新政府になったときに、大阪堺の旧堺港で、土佐藩士とフランス水兵の衝突した堺事件。その事件の責任をとり切腹した土佐藩士の供養塔が切腹した妙国寺の境内にあります。 (堺事件とは) 1868年(慶応4年=この年の9月に明治になります)2月15日、新政府の命令により泉州堺の警護を行っていた土佐藩兵が,15日午後3時頃、日本政府の許可を得ずに海から堺港に入ったフランスの水兵が、無断で上陸して街を歩いていました。夕方、知らせを受けた六番隊警備隊長の箕浦元章(猪之吉)と八番隊警備隊長の西村氏同(佐平次)らは、フランス兵達に艦に戻るように説得します。しかし言葉が通じず話が進みません。そこで土佐藩兵は、フランス…