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  • 気圧の存在示した「マクデブルクの半球」 世界最初の真空ポンプも発明

    ドイツのマクデブルク市長を35年間も務めたオットー・フォン・ゲーリケは元々が物理学者だ。彼は「マクデブルクの半球」と呼ばれる科学史に残る公開実験を1657年に同市で行った。銅製の半球2つを貼り合わせ、真空ポンプを使って中の空気を抜いて真空にすると、半球は左右から8頭ずつの馬に引かせてもなかなか離れなかった。大気の重さ(圧力)を示したもので、その真空ポンプも世界で最初に自分で作ったものだった。彼は真空についてのいろいろな実験も行い、気圧計を作って気圧の変化で天気を予想できることを示した。また世界最初の静電発電機も作るなど、「ドイツの実験科学の確立者」とも称される。

  • 西洋の正確な解剖書に驚嘆 共訳『解体新書』出版

    解剖学は医学の基礎だ。古代エジプトや古代ギリシャで人体の解剖が行われたが、その後しばらく西洋では禁止されていた。再び医学的に解剖が注目されたのはルネサンス期で、1304年にイタリアのボローニャ大学で公開解剖が行われ、その後、体系的な解剖学の研究が他国の大学でも始められた。日本でも人体解剖は長く禁止されていたが、江戸中期の1754年に天皇の侍医をしていた山脇東洋が日本で初めて死刑遺体を対象に行った。そして杉田玄白と前野良沢らが、ドイツの医学者ヨハン・アダム・クルムスが1722年に出版した解剖学書『解剖学図表』のオランダ語1734年版『ターヘル・アナトミア』を翻訳し、1774年に『解体新書』として出版。日本の医学の進歩に貢献した。

  • 分類学に隔てなし ヒトはみな‟ホモ・サピエンス”

    スウェーデンの医師で分類学者リンネは「二名法」という学名の命名・表記法を考案し、世界の動植物を分類・整理した。われわれ現代の人間も「ホモ属サピエンス種」として、高等サル類と同じ「霊長目」に分類した。これには反発もあったが、今では常識化している。また日本など世界から集めた植物にも学名を自ら付けて分類した。

  • 革命に生命絶たれつ 化学に遺した‟質量保存の法則”

    裕福な家庭に育ったラボアジェは、大学を卒業し弁護士となり一時期、政府の徴税請負人となった。その一方、化学に興味を持ち、燃焼に関するさまざまな化学実験をした。発見したのが化学反応の基本となる「質量保存の法則」だ。さらに「酸素」の名前も付け、化学の教科書も仲間らと著するなど「近代化学の父」と称された。しかしフランス革命が起き、かつて徴税請負人を務めていたことから革命裁判所で有罪宣告を受け、ギロチン刑に処されてしまった。「彼と同じ頭脳は今後100年は出ない」と言われた。

  • 太陽中心説(地動説) 天文常識を180度の大転回

    若きコペルニクスは国内やイタリアの大学で天文学を学び、自分でも天体を観測するなどして太陽中心説(地動説)を唱えた。弟子に著書の出版を勧められ、ようやくコペルニクスも集大成に取り掛かった。しかし脳卒中に倒れ、校正刷りが出てきたのは死の直前だった。著書『天球の回転について』は出版されたが、教会の反対もあって地動説はなかなか認められなかった。再び注目されたのはガリレオ・ガリレイの宗教裁判によってだった。

  • 世界最初の電池「ボルタ電池」 ″乾電池”の発明は日本人

    皮をはいだカエルの足にナイフとホークを当てたら、足の筋肉が突然けいれんした。これについてイタリアの解剖学者ガルヴァーニは、筋肉にたくわえられていた「動物電気」によるものだと推論。これに対してアレッサンドロ・ボルタは2種類の金属を当てたことによる「金属電池」だと考えた。そして1800年に発明したのが食塩水に銅と亜鉛の電極を浸し、電線で結び通電させた「ボルタの電池」だった。これが世界最初の(液体式)電池だった。

  • 日本への船旅中にノーベル賞の知らせ しかし当時「相対性理論」は評価されていなかった!?

    宇宙論や原子物理学などに影響を与えた「特殊・一般相対性理論」の発表で、アインシュタインは「20世紀最高の物理学者」とも言われる。幼いころから数学が得意で、科学にも興味を持ったが、軍国主義的な規則づくめの学校になじめず、勉強に身が入らなかった。ようやく工科大学にも入学したが、授業には出ず自分で好きな物理学の論文ばかりを読んでいた。卒業後は友人の口利きで特許庁職員となり、ここでも空いた時間を利用して物理学の理論研究に浸った。1905年に発表したのが「特殊相対性理論」だった。物理学界に認められた彼は母校の大学教授となりが、さらに1915、6年には「一般相対性理論」の一連の論文を発表した。その理論で予測された「重力レンズ効果」が日食観測で確かめられ、一躍彼は世界の評判となった。1921年のノーベル物理学賞を受賞したが、対象は「相対性理論」ではなく彼が1905年に発表した「光電効果」の研究に対してだった。その受賞の知らせを日本に訪問する船上で受けた。日本中が歓迎ムードに湧いたという。

  • 元素をカードに周期表 未知の元素も存在予測

    ロシアの化学者メンデレーエフは元素の構造や性質などから分類した元素の周期表を1869年に発表した。現在までに確認されている118種類の元素のうち、当時は63種類だけの元素の一覧表だったが、彼は「存在すべき元素」を予測し空欄としていた。その後、空欄に当てはまる新しい元素が次々と発見され、周期表の正しさが評価されるようになった。

  • 「酸素」などの気体を発見した化学者牧師 炭酸水を発明し植物の光合成も発見

    英国の牧師プリーストリーは科学にも興味を持ち、自分でも様々な実験を行った。1774年8月のある日、酸化水銀を加熱したら、ある気体が発生した。この気体をためた容器の中では、ロウソクの火は激しく燃えるし、マウスも長く生存した。本人は酸素とは気がつかなかったが、フランスの化学者ラボアジェは自分でも実験を重ねて、この気体が新元素と気づき「酸素」と名づけた。 プリーストリーは最初に炭酸水を作った人であり、植物の光合成を最初に観察した人でもあった。

  • ‟宇宙旅行の父” 考案していた多段式・液体燃料ロケット

    ソ連(ロシア)が世界最初に打ち上げた人工衛星「スプートニク1号」は「宇宙旅行の父」と称されるツィオルコフスキーの生誕100周年を記念したものだった。独学でロケット工学の知識を醸成した彼は、宇宙空間の飛行のために、液体燃料による多段式ロケットの有利性と必要性をいち早く示し、宇宙技術の開発に大きな影響を与えた。

  • 油圧システムの基となる圧力原理を発見 ‟人間は考える葦だ”とも

    早熟の天才パスカルは数学が得意だったが、長じて物理学にも興味を持ち、現在の各種機器の油圧系システムに応用されている「パスカルの原理」を発見した。そのきっかけがイタリアのトリチェリの実験だった。山の高低による気圧の変化も確かめた。宗教や哲学的な思考も深め早逝したパスカルは「人間は考える葦だ」などの言葉も残した。

  • すい臓のインスリン 世紀の大発見の裏にヒト物語

    カナダの医師バンティングは1921年のある夜、論文を読んでいて、すい臓細胞からの抽出液が糖尿病を治療する可能性のヒントを得た。実験させてもらおうと母校のトロント大学教授に願い、実験室と10頭の犬の使用許可と、助手として医学生ベストの紹介を得た。翌年5月から始めた実験がようやく7月末に成功し、抽出液による血糖値の低下効果を教授も確認。すい臓からの分泌物質をインスリンと名付けた。その後、教授は研究チームをつくってインスリンの精製抽出に取り組んだ。翌1922年には病院での治療に成功し患者の命を救った。この業績で教授とバンティングは1923年のノーベル医学生理学賞を受賞するが、一緒にベストが受賞しなかったことに反発し、受賞式にも出席せず、賞金をベストと折半した。教授も他の研究者と賞金を分けた。

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