ようやく父昇の出生までたどり着いた戸籍取得手続きですが、古い手書きの謄本をじっくり読んでみると、新事実に気づかされます。
・祖父、祖母ともに戦前に亡くなっているので、顔も名前もよく知りませんでしたが、さらに曾祖父、曾祖母の名前も明らかになりました。
・父昇は7人兄弟姉妹でしたが、全員木更津市で出生しているのに、本籍は長野県のままとなっていました。家父長制が影響しているのかもしれあせん。祖父の家督を父の兄が受け継いでいるためかもしれない。
・姉の出生時の本籍も、長野県であったことも意外な発見でした。
~~~~閑話休題~~~~~
父昇から聞いた生い立ちの話です。
木更津で過ごしていた一家ですが、戦争中母と妹を赤痢のため亡くし、父も病気で亡くした後、父昇は長野県の親せきを頼って生活することになったそうです。
そこは材木商を営んでいたようですが、何しろ戦争中、食べるものに困っているのに余計な親せきにかける余裕はなかったようで、身内なのにひどいいじめにあっていたようです。
きっと日本中どこにでもあった状況なのでしょうが。
父は兄に手紙を書き、ここにいてはもう未来はないと。
すぐに長兄は弟を迎えに行き、東京の会社を紹介したとのことです。
その社員旅行で母幸子と運命の出会いをしたのち、母の姉が住む足利へ渡ります。
その後、3人の子供に恵まれ足利市役所勤務を経て、市川市へ転居。郵便局の職員になった父。
3人の子供を立派に育て上げてくれました。
父には感謝しかないです。
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そんな父親の話を10数年前足利の親せきの家に行ったときに、こんな時でもないと聞けないと録音したデータがこちらです。
いやあ録音しておいてよかった・・