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  • アナニアの奇跡の手

    本日の礼拝説教に、アナニアといふイエスの弟子が登場した。 ときはすでに、イエス様が十字架で亡くなつたあとのこと。その弟子たちへの迫害はなほ続いてゐた。その先鋒のひとりがサウロ(のちの使徒パウロ)であつたのです。 ところがそのサウロは弟子たちを捕縛するためダマスコに向かふ途中、突然天からの光がさして、地に倒れ、失明した。お付きの者が手を引いてダマスコまで到着したとき、同地に住むアナニアに主イエスが幻...

  • 私に名前を尋ねてはならない

    ■ 私を限定してはいけない 旧約聖書に「モーセの十戒」といふものが出てきます。ユダヤ教とキリスト教、キリスト教の宗派、写本などによつて、微妙なズレはあるものゝ、ほぼ一致してゐると言つていゝでせう。 十戒の中でも、特に最初の三つ、これがとても重要に思へます。「神とは何者か」といふことがかなり哲学的に表現され、画期的と言つてもいゝほどです。 その三つとは、 ① 私の他に何ものをも神としてはならない。 ② ...

  • すでにさうであるもの

    「真の自由」が欲しいですか? 「苦しみ」にピリオドを打ちたいですか? それなら、あらゆる瞬間に、自分が感じているもの、あるいは経験しているものすべてを、あたかも事前に選択したかのように生きることです。 (『Stillness Speaks』エックハルト・トール) 自分が今感じてゐる、あるいは経験してゐる何らかの「苦しみ」があるとすれば、それは「すでにさうであるもの」なのです。これを一般的...

  • 霊的に生きた人とは

    ■ 人には二種類の生死がある 『原理講論』の「復活論」を読むと、人の生と死には2種類あると言つてゐます。肉体的な生死と霊的な生死です。 肉体的な生死を判別するのは、さほど難しくない。一方、霊的な生死はどうだらう。これは見た目では判別し難いので、別の見方が必要です。 『講論』によれば、聖書が記録する「人間の堕落」とは、霊的に死んだことだと言ふ。そして、神の愛の懐を離れたことが霊的な死だと言ふのです。 ...

  • 「あるがまゝ」は堕落性から遠ざかる

    ■ 当然のこととして甘受する 『原理講論』の「復活論」に出てくる「悪霊人の再臨復活現象」。こゝに「甘受」といふ重要な概念も出てきます。 『講論』の説明は理路整然としてゐて、その意味では説得力もある。その説明は、見える側面と見えない側面の整合性をうまく取つてゐます。 見える側面としては、地上人の生活に理由不明の苦痛がしばしば起こる。本人の思考だけではその理由がよく分からないが、実はその理由は目に見え...

  • 「呼名祈祷」と「他我思想」

    今までは「他為」思想について語りましたが、これからは「他為」ではありません。他我主義(他人と私は一つであると考える主義)思想を語らなければなりません。「他」とは何かといえば、「我」だというのです。相対が「私」だというのです。 一つの体なので、一つにならなければならないのです。「他為」的思想の時代ではなく、「他我」的思想時代です。「私」が相対を創造し、「私」と一体化させ、より大きな「私」にできる道を行...

  • 日航機事故で奇跡を起こしたものは何か

    ■ 日航機の奇跡新年が明けるや否や、元旦には能登半島で大地震が起こり、翌二日には羽田空港で飛行機事故が起こつた。こんな大きな天災と大事故が二日続けて起こるかといふ、波乱の幕開けのやうにも思へます。 天災と事故とでは意味合ひが違ふものゝ、この二つの出来事の中に、私は日本人の持つ魂の特別な姿を見るやうな気がして、深く考へさせられる。 大地震のほうは如何ともし難い天災で、被災された方々、亡くなられた方々...

  • 内的変化は角度の転換

    人間の成長といふことを考へると、肉体的には20歳前後をピークとした山なりの線グラフを描くやうなイメージでせう。どう頑張つても、生涯成長し続けることはできない相談です。 一方、心あるいは精神的、霊的な成長はどうでせうか。肉体とは違つて、歳とともに衰えるとは限らない。むしろ、円熟といふやうなかたちでの成長は、いくつになつても期待できさうに思へます。 ところが、私自身の人生を顧みると、内面的な成長は低いと...

  • 二世が「流れる」とはどういふことか

    ここ数年、久しく触れてこなかつた話題ですが、こゝで書き記しておきたいと思ひます。 昨日の礼拝で流された動画の一部に、私は相当大きな衝撃を受け、そのあと、夜布団の中に入りながらも、づつとそのことを思ひ続けた。 動画とは、韓鶴子(ハン・ハクジャ)総裁の会見動画です。 そのかたは、話しながら涙を抑へられず、何度も言葉に詰まり、ハンカチで目頭を拭かれた。表情は心の中の苦痛を如実に現して、人目を憚らずに歪む...

  • 「アナスタシア」シベリアの森の智慧

    20世紀の後半ごろから、 「情報化時代」 と言はれるやうになつた。 ラジオ、テレビが普及し、90年代からはインターネットが普及し始めた。携帯電話が生まれ、2000年代に入るとスマホが必需品となつた。 1日24時間、休む間もなく、世界中の厖大な量の情報がそれらのメディアを通じて流れ続ける。個人がアクセスして消化できる情報は、その中の極々一部に過ぎないでせう。 「情報の量は、昔に比べると桁違ひに増えてゐる」 さう...

  • イエスと左の強盗

    単純作業に没頭してゐると、ひとつの場面が脳裏に浮かんだ。先日も記事に書いたことのある場面。イエス様がその生涯の最期、十字架にかゝる場面です。 両脇に強盗がひとりづつ、十字架にかけられてゐる。 左の強盗は悪態をついて、 「お前がほんとうに救ひ主なら、自分を救ひ、我々も救つてみよ」 とあざける。 それに対して、右の強盗は彼をたしなめ、 「お前は神を恐れないのか。俺たちの罪は明らかだが、このかたは何一つ罪...

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まるくまーる(元教育部長の講義日記)
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