※2024年4月撮影

トップ画像は「久我山駅」から徒歩5分ほどの「久我山稲荷神社」の境内。左に社殿があって正面は社務所。

境内の案内に杉並区教育委員会が「明治32(1899)年奉納、金玉均(きんぎょくきん 日本に亡命した朝鮮の李王朝末の政治家)の筆跡を刻んだ「人心同」の碑。」

※2024年4月撮影

手前の案内には刻まれた漢文が写されています。

こちらは力石。

※2024年4月撮影

台座には下記の内容が書かれています。

「明治、大正時代、村の若者がこれを担ぎ上げ、力を競って楽しんだものです。石の表には、その重さと担ぎ上げた人の名が刻んであります。古来病人ある時、これを持ち上げれば全快するとした「石占い」に由来すると云われています。この石の重さは、120キログラム有ります。

平成19年7月吉日 氏子一同」

「三拾二貫目」右には「××金太郎×」と刻まれています。

※×は判読出来ない文字です

※2024年4月撮影

力石の後から境内。左に「額堂付神楽殿」があります。

※2024年4月撮影

「額堂付神楽殿」の左に、「久我山幼稚園」横の階段上の鳥居。こちらも両部鳥居ですね。

※2024年4月撮影

境内に石塔がならんでいました。左は「正一位稲荷大明神」、中央が「富士山仙元大菩薩」と刻まれています。

※2024年4月撮影

側面には、手前「安政丙辰三年二月吉日」、中央は「弘化五戊申年正月吉日 大熊氏」とあります。共に、後で行きますが今は無くなってしまった「大熊稲荷社」の境内にあったものです。安政3年は1856年、弘化5年は1848年です。

※2024年4月撮影

「久我山稲荷神社」を出ます。

※2024年4月撮影

踏切で渋谷行急行、「久我山駅」に停車するのスピードを落としています。

※2024年4月撮影

次回は岩通通りを歩きます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)