新 ヨットで航く 四国巡礼88か所 同航2人 まとめ
ヨットで訪ねるお遍路を計画してみました。 下図のようなお遍路寄港図その1とその2へ寄港して、そこから公共交通やタクシ-にて徒歩でお遍路する。 70代後半の年令になっては平地ならともかく、山道を長い時間に登るのことは難しい。
予想外にバス便がお遍路寺に整備されていない。 従いタクシーを使うことが多くなりました。 費用的には「歩き遍路の方」が、他の方法よりも宿泊費が多くなる分、費用が多くかかったことでしょう。次寺まで数日要するところもあるので大変ですが、日数増えるので宿代が多くなる。その手配も苦労すると聞きました。 ヨットは宿泊代がタダなのが取柄です。
尊敬に値する「歩き遍路の人」は極めて少数で、自家用車で廻られる方が主流です。それでも行き会うことが難しい山路を走らなければならないので、老生のような運転下手には車も難しい。
意外なのはバックパッカーのような大きなリュックを担いだ若い西洋人が多いことでした。 3割位の割合で西洋人がいるように思えた。信仰も違うのに「ヨウヤルワ」という感じです。
タクシ-利用が多くなりました、スマホで「近くのタクシー」で検索して呼び寄せるのことになる、四国の大きな都市地域以外の処では1-2社位しかタクシ-会社が無く、そこには病院や買い物需要のご老人のお客さんが多いので、予約有で来てくれないこともある。できれば前日の予約されたら良いかもしれない。 費用を抑えるのには原付をフェリーに載せ徳島へ持ち込み、お遍路するのがオススメでしょう。 自転車はあの山路を登るのは老人には無理な気がします。
ヨットの寄港地ですが、安心して置けるところに長く留まることになってしまい、初めてで情報の少ない港は避けてしまいました。 例えば観音寺、西条、松山空港、宇和島、宿毛、宇佐、橘湾、小松島などです。そこへ入港すれば小生とは違ったものになったであろう。
信仰心の少ない小生ですが、これからのご利益ではなく、昨年のように巡航中に心筋梗塞での入院にもかかわらず、今年出かけることが出来たので、もろもろのお礼を兼ねてお遍路をして来ました。 ぶっちゃけ、本当はクルーズに目的をつけて楽しく廻っただけなのです。皆様のおかげで無事結願できました。ありがとうございました。
1. ヨットで巡るお遍路
2. お遍路 ヨット泊地
3. 札所詳細
4. 県別のお遍路 徳島県 高知県 愛媛県 香川県
5. ヨットお遍路逆打ち
2024-9-7
ヨットで巡るお遍路
お遍路寄港地 その1
時計回りの順番で番号が決まっています、 青字は寄港候補地
お遍路1 #1霊山寺、#2極楽寺、#3金泉寺 地図
お遍路2 #4大日寺、#5地蔵寺,#6安楽寺,#7十楽寺,#8熊谷寺,#9法輪寺,#10切幡寺 地図
お遍路3 #11藤井寺、#13大日寺、#14常楽寺、#15国分寺、#16観音寺、#17井戸寺 地図
お遍路4 #18恩山寺、#19立江寺、#20鶴林寺
お遍路5 #86志度寺 #87長尾寺 #88大窪寺
お遍路6 #84屋島寺, #85八栗寺、
お遍路7 #79天皇寺、#80白峰寺、#81國分寺、 #82根香寺。#83一宮寺
お遍路8 #78郷照寺、#77道隆寺,#76金蔵寺、#75善通寺
お遍路9 #74甲山寺、#73出釈迦寺 #72曼荼羅寺、#71弥谷寺
お遍路10 68番神恵院、69番観音寺、70番本山寺、67番大興寺、ロープウエイで66番雲辺寺
お遍路11 65番三角寺
お遍路12 61番香園寺、62番宝寿寺、63番吉祥寺、64番前神寺
お遍路13 60番横峰寺 横峰寺登山バスにて
お遍路14 55番南光坊、54番延命寺、56番泰山寺、57番栄福寺、58番仙遊寺、59番国分寺
お遍路15 53番園明寺、52番大山寺
お遍路16 50番繁多寺、45番岩屋寺、44番大宝寺、51番石手寺、46番浄瑠璃寺、47番八坂寺、48番西林寺、49番浄土寺
お遍路17 43番明石寺、JR宇和島駅 42番佛木寺、41番龍光寺
お遍路18 40番観自在寺、39番延光寺
お遍路19 38番金剛福寺
お遍路20 37番岩本寺
お遍路21 36番清龍寺、35番清瀧寺、34番種間寺、33番雪蹊寺、
お遍路22 28番大日寺、29番国分寺、30番善楽寺、31番竹林寺、32番禅師峰寺、
お遍路23 27番神峰寺、 安田の街並み、 龍馬の姉夫婦の墓
お遍路24 26番金剛頂寺。25番津照寺、24番最御崎寺
お遍路25 23番薬王寺、 22番平等寺
お遍路26 21番太龍寺、
お遍路27 12番焼山寺 ここで88ヶ所お遍路結願した。
ヨットで廻るお遍路 その1 1番から20番 88番から71番 2023年秋
2023年秋 お遍路寄港図その1
ヨットで廻るお遍路 その2 70番から12番まで逆打ち 2024年春
2024年春 お遍路寄港図 その2
新 88ヶ所 ヨット泊地 うるう年のお遍路「逆打ち」でご利益3倍?
お遍路 寄港地
寄港地 札所
仁尾マリーナ お遍路10 68番神恵院、69番観音寺、70番本山寺、67番大興寺、ロープウエイで66番雲辺寺
お遍路11 65番三角寺
お遍路12 61番香園寺、62番宝寿寺、63番吉祥寺、64番前神寺
新居浜マリーナ お遍路13 横峰寺登山バスにて60番横峰寺、
今治海の駅 お遍路14 55番南光坊、54番延命寺、56番泰山寺、57番永福寺、58番仙遊寺、59番国分寺
松山堀江海の駅 お遍路15 53番園明寺、52番大山寺
お遍路16 50番繁多寺、45番岩屋寺、44番大宝寺、51番石手寺、46番浄瑠璃寺、47番八坂寺、 48番西林寺 49番浄土寺、
伊予長浜 お遍路17 43番明石寺、JR宇和島駅 42番佛木寺、41番龍光寺
佐多岬・三崎 なし
愛南・かわうそ村海の駅 お遍路18 40番観自在寺、39番延光寺
足摺 お遍路19 38番金剛福寺
土佐佐賀 お遍路20 37番岩本寺
土佐久礼 お遍路21 36番清龍寺、35番清瀧寺、34番種間寺、33番雪蹊寺、
高知ヨットクラブ お遍路22 28番大日寺、29番国分寺、30番善楽寺、31番竹林寺、32番禅師峰寺、
安芸 お遍路23 27番神峰寺
室戸岬 お遍路24 26番金剛頂寺。25番津照寺、24番最御崎寺
日和佐 お遍路25 25番薬王寺、 22番平等寺、
お遍路26 21番太龍寺、
徳島ケンチョピア お遍路1 #1霊山寺、#2極楽寺、#3金泉寺、
お遍路2 #4大日寺、#5地蔵寺,#6安楽寺,#7十楽寺,#8熊谷寺,#9法輪寺,#10切幡寺
お遍路3 #11藤井寺、#13大日寺、#14常楽寺、#15国分寺、#16観音寺、#17井戸寺
お遍路4 #18恩山寺、#19立江寺、#20鶴林寺
お遍路27 12番焼山寺 結願
引田 お遍路5 #86志度寺 #87長尾寺 #88大窪寺
お遍路6 #84屋島寺, #85八栗寺、
高松ヨット競技場 お遍路7 #79天皇寺、#80白峰寺、 #81國分寺、 #82根香寺。#83一宮寺
お遍路8 #78郷照寺、#77道隆寺,#76金蔵寺、#75善通寺
倉敷 お遍路9 #74甲山寺、#73出釈迦寺 #72曼荼羅寺、#71弥谷寺
新 県別のお遍路 個別
1. 徳島県
2. 高知県
3. 愛媛県
4. 香川県
札所番号 霊 場 名 所 在 地
1. 徳島県
徳島県
1 番札所 竺和山 霊山寺(りょうぜんじ) 徳島県 鳴門市大麻町 板東字塚鼻126
2 番札所 日照山 極楽寺(ごくらくじ) 徳島県 鳴門市大麻町桧字ダンノ上12
3 番札所 亀光山 金泉寺(こんせんじ) 徳島県 板野郡板野町大寺字亀山下66
4 番札所 黒巌山 大日寺(だいにちじ) 徳島県 板野郡板野町黒谷字居内5
5 番札所 無尽山 地蔵寺(じぞうじ) 徳島県 板野郡板野町羅漢字林東5
6 番札所 温泉山 安楽寺(あんらくじ) 徳島県 板野郡上板町引野字寺ノ西北8
7 番札所 光明山 十楽寺(じゅうらくじ) 徳島県 阿波市土成町 高尾字法教田58
8 番札所 普明山 熊谷寺(くまだにじ) 徳島県 阿波市土成町 土成字前田185
9 番札所 正覚山 法輪寺(ほうりんじ) 徳島県 阿波市土成町 土成字田中198-2
10 番札所 得度山 切幡寺(きりはたじ) 徳島県 阿波市市場町 切幡字観音129
11 番札所 金剛山 藤井寺(ふじいでら) 徳島県 吉野川市鴨島町飯尾1525
12 番札所 摩廬山 焼山寺(しょうさんじ) 徳島県 名西郡神山町下分字地中318
13 番札所 大栗山 大日寺(だいにちじ) 徳島県 徳島市一宮町西丁376
14 番札所 盛寿山 常楽寺(じょうらくじ) 徳島県 徳島市国府町延命606
15 番札所 法養山 国分寺(こくぶんじ) 徳島県 徳島市国府町矢野718-1
16 番札所 光耀山 観音寺(かんおんじ) 徳島県 徳島市国府町字観音寺49
17 番札所 瑠璃山 井戸寺(いどじ) 徳島県 徳島市国府町井戸80-1
18 番札所 母養山 恩山寺(おんざんじ) 徳島県 小松島市田野町恩山寺谷40
19 番札所 橋池山 立江寺(たつえじ) 徳島県 小松島市立江町字若松13
20 番札所 霊鷲山 鶴林寺(かくりんじ) 徳島県 勝浦郡勝浦町鶴山14
21 番札所 舎心山 太竜寺(たいりゅうじ) 徳島県 阿南市加茂町龍山2
22 番札所 白水山 平等寺(びょうどうじ) 徳島県 阿南市新野町秋山177
23 番札所 医王山 薬王寺(やくおうじ) 徳島県 海部郡日和佐町奥河内寺前285-1
2. 高知県
24 番札所 室戸山 最御崎寺(ほつみさきじ) 高知県 室戸市室戸岬町4058-1
25 番札所 宝珠山 津照寺(しんしょうじ) 高知県 室戸市室津2644
26 番札所 竜頭山 金剛頂寺(こんごうちょうじ) 高知県 室戸市元乙523
27 番札所 竹林山 神峰寺(こうのみねじ) 高知県 安芸郡安田町唐の浜2594
28 番札所 法界山 大日寺(だいにちじ) 高知県 香美郡野市町母代寺476
29 番札所 摩尼山 国分寺(こくぶんじ) 高知県 南国市国分546
30 番札所 百々山 善楽寺(ぜんらくじ) 高知県 高知市一宮2501
31 番札所 五台山 竹林寺(ちくりんじ) 高知県 高知市五台山3577
32 番札所 八葉山 禅師峰寺(ぜんじぶじ) 高知県 南国市十市308
33 番札所 高福山 雪蹊寺(せっけいじ) 高知県 高知市長浜857-3
34 番札所 本尾山 種間寺(たねまじ) 高知県 吾川郡春野町秋山72-1
35 番札所 医王山 清滝寺(きよたきじ) 高知県 土佐市高岡町丁568-1
36 番札所 独鈷山 青竜寺(しょうりゅうじ) 高知県 土佐市宇佐町 竜163
37 番札所 藤井山 岩本寺(いわもとじ) 高知県 高岡郡四万十町茂串3-13
38 番札所 金剛福寺(こんごうふくじ) 高知県 土佐清水市足摺岬214-1
39 番札所 赤亀山 延光寺(えんこうじ) 高知県 宿毛市平田町中山390
3. 愛媛県
40 番札所 平城山 観自在寺(かんじざいじ) 愛媛県 南宇和郡愛南町御荘平城2253-1
41 番札所 稲荷山 龍光寺(りゅうこうじ) 愛媛県 宇和島市三間町戸雁173
42 番札所 一理山 佛木寺(ぶつもくじ) 愛媛県 宇和島市三間町1683
43 番札所 源光山 明石寺(めいせきじ) 愛媛県 西予市宇和町明石104
44 番札所 管生山 大宝寺(たいほうじ) 愛媛県 上浮穴郡久万高原町菅生二番耕地1173 45 番札所 海岸山 岩屋寺(いわやじ) 愛媛県 上浮穴郡久万高原町七鳥1468
46 番札所 医王山 浄瑠璃寺(じょうるりじ) 愛媛県 松山市浄瑠璃町282
47 番札所 熊野山 八坂寺(やさかじ) 愛媛県 松山市浄瑠璃町八坂773
48 番札所 清滝山 西林寺(さいりんじ) 愛媛県 松山市高井町1007
49 番札所 西林山 浄土寺(じょうどじ) 愛媛県 松山市鷹子町1198
50 番札所 東山 繁多寺(はんたじ) 愛媛県 松山市畑寺町32
51 番札所 熊野山 石手寺(いしてじ) 愛媛県 松山市石手2-9-21
52 番札所 滝雲山 太山寺(たいさんじ) 愛媛県 松山市太山寺町1730
53 番札所 須賀山 円明寺(えんみょうじ) 愛媛県 松山市和気町1-182
54 番札所 近見山 延命寺(えんめいじ) 愛媛県 今治市阿方甲636
55 番札所 別宮山 南光坊(なんこうぼう) 愛媛県 今治市別宮町3-1
56 番札所 今輪山 泰山寺(たいさんじ) 愛媛県 今治市小泉1-9-18
57 番札所 府頭山 栄福寺(えいふくじ) 愛媛県 今治市玉川町八幡200
58 番札所 作札山 仙遊寺(せんゆうじ) 愛媛県 今治市玉川町別所483
59 番札所 金光山 国分寺(こくぶんじ) 愛媛県 今治市国分4-1-33
60 番札所 石鎚山 横峰寺(よこみねじ) 愛媛県 西条市小松町石鎚2253
61 番札所 栴檀山 香園寺(こうおんじ) 愛媛県 西条市小松町南川19
62 番札所 天養山 宝寿寺(ほうじゅじ) 愛媛県 西条市小松町新屋敷428
63 番札所 密教山 吉祥寺(きちじょうじ) 愛媛県 西条市氷見乙1048
64 番札所 石鉄山 前神寺(まえがみじ) 愛媛県 西条市州之内甲1426
65 番札所 由霊山 三角寺(さんかくじ) 愛媛県 四国中央市金田町三角寺75
松山市周辺 #46から#53
今治周辺 #54から#59
徳島県
66 番札所 巨鼈山 雲辺寺(うんぺんじ) 徳島県 三好市池田町白地763-2
4. 香川県
67 番札所 小松尾山 大興寺(だいこうじ) 香川県 三豊市山本町辻4209
68 番札所 琴弾山 神恵院(じんねいん) 香川県 観音寺市八幡町1-2-7
69 番札所 七宝山 観音寺(かんのんじ) 香川県 観音寺市八幡町1-2-7
70 番札所 七宝山 本山寺(もとやまじ) 香川県 三豊市豊中町本山甲1445
71 番札所 剣五山 弥谷寺(いやだにじ) 香川県 三豊市三野町大見乙70
72 番札所 我拝師山 曼陀羅寺(まんだらじ) 香川県 善通寺市吉原町1380-1
73 番札所 我拝師山 出釈迦寺(しゅっしゃかじ) 香川県 善通寺市吉原町1091
74 番札所 医王山 甲山寺(こうやまじ) 香川県 善通寺市弘田町1765-1
75 番札所 五岳山 善通寺(ぜんつうじ) 香川県 善通寺市善通寺町3-3-1
76 番札所 鶏足山 金倉寺(こんぞうじ) 香川県 善通寺市金蔵寺町1160
77 番札所 仏光山 郷照寺(ごうしょうじ) 香川県 綾歌郡宇多津町1435
79 番札所 金華山 天皇寺(てんのうじ) 香川県 坂出市西庄町1713-2
80 番札所 白牛山 国分寺(こくぶんじ) 香川県 高松市国分寺町国分2065
81 番札所 綾松山 白峰寺(しろみねじ) 香川県 坂出市青海町2635
82 番札所 青峰山 根香寺(ねごろじ) 香川県 高松市中山町1506
83 番札所 神毫山 一宮寺(いちのみやじ) 香川県 高松市一宮町607
84 番札所 南面山 屋島寺(やしまじ) 香川県 高松市屋島東町1808
85 番札所 五剣山 八栗寺(やくりじ) 香川県 高松市牟礼町牟礼3416
86 番札所 補陀落山 志度寺(しどじ) 香川県 さぬき市志度1102
87 番札所 補陀落山 長尾寺(ながおじ) 香川県 さぬき市長尾西653
88 番札所 医王山 大窪寺(おおくぼじ) 香川県 さぬき市多和兼割96
霊場マップ
https://ohenro.mobi/
2023-12-8
ヨットお遍路逆打順路
お遍路航路その1 2023年秋
2023年秋 お遍路開始 その1
お遍路1 #1霊山寺、#2極楽寺、#3金泉寺
お遍路2 #4大日寺、#5地蔵寺,#6安楽寺,#7十楽寺,#8熊谷寺,#9法輪寺,#10切幡寺
お遍路3 #11藤井寺、#13大日寺、#14常楽寺、#15国分寺、#16観音寺、#17井戸寺
お遍路4 #18恩山寺、#19立江寺、#20鶴林寺
お遍路5 #86志度寺 #87長尾寺 #88大窪寺
お遍路6 #84屋島寺, #85八栗寺、
お遍路8 #78郷照寺、#77道隆寺,#76金蔵寺、#75善通寺
お遍路9 #74甲山寺、#73出釈迦寺 #72曼荼羅寺、#71弥谷寺
お遍路航路 その2 2024年春
2024年春 再開 その2
お遍路10 68番神恵院、69番観音寺、70番本山寺、67番大興寺、ロープウエイで66番雲辺寺
お遍路11 65番三角寺
お遍路12 61番香園寺、62番宝寿寺、63番吉祥寺、64番前神寺
お遍路13 60番横峰寺 横峰寺登山バスにて
お遍路15 53番園明寺、52番大山寺 お遍路16 50番繁多寺、45番岩屋寺、44番大宝寺、51番石手寺、46番浄瑠璃寺、47番八坂寺、48番西林寺、49番浄土寺、
お遍路17 43番明石寺、JR宇和島駅 42番佛木寺、41番龍光寺
お遍路18 40番観自在寺、39番延光寺
お遍路19 38番金剛福寺
お遍路20 37番岩本寺
お遍路21 36番清龍寺、35番清瀧寺、34番種間寺、33番雪蹊寺、
お遍路22 28番大日寺、29番国分寺、30番善楽寺、31番竹林寺、32番禅師峰寺、
お遍路23 27番神峰寺、 安田の街並み、 龍馬の姉夫婦の墓
お遍路24 26番金剛頂寺。25番津照寺、24番最御崎寺
お遍路25 23番薬王寺、 22番平等寺
お遍路26 21番太龍寺、
お遍路27 12番焼山寺 ここで88ヶ所お遍路結願した。
2024-6-26
札所詳細
お遍路1 #1霊山寺、#2極楽寺、#3金泉寺
ケンチョピアからバスに乗り徳島駅に着く。JR高徳線・鳴門線に乗って池谷駅で下車。そこから徒歩で#1霊山寺#2極楽寺#3金泉寺を訪ねた。
同行の外国人が多いのに驚く。彼らと信仰の無い・薄いのは爺とて同じであるが、それにしても3-4割ほどが外人でないかと思われる。 徒歩の人は少なく日本人は車の人が多い。外人は観光バスでもなく徒歩であった。
お寺の配置は本堂、太子堂、多〈2-5〉重搭が基本的な造りになっている。納経所がありそこで300円で御朱印がもらえる。 宿坊を持つお寺もあるようだ。
#1霊山寺
ここは発願の寺になる。四国のお寺によくあるケースであるが天正年間に長曾我部の四国制圧の戦乱で多宝塔を残し焼けた。
霊山寺入り口
多宝塔
#2 極楽寺
安産にご利益があるという。
極楽寺山門
本堂への石段
#3金泉寺・こんせんじ
空海がここを訪れた時に井戸を掘り霊水が出て水不足を解消したので寺号を金泉寺にした。
本堂
多宝塔
2023-12-4
お遍路10 68番神恵院、69番観音寺、70番本山寺、67番大興寺、ロープウエイで66番雲辺寺
仁尾マリ-ナより観音寺行きのバスでお遍路した。 観音寺港に停泊すれば楽であるけれど、適地の情報が得られなかった。
仁尾マリ-ナよりのお遍路
68番 神恵院・じんねいん
JR観音寺駅より徒歩10分ほどで神恵院に行ける。69番の観音寺も同じ境内に在り。明治の神仏分離令により琴弾(ことひき)八幡宮より分離され神恵院は観音寺境内に移されたという。
本堂入り口は近代的な鉄筋コンクリート製である、 本堂内部
太子堂
69番 観音寺
大宝年間(701年 – 704年)に、法相宗の日証が琴弾山で修行をしていたところ、琴を弾く老人が乗る舟を海上に見た。この老人が八幡大明神であることを知った上人は、その琴と舟を祀り琴弾八幡宮と名付けた。その神宮寺として当寺は建立され神宮寺宝光院と称していた。
寺伝によれば、行基が養老6年(722年)に訪れた後、大同2年 (807)空海(弘法大師)が第7世住職として入山した。
本堂
太子堂
70番 本山寺
四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔がある。中世には寺領2000石の大寺である。長曾我部氏により焼かれた寺院が多い中でここは本堂と仁王門が残った。
五重塔
仁王門(重文)
本堂(国宝)
67番 大興寺
天平十四年(742)熊野三所権現鎮護のために東大寺末寺として現在地よりも約1キロ北西に建立され、延暦11年(792)大師の巡錫を仰ぎ、弘仁13年(823)嵯峨聖帝の勅により再興されたと伝えられている。しかしながら、戦国時代末、長宗我部元親の兵火により一部を残してことごとくを焼失、慶長年間(1596〜1615)に再建されたが再び焼亡、本堂は寛保元年(1741)に建立されたものである。 真言宗と天台宗の二宗派が兼学した珍しい寺である。 案合図のように本堂左の弘法太子堂と右側の智顗を祀る天台大師堂がある。
大興寺案内図
仁王門 四国随一大きさ
66番 雲辺寺
所在地は徳島県であるが香川県との県境にあり讃岐の札所として見られている。標高927mであるのでロープウエイが設備されている。 さすがに山頂に着くとガスで視界が悪かった。
この寺は789年(延暦8年)に佐伯真魚(後の空海・弘法大師)が善通寺建立のための木材を求めて雲辺寺山に登り、この地を霊山と感得し堂宇を建立したことを起源とする。
県境の道路標識
ロープウエイ
本堂
霧中の五百羅漢像
2024-6-26
お遍路11 65番 三角寺
三角寺 周辺図
ばくちで首になった会長の製紙会社で有名になった伊予三島駅よりタクシーで向かった。タクシーのドライバーいわく地元の恥だそうです。 急な73段の階段を登る。空海が刻んだと云われる十一面観世音菩薩が子供を授かる祈願の仏として有名である。
73段の階段
珍しい梵鐘がある山門
本堂
2024-6-28
お遍路12 61番香園寺、62番宝寿寺、63番吉祥寺、64番前神寺
伊予西条のお遍路図
仁尾マリーナより新居浜マリ-ナへ航行し周辺の西条市の札所を訪ねた。 新居浜マリ-ナからはバス便が無く、朝にタクシーを予約してJR新居浜駅より予讃線の各駅近くの札所を訪ねた。
61番 香園寺・こうおんじ
用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が建立し、天皇からは教王院の勅号を賜ったとされる。安産・子育ての信仰の寺である。
海外まで布教した関係か唯一の教会を思わせる内部の寺院となっていた。
教会風の呼び名大聖堂
座席に座る
62番 宝寿寺
タクシーの運転手からこの寺の霊場会とのトラブルを聞かされる。一時は閉鎖して参詣できない時もあったという。 庶民の御朱印集めも頓挫されられた。
昨年は300円の納経料であったが今年の春から500円に値上がりである。88ヶ所廻ると4万4千円の総額となる。 歩き遍路の人には日々の宿泊料負担を加え10万を超えるお金が必要とされる。こちらのような「まがいのお遍路さん」ではなく、本当に必要としている「お遍路さん」では大変なことである。金次第のご利益ではどうしようもない。 けれども人気のない山奥の寺では檀家も少ないであろうから、寺を維持するには安定的な収入の納経料は必須であろう、難しい問題です。
本堂
太師堂
63番 吉祥寺(伊予西条市)
空海が造った毘沙門天を本尊とする。四国八十八ヶ所では当寺のみである。
天正13年(1585年)に小早川隆景が高尾城を攻めたとき、その山中にあった当寺も兵に放火され、全山焼失した。万治2年(1659年)に塔頭の檜木寺(かいぼくでら)と合併して現在の地に再建された。
長宗我部元親が救出したスペイン船長より託されたとされるマリア観音像 - 純白の高麗焼の像、高さ約30 cmがあるというが見ていない。
山門
本堂
大師堂
64番 前神寺
西日本最高峰石鎚山(いしづちさん)・1982mを守る古刹、空海が当山で修業した。、文徳天皇、高倉天皇、後鳥羽天皇、順徳天皇、後醍醐天皇など多くの歴代天皇の信仰が厚かった。
太師堂
本堂
2024-6-30
お遍路13 横峰寺登山バスにて60番横峰寺
JR伊予西条駅よりバスにて横峯山行きの登山客と同乗して、横峯登山口で下車、すぐ近くの横峯寺登山バスに乗り換える。 路肩の狭い山道を専用マイクロバスでいくことになる。自家用車でも行けるけれど、路の譲り合いで苦労するでしょう。
帰りは路線バスの乗り換え時間が長く、JR氷見まで歩くことになった。下り路ゆえに1時間余りかかったが難儀というほどでもなかった。
本堂の高さ745mは66番雲辺寺に次ぐものである。蔵王権現を本尊として、脳病にご利益があるという石仙菩薩像がある。
60番 横峰寺
路線バス
登山マイクロバス
本堂
2024-7-2
お遍路14 55番南光坊、54番延命寺、56番泰山寺、57番栄福寺、58番仙遊寺、59番国分寺
今治海の駅に停泊して55番から59番札所までお遍路した。 55番南光坊は港から徒歩10分位でいくことができる。そこからはタクシーに手59番国分寺まで参詣することになった。
今治 お遍路図
55番 南光坊
今治市内の街中にある札所である。 寺と云わず坊とつくのはここだけである。というのは、航海の神、総鎮守・伊予一の宮の大山祇神社と深くかかわる歴史を有する。
山門
本堂
54番 延命寺
聖武天皇の勅願を受けて養老4年(720年)行基が不動明王を刻み現在地の北の近見山(標高243.5 m)の山頂に堂宇を建立して開基。弘仁年間(810年
– 824年)には空海が嵯峨天皇の勅命によって再興した。 明治初年の神仏分離令で四国遍路は神社に参拝することがなくなったことから、本札所の大山祇神社を四国遍路として参拝することがなくなった。 53番54番と同名の札所が続く混乱を避けるため、当寺は通称の延命寺を寺号とした。
本堂
大師堂
56番 泰山寺
空海が川の氾濫を治めたという。地蔵菩薩像を刻み堂宇を建て本尊とした。
境内入り口、 城を思わせるたたずまい
本堂 本尊は地蔵菩薩
大師堂
57番 栄福寺
弘仁年間(810年 – 824年)巡錫に来た空海(弘法大師)が、嵯峨天皇の勅願により、瀬戸内海の風波海難の平易を祈って府頭山々頂で護摩供を修し、その満願の日に海はおさまり海上に阿弥陀如来が影向した。その尊像を山頂に引き上げ堂宇を建て本尊として開基したと云われている。
本堂
58番 仙遊寺
天智天皇(在位661年 – 672年)の勅願によって伊予の大守越智守興(おちもりおき)が堂宇を建立した。本尊の千手観世音菩薩は海から上がってきた竜女が一刀三礼して彫ったという言い伝えがある。また、40年にわたって伽藍を整備した阿坊仙人という僧が当寺に暮らしていたが養老2年(718年)に雲と遊ぶかのように突然姿を消してしまったことが「仙遊寺」の由来になっているという。
本堂
大師堂
59番 伊予国分寺
天平13年(741年)、聖武天皇が発した国分寺建立の詔によって建立された諸国国分寺の一つである。
今回のお遍路でもいくつかの同名の国分寺を訪ねることになる。各県すなわち徳島の15番、高知の29番、愛媛の59番そして香川の80番の国分寺を参詣することになった。
本堂、 1789年に再建、 本尊は薬師如来で秘仏である
大師堂
2024-7-6
お遍路15 53番園明寺、52番大山寺
松山堀江海の駅に昼頃着く。夕方から東北寄りの風が強くなるのが予想された。ポンツーンにその風をまともに受ける側より反対側にシフトするのを怠ったため、翌朝までハルが岸壁に当たり大変な目に会う。 ここの港は北東側に防波堤が抜けているので、充分な注意が必要であった。 少しは承知していたが、ナメていたと云うしかない。
松山堀江 周辺図
53番園明寺はJR和木駅より2-3分である。 堀江海の駅はJR堀江駅まで5-6分で行ける。ガソリンスタンドが潰れたので、給油だけはとても不便である。
53番 園明寺
天平勝宝元年(749年)聖武天皇の勅願を受けて行基が本尊阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を刻んで開基した。その後、この地を訪れた空海(弘法大師)が荒廃した伽藍を整備して再興する。
本堂
龍の彫刻、 左甚五郎作という
大師堂
キリシタン灯籠、 云われは定かでない、譜代の松山藩も武士に隠れキリシタンがいたのであろうか
52番 大山寺
586年豊後臼杵の真野の長者というものが近くで海難し救助された。そのお礼に木組みを整えて再訪し、一夜にして建立したと云う(一夜建立の御堂の伝説)。その後、天平11年(739年)聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され、孝謙天皇(聖武天皇の娘)が天平勝宝元年(749年)に十一面観音を勅納し七堂伽藍を現在の地に整えたと伝えられている。
四天王門(3の門)
本堂 国宝 1305年
鐘楼堂
2024-7-10
お遍路16 50番繁多寺、45番岩屋寺、44番大宝寺、51番石手寺、46番浄瑠璃寺、47番八坂寺、48番西林寺 49番浄土寺、
ヨット仲間のUさんが長崎から松山へ会いに来てくれました。 44番と45番の札所は久万高原の山中にあるお寺ゆえに大変であると思われた。松山まで乗って来られた彼の車により、山道を乗せてもらって44番から51番までのお遍路を助けて頂いた。
お遍路 松山図
51番 石手寺
神亀5年(728年)に伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀った。これは聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基が薬師如来を刻んで本尊として安置して開基したという。
仁王門、 国宝
三重塔、 重文
本殿、 重文
50番 繁多寺・はんたじ
天平勝宝年間、孝謙天皇の勅願により行基が開基し、孝謙天皇の勅願所となったという。その際行基が坐高三尺の如来像を彫り、本尊として、光明寺と号したが、弘仁年間に空海(弘法大師)が留まって修行し現存の山号、寺号である東山繁多寺に改称したという。後に徳川将軍家の帰依を得たことで寺は一時は隆盛をきわめ66坊と末寺100余という大寺となる。
山門
本堂
大師堂
49番 浄土寺
天平勝宝年間(749年 – 757年)に孝謙天皇の勅願を受けて恵明(えみょう)上人が開創、本尊として行基が刻んだ釈迦如来像を祀ったという。当初は法相宗であったが、空海(弘法大師)が伽藍を再興した際に真言宗に改宗したという。
仁王門
本堂、 1482年創建 重文
大師堂
48番 西林寺
伊予鉄道 横河原線 - 鷹ノ子駅 下車 (0.8 km)
大同2年(807年)に空海(弘法大師)が巡錫の折、今の場所に寺を移されたと云われている。日照りに苦しむ里人のため、奥の院になっている杖の渕の清水を湧出させたとも云われている。
本堂、 本尊は秘仏でみるこよができない
大師堂
47番 八坂寺
大宝元年(701年)に、河野玉澄の兄である伊予の国司・越智玉興が、文武天皇の勅願を受けて堂宇を建立したという。このとき8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名になったといわれ、ますます栄える彌榮(八坂)にも由来している。一時荒廃するが、弘仁6年(815年)に来錫した空海(弘法大師)が再興したとされる。
橋門
本堂、 本尊の阿弥陀如来は50年に1度の開帳
大師堂
46番 浄瑠璃寺
大仏開眼を前にした和銅元年(708年)に布教に訪れた行基が堂宇を建立、本尊の薬師如来と脇侍の日光菩薩・月光菩薩、十二神将を刻んで安置して開基したという。その後、大同2年(807年)に空海(弘法大師)が本寺を再興したと伝わる。
案合板
本堂、 本尊は、薬師如来です
45番 岩屋寺
弘仁6年(815年)霊地を探して山に入った空海(弘法大師)は、山中で神通力を備えた法華仙人という女性と出会う。仙人は空海に帰依して山を献上した。空海は不動明王の木像と石像を刻み、木像は堂宇を建立して本尊として安置、石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし、岩山全体を本尊としたという。
本堂横にはしごがかけられていて、岩の中腹に登ことができます。
いかにも岩屋寺の風情,本堂, 本尊は、不動明王です。絶対秘仏
大師堂
44番 大宝寺 だいほうじ
百済から来た聖僧が携えて来た十一面観世音菩薩を山中に安置したのが始まりである。文武天皇の勅命によって寺院が建立され、元号に合わせて寺号を定めたといわれている。弘仁13年(822年)に空海(弘法大師)が来錫、この際に天台宗から真言宗に改宗されたという。
石段を登ると本堂
大師堂
2024-7-12
お遍路17 43番明石寺、42番佛木寺、41番龍光寺
御遍路17 地図
43番 明石寺
伊予長浜よりJR特急で卯之町に着き、そこから歩いて43番明石を訪ねた。街はずれからお遍路道を行くことになった、石畳の登り山道で木立の日差しが少ない道を歩いた。途中で歩き遍路の方とすれ違う。 ほとんど歩きの人は少ないので見かけずらい。 ひょっとして逆打ちだと会えると云われる弘法大使様ではなかったとさえ後から考えると思われた。 その後もヨットで廻っているせいか、最後までその気配を感じることはなかったので。 本当は遍路まがいのことをしている小生にはその機会が無いということであろう。
6世紀に欽明天皇の勅願により正澄上人が唐からの渡来仏である千手観世音菩薩を祀るため創建し、天平6年(734年)役行者より5代あとの寿元行者が熊野より十二社権現の勧請と十二坊の建立をし修験道の中心道場として、その後、荒廃した堂宇を弘法大師が大師御筆紺紙金泥の経を納め再興したとある。
お遍路道
仁王門
本堂
ここでタクシーを呼び、42番 佛木寺と41番龍光寺を訪ねた。
42番 佛木寺 ・ ぶつもくじ
大同2年(807年)空海(弘法大師)がこの地で牛を牽く老人に勧められて牛の背に乗って進むと、唐を離れる際に有縁の地を求めて東に向かって投げた宝珠が楠の大樹にかかっているのを見つけた。そこで、この地が霊地であると悟り楠木で大日如来を刻んで、その眉間に宝珠を埋め、堂宇を建立して開創したという。牛の背に乗ってこの地に至ったというところから家畜守護の寺とされている。
本堂と大師堂
41番 龍光寺
空海(弘法大師)がこの地を巡錫した際、白髪の老人に出会った。その言動から五穀大明神の化身と悟り、稲荷明神像を刻んで安置した。本地仏として十一面観世音菩薩、脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで、四国霊場の総鎮守の寺とされ、開基したと伝えられてる。
稲荷神社
この赤い鳥居は稲荷神社のもので、そこから40段ほど上がった先に、稲荷神社の社殿があります。 社殿が龍光寺の本堂でしたが、神仏分離令により、旧本堂を稲荷神社とし、新たに龍光寺は本堂を建築することになった
本堂
2024-7-18
お遍路18 40番観自在寺、39番延光寺
かわうそ村海の駅に停泊して40番観自在寺と39番延光寺を訪れる。 観自在寺には地元の漁師さんが連れていってくれました。 そこからバスで宿毛へ行き、タクシーにて延光寺をお遍路した。
愛南町・宿毛 お遍路図
40番 観自在寺
平安時代初期の大同2年(807年)平城天皇の勅願によって、空海(弘法大師)は、一本の霊木から本尊の薬師如来、脇持の阿弥陀如来、十一面観世音菩薩を刻み安置して開創したと伝えられている。
送ってもらいうことが出来てバスで行くより1時間も早く着いた。 納経所が開く時間8時まで境内で待つことになる。
仁王門
本堂、 薬師如来が本尊
大師堂
寺の宝物を収納展示する宝聚殿八角堂
39番 延光寺
聖武天皇の勅命によって神亀元年(724年)に行基が薬師如来を刻んで本尊とし、本坊ほか12坊を建立、当初は亀鶴山施薬院宝光寺と称したとされる。その後桓武天皇の勅願所となり、空海(弘法大師)が来錫して再興、脇侍の日光・月光菩薩を刻んで安置、本堂脇に眼病に霊験のある「目洗い井戸」を掘ったとされる。
本堂
中庭
2024-7-20
お遍路19 38番 金剛福寺
足摺 周辺図
38番 金剛福寺
38番金剛福寺は足摺岬灯台のごく近くにあり、ヨットでその岬を廻った時には四国最南端とはこのことだ、すぐに確認できる。
弘仁13年(822年)に、嵯峨天皇から「補陀洛東門(ふだらくとうもん)」の勅額を受けた空海(弘法大師)が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したという。
仁王門
本堂
愛染堂
2024-7-28
お遍路20 37番岩本寺
土佐清水を離れ、足摺岬を廻ると、いよいよ太平洋だ。 土佐佐賀にヨットを停泊した。
37番 岩本寺
土佐佐賀駅より窪川駅まで中村発の高知行の特急に乗った。 ここらあたりは本数が少ないので一つ逃すと2時間待ちということが生じる。 岩本寺までは徒歩10分である。
天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅命を受け行基が開創したのが起源であるという。その後空海が増築した。 本堂には全国の有志が描いた天井ががある。
仁王門
左は大師堂、中央は歓喜天堂
本堂 天井絵
2024-7-30
お遍路21 36番清龍寺、35番清瀧寺、34番種間寺、33番雪蹊寺、
ヨットで土佐・久礼に停泊しました。翌朝から動き、土佐久礼駅より特急で伊野駅まで行き、そこからタクシーにて35番、36番、34番、33番札所を廻ってきました。最後は桂浜で下車して龍馬像と龍馬記念館を見る。 大昔の高校の修学旅行で桂浜には来たが、もう覚えはありません。路線バスにて高知駅へ行き、JRで久礼に帰る。
36番青龍寺には近くの船溜まりにヨットを着けて訪れる予定でしたが、タクシーのドライバーが間違えてそこへ連れて行ってくれました。そのついでに港を実際に陸から確認すると、水深が浅くヨットを着けられそうもありませんでした。 図らずも座礁を免れたということでしょう。 35番と36番は同名の「せいりゅうじ」と読めて、龍の漢字がサンズイがつくかつかないかの違いですので、運転手が間違えても仕方がないところです。そのことは結果的に幸運であったというべきです。
高知西部地図
36番 清龍寺 ・しょうりゅうじ
弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)によって開基されたとされる。入唐求法の遣唐使として、恵果和尚より真言密教の奥義を伝授された空海が帰国の折、有縁の地に至るように祈願して独鈷杵を東方に向かって投げた。空海はその独鈷杵がこの山中の松の木にあると感得し、嵯峨天皇に奏上。弘仁6年(815年)に恵果和尚を偲び、唐の青龍寺と同じ名の寺院を建立したという.
三重塔
本堂 本尊は、波切不動明王
大師堂
35番 清瀧寺 ・きよたきじ
養老7年(723年)行基が本尊薬師如来を刻み、寺を開創し、景山密院繹木寺(けいさんみついんたくもくじ)と称したという。その後空海(弘法大師)が巡錫、五穀豊穣を祈願して山中で一七日(7日間)の修法を行い、満願の日に金剛杖で前の壇を突くと清水が湧き出て鏡のような池になったことから醫王山鏡池院清瀧寺と改めたという。
平城天皇の第3皇子である高岳親王は薬子の変に連座したことから仏門に入り空海の弟子となり真如と名乗った。 貞観3年(861年)に本寺に来錫し逆修塔(生前墓)を建てた。
本尊は、薬師如来
大師堂
34番 種間寺・たねまじ
用明天皇在位(585年 - 587年)の頃、四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着、航海の安全を祈願して薬師如来刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。その後、弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が巡錫し、堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したという。
本堂はコンクリート造、 本尊は、薬師如来
大師堂
33番 雪蹊寺
空海(弘法大師)の開基で、創建当初は真言宗に属し、「少林山高福寺」と称したという。鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山して「慶運寺」と改めたという。
なお、『土佐国編年紀事略』には嘉禄元年(1225年)、右近将監定光なる人物が高福寺を創建したとする。天正16年(1588年)の長浜地検帳には「慶雲寺」とあり、この頃までに慶雲寺と改称していたことが窺える。その後、寺運が衰え、廃寺となっていたが、天正年間(1573年
– 1593年)の後期に月峰和尚が住職となり、土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺として復興した。慶長4年(1599年)の長宗我部元親の病没後、当寺は長宗我部家の菩提寺となり、元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」から「雪蹊寺」と称した。
本堂、 本尊は、薬師如来です。
大師堂
2024-8-2
お遍路22 28番大日寺、29番国分寺、30番善楽寺、31番竹林寺、32番禅師峰寺、
高知東 マップ
土佐久礼より浦戸湾にある高知ヨットクラブのゲストバースを使わせてもらう。 そこを拠点にして31番、30番、29番、28番、32番と順にお遍路をした。
31番 竹林寺
牧野植物園の隣に竹林寺はある。
神亀元年(724年)に聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見た。天皇は行基に五台山に似た山を捜すように命じたところ、この地が霊地であると感得し栴檀の木に文殊菩薩像を刻み、山上に堂宇を建立して安置したという。その後、大同年間(806 – 810年)に空海(弘法大師)が滞在、瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復したと伝えられる。
五重塔
本堂 本尊は、文殊菩薩
28番 大日寺
土佐くろしお鉄道「のいち」駅より2kmであるが、御免駅にてタッチの差で乗り遅れた。次発まで2時間余あるのでタクシーを呼ぶ。
天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇の勅願により、行基が大日如来像を刻んで堂宇を建立して開創したという。弘仁6年(815年)に空海が楠の大木に爪で薬師如来像を彫って荒廃していた本寺を復興したとされる。
山門
本堂 本尊は、大日如来 秘仏
29番 国分寺
御免駅よりタクシーで往復しました。
国分寺は、奈良時代に聖武天皇が国分寺の建立の勅願により創建されたお寺です。有名な土佐日記の著者紀貫之が国司として4年間滞在した場所としても知られるお寺です。
仁王門
本堂 本尊は、千手観世音菩薩 秘仏
大師堂
大師堂の横には、禁酒の効果があるとされる酒断地蔵尊
ビール好きさんにお札をお土産に買いました。
30番 善楽寺
牧野植物園前でタクシーに来てもらいここへ行く。帰りは読み方がわからない薊野(あぞうの)駅より御免駅までJRで行く。土佐の地名は馴染みのないものが多いです。ちなみに隣駅の土佐一宮駅は(とさいっくえき)と呼ぶのだそうです。
大同5年(810年)空海(弘法大師)が高鴨大明神(土佐国一宮で現在の土佐神社)の別当寺として、神宮寺とともに創建したといわれている。
本堂 本尊は、阿弥陀如来です 秘仏
32番 禅師峰寺・ぜんじぶじ
聖武天皇の勅命を受けた行基が海上安全を祈願して堂宇を建立したのを起源とし、空海(弘法大師)はここを霊地と感得し虚空蔵求聞持法の護摩を修法、十一面観世音菩薩を刻んで本尊として祀り、山の姿が補陀落山の八葉の蓮台に似ていることから八葉山、求聞持法を修したことから求聞持院禅師峰寺と寺名を定めたという。
土佐藩主山内一豊以来、歴代藩主の信仰を受けており、参勤交代で浦戸湾を出航する際には航海の無事を祈願したという。
十一面観世音菩薩像
本堂 本尊は、十一面観世音菩薩 絶対秘仏
大師堂
境内から眺める高知湾
2024-8-6
お遍路23 27番神峰寺・こうのみねじ
安芸から「くろしお鉄道」に乗り唐浜駅で下車、そこからタクシーにて神峯寺を参詣した。 「土佐の関所」また「遍路ころがし」と呼ばれる屈指の難所であった。そこへは麓からの急峻な遍路道を登るしか行きつけなかったが、住職らの努力により車で行けるように整備された。
安芸 周辺図
27番 神峰寺
神功皇后が朝鮮半島進出の戦勝を祈願し天照大神を祀った神社が起源とされ、天平2年(730年)に聖武天皇の勅を受けて行基が十一面観世音菩薩を刻み、本尊として神仏合祀し開創したという。その後大同4年(809年)に空海(弘法大師)が堂宇を建立し「観音堂」と名付けたとされている。
本堂 本尊は、十一面観世音菩薩
大師堂
2024-8-13
お遍路24 26番金剛頂寺、25番津照寺、24番最御崎寺
室戸岬 周辺図
26番 金剛頂寺
大同元年、唐から帰国途次の空海が当地に立ち寄り創建したとされる。鎌倉時代になると無縁所となり、体制から逃れた人々をすべて受け入れ「西寺乞食(にしでらこつじ)」と呼ばれるようになり、侵すことのできない聖域として存在した。
本堂、 本尊は、薬師如来
大師堂
「一粒万倍の釜」
弘法大師が、三合三勺(495 g)のお米を入れて炊いたところ、万倍にも増え、飢えた人々を救ったという。
25番 津照寺
室津の港からすぐのところにある。
大同2年(807年)に空海がこの地を巡錫した際、山の形が宝珠に似ておりこの地が霊地であると感得し、宝珠に合わせ、一刀三礼して延命地蔵菩薩を刻み堂宇を建立し開創したという。
鐘楼門 竜宮城みたいである
本堂 本尊は、楫取延命地蔵菩薩。 秘仏
大師堂
24番 最御崎寺・ほつみさきじ
空海は都での学問に飽き足りず、19歳の延暦11年(792年)頃からの約5年間、山林修行を続けた。室戸岬にほど近い洞窟(御厨人窟)で虚空蔵求聞持法に励んだとされる。寺伝によれば空海は大同2年(807年)に、嵯峨天皇の勅願を受けて本尊の虚空蔵菩薩を刻み、本寺を開創したとされる。
仁王門
鐘石 叩くと極楽へ届く
本堂、 本尊は、虚空蔵菩薩です。 秘仏
多宝塔
2024-8-15
お遍路25 23番 薬王寺、 22番 平等寺
逆打ちでこの日和佐まで来ると残りは4つになった。 しかし、歩くことを避けていた小生でも左足の甲に痛みがでてきた。 なぜか札所は山の中に多い。 坂道や階段を登ることが多いゆえであろう。
日和佐と由岐の診療所でそこを診察してもらった。 レントゲン技師が不在で撮影できずに痛み止め薬と湿布をもらう。 地方で都会を離れると、病院に行っても、今日は外科医やレントゲン技師がいなくて診療できないなんてこともある。 良いことばかりではないようだ。
由岐の病院からタクシーで平等寺に向かった。帰りはJR新野駅から日和佐駅までJRを使った。
日和佐 周辺図
23番 薬王寺
、神亀3年(726年)に聖武天皇の勅願により行基が創建と伝わる[1]。弘仁6年(815年)には平城上皇の勅命によって空海(弘法大師)が厄除けのため薬師如来像を刻み、伽藍を建立。
瑜祇塔
日和佐に入港する時にはこの塔は顕著なよい目標になる。
本堂 本尊は、厄徐薬師如来 秘仏
大師堂
22番 平等寺
空海がこの地で厄除け祈願をすると五色の雲がわき金剛界大日如来の梵字が金色に現れた。さらに、その端相に加持すると薬師如来像が浮かび上がったので、錫杖でその場に井戸を掘ると乳白色の水が湧いた。その水で身を清め百日間の修行をした後薬師如来を刻み、堂を建てて本尊として安置した。
本堂 本尊は、薬師如来
大師堂
2024-8-19
お遍路26 21番太龍寺
日和佐よりJR阿南駅についた。 バスの停留所が見つからなかった。 しかたなく、ロープウエイの乗場までタクシーを利用した。5000円ほどの出費は痛い。
阿南 周辺図
21番 太龍寺
空海(弘法大師)の24歳での著作である三教指帰(さんごうしいき)の序文に「阿國大瀧嶽に…勤念す」と記されており、大瀧嶽は現在の大竜寺山であると考えられている。19歳で都の大学での学問に見切りをつけて修行に入った空海が、現在の境内の600 mほど西にある舎心嶽の岩上で百日間の虚空蔵求聞持法を修したとされる。
ロープウエイ
ロープウエイのガイドさんが弘法大使さんが修業した山中(舎心獄)を教えてもらい写真を撮ったが、明確に映っていなかった。
本殿 本尊は、虚空蔵菩薩 秘仏
大師堂
2024-8-24
お遍路27 12番焼山寺
いよいよ結願です。 昨秋の徳島では1番から20番札所まで参詣した。 11番藤井寺より12番焼山寺は山奥ゆえに残したままであった。近春から逆打ちにして、ヨットで反時計回りで四国を巡航したのでここが最後になった。
神山町 周辺図
JR徳島駅前のバス乗場から神山高校前行きに乗車。 神山町役場前で下車してタクシーを呼ぶ。 タクシーは2社ほどしかなく、午前中は医者や買い物のご老人の利用が多く、前日の予約が良いのかと思われた。 卑弥呼の在た地の悲願寺に行く予定をしていたがタクシーが捕まらず行くことが出来なかった。
順番に訪問するのにこだわらなければ11番の藤井寺でいったん止め、翌日に17番井戸寺より13番大日寺までh歩き遍路で行けるので大日寺よりバスで神山町役場へ、逆に順序にこだわるならバスで役場前までいき焼山寺を終えて再びバス便大日寺下車の方法もある。 11番藤井寺より歩き遍路で12番焼山寺は厳しいものになると思われる。修行だと思われるている方には余計なアドヴァイスであろう。
ちなみに、はるばる海から渡って阿波の海岸にたどり着いたユダヤの人々は神の山のここらあたりにたどり着いたと云う。
12番 焼山寺
大宝年間(701年 - 704年)、役小角(役行者)が開山し、庵を結び蔵王権現を祀った。のちに空海(弘法大師)は、神通力を持ち火を吐いて村人を襲う大蛇がこの山に棲んでいることを聞き退治に向かった。大蛇は全山に火を放って妨害したので摩盧(水輪)の印を結びながら進むと、蛇は山頂の岩窟に閉じこもって抵抗した。そこで虚空蔵菩薩や三面大黒天に祈願すると大蛇を岩窟の中に封じ込めることができたため、そのお礼に虚空蔵菩薩を刻んで本尊とし一寺を建立したという。
階段と山門
本堂 本尊は、虚空蔵菩薩 秘仏
藤井寺から焼山寺の間はお遍路ころがしと言われ 「一に焼山寺、二に鶴林寺、三に太龍寺」 と焼山ではかなりの難所になっています。
11番藤井寺方面を望む
2024-8-27