オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

金儲けは個性を潰す

2024年04月19日 | Weblog
金儲けをするためには大衆を相手にしなければならない。

 個性的なお客を相手にしていては販路を拡大できない。かといって世にありふれたものを売っても売れない。個性的と思われるものを持ち出して、大衆に宣伝して買わせようと努力している。しかし、大衆がそれを受け入れた時はそのものは既に個性的なもではない。大衆とは大多数の標準的なグループであり、大衆が受け入れたものは既に個性的なものではない。常に新しい個性的なものと思われるものを売り出して目先を変えて売り込むことになる。

個性はコロコロと変わるものではない。

 個人に目を向ければ、個性的な人はずっと変わらない。ずっと変わらないから個性的なのである。自分の個性を貫き通す人が個性的な人である。流行を追い求めている人は個性的とは言い難い。常にコロコロと変わっているのが個性と言えば個性だが、どれが自分の個性なのかまるで理解していないし、周囲も理解できない。個性の中心は自分ではなく、自分の外にあるようだ。これを個性とは言わないだろう。金儲けの餌食に成り下がっている。

この頃お店に行って買い物しようとすると、

 売れるものしか売っていない。反対に売れないものは即座に撤去される。売れるものとは大衆の欲するものであり、大衆とは大多数の標準的なグループである。そんな品物に個性を感じることはできない。ありきたりのその場しのぎの三流品である。個性ある品物を求めようとするとわざわざ専門店というところに出向かなければならない。昔であれば普通の店でも買うことのできていたものが、世を上げて金儲けに徹するためにほとんど姿を消してしまった。

コンビニエンスストアで専門的な品物を買おうとしても無理である。

 大量消費材の日用品しか売っていない。品揃えが薄っぺらなのである。この頃は町の本屋さんも同じである。売れる本しか置いていない。ちょっとした専門書を買おうとしても置いていないし大衆向けの本ばかりが並んでいる。ホームセンターも様変わりした。昔は業者さん向けの専門的な品物を揃えていたが、この頃は一般家庭向きの素人相手のDIY用品ばかりが目立つ。専門的な品物は片隅に追いやられ品数も種類も少なくなっている。

私は何でも専門的なものが大好きである

 専門的なものを見たり使ったり試したりするのが大好きである。使いもしないのに飾って見て触っているだけで満足しているヘンテコな自分がいる。専門的なものに込められた技や伝統や心に感心し感動している。こんな個性的なものが町中から消えてゆくのにがっかりしている。何とかならないものだろうか?かといって商売人がボランティア覚悟で赤字覚悟で物を売っても仕方ないだろう。でも、昔の商売人はお客のためにたまにしか売れないものでも店に置いていたものである。

私はこの頃、専門的なものは町中の店では買わないようにしている。

 反対に町中の店には置いてないのである。かえってリサイクルショップなどでたまたま超マニアックなものを見つけたりする。まるで宝探しであるが、これも楽しみの一つである。宝探しと言えば、ネットショッピングが便利である。パソコンで好きなだけ気に入ったものを探し回れる。注文すればすぐに玄関先に届く。こんな便利なものはない。探せば専門的なものも見つかる。個性的なものを見つけるのも自分である。高齢化社会でパソコンとコンピュータネットワークは重要な欠かせない道具である。
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