あきらは北海道から帰って来た。夜行列車でちょうど出発から21日目の朝だ。家には帰らず、そのまま千葉のおばあちゃんの家に住み着いてしまった。おばあちゃんの家は母屋のほか、車庫の上にこしらえた離れがあって、空き家になっていたからここに住み着いたのだ。その日から読書の日々が続いた。元々読書する習慣なんて無かったのだが、自分自身がこれから何をやるべきか悩んでいたので、読書でそれを見つけることにしたのだ。やたらと難しい論語とかも見た。これは雑学には良いけど、あんまり人生の選択には向いていなかった。一番多いのは岩波新書や中公新書といった新書、地理学や水理学、公害や社会学の本を1日一冊ペースで読んでいった。人生でこれだけ読書したのは最初で最後だろう。
地図を持っての散策もした。国土地理院の地形図を陸軍折りにしてそこらじゅう自転車で走り回るのだ。これで地図の地形と現地の地形を合わせる訓練になった。散策の楽しさを改めて認識したのもこの時期からだ。街の中では交通の観察というのもやってみた。道路上の自動車の動きを観察するのだ。その頃千葉市内では、モノレールもまだ無く、バス交通に頼った交通体系になっていたのだが、バスは路上駐車に邪魔されてうまく動けない状態だった。千葉駅前通りから中央公園までは駐車帯もあってスムーズなのだが、中央2丁目のバス停付近の路上駐車が多くて渋滞する。中央公園の信号南方向では、左車線を左折車、右車線を直進車が主に通行、右車線を直進するバスは信号を越えると路上駐車の車を避けてから、バス停へ入るのだ。中央2丁目はバスが次から次へとやってくるので、右車線でバス停に入れないバスが渋滞してしまう。よって道路全体が渋滞してしまって、中央公園の交差点まで滞ってしまうのだ。これを改善するために①中央公園の交差点に左折車線を造ること、②バス停付近一帯に駐停車禁止の明示を路面にはっきり行うこと、③中央2丁目のバス停は東金街道方面と大網街道末広方面の2つにすること、と投稿した。これは朝日新聞の千葉版に実際に掲載され、①と②が早々に実現した。結果、中央公園交差点南行き左折車線は左折専用信号でスムーズに、直進左側は主にバスが通ることによって、バス停付近の路駐が激減、バスは順序よく乗車が可能になった。
11月にはいると千葉三越の末広配送センターででお歳暮のアルバイトをした。時給800円で品だし、包装、結束、発送の仕事をするのだが、男性と女性で仕事が別れており、男性は流れに応じてすべての仕事、女性は包装を行うことになっていた。ここで包装の仕事というのを覚えた。この当時の三越は簡易包装なんてほとんどなくきちんと包装することにこだわりを持っていたから包装に関する教育はしっかりしていた。用紙の選択、位置決め、包装、テープ止めが最少になるための折、すべてが洗練されていた。今でもセロテープ止め1ヶ所できっちり包装出来るように体が覚えている。ここでは昼の弁当やお茶の時間のコーヒーもしっかりと出ていてとても楽しい職場だった。