いつも当ブログをお読みくださりありがとうございます。この度、TCC竹島クラフトセンターをしばらくの間、お休みをさせていただくこととなりました。体調の回復状況で必ず再開致しますので、竹島クラフトセンターをよろしくお願いいたします。 再開の花は地綿の花は1000年の三河の時を刻み続けて来たしばらく休業
愛知県の観光名所[竹島]の俊成苑に構える手織り工房 [竹島クラフトセンター]の主人が送る大きなひと
蒲郡観光の中心竹島海岸竣成苑において、市民と観光客を対象に織物工房と手織り教室を開催しています。旅の途中に絶景竹島の風景を眺めながら三河木綿の手織り体験で癒しの一時はいかがでしょう。
豊橋から手織工房に通うヒラマツさんお勤めの間の時間をやりくりして竹島クラフトセンターへ通って作品制作に励んでいます。織り始めは織り込みパターンのサイズを安定させることに苦心しましたが現在は同じサイズで織り込み密度を安定させています。機械織りは機械的に一定距離に一定密度を織り込むように製造されていますが、手織機は織り込み密度を安定させることは至難の技で誰もが苦心しています。平松さんは至難の業を見事にクリアーして一定に緯糸密度を保つ技術は見事です。ヒラマツさんがデザインを織ります
手織体験をしたいんですが出来ますか?一人の女の子が手織体験の申し込みです。さっそく木陰に織機と道具を運び出しました。織機の向こうに竹島が見える海の香りを乗せて海風が吹き抜ける潮騒を聞きながら手織が進みます「おー!綺麗に織れてますね」「織物は楽しいです」自分の手から出来上がってくるコースターを愛おしそに眺めながら言った。芝生広場に人影もなく静かな風景が浜の木陰で一人機を織る少女を浮かび上がらせているそしてコースターが織りあがった「楽しくて、終わりたくないです」「何時までも織っていたい」そう、言いながら少女は織機から離れた出来上がったコースターを掲げて記念撮影ですおめでとうございます!手織体験を楽しみました
絡み織りが織り上がりました。織機から布が離れます。「この一瞬はドキドキしますね」絡み織り、捩り織り、絽の織物、紗の着物、糸間に隙間が出来る織物は多いが一般の人が織るには特殊な装置を付けて織ります。”織物の向こうに竹島が見える”また一つ私だけの技法ができました。私の捩り(もじり)織り
蒲郡市看護専門学校の生徒さん、地場産業を理解する為に体験学習です
蒲郡市看護専門学校の生徒さんが蒲郡市の地場産業を知ってもらい理解する為に繊維産業の織物体験をしていただきました。今日は蒲郡市大塚公民館へ手紡ぎ機や手織り織機を持ち込み綿から糸を紡ぎ、その糸で織物を作る、という体験授業です。初めて見る紡錘車(糸車)と織機に戸惑いながら講師の指導で糸を紡ぎ織機で織物を織ります。かつては繊維の町蒲郡と言われ綿織物では全国有数の町でしたが最近では織物の町であったことも知らない子供達も多いです。最初は緊張気味に始まった織物体験ですがしばらくすれば「織物って楽しいです」「いろいろなデザインが楽しめて嬉しいです」と、喜びのコメントをいただきました。蒲郡市看護専門学校の生徒さん、地場産業を理解する為に体験学習です
JR蒲郡駅にある観光案内所ナビテラスから市の観光用レンタサイクルに乗って女性が手織体験にやって来た。今日は良い天気だから藤棚の下が良いでしょう涼しい海風が吹き抜ける木陰で手織体験です。「良い気持ちだわ、ここ最高ね!」収穫した綿から種を取り除く綿繰り体験と弓を使った綿打ち作業の説明を受けながら、自ら紡いだ糸を織り込む手織体験フルコースの手織体験がスタートです。海の向こうに緑の竹島と白い橋が伸びる絶好のロケーション海の涼風を受けながら体験が進みます。「気持ちいいわー」ナビテラスの自転車を置いて、手織体験が進みます。「こんなところで三河木綿が織れるなんて最高」お二人とも手際良い作業でコースターが織れて来ました。自ら紡いだ糸を織り込み美しいコースターが完成しました。「わー!嬉しい」「楽しかったです!」完成したコー...手織りをしたくて名古屋から来ました
「今度は風通織りを織りたいです」と、西尾市から通うスズキさん手織ではかなりの技法を織って来たが今回は風通織りです「では同じ織機なのに、何故?2枚の布が織れるのか」ノートを持ち出して織物の勉強が始まった。一重と二重と3重の織物を織り分ける方法もこれから学ぶスズキさん、市松柄に変化をつけて自分流のデザインを織り出しているがこの上にどんな技法を加えるか、それが彼女への課題である。風通織りに挑戦しています
今日は120cm幅の大型織機に広幅三河縞を織る為に整経機と大管立てをセットした。幅1mの三河縞を織る計画だがその準備は計算機と首っ引きだ。大菅に何メートルの糸を準備をするか、「この歳になってグラムと長さの計算で自分の錆びついた脳に改めてびっくりであった。糸量計算は織物を織るには大切な計算を要求されるのだ。さて、どんな糸を準備してどんな三河縞を織るのか作る私も期待する企画である。大型織機の企画が始まった
浜松市浜北区と言うのだろうか北区と言うのだろうか、まあ、どっちでも良いが地番が変わるのは自然と文化を表す基本が変わるのだそういえば、女性の方は結婚を機に苗字を変える人が多い初恋の人が名前を変えて目の前に現れた時、旧姓を胸の中へ飲み込んだ覚えがあるそんな想いを感じる地名を気にする今回の山登りである細江町の国民宿舎奥浜名湖荘をベースにして登り始めた。出迎えてくれたのは、躑躅の枯れ花にクロアゲハが写真、写真!撮れたのがこの写真「どこに、クロアゲハがいるの?」いや、此処に(右端に)急坂を登るが、最初から急登は大変であるゆっくりのつもりだが急いでいるのだ平地で歩くリズムが身についてしまって登山のリズムにに乗れないのだ。舗装された急坂を登ると、おもかる大師という石仏があった横に言い伝えの看板がある「ねえ、持ってみない...尉ケ峰に登るが登頂ならず者は私
27年前の多重織りガーゼケット、南フランスの刺繍ブテイをジャガード織りで
今日は27年前に製作したガーゼケットが出て来たので紹介しよう、(この商品企画はたった〇円で出来たのです。)この商品は経糸はコットンで緯糸はコットンと一部ウーリーナイロン糸を使用して織っている。なぜ?この織物を作ろうとしたのかというと、私は南フランスのブテイを初めて見た時、表の布と裏の布の間に綿を入れて2枚の布を縫い合わせるために刺繍を施してある布を見て、”これをジャガード織りで織って見たい!、と思い織り職人共同企画で織り上げてみました。綿の膨らみと、刺繍によるパターンが美しいブテイ刺繍を織り表すために私は、ウーリーナイロン糸を織り込んでみました。綿の膨らみを増す為にウーリーナイロンと多重織り組織の糸を重ねて織りました。結果、5重織りの組織で中綿としてウーリーナイロンを織り込んであります。緯糸のウーリーナイ...27年前の多重織りガーゼケット、南フランスの刺繍ブテイをジャガード織りで
真っ黒い雲に覆われた思ったら突然雨がくる俊成苑も見る間に雨水に浸る中を観光客が走り去ると、思ったら日が差し青空をみせると言う慌ただしい天気の移り変わりに戸惑っていると「手織体験をしたいんですが」と、二人の女性が手織体験の申し込みです。午後に時間をずらしていただいて体験が始まりました。体験が始まる頃には天気も上がり日が差し始めた。「あんなに降っていたのに今は陽が差してる」織りながら時々竹島を眺めながら織り進めています[手織体験が出来て良かったわ]スタッフから織物が出来る原理と織機の操作方法を学びながら手織体験が進みます。竹島クラフトセンター特有のカスリ柄が現れると「自然に模様が織り現れるので楽しいです」「なぜ、模様が出るのでしょう」「糸に絞り染めの技法を使って染めているので予想不可能な模様が織れるのです」「...大雨の中を竹島の手織体験めがけてのご来店です
「整経が出来たよ」思わず声が出てしまうほど久しぶりのこの織機、実はこのセクショナルビーム付き織機を使うのは5年目だ。この度、1m幅の織物が欲しい企画の登場で、この織機が教室に設置されたのだ。整経機機能付き織機で、何か難しそうな織機なのだが、実は大変便利な機能を持っている。「この整経機が経糸用のビームになるのだ」というとそんな織機があるのですかと思われる以前は広幅三河縞を専門に織っていたこの織機なのだが、今回も変形三河縞を織る為に使用するつもりで準備に入った。セクショナルビームの整経が出来た!
「手織体験がしたいんですが出来ますか」手織体験の申し込みである。早速織機の準備をして体験が始まりました。「好きな色を選んでください」好きな色はグリーンだった。客様の色選びを見ていると御召しのお洋服や装飾品と同じ色を選ぶ確率が高いのであるはしてこの女性は?と思って織機を回り込むとなんと!コースターは緑色であったのだ。色選びの経緯と確立を話すと「あら!私もそうだわ」「両耳が綺麗に織れていますね」「私この色を選んで良かったと思っています」写真を撮っても良いですか?とカメラ撮影を申し出ると「良いですよ、私ブログを見てますから」「えっ!、えっ!本当ですか」最後の房作りの途中「あれ!ここの房を作り損ねてしまったわ」大丈夫ですよ、なおすのは得意なんです!と、スタッフがふさを直して出来上がり完成です。わー!、出来たわ嬉し...横浜から手織をしたくて来たのです。ブログ見てますよ
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いつも当ブログをお読みくださりありがとうございます。この度、TCC竹島クラフトセンターをしばらくの間、お休みをさせていただくこととなりました。体調の回復状況で必ず再開致しますので、竹島クラフトセンターをよろしくお願いいたします。 再開の花は地綿の花は1000年の三河の時を刻み続けて来たしばらく休業
三河地棉に顔が見えるんです崑崙人が持って来た棉の印を私は知っているパンダの赤ちゃんのような棉のお尻なんです。海外の洋棉や和棉にはこのような模様は無いそれは神が私に知らしめてくれた天の技とも思えるのであるそれゆえこの可愛らしさとユニークな棉を私は愛でるので有るこれが三河地棉の顔なんですよ
昨年の米が夏を過ぎれば古米となる今年の酷暑で米の袋から虫が湧いた「お父さん虫干をして」太陽に当てたら見事に米虫は退散した。 テレビを付ければスーパーの米不足で大騒ぎ今の現代の話?私が生まれた時は戦後の食糧難で餓死者や栄養不良者の話は普通の時代であった。闇米に手を出さずお亡くなりになった裁判官の話もあったが私もボロの服を着て駅前の食糧配給所の長い列に母と並んだ記憶が蘇る一升瓶に入れた玄米を棒で突いて精米した記憶も甦る ”スーパーの棚から米が消えました”『米はありますから大丈夫です!』スーパーの店員に事情を訊いた大臣もいる程で お父さん残った玄米は捨てようか?いや、米は日本人の命だから捨ててはいかん! 糖尿病にはパン食は危険だと言われてパンは食べない その昔の話だが「鈴木くん、この草は食べられるぞ」と、町内...米に虫が・・
苅安で染めた糸でバッグを織りました。バッグの右側は苅安の銅媒染で丸くデザインしたところは鉃媒染の糸、左側の経糸は鉃媒染を使用しています。 ベルトは真田紐を織って使っています。「お気に入り作品がまた一つ出来ました」と、ご満悦なOsukaさんでした。草木染め苅安バックを織りました。真田紐を織って付けてみました
暑い暑い夏の最中をよっ杯運転のような台風がノロノロと日本列島を縦断と思いきや三河の手前で消滅という事態悲しいことに蒲郡市内では土石流に襲われ犠牲者が出て市内は悲しみに包まれています。お亡くなりになった方にご冥福をお祈りいたします。そして怪我を負ったご家族様には1日も早いご回復をお祈りします。 私はこの間、映画撮影のため”見たこともない三河縞”の制作のためTCCに立て篭もり密かに織物制作を続けました。作品の制作中の写真は無いのでどのようにできるか、是非映画をご覧くださいますよう期待しております。 お久しぶりの投稿です
今日の竹島遊園は、昨夜の嵐の余韻を残し強風が吹いています。やっと例年の師走の竹島が戻って来た感じです。薄日がさしたり、翳ったりで寒さが戻って暖かさになれた体には、強風の橋の上を歩くのは、かなりの覚悟がいりますよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・竹島クラフトセンターは今日から年末年始の休みに入ります。店の中では、みかん草木染めの手織の準備中でした。前のブログでは整経の作業の写真を載せましたが、今日は筬通しの作業中でした。整経で準備された1000本の経糸を筬に通しています。整経では必要な長さの経糸を一本づつ奇数偶数に分けて区別できるようにします。筬はその経糸を織物に必要な幅に均等に並べて、横に通った緯糸を手前に引き寄せる働きをします。筬は織機の幅の、織物に必要な密度で...TCC・竹島クラフトセンター、みかん草木染めの筬通し
この作品は20年前に製作した柿渋染めです。 柿渋染め作品を織る
霧の中の竹島散策を楽しみました。霧雨でしたが、橋の真ん中あたりに差し掛かるとさすがに海の上を歩いてる事を実感します。顔に当たる雨をこらえて陸の方向を見ればホテル竹島と蒲郡プリンスホテルが霧に霞んでまるでグラディーションを利かせた絵の様に浮かび上がっていました。竹島を一周する遊歩道は自然のままで、あまり手が入ってなくアドベンチャー気分で歩けるのでアウトドアー派の私には心地良い道で好きである。磯の岩陰を覘き込みながら、潮溜りの中のイソギンチャクやヤドカリなどの生き物を虫眼鏡で見るのが好きだ。小さな宇宙の小さな生き物たちの世界を大切にしないとね、自分達の世界もね~。心配だよね~。TCC・竹島クラフトセンターに入ると木曜日のメンバーがそれぞれの作品作りに勤しんでいました。今日はメンバーの一人で蒲郡市の手織り教室の...TCC・蒲郡竹島クラフトセンター作品-2
今日の竹島は風が強く寒い一日でした。それでも日ごとに日差しが強く感じるのは、もう春が近づいた証拠なのだ。TCC竹島クラフトセンターでは木曜日のメンバーが手織をしていました。当センターの主力メンバーで蒲郡市の開く手織り教室の第一期卒業生の人達である。「私、次はこれを織りたいわ、風通織って難しいですか?教えて下さい。」「デザインを書いてきました、このデザインで織りたいんです。」「三河木綿のテーブルセンターを表現したいんです」そして織り上がって来たのがこの織物です。(写真)*機草の変わりにパンチカードの様な物を使っていますが、これはTCCの主人の本業のジャガード織機の柄を織り出す紋紙と云う物です。TCC・蒲郡竹島クラフトセンター開設当時の木曜日教室でした。
昨日の竹島は午後は雪混じりの雨になりました。橋を渡る人影も少なく、寂しい竹島でした。TCC・竹島クラフトセンターでは、皆さんそれぞれ自分の課題を決めて作品の製作に勤しんでいます。今は、羊毛を使って手紡ぎに夢中な人、最後の冬物を織っている人、今羊毛の手紡ぎのメンバーは来年用?「いやいや季節なんて問わないのよ、自分だけの糸を作るのが楽しい!」と言う答えがかえってきます。裂織りでは、古い着物をゲットするのが大変です。 「これお婆ちゃんが残してくれた物よ」「いい着物でしょ、捨ててしまうのがもったいないから、裂き織りで織るのよ」裂き織りは織り上がるとベストやバッグに仕上げます。旦那様のバックを織っている奥様は、「この緯糸は無くなった父の着物の裏なのよ、物が良いから裂き織りにするの、そうすれば形見としていつまでも身に...TCC・蒲郡竹島クラフトセンターの開設当時の記事だ。思えば遠くへ来たもんだ
今日は生徒からメールが届いた。先日綿畑に植えた棉が発芽した連絡である、 棉畑で、棉の新芽を見ながら私は想いに耽っていた。 私が織物を好きになったのは、拡大レンズで織物を覗いた時からである、綿の繊維が撚り込まれて一本の糸になり、その糸が数百本数千本と整経された経糸が整然と並べられていて、そこへ緯糸で規則正しく組織された織物という物が存在し、柄が作られファッションが表現されいることに驚嘆したものである。 それが、私でも出来る!、その事を知った時が私の織物人生の始まりであった。 こんな織りの仕組みが数千年前に考えられ、人類の命を守り、人間の美を飾った。私はエジプト文明のミイラを包んだ麻の織物を見た時、7000年の時代経過を超えた織物技術と布を作る人々の心を想像していた。 人類は古代からその時代その時代の総力を...織物産地の存続を憂う、織物と文化それは棉の芽吹きから始まった
日本に初めて棉の種が渡来したのが西暦799年11月現在の西尾市、旧福地村であった。三河湾の海岸に小舟に乗った青年が漂着した。その青年は東南アジアの民族衣装を身に付けて1弦の琴と棉の種が入った壺を持って上陸したのが、”日本の棉の伝来の始まり”である。(三河種の花は全体が黄色一色で萎れても黄色でピンクに変色しない) 青年は、助けてもらったお礼に棉の種と棉の栽培方法を村人に教えた。それが評判となり朝廷にも情報が入ると青年は朝廷に招かれ事情を聴取され、中国人通訳によれば彼は”崑崙人”であると、いう事になった。 そこで問題になったのが”崑崙人”である崑崙といえば北アジアの崑崙山脈が有名であるし当時の唐の最奥に位置して神聖なる山であり宝玉の出るところそれが崑崙山であった。しかし、温暖な土地で育つ綿花が北方アジアは考え...三河木綿の崑崙人はベトナムチャンパ王国からやって来た-2
豊橋から手織工房に通うヒラマツさんお勤めの間の時間をやりくりして竹島クラフトセンターへ通って作品制作に励んでいます。織り始めは織り込みパターンのサイズを安定させることに苦心しましたが現在は同じサイズで織り込み密度を安定させています。機械織りは機械的に一定距離に一定密度を織り込むように製造されていますが、手織機は織り込み密度を安定させることは至難の技で誰もが苦心しています。平松さんは至難の業を見事にクリアーして一定に緯糸密度を保つ技術は見事です。ヒラマツさんがデザインを織ります
手織体験をしたいんですが出来ますか?一人の女の子が手織体験の申し込みです。さっそく木陰に織機と道具を運び出しました。織機の向こうに竹島が見える海の香りを乗せて海風が吹き抜ける潮騒を聞きながら手織が進みます「おー!綺麗に織れてますね」「織物は楽しいです」自分の手から出来上がってくるコースターを愛おしそに眺めながら言った。芝生広場に人影もなく静かな風景が浜の木陰で一人機を織る少女を浮かび上がらせているそしてコースターが織りあがった「楽しくて、終わりたくないです」「何時までも織っていたい」そう、言いながら少女は織機から離れた出来上がったコースターを掲げて記念撮影ですおめでとうございます!手織体験を楽しみました
絡み織りが織り上がりました。織機から布が離れます。「この一瞬はドキドキしますね」絡み織り、捩り織り、絽の織物、紗の着物、糸間に隙間が出来る織物は多いが一般の人が織るには特殊な装置を付けて織ります。”織物の向こうに竹島が見える”また一つ私だけの技法ができました。私の捩り(もじり)織り
蒲郡市看護専門学校の生徒さんが蒲郡市の地場産業を知ってもらい理解する為に繊維産業の織物体験をしていただきました。今日は蒲郡市大塚公民館へ手紡ぎ機や手織り織機を持ち込み綿から糸を紡ぎ、その糸で織物を作る、という体験授業です。初めて見る紡錘車(糸車)と織機に戸惑いながら講師の指導で糸を紡ぎ織機で織物を織ります。かつては繊維の町蒲郡と言われ綿織物では全国有数の町でしたが最近では織物の町であったことも知らない子供達も多いです。最初は緊張気味に始まった織物体験ですがしばらくすれば「織物って楽しいです」「いろいろなデザインが楽しめて嬉しいです」と、喜びのコメントをいただきました。蒲郡市看護専門学校の生徒さん、地場産業を理解する為に体験学習です
JR蒲郡駅にある観光案内所ナビテラスから市の観光用レンタサイクルに乗って女性が手織体験にやって来た。今日は良い天気だから藤棚の下が良いでしょう涼しい海風が吹き抜ける木陰で手織体験です。「良い気持ちだわ、ここ最高ね!」収穫した綿から種を取り除く綿繰り体験と弓を使った綿打ち作業の説明を受けながら、自ら紡いだ糸を織り込む手織体験フルコースの手織体験がスタートです。海の向こうに緑の竹島と白い橋が伸びる絶好のロケーション海の涼風を受けながら体験が進みます。「気持ちいいわー」ナビテラスの自転車を置いて、手織体験が進みます。「こんなところで三河木綿が織れるなんて最高」お二人とも手際良い作業でコースターが織れて来ました。自ら紡いだ糸を織り込み美しいコースターが完成しました。「わー!嬉しい」「楽しかったです!」完成したコー...手織りをしたくて名古屋から来ました
「今度は風通織りを織りたいです」と、西尾市から通うスズキさん手織ではかなりの技法を織って来たが今回は風通織りです「では同じ織機なのに、何故?2枚の布が織れるのか」ノートを持ち出して織物の勉強が始まった。一重と二重と3重の織物を織り分ける方法もこれから学ぶスズキさん、市松柄に変化をつけて自分流のデザインを織り出しているがこの上にどんな技法を加えるか、それが彼女への課題である。風通織りに挑戦しています
今日は120cm幅の大型織機に広幅三河縞を織る為に整経機と大管立てをセットした。幅1mの三河縞を織る計画だがその準備は計算機と首っ引きだ。大菅に何メートルの糸を準備をするか、「この歳になってグラムと長さの計算で自分の錆びついた脳に改めてびっくりであった。糸量計算は織物を織るには大切な計算を要求されるのだ。さて、どんな糸を準備してどんな三河縞を織るのか作る私も期待する企画である。大型織機の企画が始まった
浜松市浜北区と言うのだろうか北区と言うのだろうか、まあ、どっちでも良いが地番が変わるのは自然と文化を表す基本が変わるのだそういえば、女性の方は結婚を機に苗字を変える人が多い初恋の人が名前を変えて目の前に現れた時、旧姓を胸の中へ飲み込んだ覚えがあるそんな想いを感じる地名を気にする今回の山登りである細江町の国民宿舎奥浜名湖荘をベースにして登り始めた。出迎えてくれたのは、躑躅の枯れ花にクロアゲハが写真、写真!撮れたのがこの写真「どこに、クロアゲハがいるの?」いや、此処に(右端に)急坂を登るが、最初から急登は大変であるゆっくりのつもりだが急いでいるのだ平地で歩くリズムが身についてしまって登山のリズムにに乗れないのだ。舗装された急坂を登ると、おもかる大師という石仏があった横に言い伝えの看板がある「ねえ、持ってみない...尉ケ峰に登るが登頂ならず者は私
先週に続いて三河苅安を染め材料に使いました。乾燥した苅安を原料に染めました。竹島の綿畑の周りには自然に生えているので助かります。寸胴で苅安を煮立てて一番汁、2番汁をとりました。煮汁に苅安の色が溶け出て来ました糸を絡ませない様にして撹拌します。「なんかあまり染まりそうもないね」寸胴に漬けたまま忘れていて、寸胴から取り出し銅媒染して見ると「おー!いい色が出ているぞ!」アルミ媒染と比べると緑色が掛かった良い感じの色になりました。”キーポイントは自然のままに、のんびり染めましょう”外気に触れて色の発色がますます進み先日のアルミ媒染と比べてみても自然の優しい色合いが気持ちいい、6年ぶりの草木染めだが、やっぱり布染めとは違って糸染めは芯から発色するので自然の力を感じる明日は、体験予約もないので鉄焙煎をして報告します。ミカワカリヤスで染めました今日は銅媒染
手織教室の課題作品である風通織りです。経糸2色緯糸2色で袋状態の織物を織ります。今回のオマケの課題として市松柄の中へ綿を入れる織り方をしていただきました。作者は教室のTugeさんです。Tugeさんは只今3重織りの勉強をしています。Tugeさんがお勤めの会社三敬(株)では6重ガーゼの製品を作っていますが手織り織機で多重織りの原理を学んでいます。風通織を織り上げました
竹島の三河木綿の綿畑(蒲郡コットンプロジェクト)に生えているカリヤスを採取してカットと乾燥処理をした染め材を使っての染めの授業である三河地方に咲く苅安を特別に三河苅安という名前が文献に残っていたので綿畑に雑草として生えていたミカワカリヤスを使って染め材とした。一番液と2番液を使って、前処理をした糸を使って染めた結果良い感じに染まりそうなので漬けたまま一晩置いて今日は酢酸アルミで焙煎をしたが、次は銅焙煎と銅焙煎の授業をする。結果はご覧の通り良い結果が出たので、三河産地のミカワカリヤスとして新たな利用が出来る見通しもついた。三河の雑草から新しい産物を業界から発信したい!三河の綿でみかん染めと三河苅安で染めた商品開発である。草木染めミカワカリヤスで染める
竹島クラフトセンターでは今月から始まる市内小学校の授業で三河木綿を学んでいただく為の手織教室の準備が急がれている、15台の手織織機に経糸をセットする作業の最中である15台の本格的手織り織機で60人の生徒さんが2時間で手織りを体験する市の備品である織機と竹島クラフトセンターの織機を使って小学校の教室に運び込み2時間で60人の子供達が織る計画で、一人一枚づつのコースターを織り上げていただきます。作業を始めて一週間、毎日この作業にかかり切りであるが今年もなんとか準備が出来そうだ。小学校の生徒さんに市の基幹産業である繊維産業を知ってもらい実際に綿を育てて綿から糸を紡ぎ、その糸を使って織物を織るという実際には不可能と思える授業をやり始めて10年、市内全校の生徒さんが体験するまでになったが、寄る歳波で今年が最後かな?...小学校の手織教室に使う織機の準備中に思う感謝の心
今日は砥神山へ登った蒲郡市三谷温泉の北に聳える双耳峯の山で私たちは年に数回は登ることにしている獣害防護柵を通ると人間社会から離脱して自然界に入ったと通るたびに痛感させられるがこれが現実の自然界なのだ。街の幹線道路から数分でこの世界なのだ。お!、誰が彫ったか自然石にハートの彫刻だ林道の終点に天幕が設営されていて、私達も一休みだ「ベースキャンプ気分だね」登山口にある杖を借りて登り始める休憩ベンチで一休みだ林の間から竹島が見えるいつもの事ながら我が家を見る嬉しい感覚になるのは私も蒲郡人になったのかも知れないいつもながら歩き登る喜びを感じる登山道だ優しく歩幅に刻まれた石段を登る途中にこぶな草や草木染めの材料が咲いている道をゆく出た!、突然山頂に飛び出るとそこは砥神山山頂であるそこには役行者の像が祀られていて大峰山...裏山散歩砥神山へ
仕事が終わり外に出るとすでに日は沈み夜の竹島の海に変わる時であった。1日の名残りを燃やす様に空は赤く落ちる夕日を見ることが出来なかった名残を追っていた振り返れば竹島は黒のシルエットを残し街路灯は海に長く光りゆらめき私の1日の疲れを癒してくれた竹島の夕べ
今日は休日で昼から家を出て歩き始めました。「どこへいくの?」「今日は日本列島だ」「?」今日はここを歩きます。「ここは以前に来たことがあるよ」「そうです、ここが日本列島だ」「何だか草ぼうぼうで怖く無い?」「県かどこか管理しているんだろう」日本列島へ渡る橋の街路灯のオブジェは錨だろうか青空に生えてカッコイイ九州に上陸して本州に渡ったら磐梯山に登っていた出来た当初は綺麗に展示されていたが、最近は手が入らないのだろう「もったいないね」富士山だ!本物の富士山は13回登っているが、今日の富士山は入山禁止となっている8月の初めの夜に、ここでみた三河のあちこちの花火が見えて最高だった。そして、津軽海峡で一休み択捉島、国後島、カムチャッカからアメリカ大陸に橋を渡ると平原の秋の色はこの写真だった秋の三段染めがここにもあったの...日本列島を歩きました
「出来ました」豊川市から通うItoさんが織り上がり宣言をしました。「おー!、出来たね」一週間に一度、教室に通って織り続けて今日は織り上がりの日となった今までの課題は自分好みの地味目のカラー展開でしたが、今回は原色羊毛のカラーから好きな糸と自分で描いたデザインを元に原毛をカーダーにかけて、紡錘車で糸を紡ぎ、織り続けて来ました。出来上がってみると想像以上のボリュームに圧倒されそうです企画をしているうちはクッションにしようか、それともラグマットにしようか継ぎ合わせてカーペットにしようかと考えていた様ですが、「先づは部屋にタペストリーとして飾ってみます」「アートは苦手なのよ」と言っていましたが、やってみると次の展開に夢を馳せているItoさんでした。出来ました!織機から切り離します。ドキドキ
イベントもなく静かな竹島俊成苑を眺めながら手織体験のお客様「こんな静かな絶景の中で機織りが出来るなんて贅沢ですね、スタッフから織物が織れる仕組みや織機の操作を教わりながら体験が進みます。「機械を扱うので難しそう」「糸がセットされているので思ったより簡単ですよ」そうなんです、織機の経糸をセットする事が難しいのです。秋の風をうけて海を眺めて三河の土地で織る三河木綿「最高ですね」そして自ら織った三河木綿をお土産に出来るなんて最高ですアーティストが楽器を奏でる様に、機で色を操るアーティスト、それはあなたです。「最高です」「楽しかったです」今日も嬉しいコメントをいただきました。竹島で秋の日を浴びて手織体験です
手織の基本である平織で始まった手織教室10回コースの課題だがKatoさんは今日から綾織りの組織の課題になります。先週は手織織機の綜絖を4枚使う経通しを学び、今回は綜絖の操作で綾を織る事を学びました。2回ほ綜絖操作をやり返すと綾を織る操作と原理を理解して、あとは組織図を確認しながら織り進めると綾目が織り出されて平織よりも柔らかく膨らみのある織物が現れました。10センチほど織り進めたら綾組織を反転するとどうなるかなど綾組織を基本とするレバー操作から色々な組織を学ぶ授業が始まりました。初めて織った組織織り
このところ、観光客の減少が著しい竹島海岸だが、昨日と今日は八百富神社の祭典でお祭り屋台が出て賑やかな1日となった。竹島俊成苑にもキッチンカーが並んでハッピ姿の人々で賑わった。八百富神社のお祭りで賑やかな1日
かつて日本の家庭に室内装飾の概念を定着させた織物が2節織りです。その頃、蒲郡市はジャガード織物では一宮市、江南市と並んで日本有数の織機台数を保持している産地でした。(竹島クラフトセンターの8枚綜絖手織織機で織ったゴブラン織り組織)昭和40年代には床は畳敷で窓はガラス窓と障子の室内が多かった。床にはゴブラン織にビニールをコーテイングしたビニールカーペットを敷き、唐草紋様と花柄で西洋風のインテリアに模様替えして、窓にはゴブラン織や2節織の織物のカーテンで飾った。今日の、2節織り組織を織る課題に協力してくれたのは豊川市の曽田さんと西尾市の信田さんの両先生です。ジャガード織りの組織の織物を、8枚綜絖織機で2節織りを再現していただきました昭和40年代のインテリア装飾の再現、懐かしさを感じ、その頃の繊維工業の隆盛時代...今日の課題は、日本の家庭インテリア装飾の草分けの2節織りでした
「手織体験は出来ますか」二人の女性が手織体験の申し込みです早速色糸を選んでいただき織機に向かいます。”出来るかな?”織機に座ると誰も少々不安げになります「大丈夫ですよすぐ楽しくなりますよ」「綺麗ですね、この色を選んで良かった」一本毎緯糸を通す毎にブルーの世界が変化して来ます「手織って初めてだけど楽しいね」「昔の人はこうして織物を作っていたんですね」綿花の作付けから着物を装うまで、それは全くのSDgの世界だったまた種を蒔けば綿花が実る、それは昔から持続的生産が行われていたのです。綿を捻れば糸になり、糸を交差すれば織物に変わるそれも人間の手で作っていた、電気も石油も使わずにエネルギーは自然から頂いたのです「出来たわ、これ素敵でしょ」私の手から生まれたコースターよ!自分の手で作り上げた喜びその笑顔は最高に素敵で手織をやってみたくてお友達と竹島に来ました
「手織体験をしたいんですが」二人の女性が手織体験の申し込みです。早速、織機の準備をして手織体験が始まりました。スタッフから織物が出来る原理と織機の操作法を学びながら手織作業が進みます。最初は慎重に織り進めていましたが、慣れるほどにリズミカルに織っています。「凄く楽しいです」「こんな景色の中で織れるなんて」一段一段と緯糸が織り込まれる毎に織物が変化する様子は現実世界を見る様でドラマが織り込まれていきます。「出来ました」「凄く嬉しいです」「おめでとうございます」小さなコースターですが、でかい世界を織る様な感覚で完成の喜びは大きいのです。三河木綿の手織体験をしたいんです
一週間前に手織体験でご来店くださった女性が「私の家に江戸時代の三河木綿があります」の一言から始まって今日はその三河木綿を持って来てくれたのです。三河木綿のそれも江戸時代の古布が見えるとあって私も興奮気味だった。その、お嬢さんと友人の手織体験がはじまった。今日は三河木綿の綿繰りと棉打ちと手紡ぎをする三河木綿のフルコースです。手紡ぎでは糸作りの困難さを理解していただきました。綿から糸を紡ぐ、江戸時代の人達の苦労を知って、家の古布を作った人々の苦労を体験していただきました。繊維産業は江戸時代以前から工業の分業による商工の基礎であった。綿から商品の布になるまで多くの分業で成り立ち完成度の高い工業として続いて来た。今日はその一端を体験していただき、物を作り出す喜びと、作り出す苦労を、今日見せていただいた古布の中から...江戸時代に木綿の商いをしていた江戸家のお嬢さんの三河木綿のフルコース体験
「私の家には江戸時代の三河木綿と三河縞があります」店に手織体験に訪れた女性の一言から始まった。今日は三河木綿の古布の入った段ボール箱を持って来て頂いた。拡大鏡で除くと江戸期の手紡ぎの綿糸が現れ当時の人々が糸を紡いでいる様子が本当に手に取るように観察出来た。数十点の古布木綿の中で、特に感激したのは三河地綿を紡いで織った藍染めの布であった。「この木綿は三河地綿を紡ぎ織り上げたものだ」和綿の感触とは違う木綿地に私が紡いでいる糸とまるで同じ特徴を呈していた。1513年に興福寺の記録に三川と特記されていた木綿は三河地綿であった可能性も考えられるのだ。(私の推測である)現代は木綿の種の移動が容易となり、地方独特の木綿種の存在は少ないが、三河木綿は西尾市福地の天竹神社の神事として残されたおかげで、三河種のその特徴が種別...これが江戸期の三河木綿です
竹島クラフトセンターは臥雲辰致の紡機が動く手織教室である私は毎日臥雲辰致式の紡糸を使った企画に思いは馳せる手紡ぎの糸をガラ紡機でと、始まった事だが15番手の糸が出来る様にまでなった。竹島クラフトセンターの手織教室に設置されたこの紡機で出来た糸を眺めては番手を測ってガラ紡機の調節に余念が無い何を作ろうか、妻と私のブレザーでも織ろうかそれにしても、臥雲辰致の紡機は手紡ぎの原理そのままに追求した。もっとも人間に近いではないかと想えるほどの動きをする機械である。私はそれを常に毎日眺めているが飽きたことはない。ガラ紡糸で何を織ろうか
「ここを織り直したいです」作者のItoさんの織機に掛けられていたのは下の写真だったきっと、思い余って変更を言い出したのだ。作品の中央の部分の色糸を変えたいという、「大賛成です、出来上がってからあそこを変えれば良かった。と作品を見るたびに後悔するよりも、今直すことは良いことです」描き直して、織り直して、完成に近づけるそれは約束事のない自由なもの作りだから自分のアートだと言うなら変えるべきなのだ。「こんなに変えてみました」おー!、変わったね、いいね、良かった良かった。嬉しくなる様に作品が変わりだしましたこれからの作者の変化が楽しみだ手織りで今日もアートしてます
「バッグのベルトを作りたいです」の一言から始まった。「信州の真田に古くから真田紐という織物がある和調の織り方だが日本の味わいのある織物だが織ってみるかい」織り幅は3センチ程だが、戦国の武士の使用に耐える強さが魅力である「私はバッグの紐に使います」とOsukaさんは言いますが、私は織れて来る真田紐に魅せられてしまった。他の生徒たちも触ってみては「わー!凄い、固く丈夫そう」「緯糸一本通るごとに板筬で締め上げてるから」一本通してはグイッと締め上げながら織るOsukaさんも自分の世界に没頭だ。Osukaさんは真田紐を織っています
今日は綾織組織の織物を織っているOguraさんの作品です。以前、綾織のダイヤ地紋で綿マフラーを織っていたが今回も自分で作図をして綿マフラーを織る企画です。ご自分で組織図も意匠図も作図しており、整経も經通しも図を基本に進めて来て今日は試験織りの日となりました。経糸は私が綿の30番手を合糸した糸があったのでそれを整経しました。緯糸は、作品で要求する密度を保つために色々と糸の候補を探して糸番手を探ります。「これが良いと思います」と、見せてくれた絲通しで番手もOKが出て織り始め本当の三河の糸で三河木綿の組織織りが始まりました。「組織図から描き上げてそれを織物に織り上げるという、ものつくりの醍醐味を味わえて世界で自分だけの織物を作る喜びを味わえる様になりました」すでにOguraさんは織物の世界に没頭しています。織り...Oguraさんの綾織組織で織っています