「急行」のLEDも誇らしく、副都心の高層ビル群を背負って、堂々10連の30000系が高田馬場に滑り込む。
4月に池袋線・秩父線で芝桜を観に行ってから3か月、二度目の西武鉄道呑み潰しを新宿線で締める。
新宿線の三叉の槍は、歌舞伎町の入り口で存在感のあるPePe新宿プリンスホテルに突き刺さっている。
青が散る一時期、この沿線で暮らすことがあった呑み人は、何度か初電でアパートに帰った覚えがある。
起点の西武新宿駅から10分、レモンイエローの各駅停車は緩いカーブの新井薬師駅に停車する。
あの頃、友人の下宿をよく訪ねたけれど、実は薬師さまに詣でたことはない。長年の不義理を解消したい。
緑の木漏れ日の中に赤い提燈が印象的な山門を潜って新井薬師梅照院に詣でる。
新田氏に縁ある御本尊は、薬師如来・如意輪観音の二仏一体の尊像と言われ、秘仏となっている。
四半世紀を超えてようやく薬師さまを詣でた後、門前そばならぬ門前の町中華に迷い込む。
玉ちゃんの声に誘われた気もするが、それはさすがに空耳か。
老夫婦が営む店は昼前なのに席が埋まった繁盛ぶり、料理にはどれも美味いに決まっている。っと思う。
シュポンと小母ちゃんが “クラシックラガー” を抜いてくれた。先ずは喉がなるほどに一杯を呷る。
一皿めの “ピータン豆腐” の濃厚とサッパリの共演を味わいつつ、苦味走ったラガーを楽しむのだ。
どうもここ萬来軒の名物メニューらしい “麻婆餃子” を択ぶ。当たりだ。この共演も素晴らしい。
濃厚なひと皿にはさっぱりと “レモンサワー” を合わせて、薬師さまのお陰で美味しい酒肴に巡り合った。
新宿線の旅は続く。ボクが乗るのは相変わらずレモンイエローの各駅停車だ。
この駅は鷺ノ宮だったろうか。乗務員もホッと一息の急行の通過待ち。
このシチュエーションには決まって原田知世の曲を思い出す。
彼の住む町を訪ね指を折って駅を数える彼女、急行の通過待ちがいつももどかしかった。と去年の恋の詩だ。
東村山も所沢も最近呑んだから今回は通過して、やがてレモンイエローの各駅停車は航空公園駅に着く。
駅舎で時を刻む CITIZEN の針は飛行機のプロペラをモチーフにしていて、なかなか秀逸なデザインだ。
振り返る東口駅前広場には、戦後初の国産旅客機 YS11 がエアーニッポンの塗装そのままに展示されている。
所沢航空記念公園は、1911年に開設された日本で最初の飛行場「所沢飛行場」の跡地に整備された。
この「日本の航空発祥の地」に、航空自衛隊入間基地に所属した C46-1A輸送機(天馬) が煌めいている。
所沢からの緩い勾配を駆け上がってきたのは、30000系、急行の本川越行き、この旅のアンカーになる。
急行と表示していながら、田無からは各駅に停まるので、終点までは6駅20分の旅になる。
黒漆喰の壁、屋根には大きな鬼瓦、一番街には重厚な造りの商家が連なる。小粋に人力車が疾走していく。
この情緒あふれる蔵造りの町並みをして、川越は「小江戸」と称される。
西武新宿線の終点本川越駅は、この町並みに最も近い駅だ。
そんな小江戸川越のシンボルが「時の鐘」で、最初のものは寛永年間に川越城主の酒井忠勝が建てた。
現在の鐘楼は明治27年、江戸時代の姿そのままに再建した4代目だそうだ。
鐘の音が小江戸の町に響きわたるのは日に4回、でも聴いた覚えはないなぁ、結構訪ねているのだけれど。
18時の鐘を待てずに向かったのは「六軒町一丁目商店」、すでに賑やかに立ち呑み酒場は営業中。
客層はご同輩というよりも若者が多いしスタッフも同様だ。それでも臆せずにカウンターの一角を占める。
元気なお嬢さんが注いでくれた “生ビール” を片手に小声で乾杯、今宵の一人酒を始めよう。
アテの一番手、申し訳程度のキャベツを敷いて “ハムカツ” が登場、分厚いのが二枚、満足の一品だ。
小皿に山盛りなのは “もやしポン酢”、これは少々手こずりそうだ。
むかし学生街の定食屋の「もやし炒め定食」が、正にモヤシだけを炒めた皿にガッカリしたことがある。
気を取り直して “梅水晶” 、これは満足度の高い一品、日本酒が呑みたくなるね。
でもここ最近、少々酒が過ぎていることを自覚しているから “黒ホッピー” を択ぶ。
アテには “炙りチャーシュー”、ジューシーな叉焼をさっと炙ってレタスにマヨネーズ、言うこと無し。
立ち呑みを楽しむ若者に、脈絡もなく力強い何かを感じた今宵、新宿線を最後に西武鉄道の呑み潰しを完了。
西武鉄道 新宿線 西武新宿〜本川越 47.5km 完乗
<40年前に街で流れたJ-POP>
どうしてますか / 原田知世 1986