村上春樹1
[ 1 ]
日本の文化人でいえばダントツでトップクラスなのに馬鹿にされすぎ

[ 2 ]
作者でなく信者を馬鹿にしてるイメージ

[ 3 ]
所詮2ちゃんの意見なのに何本気になってんの?
ジェリービーンズでも鼻に詰めてろよ

[ 5 ]
>>3
2ちゃんの意見ってなにが?

[ 4 ]
ノーベル賞のあれこれはファンが勝手に騒いで推薦してるだけ
世界各国で数えきれないほど受賞してる
興味無い奴からすると毎度ノーベル賞に挑戦しては落選してる雑魚に見える

[ 7 ]
ラノベすらまともに読めないネット廃人共がどっかの馬鹿の偏見を間に受けて漠然としたイメージで馬鹿にする恐怖

[ 8 ]
大衆小説の定めとして、読者の大半がアホってことはつきまとうしなぁ
それ加味しても村上春樹のノーベル賞はまぁないよ

[ 9 ]
馬鹿のおかげで読む気になったやつもいるだろうけど

[ 12 ]
村上春樹好きじゃなかったのに
自室にグレン・グールドのポスター貼ってたりしてるの知ってちょっと好きになった

[ 13 ]
ノーベル文学賞にふさわしいかどうかとか文学的価値があるかどうかは置いといて
単純に売上だけみても世界各地でこんなに売れてる作家っていないからな
てかそういう意味でいえば日本でというより世界でトップクラスといえる
下手したらむしろ世界で一番かもしれない

(あと馬鹿にしているのはネットだけというわけでもないと思うけどな)

[ 14 ]
ノーベル賞がどうとか騒がれ始めたのが2000年に入ってからで
既に才能が枯れてたのに毎年大騒ぎしてるからしょうがない
春樹みたいに人気がありすぎると作品がすぐ翻訳されちゃうし
枯れたってこともすぐバレちゃうんだよね
「いかに駄作の存在を隠し通すか」も受賞のためには重要だからな

[ 15 ]
多崎つくるのAmazonレビューほんとすき

[ 16 ]
ねじまき鳥クロニクルはガチですごいよ
世界文学に匹敵する

[ 28 ]
>>16
パスタの茹で時間が長すぎて気になる

[ 17 ]
人を選ぶ作品が多すぎるだけって話よ

[ 18 ]
1Q84読んで枯れたとは少しも思わんかったがる

[ 19 ]
>>18
あれ酷かったよ

[ 20 ]
流行りの作家なんて俺は認めないし読む気もしない

そうだな、村上春樹が死んでから30年ぐらい経ったら読んでやってもいい

[ 21 ]
てか好きか嫌いかは個人的趣味の問題だから仕方がないにしても
村上春樹の作家としての才能を馬鹿にするのはかなり無理があるとおもう
元々小説好きでそれなりの持論があるならまだしも感想文レベルの批判が多いわ
嫌いなら嫌いでいいけどそれを作品の評価や批評と混同すんな…………って雑感
村上春樹アンチに限定したことでもないけど俺が嫌い=駄作みたいな安易な感想大杉

[ 22 ]
流行りって言っても30年以上前から流行ってるんだけどな

[ 23 ]
なんか春樹を貶したくて龍を褒める人がときどきいるけど
龍もそんなにすごいか?って気がする
高橋源一郎も中上健次もそんなにすごい気がしない
このへんの世代はすごい小説家がいない

[ 29 ]
>>23
その辺の世代はって言うけどそれ以降の世代ですごい小説家だれかいるの?

[ 30 ]
>>29
佐伯一麦とか


[ 24 ]
龍は読書家から多く嫌われてる印象

[ 27 ]
個人的には、村上春樹の本はクドくて酔っててとても読めない
けど、あれに浸れる奴が多いから支持されてるんだよなあ

[ 31 ]
ゴミだろ

[ 32 ]
ぶっちゃけ自分の中では辻仁成と同レベル

[ 33 ]
てか村上春樹は同時代あるいは他作家に対する影響力も強いし
単純に日本文学史のターニングポイントになったという意味においては評価せざるをえないと思う
ここで名前が挙げられた小川洋子も村上春樹作品に滅茶苦茶影響を受けているし(特に文体において)

[ 35 ]
>>33
どういうターニングポイントになったんだ?

[ 37 ]
>>35
詳細に説明するのは面倒だが
新しいタイプの口語体を定着
物語の再評価あるいは物語の復権
スリップストリープ(SFやミステリなど大衆文学的要素を文学と組合わせる手法)を純文学に持込んだなどなど

[ 39 ]
>>37
文体の個性でいえば大江健三郎、古井由吉、中上健次あたりも個性的だし
物語の復権とかスリップストリープ?とかいうのに至っては春樹以前からあるよ(大江とか筒井康隆とか)

[ 40 ]
>>39
まず大江健三郎はスリップストリームではぜんぜんない
筒井康隆はジャンルを越境するという意味ではそうだけど、村上春樹は再構成している(ポストモダン的手法)だから筒井康隆より現代的
複数の物語を重ねていくというのは大江健三郎あたりからしているから文脈としていえば延長線にあるという見方もできるけど既出とはいえないと思う

[ 42 ]
>>40
ポストモダン的な手法ってのがわからん
筒井康隆よりも若いからそのぶん現代的ってのはまあ当然として
「だから春樹はすごい」になる理由がわからない
大江の延長にあれば既出といってもいいだろうし、既出じゃないとしたらどう違うのかを説明するべきだろ

[ 43 ]
>>42
複数の物語を重ねるだけでなく分断する交錯させるなどさらに先鋭化させたという意味で既出ではない
てか大江健三郎のしていることは物語の操作という意味では多少、(世界的にみても)古臭いほうにはいる

[ 45 ]
>>43
>複数の物語を重ねるだけでなく分断する交錯させるなどさらに先鋭化させたという意味で既出ではない
これもわからない
春樹がデビューする何年も前に大江が発表した『万延元年のフットボール』には
「複数の物語」も「分断」も「交錯」もあったように思えるがな
あと「物語の操作」というのもわからん
作者が物語を操作するのは大江や春樹に限らず当り前だろ

[ 47 ]
>>45
極論すれば『万延元年のフットボール』どころかそういう手法自体はフォークナーの時代からあったよ
逆におまえからみたらその時代からしていることが変化していないつまり既出であるというてんのか?
例えばまず大江健三郎がそれらをしていたとしてもそのなかで扱われているの文学的モチーフに限定されるやんけ
一方で村上春樹が再構成して最終的に構築している物語はSFからミステリからパスタからマクドナルドまで含めた現代的モチーフ全般を混在させたものやん?
そういう意味でポストモダン的手法というてんのや、なおかつそういう意味では大江健三郎は多少古臭いというたわけ
おまえからみて大江健三郎と似たようなことをしているように見えるんならそれは仕方がないかもしれんけど

[ 50 ]
>>47
>逆におまえからみたらその時代からしていることが変化していないつまり既出であるというてんのか?
物語論に還元すればフォークナーも大江も春樹もみな同じような要素があるだろうし、
そこで春樹がなぜすごいかということを俺は聞いてるわけで、聞き返されてもちょっと困惑する
要するに「若者ウケする要素がたくさんあって売れるから新しい」ってことだろうけど、それがすごいことになる理由がやっぱわからない
あとパスタやマクドナルドはただの名詞だから、物語の分断や交錯にはあまり関係ないと思う

[ 55 ]
>>50
「若者ウケする要素がたくさんあって売れるから新しい」←どこをどう読んだらそうなるんよ

おまえにどれくらいの基礎知識があるのかわからんと説明も難しいんやけど
まずポストモダンというのはハイカルチャーとローカルチャーみたいな対立すると考えられていた二項の垣根を超えていくみたいな思想があるやん?
んで大江健三郎は新しい物語の構築仕方みたいなものは開拓しようとしていたししていた、でも結局文学という垣根からはあまり越えようとしていない
要するにポストモダン的指針はないわけよ……一方で村上春樹は欧米文学でいえばジョン・アーヴィングみたいなポストモダン文学の作家に影響を受けてる
だから大衆文学における要素や大衆文化に用いられる名詞(ブランドの名前)なども積極的に取りこんだわけ、これは文学史的にみると現代的手法に属するもんなの
そういう観点からみると大江健三郎は多少古臭くて、村上春樹は多少新しいことをしているというたわけ

おまえから見てどちらも同じことに見えるとしたらそれはおまえの見方だから別に否定するつもりもないわ

[ 36 ]
まあ文体は個性的だし『1973年のピンボール』とか読むと
「若いのに巧いなぁ」って思う