『零 月蝕の仮面』が個人的に神ゲーだったのでもう一歩踏み込んで語ってみる
クリア後の感想も兼ねているので一応ネタバレ注意。
プレイ時間の霊障疑惑
先月、発売日からちょうど一週間後くらいに購入した『零 月蝕の仮面』(Switch版)だが
あまりの面白さに、気付けばもうこんなプレイ時間になっていた。
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ゲーム中のプレイ時間が39時間であることに対して、Switch本体で確認すると「65時間以上」にもなっているのは、ミッションモードや読み物に費やしている時間はゲーム中での"プレイ時間"としてはカウントされないのが原因ではないかと思っていた。もしくは霊障か!?
Twitterで、過去シリーズで同様の体験をされたという零ユーザーの方から、タイトルやメニュー画面で過ごした時間はプレイ時間として扱われないのではないかという話を教えてもらい、たしかになと納得。それを踏まえた上で、20時間以上もゲーム本編外で遊んでいた自分に驚く。もしかすると、”永遠のような時間、溶けていく感覚"に囚われていたのかも知れない。
なぜか何周やっても面白い
こっちは霊障である確率がかなり高いと思っているのだが、「月蝕の仮面」は何周やっても面白い。
ジャンル的にストーリー重視のホラーアドベンチャーということで、推理小説と同様、一度オチを知ってしまえば二度目は無味なものだろうと思っていたのだが、この「月蝕の仮面」はむしろプレイを繰り返すほどに心を囚われていく感覚がある。まるで訪問する度に魅入られてしまう心霊スポットのように。
現在はミッションと霊リストをコンプリートし、5週目にして初の難易度「ナイトメア」に挑戦中。未開放の要素もいよいよ無くなってきた。各「霊石」がカンストした影響でもう拾うことが出来ず、初めは欲しくて堪らなかったそれらが今度はプレイの邪魔になるという”やり込んだ故の不満”も出てきたりしていて、これはリマスターではなく新作に望むべきだろうが、こうやってカンストしてしまった「霊力の欠片」や「ポイント」類にもっとほかの使い道があれば良いなと思った。例えばオプション画面に霊力の欠片を一気に999個消費できる項目があって、それをやると現実世界でも心霊現象を起こせるとか(謎の技術)
もしも本作がより周回プレイの快適性に特化していたならば、100周くらい周回してしまいそうなのでそれはそれで危険でもあるのだが…。これについては密かに次回作で期待しておきたい。
カンストして使い道のない霊石や、周回をすると入手済みのファイルが何度も出てくるのが面倒だったりという些細なストレスはあるものの、「月蝕の仮面」全体が持つ面白さに比べるとそれらも霞む。思うに、フィールドの空気感や、設定からシナリオに至るまでユーザーを浸らせる要素が秀逸なのだろう。丁寧に揃えられた条件によってこのゲームには一種の「神楽」が起きており、何のイベントも用意されていないフィールドの一角でさえ、妙に味わいを帯びている気がする。魂の入ってしまった人形はパーツ全体、四肢の先にまで妙な生々しさと気配を帯びるが、このゲームにも"入っている"のではないか。
ゲーム以外の創作の世界に於いても、魂を込めて設定や物語を作りこみすぎると「登場人物が一人歩きを始める」と言われるようなことがある。これはあまりにも作りこんでしまったせいでキャラクターが意思を持ってしまい、作者の制御の下から離れてしまうような現象だったと思う。想定したシナリオ通りに動いてくれなくなるわけだ。職人が手掛けた渾身の作品が本当に魂を宿してしまい、その後に御神体、あるいは呪物と化して丁重な取り扱いが要されるという話もよくある。作中では幾度も「帰来迎(きらいごう)」が失敗していたが、「このゲームの製作」という次元ではそれが初めから成功しているような気がしてならない。
ストーリーが良すぎた
ストーリーに関しても、父である宗也の男性性(厳格さ、理想を追い求める)や、母である小夜歌の女性性、母性(宗也を愛するが、勘で異常を見抜き子を守ることを優先する)などが描かれているので、プレイする度にそれらが人として根源的な感情を揺さぶってくる。確かに人間はこうだよなと、血肉の通ったリアリティを感じる。人にとって父と母との関りは「人格の起源」なこともあって尚更だろうか。双極の要素というものは、互いの存在感を引き立て合っていて美しい。そして帰来迎以前の記憶、つまり喪失していた宗也の顔、かつての父性の愛情を思い出すことで流歌は完成する。
人の子であれば誰しも、「自分は親に愛されていなかったのではないか」と考えることは非常に恐ろしい。例えそうであったとしても、見たくない、思い出したくないものだ。しかし流歌は今回、真実を知るために朧月島へと帰ってきた。灯台を登る最中で三度も父である宗也の怨霊に邪魔をされる構成は、そうした流歌の心の葛藤を描いたものでもあったのではないだろうか。頂上で愛情を湛えて流歌を振り返る父の顔を思い出し、必死で声を上げて呼び止めるまでに流歌の心が蘇った結末はかなりのハッピーエンドだったと言えそうだ。
本作は「月蝕の仮面」を巡る物語であったことと同時に、水無月流歌という一人の少女のトラウマ、克服、治癒、そして生物の内で最も霊的存在とされる「人」としての完成を描く物語でもあったように思う。全ての条件を取りそろえた祭事によって「帰来迎」が成されることと同様に、あの島を巡る一連の事件とは、結果的に「流歌の精神」を完成させる条件となったのではないか。エンディング後のあの湖面に月が浮かぶ幻想的な景色は、流歌が見た零域のビジョン(生きたまま零域に辿り着いた人間だけが見られる)と考察されているのをネットで見た。それを踏まえても、尚更そんな風に感じられている次第だ。
考察という程ではないし、そもそも考察出来るほど賢くも無いが、ともかく僕はそんな風にこの作品を楽しめている。
メイン主人公である水無月流歌を筆頭に、他にも様々なキャラクターたちの想い、そしてそれぞれの終着点が描かれているところがこの作品の魅力だと思った。(最小限の情報だが、それが却って味わい深い)彼らの病室を訪れたり、残された言葉を目にする度に胸に来るものがある。
零の今後に期待
月蝕の仮面の影響で「濡鴉」の方も購入してしまい(記事)
今はそっちものんびりと楽しんでいる。在庫数を表すゲージが”緑”で表示されていたファミ通の週販発表からして、今回の「月蝕の仮面リマスター」の売行きは芳しくないようだが、今後の展開の為にも何とかジワ売れしてくれないかと思っている。内容的にはもっと多くの人々の心に刺さって売れそうな作品なのだが、月蝕の仮面に関しては「Wiiのゲームのリマスター」というレトロさがウケなかったのだろうか…? 一応、「経済不況時はホラーがヒットする」という市場のジンクスもある。今後零がもっと盛り上がってくれることを願うばかりだ。
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