ロックダウンが解除され、寝ぼけまなこで活動を再開したフランス・パリ。絵描きが小さな屋根裏部屋から日々の様子を綴っています。
置き引き泥棒が、遊歩道の壁ぎわの暗がりに立って、岸の縁に放置されたぼくの買い物袋を観察している。背中を向けて立つぼくが彼の存在を感知していることに、向こうはおそらく気付いていない。もちろん彼が「あっしが置き引き泥棒でござい」とみずから名乗ったわけではない。けれども彼がぼくの背後をはじめに通り過ぎていったとき、その挙動はあまりに露骨に置き引き泥棒のそれだった。「あっしは善良な散歩者でやんすよ。鼻歌交じりに足取り軽く、前を見据えて歩くばかりで、あんたの荷物なんかにゃ見向きもしやせんよ……ちらり」。案の定彼はすぐに歩道を引き返してきて、遠目からぼくの荷物にかかわる価値とリスクを見積もろうとしている。…
ぼくは夏のあいだ広場で似顔絵屋をやっている。苛烈な日差しでお客が倒れてしまわないよう、大きな黄色いパラソルを立てている。そうだ、あれをタモ網に改造しよう。竿の長さは伸ばせば140cmにもなるはずだ。(この記事は前回のもの第二波セーヌを襲う - 屋根裏(隔離生活)通信の続きです) 6階の廊下はすでに静まり返っていた。箱入り育ちの隣室の姉妹は11時ごろには寝てしまう。ふたりの迷惑な隣人はいま、こともあろうに深夜零時に工作をはじめようとしている。静かな眠りを妨げてごめんよ。でも、とんでもない化け物が街に戻ってきたんだよ。そいつを退治するために、ぼくには武装が必要なんだ…… 押し入れからパラソルを引っ…
これから報告することは深刻な問題だから、本来ならば深刻な調子で語られるべきなのかもしれない。けれども草取りにかこつけて不平等の話などしてしまったあとだから、今度はあまり憂鬱な内容にしたくないという気持ちがある。だからなるべく悲壮な感じが漂わぬようあけすけに書いてしまうつもりなので、もしもちょっぴり乱暴な表現が飛び出してしまっても、どうか今回は目をつぶっていただきたい。 6月1日の出来事だ。この日は日曜日と重なった祝日の振り替えで、3連休の最終日だった。この週末からついに公園が解放され、そのうえ天気に恵まれたから、ぼくは近所のチュイルリー庭園で久々の野外スケッチをして午後を過ごした。ベンチにも芝…
パリ・コミューンという出来事について、ぼくは教科書通りの概要しか知らない。 パリ市民の蜂起によって生まれた世界で初めての労働者政権で、政教分離、教育の無償化、女性の政治参加など現代的な政策を掲げ、徹底的に平等な社会の実現を目指した。しかしほどなく政府軍の反撃を受け、墓地での戦いを最後に鎮圧され、解体。わずか72日間の儚い夢だった。コミューンの一員でもあった銅工職人が書いた『Le temps des cerises(さくらんぼの実るころ)』という歌が、この一時代のシンボルとして人々の記憶に留められている。 紅の豚 加藤登紀子~さくらんぼの実る頃~ さくらんぼのなる季節になったら 小夜鳴き鳥も物ま…
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