家主 田中ヤコブ×くるり 岸田繁、音楽に投影する“社会と自分” The Beatlesを継承する意義も語り合う
心に深く沁みる彩り豊かなメロディラインと、エレキギターを炸裂させながら展開していく抜群のアンサンブルで話題を広げ続けている、田中ヤコブ(Vo/Gt)率いるバンド 家主。昨年末にリリースされた最新アルバム『石のような自由』は粒揃いの彼らのディスコグラフィにおいても、さらに群を抜くほどの傑作だ。どっしりとしたミドルテンポのナンバーを中心に、勢いと悲哀が入り混じったような「きかいにおまかせ」や「耐えることに慣れ過ぎている!」、80’sテイストのダンサブルな「庭と雨」など、各所で新境地を開拓。オールディーズもオルタナもメタルも、古今東西さまざまなロックのエッセンスが一つ屋根の下に同居しており、家主が日本のロック史において今まさに重要な存在感を発揮していることを示すようなアルバムとなった。だが一方で、いわゆる“ロック”に対して独自の解釈を持って距離感を保ち、あくまで自分らしいフィールドのなかで最も気持ちいい音楽を鳴らしているだけだと感じさせる痛快さもまた、彼らの魅力だ。時代や社会における自分自身の位置づけや、その時々に抱く繊細な感情を大切にしつつ、そこに最大限フィットするロックの在り方を更新しているのが、今の家主であり、田中ヤコブなのかもしれない。
今回は『石のような自由』のパッケージリリースを記念し、田中が「切っても切り離せない」ほど影響を受けたという、くるり 岸田繁との初対談が実現した。ロックの文脈から現れつつ、作品を重ねるごとにジャンルやスタイルを変化させてきたくるりは、多くの後続に影響を与えつつ、現行シーンにおいてもいまだに他者の追随を許さない存在だと言えるだろう。そんな岸田ならではの“家主”像の解釈を通して、田中のソングライティングに迫りながら、The Beatles談義も大いに盛り上がった充実の対談をお届けする。(信太卓実)
「冷静な分析とやりすぎなサウンド、守ってくれる温かさの絶妙なバランス」(岸田)
――ヤコブさんがくるりを聴き始めたきっかけから教えてください。
田中ヤコブ(以下、田中):最初は父がくるりのライブを観に行って、すごくよかったと教えてくれたことがきっかけで。そこから聴き始めて、たぶんリアルタイムでは『アンテナ』(2004年)くらいから入ったと思いますね。ロックバンドは大げさに声を張り上げるものだと思っていたんですけど、くるりは平常時のテンションというか、喋るときもこんな感じなのかなという声で歌われているのが印象的で。あえて“ロックバンドしていない感じ”に、逆にロックを感じていました。
くるりは本当に、血であり、肉であり、骨だなと思うので、自分とは切っても切り離せない感覚がありまして。好きすぎて、くるりの曲はほとんどコピーしたんですけど、高校生の頃「惑星づくり」をコピーしていたときに、ディレイというエフェクターがあることを知らなくて……練習して、ディレイの奏法をフルピッキングでできるようになりました。
岸田繁(以下、岸田):(爆笑)。それはピッキングが上手くなったでしょう。
田中:はい、アンプラグドでディレイを刻めるようになりました(笑)。その後ディレイというペダルを知ったときに、こんなに簡単なんだと思って。あんなにフルピッキングしていた自分は何だったんだろうと。
岸田:心温まる情報をありがとう(笑)。あれはDD-5(BOSS DD-5 Digital Delay)を使ってて、実は簡単なんです。
――岸田さんは過去にSNSでもヤコブさんの作品を上げていたことがありましたが、家主やヤコブさんへの印象はいかがですか?
岸田:最初に聴いたのは家主ではなくて、ソロの作品でした。凝った音楽を作られているけど、ざらついた肌触りなのがわりと好みで。若い方なのか、どういった方が作られているのか知らなかったですけど、すごくマメそうな方だなと思いました。その後、家主の前のアルバム(2021年の『DOOM』)を聴いて、それが私のなかでは衝撃が大きくて。エンジニアの人たちとギターの音について話すときに「これ聴いてよ」って、1曲目(「近づく」)のドカンというバンドサウンドをよく聴かせてたんですけど、みんな驚くんですよ。誰だこれは、と。「家主というんです」と言ったら、「何、家主?」みたいな(笑)。
――具体的にはどんな衝撃だったんでしょう?
岸田:ギター2本、エレキベース、ドラムがそんなに広くない部屋でドカンと鳴ってて、それがうまくいってるんだなというのはもちろんなんですけど、それよりも、出してる音、届けている歌詞や歌声も全部、どの距離をめがけて発射されているかがすごく立体的だなと。近い人に向けられているようで、めちゃくちゃ遠くまで音が鳴っているような感じがして、それがかっこいいなと思って聴いてました。
田中:おぉ……ありがとうございます。
岸田:今の日本って、大人になってしまったけど、大人になりきれてない人たちがたくさんいらっしゃると思っていて。精神年齢が低い/高いとかじゃなくて、若い頃にクラスのほとんどの人たちがしている体験を、何らかの理由で体験できなかった人が、景気とかいろいろな理由で増えていった感じがする。みんなそれを心のなかに閉じ込めて、我慢してなかったことにしているけど、「SHOZEN」だったり、家主の曲はそういう気持ちに寄り添っているというか。リリックだけじゃなく、音の構成とか、モチーフの扱い方とか、音色とか。そういうもの全てで他人を動かす音楽になっている感じがして、素晴らしいなと思うんです。
田中:嬉しいですね。おっしゃった通り、私は成長過程で通らなきゃいけない通過儀礼みたいなものをわりとすっ飛ばして生きてきたので、そのやり残した感を音楽にぶつけないと消化不良と言いますか。常に心がモヤモヤしている感じはあります。
岸田:私は「きかいにおまかせ」が一番好きな曲で。リリックが面白いなと思ったのは、「俺はこう思う」という主張があるようでいて、その温度感が自分のものではないような感じがしたからで。つまり、曲の主人公は明らかに鬱々とした気持ちを持ってるんだけど、別の語り手がそれを話しているような冷静さや的確さがある。カウンセラーやお医者さんが説明してくれるみたいな、状況がよくわかる感覚があるんです。だから、文学的なものがないボブ・ディランみたいな……けなしてるわけじゃないですよ(笑)。
田中:いえ、嬉しいです。
岸田:そういう冷静な分析とやりすぎなサウンド、ぬか漬けみたいに心を守ってくれる温かさが、絶妙なバランスで混じっている印象かな。しかも、それが全然いやらしくないんですよね。職人的なミュージシャンズミュージシャンとも違う。ヤコブさんはそれを“ロック”と言ってるのかもしれないですけど。「これが正義です」とは言ってないのに、自分の正義に対する定義づけや問いかけもいくつかの曲でバンとやっているから、それもすごいなと。
田中:そういうところは、自分がくるりから一番影響を受けたかなっていう気がするんです。常に冷静で、クレバーなものを持っている印象がくるりの曲にはあって。あと、私は大学を卒業してからサラリーマンをやっていたので、社会との繋がり方がいわゆる専業ミュージシャンの方とは少し違っていて。リアルな生活を見てきた視点は、すごく大事に持っているところかもしれないですね。
岸田:私もそれを感じてました。
田中:(サラリーマンで)仕事をしていたときからそうだったんですけど、急に虚しくなったり、他人の都合で動くのに疲れて「もう勝手にしてくれ」みたいに捨て鉢な気持ちになることもあって。音楽だけは運よく投げ出さずに続けられているんですけど、社会に対して感じる「俺がいてもいなくても変わんないな」みたいな気持ちは、ちゃんと持っていたいし、言っておきたいなと思っています。
The Beatles直系音楽談義 「そこに続くものを自分も作りたい」(田中)
岸田:リリックでも音でも、そういう「どうでもええや、やってまえ」みたいなところと、すごく整理されている部分のバランスが確かにありますよね。ナンセンスな質問かもしれないけど、The Beatlesはお好きですか?
田中:大好きですね。父親がThe Beatles狂いだったので、やっぱり自分のルーツと言えばThe Beatlesです。家ではThe Beatlesと、The Beatlesに影響を受けた音楽が常に流れていて。
岸田:例えばThe Beatles的といっても、リズム&ブルースのコピーバンドみたいだった頃から、ジョージ・マーティンの手が入っていろんな音が重なったり、4人がバラバラに好きな曲を作り出した時代まで、いろんなThe Beatlesがあるじゃないですか。今回の家主のアルバムを聴いたときに、リファレンスとして『Rubber Soul』(1965年)とか『Revolver』(1966年)とか『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(1967年)とか、“油乗り期”のThe Beatlesの感じがすごくしたんです。僕は音楽としてはThe Beatlesで食べて生きてきたっていうほどThe Beatlesフリークなので、ベートーベンとかバッハ以外だと、西洋音楽でThe Beatlesを超えるものはいまだに存在しないと思い込んでるんですよ。なんでもThe Beatlesを基準に考えてしまう。
田中:すごくよくわかります。
岸田:ですよね。でも、おそらく周りの同世代の方はそうではない?
田中:おそらく違いますね。
岸田:聴いたこともないっていう人が多いですよね。ちょうどヤコブさんが生まれた頃、1990年代はThe Beatlesの再評価があって。
田中:『The Beatles Anthology』(1994〜1995年)とかが出ていたときですよね。
岸田:そうそう、新曲が2曲(「Free As A Bird」「Real Love」)入っていて。その時期は国内外のいろいろなアーティストのアレンジでもThe Beatlesネタが多かったんですよ。それがうっすらと2010年代初頭までは基準として続いていたと思うんですけど、2020年代になってからはバツンと減り始めた実感があって。特にアメリカのチャートとか……テイラー・スウィフトのような白人のカントリー音楽はともかく、やっぱり黒人音楽のチャートという感じがしていて。日本でもよくできたK-POPがたくさん入ってきて、音楽が新しい形になってるじゃないですか。和声から音の作り方まで、これは世界的にThe Beatlesが干されてるなと思っていて、私は居場所がない(笑)。かつて、The Beatles的なものに夢中になって、そこからこだわりの強いサウンドを作ったアーティストがたくさんいましたよね。ジェフ・リンとか、エミット・ローズとか。ああいう人たちは、オタクっぽい、職人的ミュージシャンだから大したことないみたいな風潮が1980年代以降しばらくあったと思うんです。でもね、私はこれが一番いいと思うわけ。
田中:めちゃくちゃわかります。
岸田:これは最近もよく考えていたんですけど、たくさんの才能が生まれてくるなかで、他人の才能に嫉妬することって実は音楽を作ることの敵だと思っていて。今挙げた人たちみたいに、音楽のなかにしっかり入り込んで遊べる作家が出てくると、それをやらないだらしないミュージシャンたちが、自分を正当化するために粗を探し始めるというか。「そういう音楽には魂がない」とか「ケンカ弱そう」みたいな感じで片づけられる感じが、長らくまかり通っていたような気がしていて。なんでこんな話をしたかというと、ヤコブさんの作っている音楽がそのようなものとして片づけられてほしくないからなんです。そういう人にこんな歌詞は書けないし。
田中:えぇ!? ありがとうございます。
岸田:それぐらい、家主には感銘を受けたということです。
田中:嬉しいです。今おっしゃったことはめちゃくちゃわかります。私は1991年生まれで、『アンソロジー』をリアルタイムで父親と観ていたんですね。そこからジェフ・リン、Jellyfish、Oasisあたりを幼少期に通っていたので、いろんなものを度外視して、自分の心が一番震えるのはやっぱりThe Beatlesか、The Beatles直系の音楽なんです。そこに続くものを自分も作りたいと思っていて。最近はそのことをより強く考えているかもしれないです。1990年代のパワーポップとかもすごく好きで、Oasisよりいいなと思うバンドもいたんですけど、どれも短命で。
岸田:いろいろいましたよね。Supergrassとかね。
田中:そうです。けど、それがオタク的なものとして片づけられてしまうことも薄々気づいていて。自分が思うに、それらの作り手自体の趣味性やコスプレ感が強すぎて、スノッブというか、聴き手を置いてけぼりにしているように見えちゃったのかなと感じています。私はオタクというよりも、ある種体育会系なところがあって。自分の音楽がどんな感じか俯瞰するクセがあるのと、たぶん中高生の頃に友達が全然いなくて、そういう時期にメタルと出会って、技術をある程度身につけられたのが今の音楽性に繋がっているのかなと思っています。結局、身体性というか、スポ根が好きなんですよね。水島新司の『ドカベン』の世界観とかが好きなので。
岸田:家主の演奏はすごくフィジカルな感じがしますし、音はメタルですもんね。コードが多いし、Black Sabbathみたいな音がしていたりとか。
田中:はい。けど、そういうコードの多さもくるりから影響を受けていて。歪んでるテンションコードとかはくるりからの影響が大きいですね。
岸田:歪んでいるけどテンションコードを入れるのは、音作りが難しいですよね。
――今作でくるりからの影響が出ている曲、ご自身では特にどの曲だと感じていますか。
田中:「歩き方から」がアルバムで一番気に入っています。自分のなかの“くるり的なもの”を追えたかなという実感があります。乱暴な言い方かもですけど、エレキバンドに対してアコースティックな音が有機的に絡んでくるのが、自分が思うくるりの印象で。例えばくるりの曲で言うと「The Veranda」のような、ドラムはめちゃくちゃしっかり鳴っているんだけど、しっとりアコースティックな音が上モノにあるみたいな感覚。エレキ一辺倒な曲ももちろん好きなんですけど、そこにアコースティックが入ってくるときに、自分はものすごくロックを感じるので、それを表現できたのが「歩き方から」だと思っています。
岸田:ありがとうございます。ただ「歩き方から」は、私はまぁまぁスルーやったんですよ(笑)。ちょっと、くるりっぽすぎるのかもしれない。