〇近藤正規『インド:グローバル・サウスの超大国』(中公新書) 中央公論新社 2023.9
最近、政治や経済でも、エンタメでも名前を聞くことの多いインド。しかし私がこの国について思い浮かぶことといえば、堀田善衞の名著『インドで考えたこと』(1957年刊、高校の国語の教科書に載っていた)くらいである。さすがに少し認識をアップデートしようと思い、本書を読んでみた。本書は政治、経済、外交、社会などの切り口で、現在のインドの姿を分かりやすく解説している。知らないことが多すぎて、ファンタジー小説に登場する架空の国家の設定書を読むような面白さがあった。
はじめに社会の多様性。インド人は「出身地、言語、宗教、カースト」という4つのアイデンティティで規定される。インドは世界最大の民主主義国家で、IT大国らしく、総選挙では9億人の有権者が電子投票を行うという。すごい。現在の首相はインド人民党(BJP)のモディ首相。欧米メディアでは批判も多いが、国内では圧倒的な人気を誇る。最大の要因は高い経済成長率の持続である。そうか、もはや名目GDPは世界第5位、購買力平価は日本より上なんだ…。ただし、巨大な中間層という強みを持つ一方、内需主導なので、中国やASEAN諸国のような輸出主導型のダイナミックな経済成長を遂げることは難しいという。また、製造業が弱くサービス業が主体であるとか、インフラ整備の遅れ、電力供給不足、近代的な工業部門で働くスキルのない未熟練労働者が多いなど、IT大国の意外な一面も知った。
もちろん、インドのIT産業は順調に成長を続けている。成功の要因はいくつかあるが、米国のバックエンドオフィス業務委託の分野では、英語を話せる優秀な人材を安価で大量に供給できたことが大きい。また、いたずらにハイテク技術を追うのではなく、安い労賃を活かしてローエンドの顧客向けソフト開発を行うという戦略も正しかったという。
インドは「人口ボーナス期」の真っ只中にあり、優秀な理系人材を豊富に有する点が大きな強みである。しかし、国内の需要に対して満足のいく水準の理工系学生が不足気味であること、世界の大学ランキングではインドの大学が低評価であること、インドの地場産業は最先端の研究開発に前向きでなく産学協同が不足しているなどの課題も指摘されている。このへんは、日本や韓国、中国の状況を想像したり、比較したりしながら読んだ。女性の社会進出の遅れ、深刻な男女間格差はとても気になる。私がインドにいまひとつ魅力を感じない最大の理由はこれかもしれない。
インドの外交戦略を論じた章は、本書の中でいちばん面白かった。1947年の独立以来、非同盟中立を掲げてきたインドだが、政権の交代と国際情勢の変遷ともに「強調するところ」は微妙に変化している。目下の最大の問題は対中関係の悪化で、初代首相ネルーに始まる代々の親中政権のツケを払っている状態ともいえる。2020年6月には国境地帯で中国と軍事衝突が起きたが、非同盟中立国のインドには、こういうときに助けてくれる国がいない。なるほどねえ、「非同盟中立」というのは大変なんだ。このとき、日本と米国はインドをサポートするコメントを出して大いに感謝された。
しかしインドはロシアを「特別で特権的な戦略パートナー」と位置付けている。1971年の第3次印パ戦争の折、米英はパキスタンを重視したが、戦艦を派遣してインドを守ったのはソ連だった。ロシアは1998年のインド核実験も黙認するなど、さまざまな場でインドをサポートしており、インドは「ロシアへの恩」を忘れていない。それが、ロシアのウクライナ侵攻に対する国連の非難決議への棄権という態度につながっている。逆に米国への信頼は高くなく、プライドの高いインドは、米国の「格下パートナー」にはなりたくないという考えが根深いという。ちょっと日本を省みてしまう。2023年、モディ首相の訪米など、米印の接近を感じさせるイベントはあったものの、インドが米国陣営に加わる可能性は低く、米国から取れるものを取ろうという算段だろうと本書は解説する。
米国や日本など西側諸国は「グローバル・サウス」の盟主が中国になることは避けたいので、インドを重視せざるを得ない。しかし一方、「グローバル・サウス」(新興国や途上国)の国々が、インドを「自分たちのリーダー」と見ているかというと、その意識は薄い、という指摘には苦笑してしまった。大義名分はさておき、どの国も本心では自分の利益しか考えていないようだ。しかし世話になった恩義は忘れがたい。国際関係って、意外と人間くさいものだなと感じた。