直近に購入した2TBの中身を4TBに移動するだけならフォルダ全部をコピー、寝ている間に動かしていれば2日もあれば済んじゃう。ところが管理法を変えようと考えたからエライコッチャ。
今まで写真を年度別に整理していた。例えば5年に渡って使っていたPentax K-5の写真は2010年~12年はハードディスクA、13~14年はディスクB、15~16年はディスクCと跨っているんだ。Lightroomで管理しているのでこれでも全く問題はないのだが、将来的にフォルダ構成として最上位をカメラ別とした方が便利だろう、やるなら今!、ってんで・・・。
大量にあるPentax K-5の写真ファイルはディスクA、B、Cから新しいディスクDに全部移すだけだが、その他のカメラはディスク毎の空き容量を見て、じゃぁPentax K20DはディスクAに全部纏めて、他のPentaxカメラはディスクBに移して、Sonyのカメラはこっちのディスク、Olympusはあっちのディスク・・・、そんな作業が延々と続いている。日中はちゃんとお仕事をしているので作業は夜。もう二週間近く、ずっとファイルの整理。メインとバックアップの両方をやらなくちゃならないからまぁ時間が掛かる!。
※勿論、パソコンにコピーを指示したらあとは海外ドラマを楽しんでいるだけだが・・・
家の大掃除と同様にハードディスクの整理をしていると過去の写真を懐かしんじゃう。超~ナルシスト人間と化している。俺っち良い写真を撮っているじゃないか!って・・・。
Olympus OM-D E-M1markIIを購入前、ブログのネタ切れから過去の写真をほじくり出して記事を書くしかない!、と言っていたが、より一層、過去の写真を見てはニヤニヤしている自分がいる。
そして東京が8月下旬まで緊急事態宣言だから今年の夏は終わったも同然。どこにも行けず、人口の7割がワクチンを摂取出来るのはどうやら10月って話なので、結果どうなるかと言えば昨年と同じ、11月、紅葉の時期にようやく旅行が出来そう・・・。
E-M1markIIの連載、これを2ヶ月分の30回を目安にし、新しい趣味、「夜散歩写真」を始めているので現在進行系の写真も継続的に掲載出来る(大半がE-M1markIIレビュー絡みとなろうが)。これに加えてハードディスク入れ替え作業中に見つけた写真を元に過去ネタを捻り出せば(今回のネタもそう)、ざっと皮算用、楽勝で11月までネタが枯渇しない!。
東京のコロナ感染者、オリンピックが開催される頃には2千人を超えるんじゃないか?、そんな時期に今後どうなるかは未定。あくまでもワクチン頼りであるが、上手く行けば11月以降、トレッキングも再開出来るから平時に戻る、そういう希望を持つしかない。
さて、過去の写真を眺めていて痛切に感じるのが・・・。
デジタルカメラの機能がフィルムカメラ+α程度しかなかった頃と、ISO6400が当たり前で1秒、2秒で止められなくちゃカメラじゃない今と比較すると写真1枚1枚、ひとつの風景にに対する熱意が全く違う。
まだデジタル一眼レフを手に入れておらず、SonyのCybershot DSC-H50と言うデザインだけは一眼レフ風の1/2.3型のコンデジを使っていた頃・・・。
デジタルスチルカメラ Cyber-shot サイバーショット | ソニー
高倍率ズームレンズ搭載のコンデジの走りとは言え、10数年前の技術。RAW保存は出来ない、ISO400までが常用、単写モードだとディスクの記録に待たされ連写モードで人差し指の感覚だけで単写しなくちゃならなかったなど、このカメラは欠点だらけだった。
また当時はサブのバッテリーを持ち歩く、そんな概念がなかったので1日450枚(冬は400枚)がリミットだった。今考えると長持ちするバッテリーだったが、特に旅行中は撮影量が増え、300枚を超えた辺りから時間帯によっては風景の取捨選択に迫られてもいた。使用期間はぴったり1年。それで1万枚撮影しているのだから頑張って撮っていたと思う。
メリットはEVFが備わっていた事、そして高倍率ズームだった事。35mm判換算で31-465mm、そして910万画素。これにより動体を除けばありとあらゆる被写体を切り取れた。また3段程度の効果しか無かったものの、手ブレ補正も付いていたから最テレの465mmでも1/60秒でシャッターを切れ、夕方までしっかりと写真を撮れたのが大きい。10年以上前の1/2.3型センサー、今見たら笑っちゃう画質であってもA4プリントならば十分。
900万画素と少なめなのでそんな古い1/2.3型センサーでも風景によってはISO800も使えた。良くこの手のコンデジレビューでプロカメラマンだかライターが「Lプリントくらいなら高感度も使える」と書いていたのを覚えておいでか?。彼らがどの程度のクオリティを求めているかは知る術がないものの、アマチュア間で写真見せっこ大会を催す程度なら風景を選べばDSC-H50のISO800の風景でもA4プリントは可能だ。
この手のライターは誰に対してレビューをしているのか?、その辺をちっとも判っていないお馬鹿さんが多かったのは事実。プロでもプリントしないでパソコンの画面だけ見て評価しているデジタル馬鹿ばかり。そしてそのお馬鹿さんに騙されてやれ画素数だ、やれDxO Markの結果だ、そんな数字馬鹿が大量発生してしまったのだ。
だからこのカメラ、つくづくRAW保存が可能だったらと残念でならない。PhotoshopにはCamera RAWが備わっていたし、LightroomもVer2になった頃かな?。だからアマチュアでも気楽にRAW現像が出来た。まぁJPGファイルをカードに記録するだけでも時間を要したのでRAWでも記録するとなるとRicoh GX100のように1枚撮る毎に5秒以上待たされちゃうのだろうな。
カメラの機能としては実にしょ~もない、撮るのに工夫を強いられたが、レンズが超~便利な高倍率、加えてEVF搭載カメラだから撮る気はまんまん。今思えばこの頃からPentax K20D辺りを使っていた数年間が一番貪欲に被写体を追っていたような気がする。
ある日の写真を見ていて「これどこだ?、こんなゴージャスな昭和風景、どこにあるんだ?」・・・。
行った先、地域名をフォルダ名にしているのにでそれを頼りにGoogle Mapで調べても全く見つからない。12年前の写真なので「再開発されたか?」と沈んでいたら、どうやらフォルダ名になっている地域から外れて別の場所へ移動しているようなんだな。それで探索範囲を広げ、Google Mapを30分くらいチェックし、ようやく見つけたんだ。「ここかぁ!」。なんて事はない。東京都だと思っていたら埼玉県だった!。そりゃぁ見つからないって!。その日は東京都と埼玉県の県境をウロチョロしていたみたい。
ランドマークとなったのはとある生コン工場。これが東京都ではなく住所が埼玉県だった。どうやら道路を挟んで東京と埼玉に別れている地域のようだ。なるほど!、あそこか!。半年くらい前、その先にワークマンがあるんだ。車で通った道だった!。
ところがその他、DSC-H50で撮影した写真達はまぁ昭和な風景がズラリ。錆びたトタンの家だの工場の鉄な機械だの・・・。これが現時点でもどこだか見当が付かない。埼玉側へ分け入ったのか東京都側に戻ったのか?。ここらは電車の駅もないし、当時、バスを使ってお散歩写真した記憶は一切ないので、自転車でかっ飛ばしながら徘徊していたのだろう。自転車だとその生コン工場を中心にしても半径5キロくらい平気で移動している筈で相当広い範囲をウロついていたようだが、写真毎のタイムスタンプを見れば生コン工場からどれくらいの距離にあるかなんとなく見当が付く。それでも見つからない。。再開発された可能性が高い。
毎度のお話。デジタルカメラって何枚撮ってもただなのだから要所要所で住所をパチリしとかないと駄目だね。写真は目的地、経路を定めないで気分次第にお散歩するから良い風景に巡り会えたりする。これが最初の撮影ならそれでも良い。むしろ現在地を意識せずに好き勝手に歩く、道に迷いまくってこそがお散歩写真の醍醐味。しかし再訪しようとなると住所が判っていないとお手上げ。
東京の下町と行っても地域全体が古き良き昭和風景な訳じゃない。ある路地だけに昭和が残っている、そんなところの方が多いんだ。そうなると訪れた地域は判っていてもその一本の路地が見つからない。再訪しようにも住所が判らないのだからどうにもならない。地道にGoogle Mapのストリートビューで探索するしかない。
落語、「船徳」の舞台を歩く場合、柳橋から大川を伝い、浅草を経て山谷堀からの吉原。このコースは下町初心者でも道に迷わず歩ける。しかしそのルートを辿っても昭和風情はほとんど感じられない。ルートからほんの少し外れた時代に取り残された路地、これを見つけない限り、昭和写真は撮れなかったりする。
Google MAPでの探索。無駄な時間ではなかった。予期せぬ収穫を得た!。本ブログを初期の頃から長く読んでくださっている方、以前、私がキューポラにはまったのを覚えておいでだろうか?。名簿を頼りに埼玉県は川口市に現存するキューポラの大半を撮影していた。いずれ集大成記事を掲載するつもりだが、つい先日、Google Mapで当時調べ損ねたであろう鋳造所を発見。ストリートビューにはどこから見てもキューポラが写っている。名簿で確認だ!、現在も稼働中!。おお!、これは是非行かねばなるまい!。
勿論、残念なお知らせもある。写真とGoogle Mapで場所を確定。ストリートビューでチェックしたら工場があったであろう場所が広大な空き地になっていたり、一区画全てがピカピカのおうち・・・、あらまぁ、あの錆び錆びのトタンはもう写せないのね・・・。ホント、この10年で東京は無茶苦茶変わったな。昭和風景がなくなり平成風景と化した。
東京下町だけじゃない。ちょうどキューポラの話をしたので埼玉県は川口市、ここも鋳物の街だったから20数年前に住んでいた頃は昭和風情に溢れていた。まだあちこちに鋳物工場があったんだ。当時キューポラに興味はなかったのが残念で仕方がない。もし興味を持っていたらフィルムで記録出来ていたんだ。
キューポラに興味を持ったのが2011~13年くらいかな?。名簿を調べ上げ現存するキューポラを求めて川口市内をあちこちと巡った。その頃はまだガラケー。まぁ大変ですよ。ポータブルの紙地図を持ち歩き、近くまで行ったら歩いている人を掴まえて云々・・・。それでも昭和の遺産を巡る、楽しかった。しかしその時写したキューポラや鋳物工場、恐らくすでに半数以上はマンション等の住宅地に変貌している筈だ。
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