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  • 里山の石神端書 栃木県茂木町

    里山の石神端書243奥山念仏供養塔(茂木町飯)里山の石神端書244七福神(茂木町飯)里山の石神端書245正徳太子(茂木町下飯)里山の石神端書246奥山念仏塔(茂木町下飯)里山の石神端書247墓碑・良秀(茂木町小山)里山の石神端書248千人供養塔(茂木町木幡)里山の石神端書249石仏群(茂木町木幡)里山の石神端書250稲穂(茂木町北高岡)里山の石神端書251念仏塔(茂木町北高岡)里山の石神端書栃木県茂木町

  • 里山の石神端書251 念仏塔(栃木県茂木町)

    茂木町北高岡・安楽寺の念仏塔茂木町は茨城県に接する栃木県の町。茨城県筑西市から茂木町を結ぶ真岡鉄道の終点町でもあります。街の中央を流れる逆川流域の寺社を訪ねました。丈六の阿弥陀如来が本尊の安楽寺。丈六は1丈6尺(約485センチ)です。寺の案内では、阿弥陀如来坐は「頭部、仏身に鎌倉時代末期の特色を残しており、表情が温容で全体の形も優美であり、像高で273㎝は、県内最大級のぶつぞうものです」とあります。町の案内には「丈六とは身の丈が一丈六尺(484㎝)あるという意味で坐るとその半分の八尺(273㎝)になる」とあります。とにかく釈迦の身の丈が丈六とされていましたので、仏像は丈六が理想で、坐像は半分の八尺としたようです。丈六の阿弥陀は本堂が施錠されて見ることは叶いませんでした。境内には「南無阿弥陀仏」の名号塔が散...里山の石神端書251念仏塔(栃木県茂木町)

  • 里山の石神端書250 稲穂(栃木県茂木町)

    茂木町北高岡・日枝田の神神社の稲穂茂木町は茨城県に接する栃木県の町。茨城県筑西市から茂木町を結ぶ真岡鉄道の終点町でもあります。街の中央を流れる逆川流域の寺社を訪ねました。北高岡の日枝田の神神社は小高い山の上。境内に「日枝神社/明神神社/合祀記念」銘の石碑が立っています。二社合わせて日枝田の神神社になったようで、木に竹をついたような名称は、合祀にあたっていろいろあったのでしょう。境内入口に東屋風の建物の下に手水石があり、その脇に稲穂を線刻した自然石がありました。初めて見る稲穂だけの石造物です。稲穂といえば稲穂をかついて狐に乗る稲荷もありますが、稲穂だけでは何の神かわかりません。ところが東屋内のある奉納の板に「手水石」と並んで「豊饒石」と墨書きされていました。養蚕の神として蚕種石(こだねいし)がありますが、豊...里山の石神端書250稲穂(栃木県茂木町)

  • 里山の石神端書249 石仏群(栃木県茂木町)

    茂木町木幡・路傍の石仏群茂木町は茨城県に接する栃木県の町。茨城県筑西市から茂木町を結ぶ真岡鉄道の終点町でもあります。街の中央を流れる逆川流域の寺社を訪ねました。芳賀富士の東山麓、木幡の道端に石仏が纏められていました。「勝善神」「聖徳太子」「廿三夜塔」「馬頭観音」「馬頭尊」「出羽三山供養塔」などすべて文字塔です。勝善神は馬の供養塔。「出羽三山供養塔」はじめ、これまでも見てきた神仏です。このなかで気になるのは「出羽三山供養塔」。頭に胎蔵界大日の種字アーンク、その下中央に湯殿山、右に月山左に羽黒山の文字塔です。紀年銘はありませんが、中央が湯殿山なので明治時代以前の石塔です。この石塔は前にも別の場所で見ていて、地元の人に尋ねても出羽三山の信仰はなかったということでした。別の場所から運んできたとは思えないし、木幡で...里山の石神端書249石仏群(栃木県茂木町)

  • 昭和の石仏写真館(158)川口市の寺社①

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県川口市氷川神社(川口)氷川神社・八大龍王庚申堂(本町)庚申堂・庚申塔正覚寺(元郷)正覚寺正覚寺・庚申塔正覚寺・魚籃観音随泉寺(元郷)随泉寺・閻魔王昭和の石仏写真館(158)川口市の寺社①

  • 里山の石神端書248 千人供養塔(栃木県茂木町)

    茂木町木幡・慈眼寺の千人供養塔茂木町は茨城県に接する栃木県の町。茨城県筑西市から茂木町を結ぶ真岡鉄道の終点町でもあります。街の中央を流れる逆川流域の寺社を訪ねました。浄土宗慈眼寺の境内に阿弥陀如来が線刻された大きな供養塔が立っています。阿弥陀は立像で上品下生(じょうぽんげしょう)の印。阿弥陀には上品・中品・下品と上生・中生・下生を組み合わせた九品の印があります。死者を極楽浄土に迎える方法が9つあるという経典(観無量寿経)から生まれた考えで、生前の行いに応じて迎え方が異なるということです。側の案内には、寛政九年(1797)に慈眼寺二十二世良悟上人が造立したもので、裏面に供養した千人の戒名がきざまれているとあります。しかし昭和20年代に無住となって壊滅状態になった寺を、平成6年に檀徒の人々により阿弥陀堂が建立...里山の石神端書248千人供養塔(栃木県茂木町)

  • 里山の石神端書247 墓碑・良秀(栃木県茂木町)

    茂木町小山・高雄神社の三峰都法良秀大徳墓碑茂木町は茨城県に接する栃木県の町。茨城県筑西市から茂木町を結ぶ真岡鉄道の終点町でもあります。街の中央を流れる逆川流域の寺社を訪ねました。鳥居に高雄大明神の扁額がある高雄神社。その境内入口の石仏群は周辺から集められたような印象です。そのなかに、頭に種字アに続いて「三峰都法良秀大徳」銘の石塔があります。種字アは真言宗の墓碑によく使われます。三峰は秩父の三峯山でしょうか、それとも多くの山という意味でしょうか。都法良秀は戒名で、大徳は僧侶のことで僧の戒名にも使われます。したがって「三峰都法良秀大徳」は墓碑ということになりますが、どうでしょうか。この場所には他にも「聖徳太子」「二十三夜供養塔」「種字サク(勢菩薩)二十三夜九供養塔」地蔵菩薩立像、地蔵菩薩坐像などもあり、集落の...里山の石神端書247墓碑・良秀(栃木県茂木町)

  • 昭和の石仏写真館(157)川口市の錫杖寺

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県川口市本町の錫杖寺本堂庚申塔・享保十天(1725)庚申塔・安永四年(1775)庚申塔・文政二年(1810)十三仏①十三仏②十三仏③十三仏④昭和の石仏写真館(157)川口市の錫杖寺

  • 里山の石神端書246 奥山念仏塔(栃木県茂木町)

    茂木町飯の下飯・路傍の奥山念仏塔茂木町は茨城県に接する栃木県の町。茨城県筑西市から茂木町を結ぶ真岡鉄道の終点町でもあります。街の中央を流れる逆川流域の寺社を訪ねました。路傍や山の裾野などに小規模の墓地があるのは、この国の山村ではよく見かける風景です。集落あるいは同族で造った小規模の墓地で、御堂などを建てたところもありますが、僧侶はいません。旅の僧が留まったなどの話を聞くこともあります。下飯の奥山念仏塔がある場所も小規模な墓地の入口でした。丸彫りの地蔵菩薩、子安地蔵大菩薩・奉廿三夜供養塔・三界満霊塔の文字塔が並ぶなかに奥山念仏塔がありました。石塔上部に胎蔵界大日の種字アーンク、その下に日輪月輪、そして「奉供養奥山念佛」とあります。造立は明和四年(1767)。茂木町の奥山念仏塔は中飯の逆川招魂社脇の墓地にもあ...里山の石神端書246奥山念仏塔(栃木県茂木町)

  • 里山の石神端書245 正徳太子(栃木県茂木町)

    茂木町飯の下飯・八幡神社の正徳太子茂木町は茨城県に接する栃木県の町。茨城県筑西市から茂木町を結ぶ真岡鉄道の終点町でもあります。街の中央を流れる逆川流域の寺社を訪ねました。下飯を見下ろす高台に建つ八幡神社の境内に正徳太子供養塔があります。石塔の頭に日輪月輪があり「南無正徳太子尊/天明四甲辰歳(1784)/飯村下中/講中二十六人」銘が刻されています。これは正徳太子を守護神とした講の集まり、太子講26人が造立したものです。この26人がどのような職業の人たちかは不明ですが、太子講を組織したのは木挽・大工・左官・鍛冶・畳・石工・樵などを生業とした人たちでした。講を作り祭日を決め、賃金や仕事の申し合わせなどを行ったようです。正徳太子が職人の守護となった経緯は不明ですが、大工などは太子が曲尺を作った人という説があります...里山の石神端書245正徳太子(栃木県茂木町)

  • 昭和の石仏写真館(156)川口市の善光寺

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県川口市船戸町の善光寺六地蔵猿田彦阿弥陀如来板碑板碑板碑馬頭観音馬頭観音馬頭観音昭和の石仏写真館(156)川口市の善光寺

  • 里山の石神端書246 七福神(栃木県茂木町)

    茂木町飯・中飯の慶翁寺恵比寿大黒天毘沙門天弁才天福禄寿寿老人布袋茂木町は茨城県に接する栃木県の町。茨城県筑西市から茂木町を結ぶ真岡鉄道の終点町でもあります。街の中央を流れる逆川流域の寺社を訪ねました。慶翁寺は曹洞宗の寺。禅宗系のお寺は質素を旨としますから、石造物などは少ないのですが最近ではそうでもなく、慶翁寺の境内には新しい石仏、釈迦如来や子抱地蔵などは造立されていました。七福神もその一つで、簡単な像容の神仏が並んでいました。(地図は国土地理院ホームページより)里山の石神端書246七福神(栃木県茂木町)

  • 里山の石神端書245 奥山念仏供養塔(栃木県茂木町)

    茂木町飯・中飯の逆川招魂社脇の墓地茂木町は茨城県に接する栃木県南西部の町。茨城県筑西市から茂木町を結ぶ真岡鉄道の終点町でもあります。街の中央を流れる逆川流域の寺社を訪ねました。奥山念仏供養塔があるのは飯の逆川招魂社脇の墓地入口。地蔵の先に「子安地蔵大菩薩「奉待廿三夜塔」「三界萬霊塔」と並んで立っています。その姿は頭上に種字胎蔵界大日の種字アーンクと日輪・月輪、その下に「奥山念仏供養塔」と刻されています。奥山はどこの山を指しているのか。茂木町に問合せていますが、今もって返事はありません。茂木町に限らず石造物の問い合わせは、返事がくることはほとんどありません。思うに、頭上の大日如来は出羽三山、日月輪は念仏講の印。したがって、出羽三山の集まり(講)が開いていた念仏講と判断したいところです。しかし、幾人かの古老に...里山の石神端書245奥山念仏供養塔(栃木県茂木町)

  • 里山の石神端書 福島県いわき市遠野町

    里山の石神端書233三界萬霊塔(いわき市遠野町川堀)里山の石神端書234仙台四郎(いわき市遠野町稲荷林)里山の石神端書235大曼荼羅(いわき市遠野町富岡)里山の石神端書236東堂山(いわき市遠野寺ノ代)里山の石神端書237廣作仏事(いわき市遠野早川)里山の石神端書238神馬(いわき市遠野大藪)里山の石神端書239湯殿山(いわき市遠野町白坂)里山の石神端書240念仏地蔵(いわき市遠野町中妻)里山の石神端書241帰依三宝塔(いわき市遠野町横道)里山の石神端書242男根(いわき市遠野町)里山の石神端書福島県いわき市遠野町

  • 昭和の石仏写真館(155)所沢の西国三十三所観音③

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県所沢市(場所不明)(観音名は札所寺の本尊としたが、いくつかの石仏は本尊と違っている)第23番千手観音第24番十一面観音第25番十一面観音第26番聖観音第27番如意輪観音第28番聖観音第29番馬頭観音第30番千手観音第31番千手・十一・聖観音第32番千手観音第33番十一面観音昭和の石仏写真館(155)所沢の西国三十三所観音③

  • 野の仏の風景

    中野高通2023年11月、青娥書房、1760円中野高通氏から「野の仏の風景」をいただきました。東京生まれで東京育ちの少年が、夏冬に過ごした父の田舎・佐賀で石仏に出会い、石仏と会話した思い出。石仏の本との出会い。大人になってその記憶をもとに調査して、多くの写真とともにまとめたのがこの「野の仏の風景」。石仏調べの原点を教えてくれる一冊です。【石仏追懐】我流石仏の楽しみ方佐賀の石仏ノート銀杏こどもの頃の記憶を辿って―庚申塔二基鮎返り(やぎゃい)の滝へ―里山の秘仏探訪記肥前狛犬出会いの記「多久の肥前狛犬展」見学記【石仏点描】お白石持ち行事多良岳の役の行者像白塔の観音様猿と狛犬忘れられた磨崖仏帰ってきた肥前狛犬古渡天満宮の磨崖獅子大村市福重地区に線刻仏と仏頭石青木磨崖梵字群小江の赤観音ししこま様立石観音磨崖仏【石仏...野の仏の風景

  • 屋上菜園2023-12闘病日記21

    秋になるのが遅く植え時を心配したタマネギ、ニンニク、キヌサヤでしたが元気に育っています。*11月中旬のある日の午後、突然体が震えて高熱が出ました。熱をはかると38.7度。この日の午後は新型コロナワクチン接種を予約していたので、これをキャンセル。診察してもらうべく近くの内科医を探しましたが見つからなかったので、抗がん剤治療を受けているがん研究センターの治療者用ホットラインに連絡して、すでにいただいている薬のなかの抗生物質薬の指示をいただきました。同時に新型コロナとインフルエンザの検査も受けてという指示。薬が効いたのか夜には平熱に下がりました。その夜にネットで探したコロナ&インフを検査する抗原検査キットを注文。これが翌日の午前中に届いて早速検査をした結果、やり方が悪かったのか何の反応もありませんでした。後日行...屋上菜園2023-12闘病日記21

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