1: ◆YKPE/zzQbM @ゆきぺφ ★ 2012/06/26(火) 12:15:33.71 ID:???0
W杯予選の興奮冷めやらぬ、16日、Jリーグで史上2人目となる快挙が達成された。
元日本代表で、ベガルタ仙台のFW柳沢敦(35)がJ1で15年連続となる得点を決めたのだ。
これはキング・カズこと三浦知良(45、横浜FC)も成し遂げておらず、中山雅史
(44、コンサドーレ札幌)に並ぶ大記録である。
歴史に名を刻む選手にもかかわらず、柳沢の世間のイメージは決して良いとは言えない。
柳沢と言えば、「シュートを打たないフォワード」「ペナルティエリア内でパスを出すフォワード」
というマイナスな単語が浮かぶはずだ。
06年ドイツW杯のクロアチア戦では、先制の絶好機を外し、試合後のコメントで「急にボールが
来たから」と発言。それにちなんだ“QBK”という呼称を付けられ、予選敗退の戦犯と
して大バッシングを浴びた。
柳沢が評価されないのは、時代の流れと逆行したスタイルを貫き通したからだと思う。
彼が生まれ育った昭和50年代、日本は縁の下の力持ちが評価される時代だった。“柳沢世代”
とも言える昭和52(1977)年生まれは、昭和59年度~平成元年度に小学校の6年間を
過ごしている。彼らを指導した教師は、戦争前後に生まれ、高度成長期を駆け抜けている。
「みんなは一人のために、一人はみんなのために」というチームワークで、日本は猛烈な
スピードで復興を遂げ、「ジャパン・アズ・NO.1」と呼ばれるまでに成長した。
だが、77年生まれが社会人になると(ストレートで大卒なら2000年入社)、01年の小泉純一郎
首相就任も契機となり、突如として「成果主義」が叫ばれ始める。チーム単位で動く重要性よりも、
個人で目に見える成果を上げる人間を評価するようになった。
学校で教えられてきた価値観と、社会に出てからの価値観が180度転換したのだ。
このギャップに苦しんだ77年生まれは少なくないはずだ。「成果主義」の導入は、「縁の下の
力持ち」を評価しない世の中にしてしまった。FW柳沢敦は、77年生まれの象徴だといえよう。
彼はシャドーストライカーと呼ばれ、FWにもかかわらず、自分が点を取るよりも味方に点を取らせる
役割を担うことが多い「縁の下の力持ち」である。
>>2に続く
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