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家康を辿る城旅「大高城」!桶狭間の前哨戦…家康決死の"大高城兵糧入れ"
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「大高城」!桶狭間の前哨戦…
桶狭間の戦いの前に徳川家康が兵糧を運び込んだことで知られる大高城本丸跡の南側で深さ4m超の大規模な堀跡が発見された。 江戸時代前期の絵図に堀が描かれていたことから、実際に堀があったのか調べてみたという。[NHK]...
桶狭間の戦いの際に今川方の松平元康(後の徳川家康)が兵糧入れを行った城!こんにちは、てくとらです。どうする家康の第1話は見ましたか?松平元康(後の徳川家康)が桶狭間の戦いの際に兵糧入れを大高城へしていました。大高城と周辺に行ってきましたので
どうする家康 第1話「どうする桶狭間」 ~今川家人質時代と神君大高城兵糧入れ~
どうするかは誰もが知っている徳川家康の物語が始まりました。長くて濃い家康の生涯ですから、どこを描いてどこを省くかが難しいところだと思いますが、第1話にし...
JR東海道本線の大高駅より南西へ約10分歩いたところに桶狭間の戦いの前哨戦の舞台となった大高城があります。当時今川義元の配下であった松平元康(後の徳川家康)が、桶狭間の戦いの前に、孤立していた大高城に「兵糧入れ」をする大手柄を立てます。※兵糧入れの時期に関しては弘治3年(1557年)~永禄3年(1560年)まで諸説ありますが、永禄2年(1559年)と永禄3年(1560年)説が有力視されています。また、大高では、「永禄2年4...
今年の大河ドラマ「どうする家康」のゆかりの地を訪ね、JR大高駅で下車し、大高城跡へと向かいました。すると、途中で八幡社の前を通ったので、お参りして来ました。八幡社治承 4年(1180)、源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請し、相模国小林郷丸山に鎮座させ、その後、大高城主の花井備中守がこれを大高に勧請し、ここと大高城内の二箇所に祀ったのが創始と言われているがその年代は明らかではない。江戸時代までここは村人が...