外部資料 奈良市南の端に 円照寺は位置する。 俗に「山村御殿」とよばれ、中宮寺 法華寺とならぶ大和三問跡の一つである。開山の大通文智大師は後水尾天皇の第一皇女の文智内親王、寛永18年(1641)大和の八島に移り、さらに寛文9年(1669)今の場所に移った。 境内に円通殿とよ...
奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
外部資料 奈良市南の端に 円照寺は位置する。 俗に「山村御殿」とよばれ、中宮寺 法華寺とならぶ大和三問跡の一つである。開山の大通文智大師は後水尾天皇の第一皇女の文智内親王、寛永18年(1641)大和の八島に移り、さらに寛文9年(1669)今の場所に移った。 境内に円通殿とよ...
餅飯殿商店街は 奈良と吉野熊野との結びつきがあり 年末のお祭り おん祭りには重要な場所である。おん祭りのお渡り式がハイライトでるが、その前に行われる 行事もご覧頂きたい。12月におん祭りについてはブログに書く予定です。 外部資料 正暦寺 奈良市南端方面に位置する。菩提山竜華...
お宿所 おん祭りは 1136年関白藤原忠通が五穀豊穣 国民安寧を願って始めたお祭りである。 おん祭りの無事執行を祈願する。お宿所前庭にて御湯立や懸物が行われる。大宿所は昔、おん祭りに参勤する大和士がお祭りに先立ってここに泊まりこみ精進清斎した所である。その際当日の行列に必要...
古記によると、延喜年中によると、聖宝尊師が大峰山上再開の時、蕗の畠郷の人が餅飯の供膳を聖宝尊師に法施し奉った。そこで当町の俗士が聖宝尊師に追随して金峰山に供奉して三上大峰に詣でた。(三上大峰=山上大峰)これは行者以外の人が大峰に入った最初である。そこで、聖宝尊師は人々の信仰...
外部資料 餅飯殿 といえば 近鉄奈良駅から南へ300㍍ 猿沢池の近くの商店街を描かれること多いと思う。 旧名は蕗畠郷(ふきのはた)と呼ぶ。 一説によれば、弘仁年中に餅飯の供膳を蕗の弁財天宮(興福寺境内南西)に献じたので餅飯殿と呼ばれるようになった。そこで当郷でも、七か所の弁...
外部資料 奈良の鹿の歴史は奈良公園の馴化された鹿は約九百年前から存在していると考えられる。時には権力者に利用されて保護された時代もある。藤原氏一族は興福寺を氏寺とし、春日大社を氏神としていたので、神鹿を庶民の上に位置づけた。このため、庶民にとって受難の時代が続いた。当時は、...
奈良公園史から 外部資料 明治25年9月 鹿を(当時は神鹿)夜間のみ収容する木柵の鹿園が建設された。位置は春日参道北の春日野森の通称「北山」の地で周囲240間(約3,000坪)出入口は三か所を開いた。これに要する材木は県から公園花山林の間伐材が交付された。 奈良公園史 p1...
奈良公園 張り子の鹿 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
明治中期 外部資料 張り子の鹿は徳川時代よりの名産で、奈良詣の旅は何物をおいても 張り子の鹿を 家宝として求めたのである。その製法は、鹿の形をした木型を造り、その型の上を反古紙を以って張るので、耳は古表紙で、造った。明治14年15年頃より古葉書を用いるようになった。表面はベ...
天平時代の奈良の人々と鹿 外部資料 古代の奈良市周辺に多くの鹿が棲息していた。付近の貝塚から出土する角や骨から見ても推定される。併せて七百年代に始まる、平城宮造営 東大寺及び興福寺の創建。俄に脚光を浴びたこの地に。常住者 推定七万から二十万近い人口増が如何なる混乱が起こった...
外部資料 奈良公園における鹿と人との付き合いは古くからで、古代から現在にいたるまで奈良公園で自然に存在している。 奈良公園を代表する風景に 東大寺大仏殿 興福寺五重塔 その中に自然に溶け込むように人に慣れた鹿がいてる。世界で珍しく街の中を闊歩する大型哺乳類である、この鹿は単...
宮大工 仏像保存 の匠たちと現在の正倉院での修理 復元に携わってきた匠たちとの対話によって天平時代の匠たちとの技の秘密を解き明かそうとしている。 正倉院はペルシャから中国最盛期にいたる全アジアの最も美しい時代の姿を残しているのは正倉院の宝物である とも言われている。この宝物...
正倉院には六枚の笏が伝存しているが一方が平で、一方が丸い 笏の上下はどちらか? 天下の名香 欄樹帯は いつだれによって切とられたか? 難しい宝物名の読み方はなどなど 正倉院にまつわる話を実証的に書かれている。大正期に正倉院の最高責任者であった 森鴎外の秘話も貴重である。 森...
正倉院の宝物には 多彩な色使いである。 日本古来の色の成り立ち 意味と共に、正倉院の宝物の修理などの 色 の部分を担当された 故吉岡幸雄先生の本です。 正倉院展の素晴らしい宝物の 色使いには 意味があり それを感じながら 展示されている品々をご覧になられると楽しみが増えるか...
観測から見えたもの 外部資料 観測結果の一覧表である。 これらの宝庫に共通した最も著しい特徴は 湿度の変化が小さいことである。それも変化の周期が短くなるほど著しい。こrは、宝庫に多量に使用している木材の恒湿作用によるものと思われる。木箱や木造庫内の湿度は外気とは直接関係はな...
唐びつ内 の気象 「唐びつ」は唐櫃 辛櫃 韓櫃 などと書き、いずれもカラビツと読む 杉また檜材の白木の前で冠せ蓋がついている。天平時代のものやもつ新しい時代のものがある。脚のあるものとないものがある。 正倉院の宝物はとうびつにすべて収納されていると伝えられている。そこで昭和...
正倉院新宝庫の気象 昭和28年(1953)新宝庫が竣工 そこで 庫内の気象観測を開始した。 観測方法はでは設置して記録した。 宝庫と新あ宝庫の気温差を、昭和30年12月から31年9月までの平均すると、宝庫0.41℃新宝庫0.26℃で、新宝庫の方が気温変化が小さい。宝庫は木造...
気温 湿度の日変化 朝夕 昼夜 の変化が外気と比較してかなり小さいであろうことは、聖語蔵 博物館収蔵庫の観測からも推定される。日々の気温較差 湿度日変化は、気温は外気の約9分の1湿度は10分の1にであった。宝庫と外気の気温差 湿度差は殆ど変わらない。 外部資料 ■住所 63...
宝庫内の気象観測 宝庫内の気象観測は曝涼といって10月から11月にかけて21日ないし31日ほど開封され、点検 手入れ 展観などが行われるほか、1年中の大部分は閉鎖されている。それゆえ気象観測も無人で行うため特別の工夫が必要である。遠隔操作 長期捲き自記器の二つの方法が考えっ...
外部資料 内部の気象観測 正倉院宝庫では人が立ち入って実験観測をすることは許されない。それで、同じ校倉造りの聖語蔵について宮内庁の許可を得て昭和25年(1950)6月5日から8月5日までの期間に実験観測を行った。この期間中は庫内数か所に週捲きの自動温度計 湿度計を配置し、6...
宝物 上図2の宝庫には、用途から見れば、(1)袈裟 樂装束などの衣類 (2)皿 鉢 匙 などの食器類 (3)鏡 屏風 厨子 床などの調度の品々 (4)琴 琵琶 尺八 鼓面などの楽器 器具 (5)柄香炉 幡 などの仏具 (6)筆 墨 硯 紙 などの文具類(7)弓箭 刀 鉾 ...
外部資料 勅封と曝涼 宝庫がいつから勅封となったかはさだかではない。宝庫の開封は当初から頗る厳重であって、勅許を必要とし、事実は勅封である。 都が平安京に遷る頃から宝庫の開検、つまり通風と点検が始められたが、その都度勅使が立っていられる。宝庫の品々は櫃に納めて伝世せられ、幕...
正倉院の配置 古い冊子からであるので 現在は変更されているであろう。 正倉院は奈良市雑司町 東大寺大仏殿の北西(北緯34.4東経135°51)にあり宮内庁に属する。これを管理しているのは正倉院事務所である。正倉院についての解説書は数えきれないほどある。そのなかで昭和23年’...
今月のお薦めの本 今月は奈良で大きなイベント 正倉院展です。 宝物の写真が多く掲載されてます。 今月のお休み予定 1日(火)9日(水)14日(月) 19日(日)20日(月) 28日(月) 貸切 7日(月)12日(土) 5日(土)16日(水)19日(土) 23日(水)26日(...
正倉院 宝庫内の気象を観測するために、大阪管区気象台 奈良地方気象台の職員は四百日捲き自記温湿度計を設計作成し、宝庫内の湿度変化が小さいことを理由づける関係者はあらゆる努力をした。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-8152
昭和35年発行 正倉院御物の文化財的としての価値は世界的に有名である。それが1,200余年地上の倉庫に中で無事に保存し続けて来たことも世界的な業績である。天災 兵火などを免れたこと御物を収納してある木造の雄大な宝庫が保存に適した環境であったことも疑えない事実である。その宝庫...
昨日のブログで書いた献物帳 奈良の秋のイベント 正倉院展が今月26日から来月11日まで国立奈良博物館にて開催される。今年は聖武天皇即位1300年にあたり どの様な品々があ出品されるか期待している。 紹介の書物は当店のものである。その品々調査内容 結果などがまとめられている。...
正倉院展 外部資料 8世紀の中頃奈良時代の天平8年(756)6月21日聖武天皇の七七忌の忌日にあたり光明皇后は天皇の御冥福を祈願にて御遺愛品 永く保存せられることとなった。これが正倉院の起こりである。その二百年ばかり後の平安時代中頃の天暦4年(950)に大仏開眼会をはじめ重...
外部資料 佐保川に架かる法蓮橋を渡ると 右側に聖武天皇陵少し奥まった右側に 光明皇后陵があり。奈良時代を元明天王和銅二年三月(709)から七十余年文化の栄えた天平時代となった。往古天皇は即位するとそれぞれ自らの陵を計画し、実行に移した。天平の華を展した聖武帝は東大寺その他を...
順慶と光秀 外部資料 日本の歴史の流れからして「洞ヶ峠の順慶」「洞ヶ峠をきめこむ」の日和見主義を代表を言葉が伝わる通り、洞ヶ峠と筒井順慶とは切っても切り離せない。 大和の有力者筒井順慶は、 三好長慶のもとで京都や堺の代官をつとめた松永久秀に大和の筒井順慶を追われた。このころ...
外部資料 石清水八幡宮の眼下の淀川に流れ橋 本名は 上津屋橋(こうずやはし) 今は時代劇に使われたり観光のための橋 石清水八幡宮からは近くです 全長350㍍のこの橋は、鋼鉄製のロープで木造の橋桁をつないだものである。 洪水で流されてまた ロープを引き寄せてつなぎ合わせて元...
奈良から少し離れるが 百済寺 百済王神社から少し北に位置あり 今は奈良市内へ車で40分ぐらいである。 外部資料 外部資料 石清水八幡宮 大阪と京都の酒井境の小高い標高142㍍である。 この八幡山の前で 桂川 宇治川 木津川 が合流して淀川となる。 nhk 大河ドラマ 「光る...
外部資料 昨日の 百済王神社につてブログした。 今日は百済寺のブログです. 百済王の子孫 敬福が奈良時代の天平勝宝2年(750年)宮内卿兼河内守に任命され、その氏寺として百済寺を創建したと伝えられている。 天智天皇2年(663)朝鮮半島西南部の白村江で唐・新羅連合軍と百済救...
百済王神社 外部資料 枚方市中身小高い丘のに鎮座する神社 古代 大陸との交流が行われていた時の 渡来人の目印ではないかと聞いている。 淀川から船で小高い丘に百済王神社を目指して渡来人がきたのであろう そこから 現在の天の川そしてくろんど池(交野市)を通じて富雄川を経て大和に...
登弥神社 外部資料 奈良市と大和郡山市の境界近く富雄川の東岸沿にある小丘陵の森に鎮座する。かつては木嶋大明神神とも呼ばれた。「大和史」新朝に「在二木ノ島村―近隣六村-預二祭紀-)とあり「延喜式」神名張登載の社にあてている。明治以来指定県社であった。昔は鳥見氏によって奉祭され...
離宮が丘 外部資料 あまり知られていない場所である。西ノ京駅(近鉄橿原線)から藥師寺唐招提寺と反対側西側の少し高台である。 ここは孝謙天皇の離宮があったと言われているが詳かではない。 大内裏考 では野々宮 という地名になっている。 昭和52年開校の京西中学校建設時に 土師器...
古い写真でモノクロです。 西の京駅からは西 勝間田池から北に野々宮神社がある。 この神社は名前から 菅原道真公がお祀りされている。 その菅原道真公の先祖 野見宿禰(のみのすくね)が共にお祀りされている。 野見宿禰は相撲の祖と呼ばれており 垂仁天皇の御前で相撲をとり 勝者とな...
外部資料 藥師寺を創建された 天武天皇をお祀りしている神社 藥師寺から西の方角 政をおこなっていた藤原京を南にした静かな場所にある 昨日紹介した三松寺の隣に位置する。 藥師寺にお詣りに行かれた祭には こちらにも お詣りを ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目1...
お艶地蔵 縁切り地蔵 外部資料 江戸時代 宝暦年間(1751〜63)のこと、大和郡山城の城代家老が江戸在中に愛人お艶を囲う。家老が大和郡山に帰るとき 同行を求め、お艶は箱根の関所まで来た。しかし、その先からの同行は家老から許しを得られなかった。そのため、芦の湖に入水して白蛇...
正月の神迎え 季節は秋というものの 酷暑の日々 お正月には程遠いが おせち料理の予約がはじいる。 新しい年を翌日に控え男は神祀りに 女は正月料理の煮炊きに一日中忙しい。この日、 カド(庭先)や村内の道や氏神の参道などに砂を撒いたり、砂道を造ることが、奈良市の平坦部を中心に東...
龍王社 外部資料 藥師寺境内南東の角に普段は静かな場所にある。 毎年7月26日は 近隣の水利組合によるお祀りが行われる。 勝間田池 北東に池を守る龍の祠があった。その祠が江戸時代末期に水害により流され 龍神様を薬師寺でお祀りするようになった といわれている。 勝間田池祠あと...
藥師寺と勝間田池と満月 スマホでの撮影です ■住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡ 0742-43-8152
西の京には 薬師寺 唐招提寺の大きなお寺があることでよく知られている。 その薬師寺との関係のある 勝間田池 この池を題材にしたものが 万葉集に治められている。 天武天皇息子 新田部皇子 勝間田の 池はわれ知る 蓮無し 然言う君が 鬚無き如し 9月18日が満月である。 ■ ...
西の京 ④ 赤肌焼き 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
垂仁天皇の御代に殉死が行われ野見宿祢は天皇にこれに代わるべきものを埴でつくり、王陵にお埋めになってはと奏し、天皇の命によって種々埴輪をつくいった。これが元で赤膚焼きが出来てきた。 外部資料 ■ 住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43...
西の京町 西の京町には薬師寺がある。天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して橿原市の城(木)殿に薬師寺を近流平城遷都とともに 現在の地に移建された。東塔ならびに薬師三尊は創建当時ののもので 白鳳時代を代表するものとして国宝にしていされている。 西の京町は薬師寺を中心に発展を見た町...
西の京と呼ばれている所は、平城京の右京の地で、東西に一・ニ条大路から七条大路 南北に右京一坊・二坊大路の通っていたところで、二坊大路にそって諸大寺や皇族・高官の住宅などがたちならんだところである。 古くは土師氏の一族の住み着いたところで、ここに安康天皇菅原伏見西陵・垂仁天皇...
外部資料 近鉄西の京駅 長年住いを営んでいる 西の京の案内 西の京の由来は詳かではないが、都が京都に遷った後も、奈良時代に建立、あるいは移建された 薬師寺 唐招提寺 喜光寺などはそのまま残り、昔日の面影をとどめていたころから このあたりを、西の京とよぶようになったとも伝えら...
鳥居は神社の門であるとの説 神社や御陵の門である鳥居を見る毎にそれが神の住宅の門であるとの説がある。 住宅に垣を結びその入口に門をたてることは神代と誰もおそらく變わりはない。 装飾なき門を最も簡素なる姿としてかんがえるなら、二本の柱を両側に立てればそれで足りる。その二本柱の...
大安寺 外部資料 そもそも大安寺の始まりは 推古天皇の代に建てられた聖徳太子の熊ごり精舎といわれている。伝説ではあるが、欽明天皇11年(639)ごろ、飛鳥の百済川にあった百済大寺 後の藤原京に移され大宮大寺と名前を変え、さらに平城遷都ともに、引越ししてきたという歴史がある。...
古い写真見つけました 水越峠 国道309号線です。 昔は旅人らが行き交う道であった。 かつてこの道は水越峠街道として多くの旅人が行き交かった重要な古道。古代から中世にかけては、金剛山に向かう修験者で賑わった。古代から元禄時代には金剛山からの水は 河内のものか大和のものかの争...
上品寺のシャカシャカ祭り 塚、祀られている神について伝承 伝承のひとつは、新池の北岸に永平寺の分かれという寺があり、この寺に住む僧兵達が戦乱に倒れた人々を供養するためこの地に塚を設けて祀ったのが ノガミ であるという。またこの地はかつて河川が大きく分岐し、二つの支流にはさま...
上品寺のシャカシャカ祭り 橿原市上品寺町 日時は旧暦の5月5日に行われていたと思われる。 古老のシャカシャカ祭りのいわれは・・・ ここ上品寺の里では、長男が生まれると三月三日の日に氏神様の前でクジを引きを行い、当たった家の子供を五月五日の晩にノガミさんに人身御供として差しだ...
野神行事は、奈良盆地で見られる農耕儀礼の一種で、豊かな稔を願って毎年繰り返されている。行事に内容には様々変化がある。子供中心のなることが多く、ノガミ と呼ばれる塚や樹木に藁製の蛇体を巻き付けたり、牛馬や農具の模型を奉納したりするものもである。盆地部における基本的な生業にかか...
四つ晴に傘を忘れる阿保がいる 春先 前線上を続いて東する二つ目の低気圧に要注意 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-8152
山近くに見えれば雨近い 外部資料 今が一番よい天気の絶頂期 あとは天気は下り坂とたる。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-8152
雲が長谷まいりすると雨になる。 外部資料 低気圧が近畿地方にちかづいてくると、下層から地上まで始め南西風となり 温暖前線に吹き込む雲は南西から北東へと流れる。明日香村の北東は長谷方面であることから、明日香村では奈良県内の他の地域と違って、長谷参りになる。 ■住所 630-8...
お薦めの本 奈良には多くの国宝の仏像があります。 来根春には 奈良国立博物館にて特別展が催されます。 その紹介がされてます。 今月17日は中秋の名月 唐招提寺では この夜一夜だけ金堂の扉が開かれます、 また薬師寺の双塔と若草山 大仏殿 興福寺五重の塔を背景に 勝間田池」(大...
外部資料 生駒の山のもやがあ北むいたら雨 南をむいたら晴になる。 奈良から西の方を眺めると、生駒山が望まれる。暖かくて湿っている南風が吹くと、山に笠雲となってかかりやがて雨となる。北寄の風は、高気圧の到来を予告し、空模様は回復に向かう。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈...
外部資料 四つ春に傘を忘れる阿保がいる。 春先 前線上を続いて東進する二つ目の低気圧に要注意ということ。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-8152
外部資料 月が傘をかぶれば雨が近い 大和の国に限らないが予報の確率は60%程度である。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-8152
外部資料 南海トラフ地震への注意が流れている今 地震の資料から過去の状況を紹介する。 684年 11月29日 天武13年10月14日 土佐その他南海 東海 西海諸島 M8.4 歴史に記録された最初の南海トラフ系巨大地震 山崩れ川湧き 諸国の百姓倉 寺塔 神社の倒壊多く、人畜...
40年前の資料本です。わかりやすい地震のメカニズムが開設されてます。 防災の日 にいかがでしょうか 9月のお休み予定 2日(月)3日(火) 9日(月)10日(火) 15日(日)16日(月)17日(火) 23日(月)24日(火) 30日(月)10月1日(火) イベントのお知ら...
汽笛がよく聞こえれば雨が降る。 空気が湿ってくると、音の電波は乾いたときよりも良くなる。 外部資料 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-8152
外部資料 生駒山の、もやが北をむいたら雨 南をむいたら晴になる。 奈良から西の方を眺めると生駒山が望まれる。温かくて湿っている南風が吹くと山に笠雲となってかかり、やがて雨となる。北よりの風は高気圧の到来を予告し空模様は回復に向かう。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市...
大仏さんが汗をかくと雨 外部資料 大仏さんが汗をかいたり 柱石が濡れるということは青銅製の大仏さん 大寺の柱石共に外界の刺激についてゆくのが遅く、自己の体温と比べ、低気圧の接近に伴なう温かく湿った空気中の水蒸気が青銅製の大仏や柱石に結露することを表現している。当然天気は悪く...
外部資料 夕方西空明るければ明日は天気 秋の夕焼け鎌を研げ 一般に天気は西から東へ移る。現在、雲の多い空も西の方に高気圧がやってくると空は明るく鮮明に淡い夕焼けは晴天の明日がやってくる。 ■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡ 0742-43-8152
外部資料 「雷丘」地名のおこり 小子部栖軽は雄略天皇に親しく仕えた者である。 天皇が磐余の宮(奈良県桜井市阿部付近)におられた時のこと。皇后と大極殿に寝ておられた。 栖軽はそれにきづかず、入っていった。大極殿で寝ていた天皇は心に恥じて止められた。その時空に雷鳴がしたので、天...
外部資料 大正2年8月、西吉野村一帯は日照りが続き、各地で旱魃による大被害が発生した。その内池のかかる水田、湧水のみに頼る水田の大半は、枯死状態になり農民はカンカン照りの空を見上げるばかり。何等手の施しようもありませんでした。 そこで、あちらこちらお寺や、お宮さんに 雨乞い...
大和側が勝訴の原因 大和側と河内側との勝訴となったのは、村民一同の一致団結の力は大きいもであった。 水争いをした元禄より、はるか以前に水越の水が大和に流れ落ちていた事実が京都の譣使奉行に認められたことであった。 この水争いの約80年前に 金剛山の水は大和側落ちている そして...
大和側の勝訴 京都から現地へ検使派遣が決定して、検使奉行によって現地検証が行われた。その結果金剛山は大和領は大和側であり、水越峠の水は勿論元禄の遥か以前より大和へ流れ落ちておった事実が証明され、全村民生命を掛けた水論、境論も、元禄14年(1701)12月21日大和側の勝訴と...
水越河大事件 外部資料 角之進が亡くなって 80年程後 元禄13年(1700年)6月27日河内の農民の手によって井出を切って、水を河内に流されたが、名柄庄屋高橋佐助の奔走により、大和側の主張が正しく和解となったが、一か月後の元禄14年(1701年)5月6日万字ケ滝 古瀬口の...
角之進 殺される 角之進は大和に水を引く事業を成功させた。さらに、水源保存のために、鎌取石 というものを設け森林の濫伐を禁じ また吉野川分水工事によって、水不足になやむ大和の国一円を救済せんと、膨大な計画を持っていた。 この事を知った村人は、角之進の知恵才覚を恐れをなし、将...
大願成就 外部資料 角乃進は苦心惨憺、身命を惜しまず不退の努力を続け、万字ケ滝 古背口の両水を大和へ引くことに成功し、遂に大願の成就を見た。 満ち溢れた水は古背口の切通しを突き破り大和に流れ落ちたのである。吐田郷の農民達は、目の前に滔々と流れる水を見て歓喜勇踊である。長年の...
上田角之進 外部資料 古背口 森平乃進は息子 定乃進に事業の後事を託したが、京都で楽舞の指南をしており そこから丹波亀山の城主から能楽の大夫として召し抱えられた。そこで 娘 つよ の夫である 後の上田角乃進に事業を引き継ぐことを託す。 角之進は教と表具師柳瀬本阿弥の弟であっ...
水越川の開拓者 森平乃進 外部資料 大和吐田郷関屋に森平之進という河内博多の浪人が閑居して居った.彼は天正10年(1582)正月吐田越前守遠秀と筒井順慶との争いに吐田に加勢したが、吐田の敗北となったので、やむなく浪人として関谷に留まった。 当時吐田郷は水利悪しく、植付け、耕...
外部資料 外部資料 明日香村(上記写真は別場所)稲渕の村の入口飛鳥川の上に しめ縄がかけられている。この縄を カンジョウナワ という。奈良県下各地で麦藁で巨大な蛇体を作り川に漬け あるいは かつぎ廻り蛇体の原形は都祁村箇生ほか今も残っている。 巨大な二筋のナワを村の入口にか...
竜 大和における自然神は「竜」を避けて通ることは出来ない。 辰は竜のこと。十二支の一つであるが、他の十一が現実の動物であるのに反して辰のみが仮想の動物とは不思議である。鳴滝神社等「いかずちの神は水徳の霊 水の旺んに湧き出づる状を形容する神である。水と雷 水と龍とは同じことで...
再度龍田大社のお話です。 台風シーズン到来のこの季節 大和を守神様である。 祈雨 止雨の神様や仏様は奈良県内に見ても多くある。風の神様は全国的に見ても数は少ない。歴史の古い大和には、三郷町立野の丘にある。神様は二神で、風水害を防ぎ、 雨の恵みを授ける風神である。 外部資料 ...
飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
何と長い名前の神社 14文字の神社である。 飛鳥の石舞台などから東にある。 外部資料 雨乞いの神社である。 日本書記によると 天皇 南渕川上に幸して跪きて四方を拝む。天仰ぎて祈ひたまふ。即ち雷なりて大雨ふる。遂に雨降ること五日 薄く天下を潤す 皇極天皇二年(642)三月四月...
馬を殺して諸の社の神を祀る。あるいは頻に市を移す。あるいは河伯を禱る。既に祈効無、といふ。続いてさらに礼仏読経して雨を祈らせたが思わしい効がないので最後に八月一日には、天皇親から「南渕の河上に幸して跪きて四方を拝む。天を仰ぎて祈ひたまふ。即ち雷なりて大雨ふる。遂に雨ふること...
外部資料 金剛山南東大字鳴滝と東佐味との間にある標高280㍍の峠旧路絶頂に「風の森」があり孤長津彦、級長戸辺を祀る小祀 支那都比古神社がある。俗に「風の森竜田大社が大和の西北の悪風を防ぐのに対し支那都比古神社は南西の平穏を祈念した風神である。風の祈祷としては八朔の行事として...
水分(みくまり)神社 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
大和の稲作を行うには雨量が少なく 古来から雨乞いの行事が多くある。 それを祈る場として 水分神社が4社ある東西南北にある。 東 都祁水分神社 西 葛城水分神社 南 吉野水分神社 北 宇陀水分神社 とある 崇神天皇創建といわれている。金剛山の麓に 建水分神社 がある。これも...
外部資料 伝竜田本宮御座峰は大阪府との境付近にあって崇神期に初めて竜田風神が降臨したという。金山彦少し離れて金山姫を祀る神社があり共に金山=製鉄技術の神で古代製鉄に関係のある風神を祀ったと思われる ご座峰が伝承されている。製鉄に必要な適量の風が吹くところ自然の ふいご の役...
外部資料 記憶が確かであれば 昭和22年(1947年)夏 近鉄奈良線(大阪と奈良を結ぶ大動脈)の 当時上本町行急行が生駒駅を発車してトンネルに入るまえ落雷に逢い、トンネル内数百メートルのところで、避雷による列車火災が起きた。生駒山での雷の観測では、低い山ではあるが、山での雷...
雷怖い桑原 桑原 桑原 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 和泉名所絵図 桑原井の話は以前にもブログいたしました。 その元のモノがあり再々ど紹介する。 俊乗坊重源墓(しゅんじょうぼうちょうげんかはか) 桑原村西福寺といふ所あり。此地にて入寂し給ふか。実記なし。桑原は水仙花の名産也。初冬より出る。 桑原井 此所にあり。土人...
わらべ歌 雨たんもれ 雨たんもれ たんもれや 雲に汁けがないいんか 雨たんもれ たんもれや 春日大社の裏山の香山さんへ、雨乞いの神参りをして帰り神殿の池はほとりで、村中から麦藁を持ち込んでこれを燃やして雨雲をよぶ。 外部資料 ■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目1...
外部資料 茶屋の娘が旅の飛脚に懸想し、思いかなわぬことを知った娘は、大蛇となり渕に身を沈めた。嫉妬に狂った大蛇は、嫁入り行列が通ると大雨を降らせ人々が騒ぐ間に花嫁を渕に引きづりこむという。「嫁取り橋」が珊瑚珠川にかかっていて、これまで人が足を踏みいれたことがない八条が渕があ...
外部資料 古来魔境の山地として恐れらえていた 宝永五年の北山郷由緒著には慶長十一年湛西登山の記事が初見その後天保五年木ノ本代官仁井田長詳が登山「登大台山記」を著し古い言い伝えを次の様に、記している。日本の原の西を巴嶽という。吉野川熊野川宮川の川棟なり 世に伝ふる歌に 大台や...
金魚がこわい夜明けの風 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 金魚にとって夜明けに吹く風は一番こわいのです。夜更けから太陽が昇るまで池水は酸素が不足する時間帯。特に夜明方 金魚は鼻を上げしている。その時風が吹くと風下へ吹き寄せられおしあいへしあい死んでしまう。台風の直撃もこわい。大雨を池面のせり上がり川へ流されるのも痛手であ...
三輪素麵 外部資料 三輪素麺の歴史は古く 七夕に宮中で珍重されたり、家斉のころには播州に技術を出していた。11の製造工程を踏むが木枯らしの吹き始める12月頃から農閑期を利用した副業としてまことにふさわしい副業であった。冬にむけ寒中寒いほど良い素麺が出来るものであった。 ■住...
雷除けのナギの木 外部資料 春日大社の東側御葢山を中心に飛火野の奥に至るまで極めて旺盛に茂っている。このナギの木は雷除けになると言われている。ナギの木は大木で水を引き付けやすいことからこの木は火除け 雷除けになるといわれてきた。神社の献木に使われた理由の一つだとも云われてい...
大安寺「推古さん」 外部資料 大安寺「推古さん」の側にある井戸の水は石清水といい、その年の干魃をどうか占うので村の人はこの井戸を大切にしている。神社は明沺帖」には大安寺村大安寺小字とヒラキ高巃神社祭神善女竜王とあり石間から湧出する霊水は冬にも渇れず霖にも増えないと。 ■住所...
西来寺 外部資料 今から250年ほど前 下市の西来寺に端嶺という高僧がいた。日照り続きで百姓が和尚に雨乞いを頼 んだ。初の降劔神社でお経をあげたが、霊験が現れず、次に仏が峰の地蔵堂でお灸をあげた。終わって衣に墨をべっとり塗り衣の裾をあけるとおおきい蛇が和尚の躯に巻き付いてい...
天から降って来た大日さん 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
大淀町大岩の氏神 八幡神社入口の堂内もは大小2つの大日如来様が祀られてている。小さな大日如来様は天から降って来たと云われている。日照りが続くとこの大日如来様を、水たまりに連れて行き鉦や太鼓を鳴らして雨乞いをした。そうしてそこの坭を取って帰り大堂の屋根になすりつけると必ず雨が...
夢殿正面坊主の坐る正方形の板にまつわる話。 外部資料 旧1月12日修正会のお勤めの日 この板を日光に当てると汗のように水分が出るという。この行事を 夢殿のお水取り と呼んでいる。 この水の多い少ないで豊凶が分かる(梅雨期の雨)という。 ■住所 630-8053奈良県奈良市七...
今月お薦めの本 なららの8月号です 再来年 NHK大河ドラマで 豊臣兄弟 豊臣秀長 が主役 郡山城主です。 奈良がどの様に描かれるのか 楽しみです。 8月のお休み予定 5日(月)6日(火) 12日(月)13日(火) 18日(日)19日(月)20日(火) 26日(月)27日(...
お亀石 外部資料 大和盆地が湖水であったころ湖の対岸の当麻と川原がけんかをした。当麻の主は蛇 川原の主はナマス けんかの結果は川原側が負けて湖水は干上がり湖に住んでいた亀は死に絶えた。 村人は亀の霊を慰めるための亀の供養碑を立てたのが亀石である。亀が南西向いているのは当麻方...
香芝町の話 婆さんが川で洗濯していると板に描かれた仏様が流れてきた。狐井の「トヤマ」の下にまつったのが七月九日で この日は板仏の祭りといい必ず少しでも雨が降るといわれている。 良福寺の方から流れてきて福応寺に祀られている。 外部資料 ■住所 630-8053奈良県奈良市七...
天から授かった井戸 外部資料 しばしば 旱魃にみまわれた当地方に弘法大師から授かったという井戸がある。弘法大師自ら彫った石が井戸の底に認められ 今に至るまで涸れないという。この附近は一般に〇〇庄〇〇条と呼ぶが ここのみ天の恵みがあるので天井町という ■住所 630-8053...
吉野のお話 外部資料 池峯への明神参りのお話 日照りが何日も続くと宮司さんは、祈祷して買い池の水を、徳利や瓶などに入れてきてちょっとづつ田畑にまいた。そうすると不思議に雨が降った。紀州からも雨乞いに来て戻る途中でも降って来たと、礼状がきたそうな 途中で転んでそこで雨に降られ...
円成寺と東大寺の雨乞い競争 外部資料 外部資料 むかし、日照りが続いた時忍辱山円成寺と奈良の東大寺が雨乞い競争をしたことがある。「万一円成寺が祈って雨が降れば以後東大寺の僧は大傘をさしません」と約束七日の満願の日が済んでも一粒の雨が降らず。円成寺の番となり、全山総出で「三つ...
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外部資料 奈良市南の端に 円照寺は位置する。 俗に「山村御殿」とよばれ、中宮寺 法華寺とならぶ大和三問跡の一つである。開山の大通文智大師は後水尾天皇の第一皇女の文智内親王、寛永18年(1641)大和の八島に移り、さらに寛文9年(1669)今の場所に移った。 境内に円通殿とよ...
餅飯殿商店街は 奈良と吉野熊野との結びつきがあり 年末のお祭り おん祭りには重要な場所である。おん祭りのお渡り式がハイライトでるが、その前に行われる 行事もご覧頂きたい。12月におん祭りについてはブログに書く予定です。 外部資料 正暦寺 奈良市南端方面に位置する。菩提山竜華...
お宿所 おん祭りは 1136年関白藤原忠通が五穀豊穣 国民安寧を願って始めたお祭りである。 おん祭りの無事執行を祈願する。お宿所前庭にて御湯立や懸物が行われる。大宿所は昔、おん祭りに参勤する大和士がお祭りに先立ってここに泊まりこみ精進清斎した所である。その際当日の行列に必要...
古記によると、延喜年中によると、聖宝尊師が大峰山上再開の時、蕗の畠郷の人が餅飯の供膳を聖宝尊師に法施し奉った。そこで当町の俗士が聖宝尊師に追随して金峰山に供奉して三上大峰に詣でた。(三上大峰=山上大峰)これは行者以外の人が大峰に入った最初である。そこで、聖宝尊師は人々の信仰...
外部資料 餅飯殿 といえば 近鉄奈良駅から南へ300㍍ 猿沢池の近くの商店街を描かれること多いと思う。 旧名は蕗畠郷(ふきのはた)と呼ぶ。 一説によれば、弘仁年中に餅飯の供膳を蕗の弁財天宮(興福寺境内南西)に献じたので餅飯殿と呼ばれるようになった。そこで当郷でも、七か所の弁...
外部資料 奈良の鹿の歴史は奈良公園の馴化された鹿は約九百年前から存在していると考えられる。時には権力者に利用されて保護された時代もある。藤原氏一族は興福寺を氏寺とし、春日大社を氏神としていたので、神鹿を庶民の上に位置づけた。このため、庶民にとって受難の時代が続いた。当時は、...
奈良公園史から 外部資料 明治25年9月 鹿を(当時は神鹿)夜間のみ収容する木柵の鹿園が建設された。位置は春日参道北の春日野森の通称「北山」の地で周囲240間(約3,000坪)出入口は三か所を開いた。これに要する材木は県から公園花山林の間伐材が交付された。 奈良公園史 p1...
明治中期 外部資料 張り子の鹿は徳川時代よりの名産で、奈良詣の旅は何物をおいても 張り子の鹿を 家宝として求めたのである。その製法は、鹿の形をした木型を造り、その型の上を反古紙を以って張るので、耳は古表紙で、造った。明治14年15年頃より古葉書を用いるようになった。表面はベ...
天平時代の奈良の人々と鹿 外部資料 古代の奈良市周辺に多くの鹿が棲息していた。付近の貝塚から出土する角や骨から見ても推定される。併せて七百年代に始まる、平城宮造営 東大寺及び興福寺の創建。俄に脚光を浴びたこの地に。常住者 推定七万から二十万近い人口増が如何なる混乱が起こった...
外部資料 奈良公園における鹿と人との付き合いは古くからで、古代から現在にいたるまで奈良公園で自然に存在している。 奈良公園を代表する風景に 東大寺大仏殿 興福寺五重塔 その中に自然に溶け込むように人に慣れた鹿がいてる。世界で珍しく街の中を闊歩する大型哺乳類である、この鹿は単...
宮大工 仏像保存 の匠たちと現在の正倉院での修理 復元に携わってきた匠たちとの対話によって天平時代の匠たちとの技の秘密を解き明かそうとしている。 正倉院はペルシャから中国最盛期にいたる全アジアの最も美しい時代の姿を残しているのは正倉院の宝物である とも言われている。この宝物...
正倉院には六枚の笏が伝存しているが一方が平で、一方が丸い 笏の上下はどちらか? 天下の名香 欄樹帯は いつだれによって切とられたか? 難しい宝物名の読み方はなどなど 正倉院にまつわる話を実証的に書かれている。大正期に正倉院の最高責任者であった 森鴎外の秘話も貴重である。 森...
正倉院の宝物には 多彩な色使いである。 日本古来の色の成り立ち 意味と共に、正倉院の宝物の修理などの 色 の部分を担当された 故吉岡幸雄先生の本です。 正倉院展の素晴らしい宝物の 色使いには 意味があり それを感じながら 展示されている品々をご覧になられると楽しみが増えるか...
観測から見えたもの 外部資料 観測結果の一覧表である。 これらの宝庫に共通した最も著しい特徴は 湿度の変化が小さいことである。それも変化の周期が短くなるほど著しい。こrは、宝庫に多量に使用している木材の恒湿作用によるものと思われる。木箱や木造庫内の湿度は外気とは直接関係はな...
唐びつ内 の気象 「唐びつ」は唐櫃 辛櫃 韓櫃 などと書き、いずれもカラビツと読む 杉また檜材の白木の前で冠せ蓋がついている。天平時代のものやもつ新しい時代のものがある。脚のあるものとないものがある。 正倉院の宝物はとうびつにすべて収納されていると伝えられている。そこで昭和...
正倉院新宝庫の気象 昭和28年(1953)新宝庫が竣工 そこで 庫内の気象観測を開始した。 観測方法はでは設置して記録した。 宝庫と新あ宝庫の気温差を、昭和30年12月から31年9月までの平均すると、宝庫0.41℃新宝庫0.26℃で、新宝庫の方が気温変化が小さい。宝庫は木造...
気温 湿度の日変化 朝夕 昼夜 の変化が外気と比較してかなり小さいであろうことは、聖語蔵 博物館収蔵庫の観測からも推定される。日々の気温較差 湿度日変化は、気温は外気の約9分の1湿度は10分の1にであった。宝庫と外気の気温差 湿度差は殆ど変わらない。 外部資料 ■住所 63...
宝庫内の気象観測 宝庫内の気象観測は曝涼といって10月から11月にかけて21日ないし31日ほど開封され、点検 手入れ 展観などが行われるほか、1年中の大部分は閉鎖されている。それゆえ気象観測も無人で行うため特別の工夫が必要である。遠隔操作 長期捲き自記器の二つの方法が考えっ...
外部資料 内部の気象観測 正倉院宝庫では人が立ち入って実験観測をすることは許されない。それで、同じ校倉造りの聖語蔵について宮内庁の許可を得て昭和25年(1950)6月5日から8月5日までの期間に実験観測を行った。この期間中は庫内数か所に週捲きの自動温度計 湿度計を配置し、6...
宝物 上図2の宝庫には、用途から見れば、(1)袈裟 樂装束などの衣類 (2)皿 鉢 匙 などの食器類 (3)鏡 屏風 厨子 床などの調度の品々 (4)琴 琵琶 尺八 鼓面などの楽器 器具 (5)柄香炉 幡 などの仏具 (6)筆 墨 硯 紙 などの文具類(7)弓箭 刀 鉾 ...
今月のお薦め本 奈良全体の世界遺産を紹介されています。 近くの薬師寺も紹介されてます ■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡ 0742-43-8152
今月のお薦め本 秋本番 正倉院展の季節です。 素晴らしい宝物をみることができます。
今月のお薦めの本 毎月 ご覧頂きたく 紹介させて頂いてます。 NHK 大河に因んででしょうか? 徳川家康と大和 がメインテーマです。 徳川家康とその家臣が大和で果たした功績が紹介されてます。 ■住所 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡ 0742-43-8152
まだまだ暑い日々 今月のお休み予定 4日(月)5日(火) 11日(月)12日(火) 17日(日)18日(月)19日(火) 25日(月)26日(火) ■住所 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡ 0742-43-8152
木津川の祈祷念仏 8月18日 外部資料 空也上人によってはじめられた。一遍上人によってひろめられた踊念仏は、多くの人々が集まって金鼓を打ちならし、念仏を唱えながら踊躍し、念仏三昧の境地に達するもので、室町時代に入り、念仏が民衆の間に徹底するともない、都鄭を問ず大流行し、念...
元興寺の地蔵会 8月23日24日 外部資料 外部資料 元興寺(極楽坊)はもと明日香の地に蘇我馬子が聖徳太子の協力を得て建てた我国最初の寺で、法興寺(一名飛鳥寺)と呼ばれていたが、和銅3年(710)都が平城にうつされるにつれ、この寺も現在の地に移建され、名を元興寺と改められた...
大柳生の太鼓踊り 外部資料 大柳生の里に祭られている夜支布山口神社は、スサノオの命を祭神とする水のかみさまだという。上出 塔坂 西の三垣内が宮座をつくり、永く敬虔に祭祀を営んでいる。この宮座は年長順に二十人が二十人衆とよばれ、一年交代で順番に当屋をつとめる。十一月一日に頭渡...
阪本踊り 外部資料 盆になると、大塔村の阪本、小代、簾、天辻、中原、天川村の塩野 塩谷地区では、風流踊りに夜をあかす。昔は旧盆の17日の前後から、盆の月中および八朔、旧8月15日夜の月見などに地蔵堂や薬師堂、あるいはお宮の庭などで踊られた。 踊りの中に「政吉」というのがあ...
十津川 大踊り 8月13日~15日 外部資料 奥吉野十津川では、中世以来の伝統をもつ風流踊りが今に伝えられ、あちらこちらの村で毎年行われている。その代表的なものが十津川村の武蔵・小原・西川で盆踊りとして踊られる「大踊り」である。 8月13日は小原の大踊りで、午後8時ごろから...
大文字送り火 8月15日 奈良市高円山 外部資料 奈良の大文字送り火は昭和35年(1960年)8月15日から当時の知事の発願によってはじめられ 36年からは行事の主催が新しく組織された奈良大文字保存会にうつされた。 奈良市の東方、春日山の南につづく高円山の山腹に太く大きく点...
東坊城のほうらんや祭り 8月15日 外部資料 東坊城の八幡神社と弓場の春日神社の氏子の垣内は八幡神社が七つ、春日神社が四つあるが、それぞれの垣内で自分の氏神の方へ大きなたいまつを作って、みんなで荷たってゆき、ここで火をつけて燃えさかるたいまつを、たくさんの氏子で かつぎ回る...
二月堂の 「おくよ」 外部資料 外部資料 二月堂 といえば お水取りを思いうかべますが 他にも行事はあります。 特に8月9日を「おくよ」と呼び、この日参拝すると、四万六千回参拝したと同様の功徳が得られるといわれているので、この日の参詣は多い。 「おくよ」の起源についてもつま...
東大寺 大仏 お身拭い 今年はコロナの影響で3年ぶりの お身拭い 8月7日7時から9時半頃に行われる。 外部資料 江戸時代では、十二月十三日を「ことをはあじめの日」と呼び新年を迎える諸準備をはじめる日と決められたようで、「続江戸砂子温故名跡志」に「十二月十三日、御煤払 屋敷...
高原の法悦祭 8月7日から16日 外部資料 川上村の土地柄は、さきに後南朝自天王をまつる「お朝拝式」で紹介したごとく、格式の高い古風な行事であるが、ことに高原区では品格の高い数々の行事がとり行われていることは注目すべきである。 この区独自の朝拝式と御南朝忠義王をまつる行事と...
今月のお勧めの本 毎月お勧めしているなららです 空海 弘法大師と奈良の寺々のつながりが紹介されてます。 本のある喫茶店 うのん 今月の予定 お休み予定 1日(火) 7日(月)8日(火) 13日(日)14日(月)15日(火) 21日(月)22日(火) 28日(月)29日(火)
御祓祭り 7月30日31日 外部資料 綱越神社は桜井市三輪町の温祓(おんばら)にあり、大神神社の摂社である。昔は初瀬川がこの付近を流れており、舟で来ても、また西の大泉の方から歩いて来ても、ここからまっすぐに大神神社へ参ったのである。社のほとりに、「駒つなぎの松」があってこれ...
畝火山口神社夏祭り お峰デンソソ 7月28日29日 外部資料料 畝傍山の山麓(昔は頂上)に鎮座する畝火山口神社の夏祭りは、毎年7月28日29日の両日行われ、俗に「お峰デンソソ」といわれて、近在からの参詣者も多く、参道には露店が立つ並ぶ。昔は近在42村の郷社であった。農家では...
灯籠流し 吉野郡上市町 7月下旬 外部資料 上市は下市とともに古くから吉野奥地との交通の足だまりで、物資の集散市場として多くの商店が栄えてきた。これらの商店が自家の取り扱う商品を組み合わせて、舟や車などで、様々の姿を作って組み立て、祭りの催しとしていた。大正6年、上市実業協...
帯解寺の子安地蔵会 7月23日 24日 外部資料 子安山帯解寺は千二百年前の神護景雲二年(768)の創建といわれている。文徳天皇の御妃染殿皇后が久しく御子なく、御憂慮の時に皇后の祖神である春日明神の夢の御告げによって、この寺の本尊子安安地蔵菩薩にご立願あらせられた。そして皇...
解除会 蓮華会 外部資料 夏にそなえて大和の各地で、「名越の祓」「蓮華会」などと呼ばれる除厄防病の行事が行われる。聖武天皇の勅願で鎮護国家の大寺として創建された東大寺では、7月28日大仏殿の前に茅草でつくった径3メートルにも及ぶといった茅ノ輪が設けられる。午前8時から東大寺...