本日夕方、佐賀の空にはバルーンが沢山上がっていました!!こっちへ飛んで来るのを期待して散歩に出ましたが、残念ながらこちらへは来ませんでした・・・中地江川方面へ歩いてみました。農地の中に水路が網の目のように張り巡らされています。よく見ると水門が沢山あり、
幕末明治維新の肥前、万国博覧会、文化等々のこぼれ話。歴史探訪。
いろいろ調べているうちに早稲田大学のホームページに、大隈重信の娘、熊子についてのページがありました。そこには、熊子は重信の長女で母は美登とはっきりとかかれていました。当時、佐賀の大隈記念館では、熊子についての紹介もなかったと思います・・・また、「佐賀県歴
2005年6月5日、迎昭典先生の案内で大隈重信の妻、ミトさんのお墓に行き着くことができました!車で祐徳神社の向かいの山道を登り、ミカン畑の中を右に左に折れながら行き着いた、みかん山の上にミトさんのお墓はありました。ミトさんは、大隈重信と離婚後、鹿島の犬塚綱領さ
永原マツヨさんについて聞き取り調査をしていた1996年、豊増幸子さんを訪ねた事がありました。永原マツヨさんについても書かれている『新・肥前おんな風土記』の著者でした。永原マツヨさんについていろいろお話を聞かせていただいたのですが帰り際に、「ところで、あなたは
佐次田さんが佐賀に関わる沖縄の情報を頂いたり、大塚敏先生から明治、大正期の沖縄のことを聞くうちに、自分なりに沖縄と佐賀のかかわりを調べるようになり、時どき友人たちに話していたら、財団法人鍋島報效会で佐賀に関する研究に対し公募をしているので、応募してみたら
新緑が日に日に力強くなってきています。母が末期がんに侵されていることがわかり、急遽Uターンすることを決意し、佐賀に帰って来たのは1994年4月末でした。あれからちょうど30年になります。色々な人と出会い、色々な事がありました。一見脈絡もないようなことが、いつの
明治39年(1906年)に沖縄首里で生まれた大塚敏先生は、琉球王国最後の王である尚泰王の孫、尚謙とは沖縄師範学校附属小学校の同級生で大の仲良しで、首里城にも度々遊びに行かれていたそうです。沖縄戦で地形が変わるほどまでに破壊されてしまう以前の首里を知る最後の生き
本日の佐賀は、久々に青空がきれいでした!庭が日に日に草に陣取られて来たので、草刈りに励みました。木も大きくなっているので、少し切らなければ・・・さて、一昨日「ひととき」5月号が送られてきました。この雑誌は、東海道と山陽新幹線のグリーン車に備えられているそう
永原マツヨが世に送り出した、佐喜眞興英著の『女人政治考』(1926年出版)を何としても手に入れたいと思った私は、佐賀の古書店を訪ねて回りました。1997年のことで、今のようにネットで本を探し、購入できる時代ではありませんでした。「洋学堂書店」を訪ねると、目的の本
永原マツヨと佐喜眞興英のことは、この研究成果は、アバンセへの報告書の他、「針葉の意志」という小冊子とビデオテープにまとめました。当時はVHSのビデオテープでしたが、何とかDVDに焼き直しましたので、ご興味のある方はご連絡いただけるとお分けすることはできます。た
思い出し思い出し、永原マツヨと佐喜眞興英について調べた頃のことを書いてみます。永原マツヨ(1898年~1983年)と佐喜眞興英(1893年~1925年)のことを調べてみると、私にとって興味深いことが沢山出てきました。「青鞜社」とも交流のあった佐喜眞興英の著書『女人政治
そもそも、何故佐喜眞興英を知ったか・・・です。1995年9月に中国の北京で、女性の地位向上を目的として国連主催の第4回世界女性会議が開かれました。会議には189の国家代表に加え、国連機関やEU、アラブ連盟からも参加者が集まり、正式参加者だけでおよそ17,000名。この会議
永原マツヨと佐喜眞興英についての私たちの調査研究は、ある程度の成果が出たので、これを色々な人たちに知らせたいと思いました。1997年当時、我が家のパソコンはインターネットにつないでいたので、この成果をできるだけ多くの人に伝えたいと思い、通信料の安い夜中に、色
ヨーロッパ旅行を思い出しながらの報告はひとまず終わりにします。まだまだ、見たこと、感じたことが沢山あるので、気が付いた時にご報告したいと思います。さて、先日、沖縄の佐喜眞美術館より、DVD『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14巻』を頂戴しました。佐喜眞美
ヨーロッパ旅行の記録です。ヨーロッパ旅行 おまけの14日目2月8日の19:05にプラハ空港を発ち、2時間40分のフライトでイスタンブール空港に到着。時差があるので現地時間では23:45です。私たちが搭乗する成田行きは2月9日15:20発ですので、乗り継ぎ時間は15時間35分もあり
ヨーロッパ旅行13日目。現地時間は2月8日です。とうとう今回のヨーロッパ旅行最後の日となってしまいました・・・朝、外を見るとうっすらと雪化粧をしていました。今回の旅行で、初めて雪を見ました!プラハ空港発は夕方なので、この日も、ゆっくりと観光を楽しみました。
ヨーロッパ旅行の記録です。ヨーロッパ旅行12日目、現地時間は、2月7日です。プラハ滞在4日目。まずは地下鉄で市街地へ。美術工芸博物館に行ってきました。入場料はシニア料金で一人180チェココルナ(≒1100円)。有名なチェコのボヘミアガラスを沢山見せていただ
本日は良く晴れ、ちょっと暑くはあったけれど、清々しい一日でした。今日は、地域の氏神様の春祭りでした。地域の代表が神社に集まり、いつもは締まっている神殿を開け、米、塩、酒をお供えし隣の地区にある神社の神主さんに来ていただいて、五穀豊穣、地域の人々の安全等
ヨーロッパ旅行11日目、プラハ時間は、2月6日です。プラハ滞在3日目です。地下鉄でまずは新市街地へ出て、ヴァーツラフ広場へ。広場というよりも、大通りです。ヴァーツラフ広場は、チェコの歴史の変わり目には必ず出てくる場所で、第一次大戦後の1918年には、オーストリ
本日はお天気が回復し、日中は暑いくらいでした。地区の小学校の入学式に参列しました。名簿をいただきましたが、私が読める名前はごくわずかでした。子どもたちの名前は、性別で分けずに50音順に並べてありました。うちの子どもたちが小学生の頃は、「男女混合名簿」
本日の佐賀はすっきりとしないお天気でした・・・今年の春はお天気が続きません・・・今朝は地域の資源ごみの回収日。地区役員の夫は早くから出かけていきました。ごみの区分は煩雑ではあるけれど、少しは慣れてきたようで、夫は我が家のゴミ大臣となりつつあります。私も途中
本日は、福岡市立美術館で開催されている、「独立展」へ友人の運転する車で行ってきました。西洋に早くから目を向けていた佐賀は、明治時代には西洋画家もたくさん輩出しています。本日鑑賞した「独立展」にも、佐賀出身の画家の絵が沢山ありました。この展覧会には、高
本日はちょっと肌寒く、風も強い佐賀でした。今年から地区の区長となった夫、溢れる書類に戸惑い、大変そうです。今のところ座敷に書類を広げて頑張っているのですが、専用のスペースを準備することにしました。脱炭素化を徹底し、家の中にある使わなくなった机やプラス
次の日曜日は、我が地区の春祭りで、今年から地区の役員となった夫は神主さんと連絡。何事も初めてで戸惑う事ばかりです。うちの地区の氏神様は神主さんは不在なので、近くの神社の神主さんに来てもらっているのですが、うちの地区はその神社の氏子ではなく、なかなか複雑
ヨーロッパ旅行 10日目は、プラハ時間で、2月5日です。プラハの町は、どこもかしこも凄すぎて、言葉になりません・・・まずは、ホテルの横のユダヤ人墓地に行き、20世紀の文学を代表する作家であるカフカのお墓にお参りしてからプラハの街歩きを始めました。カフカ自身は第
4月から始まったNHKの朝ドラ『虎に翼』を毎朝楽しみにみています。女性で初めて弁護士になった三淵嘉子さんをモデルにしている物語です。近年は、女性をテーマの一つとして、幕末明治のことを調べているので、とても興味深く見ています。リスクを恐れずチャレンジする「フ
ヨーロッパ旅行9日目 現地時間は2月4日です。7泊したウィーンとお別れし、プラハへ向かいました。早めに駅に着き、待合所の椅子に掛け、例の如く夫が隣の男性に話しかけました。「日本から来ました。これは、私が作った焼物です」と、自分の陶芸作品の写真を見せていまし
昨日の雨で、桜が随分と散ってしまったような気がします・・・草は随分と伸びました・・・庭の木々も随分と大きくなってしまい、今年は庭師さんに小さくまとめてもらうように頼んだ次第です。山茶花、椿、ツツジ、金木犀、松、槙、・・・大変です。家の周りには柿の木が何本もあ
ヨーロッパ旅行の8日目 現地時間は2月3日です。この日は、ウィーンから汽車で30分程のザンクト・ペルテンをホームタウンとするサッカークラブ、SKNザンクト・ペルテンのNK-Arenaへ行ってきました。ここには、サガン鳥栖U18から移籍した二田理央選手(20歳)がいて、会い
ヨーロッパ旅行のの7日目 現地時間は2月2日です。この日は、ハンガリーの首都、ブタペストへ遠出です。ブタペストへはオーストリア国鉄のレイルジェットで2時間40分。朝が早いので、6時半からのホテルの朝食では間に合わず、お弁当を作ってもらうことにしました。クー
今日から4月。気温も一挙に上がり、冬物の服では暑くてたまりません・・・桜の開花も、急に進んだような気がします。新年度となり、地区の役員の仕事が始まりました。先日は「上(かみ)」、「下(しも)」の意味が分からなかった夫は、今日は「大字(おおあざ)」の意味が
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本日夕方、佐賀の空にはバルーンが沢山上がっていました!!こっちへ飛んで来るのを期待して散歩に出ましたが、残念ながらこちらへは来ませんでした・・・中地江川方面へ歩いてみました。農地の中に水路が網の目のように張り巡らされています。よく見ると水門が沢山あり、
この季節、収穫が済んだ水田では、夜遅くまで稲わらを丸める作業が続いています。いつもの年だと、寒いと感じる頃の作業なのですが、今年はまだ寒いという程ではありません・・・丸めた稲わらは、ビニールで梱包し、佐賀牛の餌になるようです。私が小さい頃は、稲わらは、
筋力アップを目指し、近場をウォーキングしました。海抜3,4メートルの平地が延々と続き、そのほとんどは水田です。平地には水路が張り巡らされています。利水と治水のための水門があちこちにあり、水を管理されています。とっても便利の良い所なので、家が沢山出来て
最近、膝の調子がいまいちです。一時期、熱心にウォーキングに励んでいたのですが、ここ1年ばかりはサボっていました。そのツケが回ってきたのが、膝が痛くなってきました。今日は意を決して、整形外科へ行ったきました。結果、筋力が随分と落ちてきていましたが、リハ
本日は衆議院議員の投票日。今回の選挙は、いつになく静かな選挙だと思いました・・・選挙カーを見ることもなく、電話もかかってこなかったし、近所の人との会話の中で話題にも上りませんでした国政選挙で、選挙区も広いし・・・むしろ、アメリカの大統領選挙への関心の方が
本日は佐賀近代史研究会の定例会でした。今日は大正10年10月の佐賀について、近代史年表に取り上げる事項を佐賀新聞記事から拾い上げ、表現等々の検討です。松旭斎天勝という奇術界の第一人者が佐賀の演芸場へ興行に来るのですが、一行は60人で荷物は30㌧とのことでした
今日は最高気温も25℃と、とっても過ごしやすい一日でした。明日からはお天気は下り坂とのことですから、これから秋が深まるのでしょうか?今日はお逮夜でお坊さんが来てくれたのですが、仏間の座布団は夏用のゴザの座布団のまま・・・そろそろ冬用の座布団に変えなければと
本日は、ハワイからルーツを探して佐賀に来られた名尾一族の末裔の方々と一緒に、名尾の山に登ってきました。軽い気持ちで、ご一緒させていただく事にしたのですが、それはそれは大変でした・・・戦国時代には、山城があったのでしょう。何とか無事に下りてくることができ
今年、地区役員を務める夫は水利組合の会合を招集しなくてはならないそうです。どういうことなのか全くわからないので、市役所に問い合わせたところ、わからないので、前任者に聞いてくれとのことでした。で、私も一緒に水利組合について勉強することとなりました。前任
本日は大正10年の佐賀新聞を読んでいます。少し慣れて、潰れた活字でも何となく読めるようになりました。外に出たら、偶々友人と出会い、色々と話が弾みました。彼女は30年近く前にロサンゼルスにしばらく住んでいた人で、「ロサンゼルスはどうだった?」と聞かれ盛り上
本日は南里邸に江副さんたちが集まりました。江戸時代に於ては、武家は長男が家を継ぎ、次男、三男は、跡を継ぐ男子のいない家に養子や婿養子として縁づくのが普通で、分家などで家が増えるという事は殆どありません。だから、家がどんどん増えることはありません。今日
このところの毎日の気温の変化は半端じゃないです。本日はちょっと肌寒い感じがします。昨日は扇風機が必要な位暑かったのに、日々の寒暖差に体がついて行くのが大変です。今日はハワイからルーツを追って佐賀に来られた方々とお会いしました。明日も、ルーツを追って
本日は雨になった佐賀でした。気温も高めで、扇風機のお世話になりました・・・10月も下旬となろうとしているのに秋の感じがしません・・・異常気象という言葉も最近は聞かないような気がします。今年は紅葉を見に行きたいと思っているのだけれど、行けるのだろうか・・・心
今朝は西の空に満月を見ることができました!!満月には何か神々しい力を感じてしまいます。前回の満月は9月18日でした。その前の満月は8月20日でした。この時は、ロサンゼルスで満月を見ました!!ディズニーランドから帰り、斎藤さんが運転してくださったアウディーの電
本日は、1921年(大正10年)の佐賀新聞と半日格闘しました・・・読みにくい紙面を、目がチカチカするまで頑張りました。面白いと思った記事を紹介します。本県の対中国、対南洋貿易で生産者による直接貿易は、真崎製麺機工場で、上海方面へは㈱上海真崎洋行、漢口方面へは
本日の佐賀は、日中は30℃を超え暑くて・・・今日は佐賀市松梅の名尾地区へ行ってきました。山間で満開のコスモス畑を見ることができました!!休耕田を利用したコスモス畑です。8月の下旬に種まきをされたそうで、満開迄50日くらい。今年は特に暑かったから、芽が出るかど
10月半ばというのに、今日は汗ばむほど暑いです。夜になっても24℃もあります・・・我が家の周りの田んぼ、稲がよく実のっています。最近では、草が混入している田んぼを多く見かけますが、この田んぼはとても手入れが行き届いています。今どきは、夏の暑い日に田んぼで「
12月6日から佐賀県立美術館で特別展「桃山三都」展が開催されるそうです。桃山三都?桃山時代に栄えた三つの都市のことで、それは、京都、大阪そして肥前名護屋だそうです。肥前名護屋は豊臣秀吉の朝鮮出兵のおり、ここに城を建てたのが名護屋城で、全国の大名がここに結
本日も良いお天気の佐賀でした。今日は久々に庭仕事。草が伸び放題で大変です。草の中に、シソが実をつけていました。これは、醤油漬けを作りたい・・・やり始めたら、茎から実を外すのは結構大変で、手はアクで真っ黒・・・ゴミなどを取り除くのも大変・・・幼い頃に曾祖母
本日の佐賀はとても良いお天気で、お昼から無計画にどこかへ出かけることにしました。海が良いか山が良いか、美味しいものを目当てに行くか悩みながら家を出ましたが、結局、日峯さんの秋祭りが気になり行ってきました。小さい頃、連れて行ってもらっていた頃は大変な賑わ
本日は南里邸歴史倶楽部のミーティングでした。今まで調べてきたことを電子ブックとして発行したいと思い、動き出しました。まだまだ乗り越えねばならないことは沢山あるのですが、一歩踏み出しました。どうなることやら心配もありますが、新しいことに挑戦することは、
今日から11月です。今朝は、雲一つない青空で、遠くに熱気球が沢山上がっているのが見えました!!「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」が今日から始まったのです。今日は、佐賀市の西部を流れる嘉瀬川の河川敷から、東方向に飛び、収穫の済んだ平野に降りてきていた
本日もまた佐賀は良いお天気に恵まれました。本日で10月も終わりです・・・月捲りのカレンダーがあと2枚になってしまい、何だか焦ってしまいます・・・新しいことに挑戦することにし、明日はzoomでミーティングです。前回は、少々手間取ったので、明日は遅刻しないでミーテ
今日も良いお天気の佐賀でした。家にいるのがもったいないようなお天気でしたので、太良までドライブしてきました。有明海ではノリの養殖が始まっていました。海苔漁は去年は記録的な不漁だったようです。今年はうまくいくと良いのですが・・・写真を沢山撮って来たのに、
本日もお天気の良い佐賀でした。夜はお月様がとても綺麗です。今夜は満月かな?お天気が続き、今日は我が家の周りでは稲刈りが進んでいました。大きな機械で作業をされるので、あっという間に刈取が進んでいきます。残った藁は、これまた大きな機械でまとめられ、牛の
本日は佐賀近代史研究会の定例会でした。今日は大正8年7月の出来事について話し合いました。この頃、物価は急騰し、賃金が追いつきません。で、吏員や学校職員など俸給を4月に遡及して5割のアップという記事がありました。財源は?県庁でも70人に昇給と異動の辞令が出
今朝の佐賀は不安定なお天気。佐賀市内では、突然雹が降り、大きいものでは直径が3センチもあったそうです!我が家の方は雹は降らなかったものの、空が暗くなり大粒の雨が降ってきました。今日は一日パソコンの画面に向かい、佐賀の近代史年表に取り組んでいます。佐賀
今日もお天気の良い佐賀でした。叔母の要望で、佐賀市松梅地区のカカシ見物に行ってきました。毎年、収穫の終わった頃に、松梅地区には楽しいカカシが沢山お目見えします叔母は、道路沿いのあちこちに設置された、人間と見まごうばかりのカカシに見とれていました・・・。
本日は、zoom会議。段々慣れてきて、会議開催5分前くらいにパソコンの前に座り、ポチッとzoomを開こうとしたけれど、開かない・・・慌てて、あれこれやってみるけれど、会議室まで行きつけない・・・snsで先方に電話をするけれど繋がらない・・・ものすごく焦って、今日は諦める
本日は、佐賀大学で、落合功先生の講義「大久保利通と佐賀」を聞いてきました。佐賀では江藤新平がとても人気があり、大久保利通は江藤新平の政敵で、江藤新平を処刑した人物として、とても嫌う人が多いです・・・。明治新政府の基礎を築いた大久保利通がどのような人なのか
本日は南里邸歴史倶楽部の会議でした。議題は、佐賀城下ひなまつりの取組について。何もしないならそれで済むのに、しないことが出来ない南里邸歴史倶楽部です。『激動の時代を生きた 佐賀縁の女たち』をバージョンアップさせて、皆様に楽しんでいただこうと思います。
今日も良いお天気の佐賀でした。お天気は良いのだけれど、寒くなってきました・・・今朝の佐賀の空には熱気球が上がっていました。11月1日から5日まで開催される、2023佐賀インターナショナルバルーンフェスタの練習機でしょうか?バルーンフェスタは秋の佐賀平野の風物詩
佐賀は、このところ、寒いと感じるようになりました。夏は長かったのですが、急に秋が深まっているようです。しかし、紅葉はまだまだです。今日は佐賀市の大和方面へ行ってきました。耕作放棄地防止のためのコスモス畑がとても綺麗でした。こちらのコスモスは種を遅く蒔
本日は、佐賀近代史研究会の年表づくりで私の担当分をチェックしていただいたところを確認しながら訂正作業に取り掛かりました。丁寧に見ていただいていました。先月いただいていたのに、今頃見ています・・・。大変申し訳ありません・・・。知らない事柄が大変多く、まとめ方
本日もお天気の良い佐賀でした。今日は1年ぶりに会う友人とランチで、山程の積もる話に花が咲きました。健康のための運動を欠かさない彼女はとても元気で、膝も腰もトラブルなしとのこと。とてもらやましい!!まだまだやりたいことが沢山あるから、老け込むわけにはい
本日の佐賀はとても良いお天気でした!!92才になる叔母の希望で大和、背振、仁比山方面の山間をドライブ。叔母は、車窓から見る満開のコスモス畑に感嘆の声を上げ、道路沿いで草刈りをしている案山子を人と思い「ご苦労さん」とねぎらいの言葉をかけようとしたり、楽しか
今朝の佐賀新聞に、「ラ・カンパネラ」を弾きこなす海苔漁師の徳永義昭さんをモデルとした映画を製作する話が持ち上がり、有志による支援する会が発足したとの記事がありました。是非是非、映画を見たいです!!徳永さんの演奏は、2回ほど聞いた事があります。初めて聞
1913年(大正2年)、日本で初めて女子を受け入れた大学東北帝国大学に入学した3人の女性、黒田チカ、丹下ウメ、牧田らく、そして日本で初めての女性博士となった保井コノについて、その経歴を、『激動の時代を生きたー佐賀縁の女たち』から抜粋し、紹介したいと思います。…
日本で初めての女子大学生誕生を取り巻く状況について、『激動の時代を生きたー佐賀縁の女たち』(2021年南里邸歴史倶楽部作成)から抜粋します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 明治時代の日本の大学は、旧制高校を卒業した男子
東北大学ので、9月30日に「女子大生誕生110周年」の記念式典が行われていたことを、10月9日付の琉球新報の記事で知りました。1913年(大正2年)、東北帝国大学に入学した3人の女性、黒田チカ、牧田らく、丹下ウメが日本初の女子大生です。それから110年・・・。女性が学問の