天皇神社は旧益津郡中村の氏神である。今井野菊氏によれば、江戸期の中村にあった社宮司社(左口松)は天皇神社に合祀されたようだ。
静岡県内のシャグジ(ミシャグジ)の現状に関する情報の一元化を目指し、各地の神社名鑑や郷土誌、江戸期の地誌、今井野菊氏による踏査集成などに基づく、現存または具体的な伝承が残るシャグジの一覧と、各シャグジの踏査記録を中心に紹介しています。
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天皇神社は旧益津郡中村の氏神である。今井野菊氏によれば、江戸期の中村にあった社宮司社(左口松)は天皇神社に合祀されたようだ。
花沢のオシャモッツァンは焼津市花沢集落の入口にあるシャグジである。歯痛や子どもの病気に御利益があるとされ、耳の神様ともいわれる。
方ノ上八王子神社は旧益津郡方ノ上村の氏神である。方ノ上は伊勢神宮の荘園であった方上御厨の遺称地であり、当地はその中心地に比定される。
通称「関方の一本杉」ここにはかつて「おしゃもつあん」が祀られていたといい、一本杉は枝を切るだけでも祟りがあると伝わる。
吉永八幡宮は平安初期の大同元年創祀と伝わる古社である。旧志太郡吉永三ヶ村の氏神であり、大名行列を模した神輿渡御で知られる。
オシャモジの森は「藤守八箇森」の一つである。現存しないが、かつて森があったと考えられる場所には案内板が設置されている。
各地の神社名鑑や郷土誌、江戸期の地誌、今井野菊氏による踏査集成などに基づく、現存または具体的な伝承が残る静岡のシャグジ一覧です。
御社守稲荷は「藤守八箇森(ハッコー森)」の一つ、「椀貸の森」に鎮座する。オシャモリサン、オシャモジサン、おしゃもつ様などと呼ばれる。
上小杉八幡宮は旧上小杉村の氏神であり、諸国巡遊中の北条時頼に村民が氏神の勧請を言上し、鶴岡八幡宮から分祀が許されたという。
石脇浅間神社は石脇上下の氏神であり、徳川家康が当目合戦の際に旗を掛けたという「旗掛石」の背後に鎮座する。
那閉神社は継体天皇三年、物部氏により当目山(虚空蔵山)上に勧請されたという延喜式内社である。境内社の青木神社には左口社も祀られる。
中里若宮八幡宮は井伊直孝の産土神として知られる。境内社に大井神社のほか、津島神社、秋葉神社、白髭神社、社護神社がある。
女体の森宗像神社は「興津」地名の由来ともされる。境内にある猿田彦大神の小祠は、かつて「社古地ノ森」にあったシャグジではなかったか。
前回記事掲載後に得られた知見を踏まえ、再踏査を行った。興津社護神社は清見寺境内と耀海寺境内の境界神だったのではないか。
小川新町左口神社は「左口森のオシャモッツァン」と呼ばれる小社である。 左口森は田の中にあり、樹木鬱蒼とした森だったという。
三ケ名神明宮は旧志太郡三ケ名村の氏神である。当地は伊勢神宮の小楊津御厨の一部と考えられ、そのために神明宮が勧請されたともいわれる。
小島のおしゃもじさんは、小島藩の香華所として知られる龍津寺近くにある小祠である。拝めば子供の夜泣きがおさまるといわれている。
北沼上田ケ谷地区を再踏査した結果、田ケ谷左口神社の現存が確認できた。かつては山上で祀っていたが、社地が崩れ、現在地に遷したという。
蜂ヶ谷八幡宮は天暦元年(947)創建と伝わる古社である。境内社に浅間神社、山神社、天王神社、佐口(さくう)神社がある。
五ケ堀之内三嶋神社は大山祇命を祭神とする五ケ堀之内の氏神である。 駿河国神明帳の益頭郡正五位下「三島第二御子天神」は当社とされる。
中里若宮八幡宮は井伊直孝の産土神として知られる。境内社に大井神社のほか、津島神社、秋葉神社、白髭神社、社護神社がある。
女体の森宗像神社は「興津」地名の由来ともされる。境内にある猿田彦大神の小祠は、かつて「社古地ノ森」にあったシャグジではなかったか。
前回記事掲載後に得られた知見を踏まえ、再踏査を行った。興津社護神社は清見寺境内と耀海寺境内の境界神だったのではないか。
小川新町左口神社は「左口森のオシャモッツァン」と呼ばれる小社である。 左口森は田の中にあり、樹木鬱蒼とした森だったという。
三ケ名神明宮は旧志太郡三ケ名村の氏神である。当地は伊勢神宮の小楊津御厨の一部と考えられ、そのために神明宮が勧請されたともいわれる。
小島のおしゃもじさんは、小島藩の香華所として知られる龍津寺近くにある小祠である。拝めば子供の夜泣きがおさまるといわれている。
北沼上田ケ谷地区を再踏査した結果、田ケ谷左口神社の現存が確認できた。かつては山上で祀っていたが、社地が崩れ、現在地に遷したという。
蜂ヶ谷八幡宮は天暦元年(947)創建と伝わる古社である。境内社に浅間神社、山神社、天王神社、佐口(さくう)神社がある。
五ケ堀之内三嶋神社は大山祇命を祭神とする五ケ堀之内の氏神である。 駿河国神明帳の益頭郡正五位下「三島第二御子天神」は当社とされる。
小柳津西宮神社は永禄年間の創立と伝えられる。かつては西宮太神宮、出世恵比須とも称したが、明治六年に西宮神社に改称した。
焼津神社は日本武尊を主祭神とする延喜式内社である。総国風土記に反正天皇四年創建とある古社であり、日本武尊伝承で知られる。
焼津大井神社は永禄三年創立と伝わる旧焼津北村の氏神である。左口神社(通称おしゃもんさん)、白髭神社、稲荷神社を合祀している。
大覚寺下八坂神社は大覚寺下村の氏神である。鎌倉期の弘安三年、山王神社、八王子神社、左口神社と同時に勧請されたという。
八楠加茂神社は山城国上賀茂神社から大化二年に勧請したとされる。総国風土記の「箭葛 柳田神社 所祭雙栗神也」も当社を指すとされる。
石津八幡宮は旧志太郡石津村の氏神である。明治四十年に字西浦の左軍神社(オシャモッツァン)、字中の島の天白神社を合祀した。
栄田神社は田尻北村の村社八幡宮を前身とする。明治四十年に北新田の左口神社を合祀。左口神社は北新田が拓かれた時から祀られていたと伝わる。
和田神社は明治十年、神倭磐余彦命を祭神として田尻浜河原に創建され、明治三十年に古宮八幡宮の境内であった現在地に遷座した。
瀬名川菅原神社は今一つ由緒が判然としない神社である。瀬名川には古くから天神社があったが、瀬名川八幡宮に合祀されたとされている。
宮加三神社は、大正四年、旧有度郡三澤村鎮座の八幡神社に同郡宮一色村の八幡神社を合併して成立した神社である。
承元寺八幡神社は、隣接する承元寺の鎮守社である。承元寺と同時期の平安時代に創建された可能性がある。明治三十九年に社口社を合祀。