TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

”あるある”な話

2024年08月17日 | エッセイ
「介護者のつどい」に参加した。
先月は自分の居住地近くの地域包括センター主催のつどいに、今回は、両親のケアをお願いしている包括センター主催のつどいに参加してみた。
長く住んでいた地域なので甘く見ていたらしく、駅を降りたとたん道に迷った。
上り坂を無駄に歩くこと10分ほど。
冗談ではなく、熱中症になるかと思った。
駅に引き返してイオン飲料をがぶ飲みして体調を復活させてから再びセンターに向かう。
ようやく着いたものの、今度は入口の場所がわからず、建物のまわりをぐるぐるまわったときなんか、もうこのまま帰ろうかと思った。

で、ようやくたどり着いたつどいの場。
前髪は汗で顔に張り付き、マスクの中はぐっしょり、メガネは熱気で曇り、必死の形相だったかもしれない。
担当のスタッフは、以前、介護認定の契約の時にお世話になった男性だった。
こういう時は、「〇丁目の〇〇の娘です。両親がお世話になりました」とかなんとかきちんと挨拶するものなのか、それとも、不特定の集まりの場で個人的なつながりを強調するのはいかがなものなのかわからなかったので、「〇〇と申します。お世話になっております」と初対面のようなそうでないような無難で事務的な挨拶にとどめておいた。

参加者は、わたしのほかに女性がひとり、男性がふたり。司会者はくだんのスタッフである。
ひとりずつ自己紹介を兼ねて介護状況を話す。
男性Aさんは奥様を施設で介護されており、男性Bさんは姉妹と協力してお父様の介護を。
そして90歳くらいの女性は、配偶者を見送ったあと、今はひとりぐらし。
認知機能に不安があるので、いろいろ教えて欲しいとおっしゃっていた。
介護をする人だけでなく、当時者参加もありのようだ。
そして司会担当のスタッフも、センター近くにひとりで住む90歳のお父様を毎日仕事帰りに見舞っているのだとか。

さて、最初の話題は、「家の中で物を探すことが多くなった」という話。
「別居している家族が気をきかして片づけてくれるのはありがたいが、どこに置いたのかわからなくて困る。物を探して1日が終わる」とどなたかが言えば、「そうよ。自分の便利なところに置いてあるんだから、勝手に触っちゃだめなのよ。わたしなんか、もう部屋中散らかってるけど、片づけないもの。そんなことしたらどこに何があるかわからなくなっちゃう」とひとり暮らしの女性が大きくうなずく。
すると司会のスタッフが「それでこの前おやじの機嫌が悪かったのか」と頭をかく。
わたしはわたしで、「父と母、両方の記憶力がおぼつかないので、物が見当たらないと、お互いに相手のせいにしてもめてます」と話に乗っかる。

次は宅配の話になる。
なんと本日の参加者全員が生協経験者。
それだけに失敗談を含めて、一家言お持ちである。
あれは便利なシステムだが、届くのが1週間後だから何を注文したかつい忘れてしまうというのは、皆さんに共通した感想。
注文したものをメモしておけばいいのだが、それも億劫である。
結果、同じものを何個も注文してしまってもてあますという話に、共感の笑いが起きる。
(だったら、例えば申込用紙を複写式にして、手元に控えが残るようにすればいいかも、と今ブログを書きつつ思う)。
数量に「1」って書いてあるから1個かと思ったら、ひと箱ドーンと届いたというのも、ありがちだ。
年を経ると、個だの箱だのという細かい単位の表記にまで、注意が向かなくなるのだとか。
呼び名が違うので、違う商品かと思って買ったら同じものだった、ということもあるらしい。(これは店側の策略か?)
「あらあ、こんなの頼んだかしら」「頼まないものが来ちゃった」という、母から聞くたわごと?は、なにもウチだけの話ではなく、よそでも同じような事態が起きているということがわかって少し安心した次第である。

次回は、宅食に1品加えるだけで栄養豊富な弁当になる裏ワザを、ご近所のかたがご試食つきで披露してくださるという。
楽しみである。
ま、超偏食な父にはあまり役に立ちそうにはないが。
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