涼風の栃木へ。星野リゾート 界 川治に泊まった2日間 20 - イタリア大使館別荘記念公園⑤ 湖畔の外交官たち、そして「鬼平江戸処」へ(2024年8月23日/2日め)
2024年8月23日 「界 川治」で。(栃木県日光市)
8月23日(金)
イタリア大使館別荘記念公園に来ています。
この公園は本邸と副邸から成っています。
本邸:テラスやリビングを備えた邸宅で、調度品や暖炉などの展示スペースとして活用されています。
副邸:国際避暑地歴史館として活用されています。国際避暑地としての歴史を展示しています。
本邸のあとは、小径を歩いて、
すぐ近くにある副邸に行きました。
中に入って、スリッパに履き替えました。
副邸は小さな建物で、
ふたつの部屋があるだけです。
ひとつめの部屋です。これは、庭から中を覗き込んだときに撮った写真。
こちらは、室内を歩きながら撮った、同じ部屋の暖炉周辺です。杉皮張りの内装が美しいですね。^^
オリジナルの網代内装は、一部が今も残され、展示されています。
窓の外に広がるのは、一面の緑。
窓際には、避暑地を訪れた外交官たちの生活を説明したパネルが置いてありました。
湖畔の外交官たち。
【湖畔の外交官たち】
昭和の初めごろになると、中禅寺湖畔の各国大使館・外国人別荘は、40戸近くを数えるようになります。別荘に滞在する外交官たちは、ヨット競技、ボート遊び、鱒釣り、男体山登山、湖畔でのピクニック、植物採取などに興じました。また、湖畔の別荘で午後に茶会を開くなどして、互いの親睦を深めました。ときには、水神祭に参加することもあったようで、地域の人々とも交流しながら、避暑地での休暇を過ごしました。
室内では、当時、湖畔で遊ぶ外交官たちの
古い映像を見ることができます。
これがとてもおもしろくて、
ソファに座って見入ってしまいました。^^
木立の向こう側には、本邸が見えました。
ふたつめの部屋です。この部屋には、国際避暑地としての歴史を説明した資料が展示してあります。
【国際避暑地の誕生】
明治のはじめから、日光は、観光地および避暑地として、日本を訪れる外国人たちに注目されていました。日光が持つ歴史的文化的な魅力に加え、外国人にとって過ごしやすい気候の地であったのも、大きな理由のひとつでした。
1872年(明治5年)、アーネスト・サトウが、横浜外国人居留地の英字新聞「ジャパン・ウィークリーメイル」に日光の魅力を紹介したのを皮切りに、年を経るごとに、多くのガイドブックで日光が紹介されるようになりました。そして1890年(明治23年)、上野と日光を結ぶ鉄道が開通すると、日光を訪れる外国人の数も膨れ上がりました。
1899年(明治32年)には、外国人が日本国内を自由に旅行できるようになり、居留地意外でも住居を構えることが許されるようになりました。それを機に、在日外交官などは、静かでどこか異国の風情が漂う中禅寺湖畔を訪れ、別荘を建てるようになりました。こうして、奥日光・中禅寺湖畔は国際避暑地として発展し、日本のリゾート地の原点となりました。
これで、副邸の見学も終わりました。
日光と言うと日光東照宮ですが、
東照宮があまりにも有名になっているせいか、
奥日光のイタリア大使館別荘記念公園にまで
足を延ばす人は少ないのかもしれません。
本邸でも、訪れる人は多くなかったのですが、
副邸まで来る人はさらにいないようで、
このときは私たちの貸切状態でした。
ゆったりと見学できて、
それはそれでよかったのですが…。
さて、帰ります。本邸へと続く小径を歩き…、
さらに、英国大使館別荘記念公園を通り過ぎ、駐車場まで続く道を歩き続けました。
ご覧のように、
歩いている人もあまり見かけません。
日光でゆったりのんびりした時間を過ごすなら、
ここはおススメだと思います。
豊かな自然に囲まれた日光の中禅寺湖周辺は、
明治時代以降に国際的な避暑地として発展するなか、
「北イタリアのコモ湖の雰囲気に似ている」
と評判になりました。
その全盛期には、
各国の大使や外国人の別荘が約40棟も立ち並び、
「夏は外務省が日光に移る」
と称されていたほどでした。
なにより、高温多湿な日本で、
「涼しい夏を過ごせる」ということが、
最大の魅力だったのでしょう。
私たちも、猛暑の東京から逃れて、
ほっと息をつくことができた2日間でした。^^
コモ湖は、イタリア屈指の人気を誇る避暑地にあります。そう言えば、中禅寺湖と似てるような気もします。(画像をお借りしました)
英国大使館別荘記念公園から、
イタリア大使館別荘記念公園へ。
古い別荘めぐりをするつもりで、
軽い気持ちで来てみましたが、
別荘や避暑地にまつわる
さまざまな人々や歴史を知ることができ、
想像していたよりもずっと、
楽しい旅になりました。
帰路、中禅寺湖橋を車で走りぬけたときに撮った一枚。夕陽に照らされる中禅寺湖に別れを告げました。
夕陽と競争しながら、
一路、東京へと車を走らせました。
羽生PAで休憩したのですが…。
これでもパーキングエリアなんです。最後の最後まで、観光しないと気がすまない、多動夫。🤣
【羽生パーキングエリア】
埼玉県羽生市にあります。この地は、江戸時代、付近に日光街道の栗橋関所が置かれたため、江戸の出入口として機能していたところでした。そのため、上り線では、江戸の世界観に初めて触れる機会として、「鬼平犯科帳」の世界観に基づく江戸風の建築物が設けられています。2013年には、池波正太郎の生誕90周年にちなんで、「鬼平江戸処」としてリニューアルオープン。建物自体も、江戸時代の雰囲気を出すために、新築した江戸時代風の建物をエイジング加工し、江戸の雰囲気を再現しています。
まるで時代劇の撮影所に来たような…。笑
中のショップやレストランも、江戸時代の街並み風に作ってあります。
かすてら、佃煮、お団子と、売ってるものも、江戸時代風。笑
お菓子コーナーには、いもけんぴやおせんべい。
これまた江戸時代風のお蕎麦屋さんの前で休憩。
すっかり暮れなずんだ中でいい雰囲気を醸していた、醤油酢問屋の建物。
羽生PAを過ぎれば、東京はもう目の前。
夜8時、ようやく、自宅近くに戻ってきました。
夕食は、近くのはま寿司へ。
はま寿司の支払いは、三井住友VISAカードで。
スマホタッチ決済で支払った場合、
利用額の8%が還元されます。
その上、dポイントは2倍。
こうして、日々、ポイ活に励んでいます。😄
10年前には、ポイントをバカにし、
「みみっちいことするな!!」
とMIYOに怒鳴っていた多動夫も、最近は、
「ポイント、すごいね。ありがたいね。」
などと言いながら、
神妙にお縄を頂戴し…でなくて、
神妙にお寿司を食べるようになりました。爆
そりゃあそうです。
あの星野リゾートに、
ポイ活でタダで泊まっちゃうんですから。🤣🤣
「界 川治」に泊まった、豪華な二日間。
その他の昼食代とかを入れても、
2日間で使ったお金は、全部で10000円以下。
ポイ活、ばんざい。笑
【今回訪ねたところ】
8月22日:
栃木県佐野市
昼食:佐野SAで佐野ラーメン
日光市
鬼怒楯岩大吊橋
楯岩展望台
古釜の滝
まちの駅「キヌ・テラス」
宿泊:星野リゾート「界 川治」
夕食:星野リゾート「界 川治」
8月23日:
日光市
朝食:星野リゾート「界 川治」
昼食:「明治の館」
旧ホーン家住宅主屋・ガレージ棟
英国大使館別荘記念公園
イタリア大使館別荘記念公園(本邸・副邸)
埼玉県羽生市
羽生PA「鬼平江戸処」
日光から奥日光へと歩いた2日間でした。
毎度のことながら、
1泊2日で20回も連載してスミマセン。
連載におつきあいくださり、
ありがとうございました。
たった二日間でしたが、
充実の、すばらしい旅になりました。
ありがとう、栃木県。^^
(おわり)