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滋賀県野洲町大篠原は、平家終焉の地であります。国道8号線から一歩細い道を入った奥に、ひっそりと墓標が立っています。壇ノ浦で、平家一門を倒した源義経は、平宗盛・清宗父子を捕らえ、頼朝に報告するため、鎌倉へ向かいますが、手前の腰越で留められてしまいます。鎌倉入りを許されず、京に戻る途中、源頼朝の命により、宗盛父子を斬首。鏡の宿を過ぎたここ篠原が平家終焉の地になりました。義経は、元服後も何度か「鏡の宿」...
草津市野路の民家の庭に、平清宗の胴塚と伝える石塔があり、保存供養されています。 平清宗 平安後期の公卿、平宗盛の長男、母は兵部権大輔平時宗の娘。後白河上皇の寵愛をうけ、三才で元服して寿永二年には正三位侍従右衛門督であった。源平の合戦により、一門と都落ち、文治元年壇ノ浦の戦いで父宗盛と共に生虜となる。 「吾妻鏡」に「至野路口以堀弥太郎景光。梟前右金吾清宗」とあり、当家では代々胴塚と...
鎌倉殿の13人 第18話「壇ノ浦で舞った男」その1 ~平家滅亡~
「その1」のつづきです。 屋島の戦いに敗走した平家軍は、安徳天皇とともに最後の拠点である長門彦島に逃れました。一方、屋島の戦いに勝利した源義経軍は、熊野...
石橋山以来の景時サンの神頼み,デターーーーーーーーーッ(笑) でも,いかにも中世に生きた人らしいと納得しますなぁ。「讒言」に対する義時タンの異議への理由説明として,うまく繋げてるし。 九郎最大の失策〜。言葉なしで,今までとは違ういい描き方ですな・・・神器に関しては,後白河院があそこまで淡白だったとは思えませんけどね(苦笑) そしてそこはかとなく漂う狂気とバランスの悪い人間味。うん,義経像をちょっと書き換えましたな...