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以心崇伝(いしん すうでん)は、字は以心、法名が崇伝で、南禅寺金地院に住したため、金地院崇伝(こんちいん すうでん)とも呼ばれています。京都南禅寺金地院の慶長10年(1605)の住持となり、徳川家康に仕え、外交事務、方広寺鐘銘事件や寺社行政、寺院法度、禁中並公家諸法度などの起草、キリスト教の禁圧、紫衣事件に関与し、幕府の基礎づくりに貢献しました。黒衣(こくえ)の宰相とも称されましたが、称されましたが、家康の死...
2022.07京都 南禅寺を後に、地下鉄蹴上駅に戻る途中、「金地院」に立ち寄ってみました。 お庭を見に行きます。 手洗い場には紫陽花。 花手水としての役割を担っていましたが、今は観光客向けにやっている所増えましたねぇ。 紫陽花も終わりごろでしたがきれいに咲いていました。 美しいお庭。 庭師が暑い日も寒い日も手入れしてくれているお陰ですよね。 いやー、夏は1日1箇所が限界!! 南禅寺、金地院と見れてよかった!!
京都まで青もみじを見に行ってきました。 場所は、東山の 南禅寺 。 ここに、一度行ってみたかった塔頭寺院「 金地院 」があるのです。 金地院崇伝のお寺 金地院崇伝 は、徳川家康のもとで「 黒衣の宰相 」の異名を取った臨済宗のお坊さん。 家康の求めに応じ、外交から江戸幕府の法律の立案や宗教統制まで一手に担い、辣腕を振るったと言われています。そして、大坂城攻撃の端緒となった京都方広寺大仏殿の鐘銘問題も崇伝の考えによるのだそうです。 その 金地院崇伝 が住職を務めていたお寺さんです。 私がお寺にいた間、一緒になった拝観者は10人もいなかったと思います。 静かで、緑が綺麗で、とってもいい感じ。よかった…