赤い糸の伝説

2023-09-13 10:29:49 | NSP
NSP 赤い糸の伝説


"人は生まれながら 赤い糸で結ばれている
そしていつかは その糸をたどって めぐり会う
しかし その糸は 細くて 弱い"

あなたと僕の 小指の糸が
ほどけない様に 結びましょ
明日の朝は 汽車に乗るあなた
別れに涙は つきもものと
いやなんだ いやなんだ
やさしいあなたを ひたすら待ち
年をとる悲しい僕に なりそうな気がして
誰にも見えない 赤い糸が
二人をつなぐという

キャラメルほおばり ほほふくらませ
あなたと並んで 歩きましょ
あなたの口びる ひとさし指で
そっとふれても いいですか
だめなんだ だめなんだ
じょうだんでも言えずに くだをまく
あなたが女じゃなかったら なぐってやるのに
遠く離れてしまえば 愛も
消えてしまうという

こわいんだ こわいんだ
あなたの写真を みながら
あなたが思い出になってゆそんな気がして
つながっているだろうかく 




「赤い糸の伝説」のことを知ったのは、いつの頃だったでしょうか。

ちかごろ、ふと、そんなことを考えます。

きっと、あの時、あの頃のことに、違いないのです。

でも、はて、さて、やはり、いつのことだったのかなって思います。

そして、いまもって、はっきりとは、思い出せないのです。

いいえ、もちろん、N.S.Pの「赤い糸の伝説」のことではありません。

この唄のことならば、当然、知ったのは、公開されて発表されたときのことですから、まだ、そのときの記憶はしっかり保持しています。

もっともこの記憶も、写真が黄ばむように色褪せてゆくかしら。(笑)

でも、このフレーズのある曲もまだ、色褪せず、記憶にあります。

まだまだ、八十八の米寿には遠いですから。(笑)

しかし、N.S.Pの「赤い糸の伝説」が出たときには、すで「赤い糸の伝説」というものがあることを知っていたことは、間違いありません。

人は生まれながら、赤い糸で結ばれている。

…せやな、なるほど、そんな話しは聞いたことがあるな。

そしていつかは、その糸をだどって、めぐり会う。

…う~ん、そうなんやろかなぁ。

…いまはぜんぜん赤い糸は見えへんしなぁ。

…引っ張られているような感じもあらへんねんけどなぁ。

…でも、そうやったとしたら、ちょっと、どきどき、するかなぁ。

しかし、その糸は細くて弱い、

…って、え~、そんなぁ。

…なんか、赤い糸って、今にも切れそうな糸なんやなぁ。

…ちょっと~、ちょっと、天野さん~、

…それはちょっと殺生なはなしやないか。

…切れてもうたら、どないすんのんや。

…人と人とを結ぶ、運命の赤い糸の話やで。

…誰かが歌っとったみたいな、ゆらゆらと耐えかねて、たわむ白糸のような、蜘蛛の糸の話しとは違うんやろ。

…それに、天野さん、そんな切れそうな細くて弱い糸やったら、「赤い糸の伝説」と矛盾するんちゃうんかいな。

そんなこんな話を、ひとりで突っ込んでいた記憶もあります。(笑)

だから、マスターが、「赤い糸の伝説」を知ったのは、かなりむかしの、つまり少年期から思春期にかけてのことだとは思うのですが、はて、さて、やはり、

何で知ったのでしょうか。

いま、ふと、思ったのですが、マスターは子どもの頃、自分に買ってもらった本や漫画雑誌はすぐに読み飽きてしまって、女のともだちが買っていた本などを

よく借り読みしていました。

女ともだちは、少女マンガ雑誌の「少女フレンド」や「マーガレット」、あるいは、少女向けジュニア小説誌「小説ジュニア」などをよく読んでいましたから、

ひょっとしたら、その漫画や小説の中に、「赤い糸の伝説」のことが載っていたのかもしれません。

恋に恋するような、ロマンティックさよりもまだ、幼なくて、むしろメルヘンティックな話に魅かれるような、そんな頃のことでしょうか。

あなたと僕の 小指の糸が
ほどけない様に 結びましょ
明日の朝は 汽車に乗るあなた
別れに涙は つきものと


ところで、小指というと、どの指のことだと思いますか。

いやいや、中年になって、指まで太ってきて、小指が、親指や人差し指と区別がつきにくくなったからというのでありません。(笑)

ともかく、小指というと、手の小指を思う人が多いでしょうね。

小指を立てて、彼女や恋人のことを示す場合もありますから。

そういえば、小指をたてて、「私はコレで、会社を辞めました」って、禁煙用品のコマーシャルもありましたよね。

けど、ほんま、みなさん古い話やったら、よう覚えてはりますな。(笑)

いやなんだ いやなんだ
やさしいあなたを ひたすら待ち
年をとる悲しい僕に なりそうな気がして
誰にも見えない 赤い糸が
二人をつなぐという


話を元に戻すと、つまりは、足にも小指があるということ。

そして、どうやら、赤い糸は足の小指に結ばれているらしいのです。

えっ、どうりで赤い糸が見えなかったはずです、ってか。

バレイやってたから、足の小指の赤い糸切れてしもうたんかしら。

サッカーしてたから、赤い糸がこんがらがって切れたんかなって。

まあ、主張はご自由にしてください。

誰にも見えない糸だから、たぶん、誰も見てませんから。(笑)

まあ、ついでに、こんな話もあります。

あるひとが、ようやく見つけた赤い糸をたどりよせて見ると、なんとその先には、紙切れが結ばれてて、あったんやって。

ほんで、ははぁ、ひょっとして、これは相手のことを書いた釣書みたいなものかななんかかいなと開いてみると、

そこには、なんと「ハズレ」と書かれてあったとか、なかったとかいう。(笑)

こうなると、都市伝説みたいになるかも。(笑)

キャラメルほおばり ほほふくらませ
あなたと並んで 歩きましょ
あなたの口びる ひとさし指で
そっとふれても いいですか


そういえば、キャラメルといえば、遠足のときのおやつの定番でもありましたが、みなさんは、なにキャラメルを思い出しますか。

マスターは、やはり森永製菓の「森永ミルクキャラメル」かな。

1899年(明治32年)からあるという黄色いパッケージで、「滋養豊富」 「風味絶佳」という読めない頃から見ていた文字が懐かしい。(笑)

明治製菓の「明治サイコロキャラメル」というものもありました。

こちらは、明治ながら明治ではなく、昭和2年の1927年発売。

明治といえば、やはり、チョコレートが先ですからね。

そして、キャラメルといえば、やはり「グリコ」ですね。

江崎グリコの本社が大阪ということもあり、大阪の道頓堀の戎橋のそばの大阪名物のグリコのネオン塔は1935年(昭和10年)からあったということなので、

さらに、なじみ深いです。

グリコキャラメルのおまけ付きの発売が1927年(昭和2年)ということですが、「アーモンドグリコ」も1955年(昭和30年)ですから、

さらに、グリコと歩いた青春もあるのかもしれません(笑)

ついでですが、むかし、散髪屋さんに子どもが行くと、終わったらキャラメルがもらえました。

キャラメルほしさに散髪しに行きました。(笑)

でも、口びるにひとさし指でそっとふれるというような、キャラメルよりも甘い想い出は、残念ながらなかったなぁ。(苦笑もしくは微笑)

なお、ほほばり、ほほふくらませるというならば、ペコちゃんのキャラクターで有名な不二家の「ミルキー」も取り上げるべきといういうご意見もあるかと

思うのですが、残念ながら、不二家のミルキーは、キャラメルではなく、ソフトキャンデーだから外したということでご了解願います。

つまりは歯にひっつくから外したわけではなく、さだまさしさんがCM曲を担当した事もある、「不二家ソフトエクレア」も好きです。(笑)

マスターに「菓子」を語らせたら「歌詞」以上にうるさい。(笑)

だめなんだ だめなんだ
じょうだんも言えずに くだをまく
あなたが女じゃなかったら なぐってやるのに
遠く離れてしまえば 愛も
消えてしまうという


いまのご時勢だと、なぐるなんて、DV(ドメスティック・バイオレンス)とかいわれて、かなり問題のある歌詞になるのかもしれません。

しかし、まあ、いわゆる反実仮想ということですね。

天野さんは女じゃなくても、なぐるなんてできないでしょうし。

しかし、汽車に乗って、遠く離れてしまえば、愛は消えてしまうというフレーズは、思わず、チューリップの「心の旅」を想起しますが、いずれにしろ、

細くて弱い、赤い糸の儚さの宿命なんでしょうね。

そして、だからこそ、この伝説は、いまでもラブソングになるですね。


赤い糸なんて信じてなかった
運命はつかむものだと思った
                「Trust」-浜崎あゆみ 

約束しようよ
そして2人
心に赤い糸をしっかり結んで
                 「赤い糸」-コブクロ

こわいんだ こわいんだ
あなたの写真を みながら
あなたが思い出になってゆく 
そんな気がして
手紙書くだけで 心の糸が
つながっているだろか


いずれにしろ、「赤い糸の伝説」というのは、二人をつなぐ糸のことだけでなく、人と人をつなぐ糸と言えるのかもしれません。

そして、その糸は、やはり織りなして、布となるのかもしれません。


なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない
                「糸」-中島みゆき 

えっ、「赤い糸」が織りなす布なら、「赤い布」になるよっ、ですか。

なるほど、そりゃ、そうなりますね。

そっか、そういえば、だからこそ、人生を織りなした60歳の還暦の祝いに、「赤ちゃんに還る」あるいは「赤は魔よけの色」として、

「赤い布」の赤いちゃんちゃんこなどが贈られる風習があるのでしょうか。

なんかかなり強引にこじつけてみました。(笑)

強引ついで、わざとらしい展開で終えましょうね。(笑)

あっ、そういえば、いま想い出しました。

たったいま、想い出しました。

「赤い糸の伝説」に初めて出逢ったころのことを。

そう、あの人の小説のなかです。

そう、きっと、あの時、あの頃のことに、違いないのです。

「それはいつか学校の国語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い糸がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである。ふたりがどんなに離れてゐてもその糸は切れない、どんなに近づいても、たとひ往来で逢つても、その糸はこんぐらかることがない、さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまつてゐるのである。」
                             「津軽」-太宰治



この「赤い糸の伝説」は、1976年(昭和51年)5月にリリースされたN.S.Pとしては七枚目のアルバム「シャツのほころび涙のかけら」に

収録されています。




















































































































































































































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