的に総括統合し平均化して構築された一大医薬学体系である。
その特徴は、先述したように、弁証論治を中核とし、<病態認識><治法><方剤><実際処方>(文献4)と連係されるもので、それぞれの項目において厳密な考察がなされ、論理的かつ系統的な思考が要求される。その<病態認識>はかなり統一された豊富な専門用語によって表現され、系統的分析的に整然と把握される。その後に続く<治法><方剤><実際処方>においても同様である。
この中医学の中核をなす弁証論治を学習するには、中医学の哲学理論に基づいた複雑な全体系を系統的に学習しなければならない。現在の中国においては菅沼中医師によれば、「中医基礎学」、「中薬学」、「方剤学」の三課程が基礎医学の柱であるという(文献6)。
これらの教科書類の原書、またはそれに類する原書は今日、かなり自由に手に入れることが出来るが、ただしこれら三課程は最低の基本線であることを忘れてはならない。また、これらの分野は勿論、その他の分野においても現実の中医薬学の学習書は中国において、無数にと言ってよいほどの種類が出版されている。
日本漢方に教科書はあるのか?
ところが、これら中医学の基本三課程に該当するようなかなり統一された教科書類が、果たして日本漢方において存在するのだろうか?
その考察は、月刊『和漢薬』誌(ウチダ和漢薬発行)の1989年1月号に掲載された拙稿「中医学と漢方医学」中に少々考察してみたが、答えはノーである。ただし、方剤学にのみ、若干の見るべきところがあり、これあるが故に日本漢方は、西洋医学に打ち消されることなく、現在まで辛うじて存在しえた所以であると思われる。方剤中心のパターン認識の医学としては、この分野に見るべき所があって当然であり、ほとんどこれあるが故の存在価値しか見出しえないほどである。
『傷寒・金匱』の原始処方を中心に、その不足分を後世方から恣意的に追加して、処方毎にパターン化している。その使用目標はそれほど理論化されている訳ではないが、過去、多くの先人が使用してきた経験から来る使い方のニュアンスを伝える口訣は豊富で様々に表現されて来た。また、『傷寒論』、『金匱要略』等を深く読み込むことによる奇抜とも言える自由な発想から応用した時の著効例などは、枚挙に暇がないほどである。勘の冴えによって摩訶不思議な著効を生み続けた歴史と伝統が、多くの名人を生んで来た事は否定できない。
比較的少ない処方で、百病に対処して、一定の成果をもたらして来た自信と誇り、中医学とは一線を画する日本独自の漢方医学は方剤中心のパターン認識の医学であり、これまた独自の腹診法と相俟って、益々発展するかに見えるが、現実はそう甘くはないと思われる。
閉塞状態にある日本漢方
語彙の豊富さと思考能力や創造力にはおおかた比例関係があると考えられるが、東洞以来、日本漢方からは観念用語を蔑視する風潮は抜け切れず、そのために体験的な勘を養う体得漢方を是として来たようだ(文献8)。こういう風潮は古来からの日本人の国民性に大変馴染みやすいものであった。この点は各種の日本人論も参考になると思うが、これらの日本的怠慢は医学薬学という常に発展すべき分野においては、大変な障害とならざるを得ない。
「虚実」の解釈にあるような、あいまいでかなり好い加減な言語と言語感覚しか持たない日本漢方の将来は暗い。原始医学のままの『傷寒論』『金匱要略』をいくら深く読み込んだところで、その限界は永久に突き破ることは不可能と考えられる。日本人には『傷寒論』『金匱要略』以後の中国で発達し続けた展開をもっと学ぶ必要があるのではないか。
たとえ複雑に理論が錯綜しようとも、豊富な言語により、より科学的で且つ論理的に展開され体系化されて来た中医学の在り方に学ぶべきところは多い。東洞以前には後世派という現代の中医学にそのまま繋がる理論体系を持った時代もあったはずだが、現代の日本漢方は古方派、後世派を合わせた折衷派が主流のようである。
折衷派と言えばいかにも融通のきく派のようではあるが、その実、東洞以来の方証相対論によるパターン認識の漢方術に堕したままの状態で、そこにはたいした進歩性は見られない。
日本漢方が発展する唯一の道
かくして、このような閉塞状態にある現代日本漢方から脱却する唯一の道は、思考力、創造力を生むために必要不可欠な独自の言語を持つことにあると考えられるが、急場しのぎに言語を獲得することは不可能に近い。付け焼刃の言語でなく成熟した言語でなくては、正しい思考能力は生まれない。
既に、日本国内においても逸早くこれらのことに気が付いた医師、薬剤師は多く、幼稚な東洞の流れを汲む日本漢方を見限り、既に中医学に転向している人もいる。或いは、一部の後世派や折衷派の識者は、もともと陰陽五行論を代表とする内経思想と馴染みがある関係から、極めて自然な経過として、中医薬学に溶け込まれている方も、現実には多いようである。
ところが問題の日本漢方の主流が以上に見て来た通りの東洞の流れを汲むパターン認識の閉塞的な漢方であるだけに、彼等と共通の言語を、未だに共有できずにいる。「虚実」の問題ばかりか、「陰虚」という言葉の使用方法を比較すればおのずから明らかで、一事が万事この調子では、討論することすら困難である。
と言っても幼稚な言語感覚しかもたない日本漢方においては、当然のことながら医学と言われるほどの理論と体系があるはずもなく、ぐるぐるとパターン認識の輪から永久に抜け出られない状態であるのだから、この際、一切の日本漢方における幼児語を捨て去るべきなのである。かくして日本漢方のは中医学に吸収合併され、その吸収合併の中で、殆ど唯一の光彩を放つ日本流の方剤学の分野における成果を活かす道(文献9)を見出すべきであろう。
器用なわれわれ日本人は、我々だけで創造するのは不得意でも、他国の創造物を改良発展させる技術においては定評のあるところである。日本の漢方が中医学に吸収合併されて行くのは必然的なことであり、その第一歩を踏み出すべき時が今やって来たと思うのである。
我々は謙虚に中医薬学を学習して豊富な言語と語彙を獲得し、これに過去の漢方医薬学の知識を吸収合併させることで、「中医漢方薬学」を新たに創造して行く必要があると思われるのである。(文献8)。
中医漢方薬学
以前は手に入りにくかった中草薬は近年、容易に手に入るようになったが、これを自由に使いこなせるのは一部の限定された立場の人に限られているのが現状のようである。
仄聞するところによると、漢方薬のエキスの一部が健康保険に採用されて以後、その限定された処方の枠内での使用に際して、大変便利な方法論は病名投与か、或いはパターン認識の日本漢方であり、中医学的診断で数処方を合方すると認められないことがあると言われる。このような社会制度が限界を呼ぶものなら、健康保険に頼らなければよいのだが、患者さんの金銭的負担を考えればそうもいかないらしい。
一方、薬剤師の経営する漢方専門薬局においてもエキス製剤に限界があるのと、薬局製剤として自由に製造販売することが出来る規定の処方煎剤があっても、その内容を自由に加減することが出来ない制約がある。だからなおさら「中医漢方薬学」という、われわれ日本人独自の道の開発を提唱する所以であるが、合法的にいくらでも方法はあると思われるのである。
中医薬学の言語と思考方式を学習すればおのずから道は開け、少ない持ち駒を利用することでも十分に簡易中医療法、即ち「中医漢方薬学」療法が可能であることを知るべきであると思うのである。
おわりに
以上、浅学を省みず観念的実証主義者、吉益東洞の亡霊が、日本漢方の進歩発展を現在に到るまで阻止し続けている現象を中心に考察し、日本漢方の閉塞的状態からも脱却方法として、中医学への吸収合併論、「中医漢方薬学」を提唱した。
浅学菲才の上、日々の仕事に追われながら身のほど知らぬ論考を試みたために、思い違いや考察不足も多々あるかと思われる。今後もなお考察を深めつつ、これに続く続編的な愚見を発表させて頂きたいと考えている。それ故、ぜひとも忌憚のない御批判と御指導をお願いする次第である。
なお、この拙稿の前編的なものとして、「中医学と漢方医学」と題した拙文が『和漢薬』誌(ウチダ和漢薬発行)一九八九年一月号に掲載されている。このことは拙稿中にも書いた通りであるが、ぜひ、御併読願いたい。
文献
(文献1) 山田光胤/代田文彦共著『図説東洋医学』学習研究社発行
(文献2) 遠田裕政著「傷寒論再発掘(一)〜(四五)」『和漢薬』誌連載中(380号より)ウチダ和漢薬発行
(文献3) 村田恭介著「遠田先生への反論及び中医学用語の弁護論」<「和漢薬」誌四二七号(一九八八年十二月号)>ウチダ和漢薬発行
(文献4) 田川和光著「漢方エキス剤の中医学的運用」<『中医臨床』誌一九八八年九月通刊三四号>東洋学術出版社発行
(文献5) 有地滋著「漢方の陰陽虚実について」<東洋学術出版社発行の「現代医療における漢方製剤」中の一論文>
(文献6) 菅沼栄著「中医方剤学とエキス剤」<『中医臨床』誌一九八八年九月通刊三四号>東洋学術出版社発行
(文献7) 村田恭介著「加味逍遙散加桂桃仁について」<『和漢薬』誌一九七八年四月号、二九九号>ウチダ和漢薬発行
(文献8) 村田恭介著『求道と創造の漢方』東明社刊
(文献9) 村田恭介著「『弁証論治』と『方証相対』雑感」<『漢方研究』誌 一九八二年二月号>小太郎漢方製薬発行
<その他に参考にさせて頂いた文献>
*長浜善夫著『東洋医学概説』創元社刊
*久保道徳/谿<忠人共著『漢方医薬学』廣川書店刊
*『中医臨床体系・臨床理論概論』雄渾社/人民衛生出版社の共同出版