東京の台所2
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朝作る3食分は、自分の心をはかるものさし〈304〉

〈住人プロフィール〉
58歳(会社員・女性)
分譲マンション・3K・田園都市線 用賀駅・世田谷区
入居27年・築年数48年・長女(18歳)との2人暮らし

 マンションには珍しく、台所脇に勝手口がある。開けると中庭の緑が見え、そこからリビングダイニングの向こうのベランダに向けて風が抜ける。昭和の造りのしっかりした集合住宅で、酷暑日であったが心地よい風が印象的な台所だった。

 13年前の離婚で夫が抜けてからは、娘とふたり暮らしである。
 「越したい気持ちもなくはなかったけれど、眺めも間取りも好きで娘の学区も変わりたくなかった。かといってリフォームをする経済的余裕はなかったので、家具や食器棚を全部処分してカーテンを付け替えました。昔離婚した友達が、トイレをウォシュレットに替えて、カーテンを全部替えたら気分が一新したと聞き、そういうリセットのしかたもあるのかと記憶に残っていて」

 ローンを全額自分名義に組み替え、支払期間を長くし、月々の負担を軽くした。
 女性関係と金銭感覚の破綻(はたん)で離婚したが、「私が嫌いだからといって彼が人間失格ではないんですよね。彼はめちゃくちゃ娘をかわいがる子煩悩な人でもありました」。
 離婚という選択をしても、娘をとても大切に思ってくれている人を娘から奪う権利はない。
 「だから、元夫と娘のやり取りは本人たちに任せています」
 冷凍庫には、毎年元夫から大量に送られてくるマンゴーが入っていた。娘の好物だという。

 「離婚しているの」と、躊躇(ちゅうちょ)なく人に言えるようになるまでには数年かかったという。
 ひとりでも大丈夫、ちゃんと育ててやっていけると思えるようになったのは、朝の料理が大きいと振り返る。

 「作り置きが苦手で、そんなに料理も得意ではありません。でも出勤前の朝、その日の3食を作る。用意できたから今日も大丈夫と、朝の料理を軸に、自分をはかっていた気がします」

朝作る3食分は、自分の心をはかるものさし〈304〉

仕事を辞めたからといって自然に家事の腕は上がらない

 メイン、汁物、副菜4種が、彼女の基本だ。
 「丼ものなどひとつだと飽きるから。丼を作っても、豆腐にもずくをかけたものとかちょこっとなにか添えますね」

 実家の母が大変な料理上手だった。テーブルにのり切らないほど並べるのが常で、おせちやクリスマスの七面鳥など行事食も一から作る本格派だ。
 ただし、激しい気性で言葉がきつい。
 「手伝えと言われてやると“遅い!”と怒られる。みじん切りをしていると“そんなんじゃだめ”と体をこづかれるので、手伝いたくなくて。怒ったあとはケロッとしているのですが、幼い頃からそうだったので、料理はやりたくなかった」

 結婚していた頃、2年間だけ専業主婦をしていた。そのとき、大きな気付きがあった。
 「仕事を辞めたからって、自動的に家事レベルが上がるわけじゃないんですよね。料理も掃除も全くマシにならず、私は家にずっといる意味はないな、仕事を言い訳にしながら、できる範囲でやる方が向いているなと気づきました」

 朝5時ごろ台所に入り、まず踏み台に座って煙草(たばこ)を一服。携帯ゲームで頭を覚ましてから料理にとりかかる。一日分の献立の目途をつけ、帰宅後は温めたり盛り付けたりするだけでよいようにする。

 鶏肉や豚肉の茹(ゆ)で汁は、その都度冷凍し、スープや煮物に使う。
 「水から作るより、だしがきいてなんでもおいしくしあがります」
 夏場は、残り野菜をピクルスに。腐らせずにすみ、帰宅後はそのままつまみやおかずの1品になる。

 「1週間分作るのって、大変なわりに食べるときワクワクしないですよね。今晩や明日の分くらいがあればいいやという、軽い気持ちで作ったり食べたりするのが楽しいし、自分には合っている。学生時代は、実家暮らしでも母の圧が重く、あまり家によりつきませんでしたが、母は料理の力を明確に信じていたと今ならわかります。私も、ごはんさえちゃんと作っていれば大丈夫と思えるようになったのは、母の影響かもしれません」

 その母は、昨年亡くなった。
 近くに住んでいた母が自宅で倒れたため駆けつけると、台所のまな板に、タコ糸で巻いた煮豚用の塊がのっていた。塩コショウされ、煮込む直前の状態だった。

朝作る3食分は、自分の心をはかるものさし〈304〉

「いつ死んでもいい」

 朝、娘の弁当も作ってきた。
 娘は中高一貫校で、部活の部長としてバリバリ活躍。ところが高2の夏休み明け、学校に行く足が重くなった。

 「最初に電車に乗れなくなって。学校から1時間かけて歩いて帰ることも。それから、はっきり“行きたくない”と言いまして。一緒に電車に付き添うと、途中で呼吸が乱れ始めて苦しそうで、“ああこんな状態では行かせられない”と悟りました」

 なにかに燃え尽きたような娘を見て、無理強いをやめた。「飽きるほど休んだらきっと行きたくなるだろう」と、料理だけは一生懸命作った。ちょうどコロナ禍で、在宅勤務に切り替わっていた。
 「1日中ベッドにいて何をするわけでもない。食事だけは起きてくるのですが、やっぱりそれまでのようには食べられないんですよね。でも、毎日3回彼女と卓を囲むのは、保育園入園前以来。私にとっては新鮮でもありました」

 この生活がいつまで続くのか。学校に行けるようになるのか。不安を数えたらきりがないが、やれるのは食卓を共に囲むことだけだ。
 とうとう学校には戻らず、高3の春、通信制に転校した。それが昨年のことだ。

 娘はゆっくりと体力や気力を取り戻してゆき、半年ほど前から台所に立ち、料理を始めた。
 「体調が悪いときは、スナックやチョコレートや食べやすい甘いパンを食べていたんですよね。私が出勤するようになると、夕食を作ってくれるようになりました。“これどうやって作るの”なんて聞かれたりして。揚げ物にはたっぷり野菜の副菜がついてバランスがいいの」

 今春から飲食店でアルバイトを始めた。帰宅の早い娘が、夕食を作ることが多い。
 「まさか、誰かにご飯を作ってもらえる日がくるなんて。思ってもみませんでした」

 取材中、娘さんが帰宅した。
 自然な感じで母の隣に座り、ニコニコと話に聞き入る。そんな彼女に尋ねた。
 ──お料理は好きですか。
 「部屋を片付けるのより、お料理のほうが好きです。母の味に近づけたいと思うんだけど、まだまだ。ラザニア、グラタン、トマトサラダ、浅漬け、甘い卵焼き。母はあるもので作るんだけど、すごい上手なんです」

 茹で汁のスープストックの味に慣れているからか、ときどき買うコンビニの総菜は、味が濃く、添加物のせいなのか、舌が痺(しび)れる感覚があるという。

 娘さんも、築50年になろうとするこのマンション暮らしも、先のことはなにもわからない。
 階段のみの3階で、何歳まで住み続けられるか心もとない。だが彼女は、晴れやかな顔でこう語る。
 「これまでずっと、この子のために絶対死ねないという切迫感にも似た強い気持ちで、やってきました。でも今は、娘の作った夕食を食べられる。こんなステージがくるとは夢にも思っていなかった。自分なりにやるだけやった。だから私、いつ死んでもいいって本気で思ってるんです」

 もし、娘さんが独立してもなおここに住み続けると選択したときは、留学生を預かるか、勉強をして保護司をしてみたいとか。
 すかさず傍らの娘さんが言う。
 「ママそれ、当たり前のようにご飯を作ってあげることとセットで考えてるでしょ」
 朗らかな笑い声がふたつ、リビングに響いていた。

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