たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

今年も、「ドングリ コロコロ ♫」

2024年10月14日 17時28分00秒 | 散歩・ウオーキング

今日、10月14日(月)は、国民の祝日「スポーツの日」。
1964年10月10日、東京オリンピック開会式の日に因んで定められた国民の祝日、「10月10日=体育の日」が、長年、脳裏に焼き付いてしまった老脳、その後、「体育の日」は、「10月第2月曜日」に移動になり、さらに、2020年には、名称も「スポーツの日」に変わっているが、いつまで経っても、ピンとこない。

当地、今日は、「スポーツの日」にふさわしく、ほぼ快晴、最高気温も25℃前後、
爽やかな秋晴れだった。
なんやかんやで、ここ10日以上も、休んでしまっている(サボっている)散歩・ウオーキング、
体調イマイチ、身体、重ーい、怠ーい・・・・、だったが、
いかん、いかん、
歩け!、歩け!、
日が傾きかけてから、やおら重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
足、腰の痛みを庇ってしまい、
どうしても、腰が曲がり、前屈みになってしまう爺さん、
  胸を張れ腹へっこめろ腰伸ばせ、
途中、何度となく立ち止まり、
伸脚、屈伸、アキレス腱伸ばし、腰伸ばし、しながら・・・・、
スマホの歩数計で、約3,600歩。 

そろそろ、今年も、ドングリ、コロコロ、♫・・、の頃かな?
クヌギ(椚)やコナラ(小楢)の大木が有る、近くの雑木林を通り抜ける小道を
歩いてきた。
かなり落ちて散らばっていたが、
毎年のことながら、
小さい子供でも連れてくれば、喜ぶんだろうなあー・・・等と想像しながら、
ちょこっと、拾ってきた。
「ドングリ」「どんぐり」「団栗」・・・、
北陸の山村育ちの爺さん、なんとも、郷愁を誘われる、懐かしい響きである。

クヌギ(椚)の実(ドングリ)

突然始まった、けたたましい、ガビチョウ、独唱会?

 


懐かしい映画と映画音楽・その71

2024年10月13日 17時18分29秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
今日のこと、6年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「撃墜王アフリカの星」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その71
映画「撃墜王アフリカの星」・主題曲「アフリカの星のボレロ」(再)

3連休中日も、普段通りの暮らし、
足、腰、痛!、痛!、体調もイマイチ、
今日は、病院面会もパス、家籠もっている。
自炊夕食前の手持ち無沙汰な時間、
またまた、古いレコード盤、CD、カセットテープ等を引っ張り出して聴いているところだが、
その内の1曲、映画「撃墜王アフリカの星」の主題曲「アフリカの星のボレロ」は、
ドーナツ盤、「太陽がいっぱい」のB面に有る。
若い頃、よく聴いていたことも有って、かなり溝が磨り減って、音質極めて悪しだが、
それもアナログらしいと思えば・・・、

今更になってネット等で調べてみると
映画「撃墜王アフリカの星(Der Stern von Afrika)」は、1957年(昭和32年)に、アルフレート・ヴァイデンマン 監督、ヨアヒム・ハンセン、マリアンネ・コッホ等出演で、製作、公開されたドイツ映画だった。
映画の方は、もちろん、公開当時に観ているはずはなく、記憶曖昧だが、かなり後年になってから、地方のリバイバル映画館で観たような気がする。
第二次世界大戦下の北アフリカ戦線で、158機を撃墜したという戦果を挙げ、「アフリカの星」等という異名で呼ばれたドイツ空軍の英雄、ハンス・ヨアヒム・マルセイユの生涯を描いた映画であるが、
その主題曲「アフリカの星のボレロ」は、激しい戦争映画にもかかわらず、勇ましいマーチ風な曲ではなく、もの哀しい、ルンバ、ボレロ調の曲だったことで、脳裏に焼き付いたものだった。

(ネットから拝借画像)

映画「撃墜王アフリカの星」・主題曲「アフリカの星のボレロ」 (YouTubeから共有)

オーケストラ演奏の「アフリカの星のボレロ」 (YouYubeから共有)
 

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なんとかかんとか、出来るのものだ、

2024年10月13日 11時31分09秒 | 暮らしの記録

妻が入院してから10日が経過、
八十路過ぎてからの独り身暮らし、初体験である。
料理、掃除、洗濯、買い物等、家事全般について、
御多分に洩れず、超苦手な爺さんであるが、
見様見真似、なんとかかんとか、出来そうな気がしてきた。
掃除、洗濯は、問題無し、
大変なのは、朝、昼、夕、三食作りだが、
炊飯、味噌汁作りは、もちろん、
レシピを見ながら、カレーを作りもし、肉じゃ等も作ることが出来たし・・・・、


自家製保存のジャガイモ、タマネギ、ナス等を、出来るだけ利用して、
冷蔵庫に残っていた材料や、買ってきた材料を混じえて、
ガスコンロで、一人焼き肉をしたり、
フライパンで、冷凍餃子を焼いたりも出来た。
全てが、初体験、
上手、下手、美味い、不味いは、さて置き、
やる気になれば、なんとか出来るものだと、
実感し始めているところだ。
ただ、食料品の買い物は、今のところ、やっぱり苦手かな?
並んでいる同種同類の商品の、値段、量、品質等々の品定めが、
ベテランの主婦のように、なかなかさらっと出来そうにない。
もうしばらく、独り身暮らしが続きそうで、
果たして、ベテラン主夫?に、なれるのかどうか・・・。




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懐かしい映画と映画音楽・その70

2024年10月12日 17時08分56秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「ハロー・ドーリー」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その70
映画「ハロー・ドーリー!」・主題曲「ハロー・ドーリー!」(再)

世の中、三連休初日・・・、
全国的に好天に恵まれたようで、行楽地等への人出も多かったのではないかと思われる。
妻が入院している関係で、独り身暮らし、
今日も、なんやかんやで忙しかった。
三食作り、掃除、ゴミ出し、点検業者来訪、病院面会、買い物・・・、
妻の手術後の回復は順調良好のようで、予定より早く退院出来そうだが、
もうしばらくは、主夫?業専念になりそうだ。
自炊夕食の準備前の手持ち無沙汰な時間、
数年前に書き込んでいた「ハロー・ドーリー」にアクセスがあったことに気が付き、早速、「懐かしい映画と映画音楽」の一つに加えるべく、コピペ、リメイクすることにした。

今更になってネットで調べてみると、
「ハロー・ドーリー!(Hello Dolly !)」は、数多のミュージシャンに演奏されたり歌われており、ポピュラー・ミュージックとして、若い頃から良く聴いていた曲ではあるが、実は、1964年(昭和39年)のアメリカのミュージカル「ハロー・ドーリー!」からの生まれた曲で、同年に、ルイ・アームストロングのアルバム「Hello Dolly!」が、全米No.1を記録し、それまで独占していたビートルズの連続1位の記録をストップさせた曲だったようだ。
さらに、1969年(昭和44年)には、ジーン・ケリー 監督で、製作、公開された、アメリカのミュージカル映画「ハロー・ドーリー!(Hello Dolly !)」の主題曲になり、バーブラ・ストライザンド(Barbra Streisand)と、客演したルイ・アームストロング(Louis Armstrong)が歌っていたのだそうだ。
映画「ハロー・ドーリー」の方は、実際に観た記憶が全く無いが、サッチモ(Satchmo)という愛称で親しまれた20世紀を代表するジャズ・ミュージッシャン、ルイ・アームストロングが歌っていた「ハロー・ドーリー」の方は、若い頃、ギター伴奏で歌ったりし、脳裏に焼き付いたものだった。
高い音楽性の有るトランペッターでありながら、サービス精神旺盛、明朗な性格、しゃがれた歌声、カリスマ性を持ったルイ・アームストロング、
音楽全般に関しても、ジャズに関しても、まるで詳しく無い類ではあるが、若い頃から惚れ込んでいるミュージシャンの一人である。

(ネットから拝借画像)

映画「ハロー・ドーリー!」・サウンドトラック  (YouTubeから共有)

ルイ・アームストロングの「ハロー・ドーリー!」 (YouTubeから共有)

Dixieland Blues Band 演奏の「ハロー・ドーリー!」 (YouTubeから共有)


何時読むの?読む気有るの?積読本

2024年10月11日 20時14分42秒 | 読書記

数年前に、書棚や押入れや天袋に何十年も眠っていた、世界文学全集、百科事典、古い本類や辞書類等々を、かなり大胆に整理処分したことが有ったが、「もったいない」、「改めて読んでみたい」等という気が働いてしまい、処分し切れずにいる小説類も、まだ結構有る。
戦後、間もない頃、貧しい家で育ち、書籍等をおいそれと買ってもらえず、「本は大切な物」という観念が出来上がっている古い人間、思い切った断捨離を心掛けている一方で、いざ処分するとなると決断が鈍ってしまい、迷ってしまうのである。
自分で、書店等で買い求めた記憶がまるで無く、もしかしたら、本好きだった亡き義母から妻が譲り受けた本なのか、長男、次男が学生の頃に買い揃え、置いていった本なのかは、不明だが、夏目漱石の一連の著作品文庫本14冊も、それで、その内読んでみたい等として残してある。
ブログで検索してみると、4年前にも、その気になり、その中から、「三四郎」「それから」「門」は、読んでいたことが分かったが、その後は、また放ったらかし状態、
  何時読むの?読む気有るの?積読本
  その内いつか、って、何時なのよ
時々、自問自答している。
9月の中旬から約2週間、利用している図書館が、システムの更新、機器の入替等のため休館になり、その後もあれやこれや有って、図書館通いを、一時休止することにしていたが、その間に、手持ち無沙汰となり、やっとその気になり、その中の1冊、「道草」に手を伸ばしてみた。
つい数年前までは、読書の習慣等、まるで無かった爺さん、ブログをやるようになってからのこと、相互フォロワー登録している方から、薦められ、肩の凝らない、読みやすい、時代小説を中心に、ずっと読むようになっているが、夏目漱石の作品は、若い頃には、一度は読んでみたいと思っていたことは確かなことで、八十路過ぎてから、やっと手を伸ばす気になった、ということだ。


夏目漱石著 「道草」(角川文庫)を、やっと、やっと、読み終えた。
ネットで調べてみると、「道草」は、1915年(大正4年)6月3日から9月14日まで、朝日新聞に連載された長編小説だった。
「道草」は、「吾輩は猫である」を執筆中の生活を元にした漱石自身の自伝的作品とされているようだ。
例えば、主人公の「健三」は、漱石自身であり、金をせびりに来る「島田」は、漱石の実際の養父塩原昌之助なのだという。

▢目次
 (一)~(一〇二)
 解説 荒 正人

▢主な登場人物
 健三(主人公、東京駒込在住、36歳、教員)
 お住(健三の妻)
 島田平吉(健三の養父)
 お常(島田の妻、健三の養母、島田と離婚後、波多野(警部)と再婚したが波多野死去)
 長太郎(健三の兄、市ヶ谷薬王寺在住)
 お夏(健三の腹違いの姉、四ツ谷津ノ守坂在住、比田寅八の妻、51歳)  
 比田寅八(お夏の夫、)
 お藤(島田の後妻、前夫遠山は死去)
 お縫(遠山とお藤の娘)

▢あらすじ等
 ヨーロッパから帰国し東京駒込に居を構えて数年、健三は、大学教師として多忙な日々を
 送っているが、妻のお住は、そんな夫を世間渡りの下手な偏屈者と見ている。
 そんな折に、健三が幼少の頃の養父で、絶縁したはずの島田平助が現れ、執拗に金を無心する
 ようになる。
 さらに腹違いの姉お夏や妻の父までが現れ、金銭等を要求され、収入が少ない苦しい暮らしを
 している健三とお住を悩ませる。
 健三は、その都度、なんとか金銭を工面しては、区切りをつけるのだが・・・、

 健三の収入源を当てにして、容赦無く金づるに群がってくる周りの人達、
 当時(明治時代から大正時代)の庶民の世相は、そんなものだったのだろうか。
 健三の生い立ちや性格が、そうさせていたのだろうか。
 どろどろとした人間模様に圧倒されてしまう。

 3人目を出産した妻お住とは、心相入れることなく平行線のまま・・・・、
 健康不安、人間的苦悩を抱えながら、稼がないとならない健三。

 最後には、
 「世の中に片付くなんてものは、ほとんどありゃしない。一ぺん起こったことは
 いつまでも続くのさ。ただいろいろな形に変わるからひとにも自分にもわからなくなるだけの
 ことさ」と、健三は、苦々しく吐き出すのだった。


振り返り記事

「三四郎」  👉️ こちら

「それから」 👉️ こちら

「門」    👉️ こちら


 


  翻译: