オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

価値は創造するものである

2024年04月15日 | Weblog
その価値を創造するのは個人であり、私自身である。

 価値は無限に創造できる。簡単である。自分で価値を認めれば、どんなものでも価値あるものとなる。ただの石ころであっても自分なりの価値を認めれば、価値あるものに変化し、その石ころを自分なりに加工すればより高い価値のものに成長してゆく。石ころは世界中のどこにでも転がっており、タダ同然である。最初の材料は地球上に存在するもので、これを加工してより価値の高いものへと変えてきたのが人類のいや人間の歴史である。そしてその価値創造に貢献してきたのは有史以来の過去の膨大な人間の祖先である。

価値を創造するのは人間なのである。

 お金でも機械でも工場でも記録データでもない。これらのものは出来上がった時点で過去のものである。そこから創造されるのは既成のものでしかない。新たな価値のものを新たに創り出すのは人間しかいない。このことを勘違いしないようにしなければならない。人間は社会的動物であるが、社会から人間そのものをないがしろにしたら社会は成り立たない。しかし、現代社会は人間を疎外し続けている。人間の生み出す価値を正当に評価しようとしない。すでにある価値を刹那的に奪い合っている悲惨な状況である。

創造できる価値は無限である。

 価値が有限であると錯覚すれば、有限の価値を奪い合わなければならない。有限の価値とは自分の周囲にある他人の作り出したもしくは過去に作り上げられた価値であり、これを奪わない限り価値を手に入れることはできない。しかし、こうして手に入れた価値は自分の価値ではないし、他人が認めた価値であり、過去の人が認めた価値であり一過性の価値に過ぎない。本来は自分の価値は自分なりの感覚で考えて評価しなおさなければならない。他人の価値、過去の価値に振り回されている人には、自分なり
の価値を新たに創造することができない。

一人だけで作り出す価値は知れている。

 しかし、人間は集団の英知を集めて共同して新たな価値を創り出してきた過去の歴史があり、この歴史の積み重ねによって現在の豊かな社会が実現している。それでも、一番最初の価値を生み出すのは一人の個人なのである。その個人が価値を認め、情報を発信し、行動を開始し、他者を巻き込んで共同作業に展開し、その輪を広げて世界規模、地球規模に拡大してゆくのが大切であり、人間の歴史もそうやって発展してきたのである。このことを忘れてはならない。

問題は最初に価値を創造できる人間の存在である。

 そのような優れた能力を持った人材を育成しなければならないし、発掘していかなければならない。今現在、国内を見まわして世界を見まわして、そのような人物がいるかと思って検証してみると、どうも人材不足のような気がする。現代社会が人間を疎外してきた結果のようにも見える。一人一人の人間を大切にする社会が望まれるのだろう。今の地球上は倦怠感と嫌悪感と喪失感と焦燥感と失望感と諦観に満ち満ちている。どうかしなければならない。

人間の作り出した物や金は手段に過ぎない。

 この物や金を使って何をするかが本来の目的である。この手段である物や金が目的化したのでは、いつまで経っても目的は達成されない。何をするかを考えるのが人間であり、これにより価値が創造されるのである。創造の過程では共同作業が必要であり、組織も必要であり、組織になれば反対意見もある。これに対抗して信念に基づいて共同の価値を追求しなければならない。そして、その価値は創造できるし無限に存在する。有限の物、金、時間、空間、情報を奪い合っているだけでは何も発展せず問題は解決しないのである。
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