東京 (上野) と仙台の間を茨城県・福島県の太平洋側を経由して結ぶJR東日本管内の線。
線籍上正しくは東北本線との重複区間(上野〜日暮里、岩沼〜仙台)を除いた日暮里〜岩沼間を指す。
北千住〜取手間は複々線、上野〜北千住間及び取手〜四ツ倉間は複線、四ツ倉以北は単線となっている。
ルート的には、一部区間を除き常磐自動車道とほぼ一致する。
1898年、日本鉄道により田端〜岩沼間が全通。その後1905年に日暮里〜三河島間が開業し、現在の常磐線のルートが完成した。当時は「海岸線」と呼ばれていた。1906年の鉄道国有化により買収され、1909年に「常磐線」の名称に改められている。
かつては東北本線とともに上野〜青森を結ぶ大動脈として機能し、常磐線経由の優等列車(寝台特急「ゆうづる」など)が多かった時期の名残で、経路に日暮里〜岩沼間を含む場合は東北本線・常磐線のどちらを経由する場合でも距離の短い東北本線経由で運賃を計算する特例があったが、2001年に廃止された。
東京寄りでは「快速電車」「普通列車」(この2つは2004年10月から「快速電車」に名称が統一されたが、以下では説明のためそのままにしておく)と「各駅停車」(緩行線)が走っている。「快速電車」は上野〜取手間の運転で、一部は途中の我孫子から成田線に乗り入れる。「普通列車」は上野から土浦・水戸・いわき方面を結び、上野から我孫子までは日暮里、三河島、南千住、北千住、松戸、柏、我孫子にしか駅がない。従来「普通列車」は朝夕のみ三河島と南千住を通過していたが、混乱を招くことや利便性の向上から全時間帯「普通」が停車するようになり、「快速」も「普通」も停車駅は同じになった。「普通」は単に「列車」と呼ばれたり、「中距離電車」「中電」などと呼ばれたりする場合もある。なお上野〜取手間で用いられる「常磐快速線」との呼称は「普通列車」を含む場合と含まない場合があるため、注意を要する。
「各駅停車」は綾瀬〜取手間の運転で、綾瀬からは東京メトロの千代田線に乗り入れるため、JR区間も併せて「千代田線」と呼ばれる場合もある。なお、東京メトロの車両を使用する電車の一部は千代田線・代々木上原を越えて小田急線に直通し、「多摩急行」として3社直通で唐木田まで運転するものがあるが、常磐緩行線内は列車種別を表示せず、綾瀬で「多摩急行」を表示する。唐木田発の場合は代々木上原から列車種別を「各駅停車」に変更する。
北千住〜綾瀬は常磐快速線と千代田線(常磐緩行線)が併走しているが、綾瀬に常磐快速線の駅はないため、一方の乗車券でもう一方にも乗れるとするややこしい特例がある。
千代田線開通前は綾瀬駅も国鉄(当時)の駅だったが、千代田線開通に伴い北綾瀬に車庫を持つ営団地下鉄(当時)の便宜を図るため綾瀬駅を営団に移管し、緩行線の北千住〜綾瀬間を千代田線に編入した。
その際、継続乗車の便宜を図って運賃計算上は常磐線・千代田線の二重線籍として通し計算できるルールを設けた。このややこしいルールについて詳しくは、keyword:千代田線を参照。
また、普通電車が130km/h運転をするということで、鉄道好きにはある程度名が知られた路線でもある。
1898年 日本鉄道により田端〜岩沼間全通。
1905年 日暮里〜三河島間が開業。
1906年 鉄道国有化により買収。
1909年 「常磐線」命名。
1910年 一部区間の複々線化開始。
1936年 日暮里〜松戸間の直流電化実施。
1949年 取手までの直流電化完成。
1987年 国鉄分割民営化に伴い、JR東日本の路線となる。
2011年 東日本大震災で常磐線は被災。年内に、上野〜広野・原ノ町〜相馬・亘理〜岩沼間での復旧。当面、特急列車は上野〜いわき間のみで運行している。
福島第一原子力発電所事故に伴う避難地域にかかる「広野」〜「原ノ町」と、東日本大震災による津波で駅施設・路盤に壊滅的な被害を受けた「相馬」〜「亘理」の復旧は未定。
上野〜取手間は快速(取手止まり)で直流の車両。普通列車・特急列車はそれより北へ行くために直流と交流の切り替えが出来る車両になっている。上野発いわき行きや久ノ浜発上野行きなど1都3県に跨るような運行距離がやたら長い普通列車の便もあったりする。
茨城県石岡市にある気象庁の柿岡地磁気観測所の影響があるとのことで、取手〜藤代駅間に交直流切替箇所があり、走っている途中で切り替わる(夜だとその瞬間に室内灯が消えて真っ暗になるので、初めての人はとても驚く*1。
よく「警察24時」とか言う番組で取り上げられる線でもある。またこの路線は(特急以外の)車両がプアであることで有名。新型でも横揺れが大きく、冷遇されているとの見方がある。とはいえ、最近ではつくばエクスプレスの開業への対抗策という意味合いもあって、車両やダイヤのてこ入れが図られている。2004年春からは東京圏輸送管理システム(ATOS)が、2005年7月には普通列車の新型車両(E531系)が導入された。
東京口では、高崎線や宇都宮線にあるような南北縦貫線(湘南新宿ラインや京浜東北線など)の設定はされておらず、山手線の南側・西側に行く為の手段が少ない(各駅停車が千代田線に乗り入れることによって、原宿*2〜小田急線方面に直通しているのみである。)
日暮里〜三河島間で無理に大カーブを描いているが、これはかつて敷設当時の始発駅が現在の山手線田端駅付近にあったためで、その区間は現在貨物線として利用されている。田端から先の山手貨物線(すぐ東北貨物線(現在宇都宮線/湘南新宿ラインで使用)が合流してくる)が山手線敷設当時池袋〜田端間が「豊島線」として建設され、山手線の本線は赤羽線(現在の埼京線電車が通る池袋〜板橋〜十条〜赤羽の区間)だったが、山手線も常磐線も上野方向に接続されこのようになったと言われている。
朝ラッシュ時激しく混雑することで著名な路線の一つではあるが、快速列車、中距離列車の15連化、増発、つくばエクスプレス開業によって最盛期よりは混雑は緩和している。しかし、今でも関係路線にトラブルが発生すると激しい混雑に見舞われることがたびたびある。快速線は日暮里駅のホームの狭さという制約のために増発が難しかったので、特に15連化は効果絶大であった。15連化当時、車両やりくりの関係で形式上12M3Tとなってる103系編成があった。現状、体感的には緩行線(千代田線直通各駅停車)の方が激しい混雑である。
(武蔵野線・京葉線等に直通する臨時列車*4は除いた。)
従来ラビット(宇都宮線)やアクティー(東海道線)、アーバン(高崎線)のような中距離快速の設定はなかったが、2005年7月9日のダイヤ改正において特急増便の他、上野〜土浦間を55分で結ぶ特別快速(北千住通過)がデータイムに設定された。(なお、特別快速は2015年3月14日改正で北千住にも停まるようになる。)