MAGUDARA。南仏サント・ボーム洞窟へ | PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術、最近は哲学についてのエッセイも。
たまにタイル絵付けの様子についても記していきます。

旅の始まりは南仏プロヴァンスから。

羽田発の深夜便でシャルルドゴール空港に到着したのは早朝。

そのままパリ・リヨン駅からTGVに乗って「アヴィニョン」へ。

 

城壁の門の入り口から延びる「レ・ピュブリック通り」

 

アヴィニョンと言えば、一時期ローマ法王がここに教皇庁を移した地区。

数々の建造物が世界文化遺産にも登録されていることで有名。

 

だが市内散策についてはまた別の機会に譲るとしよう。

 

ホテルのフロントは建物の門から一歩入った中庭の先に

 

目抜き通り沿いのホテルに到着したのは午後3時過ぎ。

明日には今回の旅のメインイベントが控えているし

寝不足に加え体調が今一つなこともあり

町の散策はやめて夕食のパンと水だけを買った。

 

 

 

【今回の目的地について】

フランス南東部の2つの県に跨るサント・ボーム山塊。

標高1,147mの北斜面は急な岸壁になっていてそこに

マグダラのマリアが 33年の隠遁生活を送ったとされる

「サント・ボームの洞窟」がある。

 

 

1年程前にここを知りぜひ訪れたいと思っていた。

 

 

しかし個人で行くのはなかなか難しく

車でなければとても行けない場所である。

現地ガイドによる案内を頼むしかないだろうと思った。

高速を飛ばしても麓まで2時間以上

山道を4,50分ほど歩いていかなければならない。

今迄の旅とは違いかなりハードになりそうな予感。

脚力、体力は自分を信じるしかないが

個人的な諸事情も考えるとそう先には延ばせない。

今年5月初旬には水際対策も解除になったこともあり

行くなら「今しかない」と決心したのだった。

 

(※訪ねたのはゴッホのサン=レミ療養院(前記事)と

同じ日の午前中から午後3時頃まで)

 

晴れ

 

翌朝、手配しておいた専用車でホテルを出発。

 

麓の傍まで到着し現地ガイドの女性が指差した。

どうやらここがビューポイントらしい。

 

 

 

見にくいのでアップでどうぞ。

下矢印

 

 

実はここから先は山道を一人歩いて行く予定だったが

不安そうな私を見かねてガイドの女性が付き添ってくれた。

 

いつか来るかもしれないこういう日のためを思い

普段の生活を自転車から徒歩に切り替えてもう結構経つ。

その努力も空しく寄る年波には勝てないのか

それともやはり運動不足のせいなのか  

途中の景色を撮る余裕などはない。

 

 

なんとか山道を登り切ったが

次に控えているのは心臓破りの階段。

 

 

 

後は写真にて頂上までの険しい道程💦をご想像下さい。

 

 

 

 

 

巡礼地へというよりもハイキングのついで?軽装の人達が殆ど。

 

 

 

 

 

vingt-sann(MAGUDARA)

 

 

あなたは、ところでマグダラのマリアについて

どんなイメージを持っている?

 

私がなぜここへ来たいと思ったのか……。

それはマグダラに会いたいと思ったから。

私の中に住むもう一人のMAGUDARAに。

 

あるとき私は自分をMAGUDARA

名のることに決めた。

それは「エヴァの末裔」という意味で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よくも登って来たものだと我ながら感心。

 

 

 

そしていよいよ聖域の入口へ到着。

 

 

 

入り口のすぐ向うにあるのは柵の中に仕切られた世界

 

 

迫真に迫るゴルゴダの丘、イエス磔刑の場面が再現!!

 

 

 

マグダラはイエスに哀悼と献身の気持ちを表して

 

 

しかしどうしてだろう。

エロイーズのことを思い出さずにはいられない。

エロイーズとマグダラが私の中で一つになる。

ところであなたはエロイーズを知っている?

 

中世往復書簡Ⅰ「エロイーズとアベラール」に見る愛の形

中世往復書簡Ⅱ「エロイーズとアベラール」に見る愛の形

中世往復書簡Ⅲ「エロイーズとアベラール」に見る愛の形

中世往復書簡Ⅳ「エロイーズとアベラール」に見る愛の形(最終回)

 

ここからいよいよ洞窟の中へ

 

 

その前に少しだけ

【マグダラのマリア伝説について】

マグダラのマリアの埋葬地や遺骸については

過去に議論が絶えず幾つもの説が取り沙汰された。

1279年にサント・ボーム山の北20キロに位置する

サン・マクシマンの半地下墓地でマグダラの墓が発掘されたことで

サント・ボーム山の洞窟はそこに埋葬される前の33年間に

彼女が隠遁生活を送った場所とみなされるようになった。

以後、サン・マクシマンとサント・ボーム山とが

マグダラのマリアの信仰の中心地となる。

 

(参考資料)

JOS-18819001-1210.pdf (josai.ac.jp)

 

メインの祭壇

 

 

 

 

1日の内、何度か司祭によるミサが行われる場面にちょうど出会って

 

 

     

 

 

 

 

右側の金色の小箱にはマグダラの聖遺物が祀られているという。

(こういう聖遺物の中身についての真贋を問うのはNGである)

 

 

 

 

地下に降りると湧き水が壁から滴って床が濡れている。

その中で一人静かに悔悛する

マグダラの姿がある。

 

 

十字架を腕に抱き、彼女は何を祈っているのか。

 

 

 

暗く光の届かない空間でステンドグラスの光が眩く美しい。

 

しかし当然ながらマグダラが隠遁生活を送っていた頃には

昼間でも真っ暗に近かっただろう。

それでも目を瞑って祈り続けているなら

暗闇だって怖くはないのかもしれない。

 

 

出口の一歩手前から外を眺めると

素晴らしい山々の風景と共に一つの銅像に出逢った。

 

 

 

「ピエタ」像

 

キリストの遺体を膝に抱きかかえる聖母マリア。

そして足元に泣き崩れるマグダラのマリア。

 

―2人のマリア―

 

傍目には正反対のように見えるかもしれない。

あなたはどちらのマリアに近い?

でもね、あなたがどのように答えようと

私はたぶんこう言うわ。

「どっちも、あなた自身よ」って。

光あってこその影

影あってこその光なのだから。

 

 

皆様へ

※9月は公私ともに大変忙しく、また写真の整理もままならず

なかなか旅のブログを更新できませんでした。

次回は小さな読書会のpart3をupする予定です。

 

 

 

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