※2024年4月撮影

トップ画像。「久我山駅」南の岩通通りの坂を上がってきました。

この三角の奥に画家の東郷青児さんの大きな邸宅+アトリエがありました。芝生の広い庭があってセントバーナードだったと思いますが、大きな犬がいたことを覚えています。

余談です。

駒込の本郷通り沿いのマンションにガールフレンドが住んでいて、時々彼女と駒込駅前の洋菓子店「アルプス」に行ってケーキを食べていました。このお店、店内に東郷青児さんの大きな絵がかかっていて、お土産を買うと包装紙が東郷青児さんのデザインのものでした。残念ながら2019年末に閉店された様です。ケーキ、美味しかったな~。あ、成城学園に姉妹店があります。

閑話休題。

この電気屋さんは筆者が中学の時(1970年頃)にオープンしました。こちらは2号店で、50メートルほど岩通寄りに最初にオープンした1号店がありました。

※2024年4月撮影

余談です。

中学生ですっかりロック小僧になった筆者は、中3の時にオープンしたばかりの1号店で日本盤の“LIVE CREAM”と“HENDRIX BAND OF GYPSYS”(共に1970年リリース)を購入しました。

※2024年4月撮影

日本盤なので日本語の解説がジャケット内に印刷されています。この後は輸入盤を買う様になったので記念にとってあるのです。

※2024年4月撮影

岩通通りに戻ります。この定食屋さんは、筆者が住んで居た70年代からありました。何度か食べたコトもあります。懐かしい!

※2024年4月撮影

残念ながら「準備中」でした。今時立喰ソバでも天ぷらソバが600円する時代に、コロッケ目玉焼定食が600円は安いです。

※2024年4月撮影

・・・ってなコトを考えながら岩通通りを歩いています。右の大きな邸宅は、筆者が子供の頃、扁桃腺で高熱を出すとデカいアメ車で往診に来てくれていた真島先生の医院でした。

※2024年4月撮影

現在は違う方がお住まいになっています。記憶では、真島先生は筆者が大学生の頃に亡くなられました。

※2024年4月撮影

でも古い表札が残されていました。「医學博士 眞島卓」は、往診してくれた優しい先生です。

※2024年4月撮影

さらに南に歩いていますが、建物がすっかり替わってしまってヘンな感じです。右にはず~っとお蕎麦屋さんがありましたが。

※2024年4月撮影

ここは筆者が何度も髪を切ってもらった理髪店です。

※2024年4月撮影

夏の日、バイト中、剰りの暑さに腰まであったロン毛を発作的に坊主アタマにしてもらったのが思い出です。というか、ミナトさんは「え~っ ホントにマジで坊主にしちゃって良いの?」と何度も訊いてました。切った髪を見て「カツラが作れるなぁ」とも・・・。(笑)

消防署が見えて来ました。

※2024年4月撮影

昔は手前の路地に銭湯があって、そこにお茶とお菓子を売るお店がありました。

2009年(平成21年)には、店舗が残っていましたが。

※2009年11月撮影

次回は、玉川上水と東八道路を渡ります。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)