また、谷川嘉浩さんの『スマホ時代の哲学』から
著書の中で、「スティーブ・ジョブズの助言は当てにならない」として、スタンフォード大学での卒業生に向けたスピーチを批判している。
12年前の私も、ジョブズのスピーチに奮い立たされている自分とちょっと待てと批判的に見ている自分とがいた。 *1
やりたいことだけやれる日など、ない。
ただ、今日一日「心を込めた」という振り返りはできるとは思う。
心の声に従うということは、良いことのようで、気をつけたほうがいい。
・いまやりたい!と思っていることは、一時的な感情の可能性が高い
・自分に知識や経験が足りなくて、その範囲の中で意思決定をしてしまい、本当はもっとよい選択肢があったかもしれない。
・自分の中に閉じ込もって意思決定するので、他者は完全にシャットアウトしてしまう。
なので、わたしはこうしている。
「無意識」のときに、まったく別の3方向から、そのことに関するコトが起こったら、メッセージとして受け止める。
条件は、「無意識」のときだ。
やりたい!と思うことについて、意識を持って、能動的に本屋に行ったり、人と話したりするときは、
自分のやりたいことを正当化するための情報を集めて理論武装してしまう。
大抵のことは、そのことを正当化するためのエビデンスを集めることができる。
なので、意識化にあるときは、心の声ではない。ただ単に今興味があることなだけだ。
でも、ふとした時、偶然に、ひょんなことから、アンテナを立てていた情報とぶつかることがある。
1方向は偶然、2方向はたまたま、3方向から来たらメッセージだ。
そして、自分の中の他者とも相談する。
尊敬する師匠なら、こんな時どうするだろう?
信頼する仲間なら、こんな時どんな言葉で叱ってくれるだろう?
大切な家族なら、どんな励ましの言葉をくれるだろう?
自分の中の他者でありながら、自分でもある心の中の他者と対話する。
自分一人で決めない。自分の殻に閉じこもらない。
そして、君へ
空海の言葉をいつも、思い出したい。
ひとは、一人では生きられないから。
示す者なきときは、すなわち目前なれども見えず。
説く者なきときは、すなわち心中なれども知らず。
この青空を、君へ
*1:2011年10月14日の日記より
ジョブズは言った。
If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
正直言えば、自分はジョブズのような天才ではないので、この問いは立てられないし、立てたとしてもNo続きだろう。やりたいことばかりをやれる毎日が続いているとは到底思えないし、それをすぐに変えようという勇気もなさそうだ。
しかし、この問いならばYesと答えられる。
もし、今日が人生最期の一日だとして、今日起こる全てのことを受け止める、受け入れる気持ちで生き抜けるか?
毎日朝鏡の前で問うことはこの問い。そして、寝床で反省する。
ジョブズの言うように、一日を終えるとき、「今日も素晴らしいことをした」と言って眠りにつけたら最高だが、自分が振り返られるのは、今日も全力で生きたし、起こることを一旦受け止める努力ができた。と言って床に就くことだ。
ここ最近は、若干うまくいかないことが続き、受け入れられず「なんでだよ!」と原因を他者や環境のせいにしかけてしまった自分がいて反省しながら眠りについた日々が続いた。
ジョブズスピーチ見ながら、まだまだ修行が足りんな^^;と反省する日々。
全てのことには意味がある。答えは自分の中にある。
you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.
by Steve Jobs