中学3年生 0人(月謝37,000円)
高校1年生 4人(月謝35,000円)
高校2年生 2人(月謝35,000円)
高校3年生 0人(国公立受験月謝52,000円・私立受験月謝47,000円)
浪人は高校3年生と同じですが、高校3年間をウチの塾生として過ごした生徒は、月10,000円です。
【大学進学実績 】
入塾を希望される場合は電話かメールでご連絡ください。
2週間ほどの体験期間を設けてありますから、ご連絡の際にその期間を相談することになります。
【今年度の広告】
れいめい塾の雰囲気を知っていただくには、塾生・OBOGが寄せてくれた作文で構成されたチラシが一番だと思います。もしよかったら以下のリンクからお読みください
上越奇譚
今回の広告で俺にすれば個人的に驚愕する事実が発覚した。耕治(10期生・田辺設備)が広告の中で、新潟大学工学部に合格したものの第二志望だったために、合格したことを誰にも言わずに近畿大学に進学したと書く。おいおいおい、第二志望でも合格したなら言えよ! 小田講師から理系教科の仕上がりの良さも聞いていた俺は、なんで新潟に落ちたかがずっと腑に落ちなかった。つまりは27年目にしてカミングアウトだ。
大学入試でうまくいかなかった生徒については、大学進学後も付かず離れずという距離を保つようにしている。耕治の場合も大阪まで飲み会という名の偵察に、就職してからも上越まで足を伸ばした。すぐに結婚したが数年後に離婚した。ところが縁があって行きつけの『梅林』という食堂の娘さんと再婚した。それでも気になる俺は二人の様子を伺うために「上越謙信酒祭り」ツアーを敢行する。
このツアーに随行した里恵(8期生)が、ゲームを通して知り合った男性と初めて会うとなった。男性は奇遇なことに上越で暮らしていた。あの時代だ、ゲームを通してお付き合いする・・・昭和の俺にはちょっとばか引けた。しかし、考えてみればゲームを通しての会話のなかで互いの心根をよく知ることもありえる。俺たち夫婦のように見合いまがいで知り合い、結婚式までに会った回数が4回なんて夫婦よりははるかに互いをよく理解しているかもしれない。ともあれ、「上越謙信酒祭り」で二人の距離は一挙に縮んだとも言える。
記憶は暴走する・・・耕治の結婚は『梅林』の親父さんが客としてやって来る耕治の性格を愛して、自分の娘を勧めた・・・と思っていた。そう聞いたのか、そう勝手に思い込んでいたのか、ずっとそう思っていた。ところが今回の「上越れいめい会」で驚愕の事実が明らかになる。耕治の奥さん、ちょっと酒が入ってたのか、絶好調でなれそめを聞いた俺に話し出す。「実はですね、他の人と結婚決まってたんですよ」 一同驚愕、それを意に介さず奈っちゃん、「でもマリッジブルーっていうのかな、結婚式が近づくにつれて『この人でいいのかな』って鬱々としてたんですよ。その頃にパソコンが壊れてしまって、知り合いに言うと『俺の友達でメカに強い奴がいるから、そいつうまくやれるんじゃないかな』って、それでお願いして修理に来てくれたのが耕治なんですよ」 すかさず奥さん、「白い馬に乗って王子様がパソコンを修理しに来たのね」 「そうなんです!」と奈っちゃん。里恵も「耕治、略奪愛やん!」「そう、私略奪されたんです!」 ・・・奈っちゃん、絶好調である。
里恵は10年ほどの付き合いの後、3年前に上越に嫁いだ。最も三重県から出そうにない女が上越に嫁いだ。人見知りの激しい旦那さんらしいが、里恵を見る視線が優しい。去年の「上越れいめい会」からは今回、俺たち夫婦もまた旦那さんとの距離を縮めた気がする。
一時期、住友電装での就職を紹介しようかと考えたが、耕治は「上越はいいところですよ。夏は海、泳ぎに釣り。そして冬は山、スキーにスケボー。ここは離れたくないなあ」 そう言うのを聞いて断念した。雪の訪れを face book にアップしては騒ぐ里恵にすれば異議を唱えるかもしれないが・・・。
上越は俺にとっても思い入れが深い街だ。捨て童子・松平忠輝・・・家康の子供だ。伊達政宗の娘・五郎八姫を娶り、高田城を修築。しかし2代将軍・秀忠により伊勢の朝熊に蟄居。さらに高山の金森氏に、2年後には諏訪の諏訪氏に預けられた。諏訪湖畔に浮かぶ高島城で50年以上もの歳月を過ごした。家康が今際の時に生母を通して忠輝に授けた「野風の笛」・・・信長から秀吉へ、さらに家康へと渡った天下人の笛は、先日訪れた諏訪の貞松院で保存されている。
上越の街が耕治と奈っちゃんを結びつけた。そして二人の探索に出向いた旅がきっかけで、里恵もまた上越暮らしを始めることになった。
そんな思入れ深い上越の地を、俺と奥さんは1年に1度訪れる。
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