「アルコール依存症役で奇声を発し、暴れ出して」隅田美保 芸人から役者の道に導かれて …芸人から役者に転身した元アジアンの隅田美保さん。日常のささいなできごとですら、演技に活かせるそう。役者という仕事をとおして、隅田さんが求めているもの… (出典:CHANTO WEB) |
難しいものですね~
1 湛然 ★ :2024/08/23(金) 05:56:41.30 ID:ESZmxrWP9.net
【初告白】「ブサイクと言われるのがイヤで漫才をやめたんじゃない」元・アジアン隅田美保 役者へ転身した本当の理由
8/22(木) 6:31 CHANTO WEB
女性コンビで初めて、『M-1グランプリ』決勝に進出した実力派コンビ・アジアン。2021年に解散し、隅田さんは役者に転身して、実績を積んでいます。ネットでは憶測が飛び交いましたが、本当のところは?本人に直撃しました。(全2回中の1回)
■マイク1本で笑いの渦を起こす芸人を見て「あの舞台に立ちたい!」
── 2021年のアジアン解散後、役者になった隅田さん。舞台に立つ仕事につこうと考えたのはいつからですか?
隅田さん:役者にこだわらず、舞台に立ちたいという気持ちはずっと強くありました。高校時代は創作ダンス部に所属し、人前で踊ったり、表現することにわくわくしていました。もともと宝塚歌劇団のおひざもとである兵庫県で育ち、テレビなどで見ていた宝塚への憧れがありました。でも、とても厳しい世界なので、自分には難しいとわかっていたんです。
── 舞台への道はいくつかありますが、そのなかでお笑いを選んだきっかけは?
隅田さん:お笑いもよくテレビで観ていて、友だちに誘われ、初めて大阪の二丁目劇場(ダウンタウンやナインティナインなどを輩出した吉本興業が運営していた劇場)に舞台を観に行きました。そのとき、芸人さんがマイク1本でお客さんを笑いの渦に巻き込んでいる姿を見て、あそこに立ちたいと思ったんですよ。(※中略)
■ネットがザワつきそうですが「解散の真相は…」
──「解散=役者への転身」ということですか?決め手になったのは?
隅田さん:芸人時代もちょくちょく芝居には出ていましたし、芝居をしっかりやりたいと考え続けていました。ただ、当時はアジアンの隅田として出演依頼を受け、笑いをとったりいじられたりすることが多かったんです。役者業に専念したのは、解散してからです。ちょうどコロナ禍で自分と向き合う時間が増えたり、身近な人が急に亡くなったりして、いろいろ考え始めたんです。漫才がイヤになったわけではなく、自分の人生を守るために、ずっとやりたかった芝居をやろう、と踏み出すタイミングだったんですよね。
この経緯はすごく説明しづらくて、いろんなところで憶測でめちゃめちゃ書かれたりしてきたんですけど、私のなかでは「その時期が来た」だけなんです。わかっていただける方にだけでも伝わればと思います。これが本音です。
── 自分のなかでは「いまだ」とわかったわけですね。漫才がイヤになったのではないと聞いてホッとしました。役者転身に関して周囲の反応は?
隅田さん:解散に驚いた人はいましたし、周囲に迷惑をかけたりもしましたが、会社からはとくに何も言われませんでした。誤解されやすいのですが、「ブス、ブサイク」といじられるのがイヤでやめたわけじゃないんです。でも、こう言うと「またまたー!」といろいろ言われてめんどうなので、私は肯定も否定もしていませんが、ネットニュースなどで書かれおもしろおかしく書かれてしまうんですよね…。
── たしかにそういう記事を見かけます。ふり返って、ブサイクを笑いにすることについてはどう考えていますか?
隅田さん:容姿で笑いをとるのは否定しませんし、それはそれでおもしろい文化だと思いますが、時代が変わってきましたよね。私の場合、仕事でそのキャラクターが強くなりすぎたとは感じています。ほんとに、この話をしだしたら、年またぎますよ(笑)。今後は女優ではなくて、役者と呼ばれたいですね。女優みたいにキラキラした感じを目指しているわけではありません。芸人時代のほうが、仕事のスケジュールも収入も安定していましたが、役者になって本当にいま、やりたいことをやれていると感じています。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
取材・文/岡本聡子 写真提供/隅田美保、吉本興業株式会社
8/22(木) 6:31 CHANTO WEB
女性コンビで初めて、『M-1グランプリ』決勝に進出した実力派コンビ・アジアン。2021年に解散し、隅田さんは役者に転身して、実績を積んでいます。ネットでは憶測が飛び交いましたが、本当のところは?本人に直撃しました。(全2回中の1回)
■マイク1本で笑いの渦を起こす芸人を見て「あの舞台に立ちたい!」
── 2021年のアジアン解散後、役者になった隅田さん。舞台に立つ仕事につこうと考えたのはいつからですか?
隅田さん:役者にこだわらず、舞台に立ちたいという気持ちはずっと強くありました。高校時代は創作ダンス部に所属し、人前で踊ったり、表現することにわくわくしていました。もともと宝塚歌劇団のおひざもとである兵庫県で育ち、テレビなどで見ていた宝塚への憧れがありました。でも、とても厳しい世界なので、自分には難しいとわかっていたんです。
── 舞台への道はいくつかありますが、そのなかでお笑いを選んだきっかけは?
隅田さん:お笑いもよくテレビで観ていて、友だちに誘われ、初めて大阪の二丁目劇場(ダウンタウンやナインティナインなどを輩出した吉本興業が運営していた劇場)に舞台を観に行きました。そのとき、芸人さんがマイク1本でお客さんを笑いの渦に巻き込んでいる姿を見て、あそこに立ちたいと思ったんですよ。(※中略)
■ネットがザワつきそうですが「解散の真相は…」
──「解散=役者への転身」ということですか?決め手になったのは?
隅田さん:芸人時代もちょくちょく芝居には出ていましたし、芝居をしっかりやりたいと考え続けていました。ただ、当時はアジアンの隅田として出演依頼を受け、笑いをとったりいじられたりすることが多かったんです。役者業に専念したのは、解散してからです。ちょうどコロナ禍で自分と向き合う時間が増えたり、身近な人が急に亡くなったりして、いろいろ考え始めたんです。漫才がイヤになったわけではなく、自分の人生を守るために、ずっとやりたかった芝居をやろう、と踏み出すタイミングだったんですよね。
この経緯はすごく説明しづらくて、いろんなところで憶測でめちゃめちゃ書かれたりしてきたんですけど、私のなかでは「その時期が来た」だけなんです。わかっていただける方にだけでも伝わればと思います。これが本音です。
── 自分のなかでは「いまだ」とわかったわけですね。漫才がイヤになったのではないと聞いてホッとしました。役者転身に関して周囲の反応は?
隅田さん:解散に驚いた人はいましたし、周囲に迷惑をかけたりもしましたが、会社からはとくに何も言われませんでした。誤解されやすいのですが、「ブス、ブサイク」といじられるのがイヤでやめたわけじゃないんです。でも、こう言うと「またまたー!」といろいろ言われてめんどうなので、私は肯定も否定もしていませんが、ネットニュースなどで書かれおもしろおかしく書かれてしまうんですよね…。
── たしかにそういう記事を見かけます。ふり返って、ブサイクを笑いにすることについてはどう考えていますか?
隅田さん:容姿で笑いをとるのは否定しませんし、それはそれでおもしろい文化だと思いますが、時代が変わってきましたよね。私の場合、仕事でそのキャラクターが強くなりすぎたとは感じています。ほんとに、この話をしだしたら、年またぎますよ(笑)。今後は女優ではなくて、役者と呼ばれたいですね。女優みたいにキラキラした感じを目指しているわけではありません。芸人時代のほうが、仕事のスケジュールも収入も安定していましたが、役者になって本当にいま、やりたいことをやれていると感じています。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
取材・文/岡本聡子 写真提供/隅田美保、吉本興業株式会社