1: 歴ネタななしさん
 

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母親に懇願され、情けに負けて平清盛は頼朝と義経を殺さず伊豆と鞍馬寺に流罪としてしまった。そのため平家は滅びたとされるが、もしこの2人を母親の懇願を無視し殺してしまっていたら、果たして平家は存続したのか、それとも滅亡の運命からは逃れられなかったか、考察してください

2: 歴ネタななしさん
関東ではいずれ平家や朝廷の支配を離れて、独立する勢力ができたのは間違いない。だが、源頼朝がいなければ、あれほどの巨大勢力にはならず、 いくつかの独立勢力が併存する事態になっただろう。

木曽義仲によって平家は都を追われるが、源頼朝がいなければ、平家を殲滅するところまではできない。よって、平家は西国を拠点として存続
する。

西国の平家、木曽義仲、関東の複数の独立勢力、奥州藤原氏が併存する時代になっていただろう。

3: 歴ネタななしさん
>>2
いやいや、この三者だけではない。
東海東山には甲斐源氏、 四国には河野、近藤などの反平氏豪族
九州には菊池などの反平氏豪族も存在する。
また畿内の寺院勢力も無視できない。
義仲、平家、奥州藤原はその中の有力な勢力になるだろうが
その他の諸勢力が小勢力として並立する
戦国時代のような様相を呈する。

もしそれが100年近くつづいていたら元寇に対処できなかった可能性がある。

9: 歴ネタななしさん
墾田永年私財法の約束があったために
平氏は実際何を考えていたか分からんが歴史通りならやはり
日本から撤収していたと思う。

当時の日本社会の状況と菊池家などの九州勢力と近畿の寺院勢
力や天皇家の存在がある以上源氏とか頼朝とかがいなかったと
しても適当な例えば関東平野の人とかに同じことをやらせていたはずだと思う。

10: 歴ネタななしさん
関東の人たちは関東八平氏とか源氏の佐竹とかだけど、上に立って束ねる頼朝無しではまとまらない。
頼朝が利権争いを調停したから御輿として担がれた。

11: 歴ネタななしさん
上総介広常・佐竹秀義・志太先生義広などは、平家や中央貴族の支配を嫌ったが、 鎌倉政権の干渉も嫌っていたふしがある。頼朝の権威を認めず、自分の独立性を主張していたように見える。 このような関東独立勢力からすると、頼朝はいないほうがよかったかも知れない。

また、奥州藤原氏は、平家や中央貴族と適当に友好を保ちながら、独立を守るほうが合っていただろう。

12: 歴ネタななしさん
佐竹は平家に親かったんで頼朝に従わずに討伐された。佐竹討伐を主張したのは上総広常。
広常は佐竹と勢力争いをしていてその件の解決を期待して頼朝に参じたので平家追討より佐竹討伐が先と主張し、頼朝はそれを拒否出来なかった。

14: 歴ネタななしさん
追記。上総広常は頼朝麾下で最大の勢力を誇ったので頼朝にとってもだんだん目の上のたんこぶになっていったし、他の御家人にも横暴な振る舞いありとして誅殺される羽目になった。

13: 歴ネタななしさん
頼朝のようなリーダーがいないのだから、中央が平家、関東は独立武士、そして東北は藤原氏という割拠状態が常態化するだろう。
という事は武士はこうあるべしという規範も存在しないため、武士は公家化した連中と4世紀早く登場した戦国大名のようになった坂東武士に二分化し・・・
元寇が来て終わりかな。

17: 歴ネタななしさん
頼朝・義経がいないとすれば、後白河院は木曽征討を甲斐源氏・信濃源氏などに命じるかも知れない。
義仲が都を落ちていった後は、これらの源氏たちが上洛し、検非違使などの官位を得て、都の治安に当たるだろう。

平家は一の谷・屋島などに拠点を築いて西国に勢力を張るが、頼朝・義経がいなくては、簡単には落ちまい。
膠着が続いたところで、平家は後白河院と和睦して、都への復帰を図るのではないか。平家が復帰すれば、平家が事実上「幕府」の役目を果たすだろうが、 東国や奥州は独立状態になるだろう。

34: 歴ネタななしさん
>>17
そもそも東国は大豊作で西国は飢饉だったから東国勢もこの機に乗じて次から次へ対抗手段を練りつづけてたと思うよ

35: 歴ネタななしさん
>>34
東国の範囲も微妙だよな。
東山 自分たちが食べる分は確保できるが、地形気候のもんだいで放牧の方が盛ん。
都までの輸送経路は陸路中心で効率悪い。
東海 箱根以東は当時の地形と交通の便の都合で穀物より、布糸での年貢納付が多数。(穀物もそれなりかもしれないが)
北陸 穀倉地帯&琵琶湖を使った輸送により穀物を都に納入。

食糧問題だけ考えると北陸を押さえたもんの勝ち。

36: 歴ネタななしさん
>>34
その北陸も義仲VS平家で大量の農民が徴兵されて
気候は良くても耕作人が足りずに収穫高がかなり減っていた。
頼朝が義仲滅亡後比企能員を北陸に送り込んだけど
最初の任務は荒廃した農地の回復だったらしい。

飢饉は天候による天災と戦乱による農地荒廃という人災両方の側面がある。

東国豊作という面だけでのその先の可能性評価は難しい。

18: 歴ネタななしさん
まあ、奥州藤原氏は自分たちの所領のこと以外あまり考えてなさそう
だったからね。東方見聞録などはあると思うけど実際どれだけ金の
産出量や埋蔵量があったのかっていうところが。

相応の金があれば、欲しいものや必要なものが基本貿易で入手できただろうからね。

京都の治安維持は・・・僧兵でも源平ブランドの武士団でもなく
「ろぼっと」か「すーぱーまん」みたいな日本人がいればよかったよね。
まさこちゃんと北条氏が出てきてくれたからよかったものの。

19: 歴ネタななしさん
信濃源氏は大概義仲に従ったんじゃないの?
ザッと見たところでは、村上は義仲配下から後白河に付いて、義仲と戦ったけど破れて頼朝の元に参陣。

20: 歴ネタななしさん
>>19
信濃源氏などは義仲に従ったというよりは、やや義仲に主導権のある同盟ってとこかな?

信濃以外に義仲についてたのは(同盟的立場)

北陸豪族 → すぐ離れる
源光長(美濃源氏)→法皇につき敵対
葦敷義隆(尾張源氏)→距離を置く
安田義定(甲斐源氏)→離れて頼朝につく
源行家→ 敵対

山本義経(近江源氏)→最後まで義仲につく
志田義広→最後まで義仲につく

頼朝のような強力な主従関係によって構成された(といっとも後世より拘束力ははるかに弱い)家人をあまりもたない
同盟者頼みの義仲は同盟者に去られると
軍事力はすぐにガタ落ちする。

21: 歴ネタななしさん
平家が西国で生き延びたら、貿易を独占して経済力で返り咲くだろ

22: 歴ネタななしさん
>>21
宋に支払うものがないじゃん。
奥州の金が届かない状況になってるでしょ?

23: 歴ネタななしさん
バカ?商社って知ってる?

26: 歴ネタななしさん
>>23
支払いの決済としての金といってるんじゃなくて
相互支払いの物品としての金と言ってる。
貿易なんだからただで物もらうわけではないでしょ。

日本からの輸出品は、金、刀剣、硫黄くらいだったと思う。
そのうちの主力輸出品が金。

39: 歴ネタななしさん
無能な神輿では幕府のような独立政権の枠組みは作れなかっただろうし。
ひょっとしたら後の承久の乱で朝廷軍に敗れて潰えていたかもしれない。

40: 歴ネタななしさん
頼朝みたいなクソ重い神輿は最終的には切り捨てられる

41: 歴ネタななしさん
>>40
重しがなくなったら内紛時代突入だったけどね。

49: 歴ネタななしさん
頼朝北条未登場、何処ぞの公家だけじゃ幕府は難しいよ。
少なくとも承久の乱を切り抜けて全国を統治なんて団結力は育たない。
多分、リーダーが居なきゃ坂東武者はそれぞれ独自に割拠・自立の動きを見せるだろう。
鎌倉室町を挟まずに戦国時代になるかもしれないな。

50: 歴ネタななしさん
頼朝は傀儡だと思うなあ
事故死も暗殺じゃね

52: 歴ネタななしさん
>>50
頼朝が必要なんじゃない。
北条も未登場なのが痛いんだ。
そうなったら比企も安達も表舞台には出てこれない。
リーダーが不在だろ。
どうみたって群雄割拠一直線だ。

53: 歴ネタななしさん
頼朝の凄さを認識したいなら、全国の暴力団を統一することを想像すればええな

56: 歴ネタななしさん
結局、坂東平氏の内ゲバに源氏の御曹司担ぎ上げたって感じじゃねーの?
芝居や講談が源平を面白おかしく分けて表現してしまったが源氏の佐竹が清盛に近かったり頼朝と戦ったり

しかし佐竹って戦国時代は石田三成に近く家康と対立したり
そのくせ維新まで生き残った
世渡りが下手なのか上手いのか?

63: 歴ネタななしさん
源頼朝は平治の乱で平家によって打たれた源義朝の遺児なので
担がれとしては最適の人物だったけど、
仮に頼朝がいなくても別の人物が担がれていたな。
おそらく、東国の源氏の誰かさん。

64: 歴ネタななしさん
他の源氏が棟梁になるだけ
源氏うじゃうじゃいるし

79: 歴ネタななしさん
別の源氏が神輿に担がれるだけだろ。希義、範頼、義経の兄二人とたくさんいる。義仲もいるし

80: 歴ネタななしさん
>>79
反平家と独立性の高さから坂東に注目するなら新田義重かな
頼朝に対しては遅れをとったけど
頼朝がいなかった場合だったら有力じゃないかな

ネタ元: ・平清盛が源頼朝と義経を子供のうちに殺害していたら