NHK番組「チコちゃんに叱られる!」の放送内容を詳しく紹介!

チコちゃんに叱られる!

チコちゃんクイズ

漫才ってもともと何?→家族の繁栄と長寿を願う農家の副業

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今回は、チコちゃんに叱られる! ▽漫才とは▽コンクリートの謎▽馬とニンジン 初回放送日: 2023年12月8日の番組内容を紹介。


漫才ってもともと何?




漫才ってもともと何?


ゲストは福士蒼汰さんと若村麻由美さん!


早速一問目に。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、お笑い好きなステキな大人ってだーれ?」


この問題は、福士さんが回答者に。


チコちゃん「漫才ってもともと何?」


福士さん「落語だったものを二人でやっちゃいね!って感じで始めた。」といった趣旨の回答。


正解に至らず、られちゃいました。


チコちゃんの答えは、「家族の繁栄と長寿を願う農家の副業」



家族の繁栄と長寿を願う農家の副業


漫才のルーツといわれているのが新年に家族の繁栄と長寿を神様に祈る千秋萬歳。


いわゆる祝福芸。


平安時代に京都の貴族の間で楽しまれていたというこの千秋萬歳。


戦国時代の文献にもその様子が描かれています。


主に二人一組のコンビで行われることが多かったよう。


踊りながらめでたい歌を歌う「太夫(ツッコミ役)」と楽器(鼓)で合の手を入れる「才蔵(ボケ役)」。




これがやがて貴族・宮中から一般庶民へと広まっていきます。


特に農家の冬の副業として取り入れられました。


収穫できる農作物が減る冬の時期。


農家の人たちはよその家の玄関先で萬歳を披露しておひねりを貰って収入の足しにしていました。





特に尾張萬歳、三河萬歳といった所が千秋萬歳の中心地だったと考えられていたようです。




尾張と三河といえば織田信長、徳川家康のお膝元。


文化の中心。


笑う門には福来るという言葉あるように、所々に笑いを交える事でお客を楽しませるという要素が強まって行きます。


そこに登場したのが玉子家円辰。



卵を売り歩く行商人だけでなく、江州(現在の滋賀)音頭の歌い手としても活動。


芸人として大阪の寄席にも出演。


そして卵の買い付けで名古屋へ赴いた際に萬歳を観た事で触発。


自らの芸に萬歳の要素を取り入れるように。


江州音頭の合間に滑稽芸としての萬歳を披露するという独自の芸を作り上げた玉子家円辰。


落語中心だった寄席でひと際異彩を放ちます。


これに影響を受けた芸人たちが続々と萬歳を披露するように。


ここで主に農家の副業として行われていた萬歳は寄席で行われる芸の万才に変化しました。




やがて1925年にラジオ放送が開始。


落語や浪曲といった演芸が全国に流れる時代に。


しかし、万才は下ネタが多くてこれは放送でなかなか流せないという問題が。


そこで吉本興業の文芸部にいた作家の秋田實らが中心となって改革。


歌、楽器、踊りを省いたおしゃべりだけで笑いを取る今の漫才原型「しゃべくり万才」を確立。


そのしゃべくり万才を演じたのが横山エンタツ、花菱アチャコら。


芸人といえば着物だった時代にスーツ姿で登場したエンタツ・アチャコの代表作が「早慶戦」のネタ。


当時大人気だった東京六大学野球を題材にしてラジオ中継風に掛け合いで演じるというネタは大好評。


たちまち全国区の人気者に。


漫画の漫をとって漫才と呼ばれるようになったしゃべくり芸。




やがて演芸の花形として広まっていきました。


その後、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、人生幸朗・生恵幸子、リーガル千太・万吉、コロンムビア トップ・ライトなどなど。


やがてラジオからテレビに娯楽の中心が移り変わります。


すると目でも楽しませる横山やすし・西川きよしなどが台頭。


その後は1980年頃から始まった漫才ブームの波に乗って幾多の漫才コンビが世に出きます。


若者にもウケるお笑い文化として定着。


昭和の終わりにはダウンタウンが登場して現在につづきます。


一方でそもそもの源流である歌って踊る萬歳も音曲漫才へと形を変えています。


砂川捨丸・中村春代、かしまし娘、横山ホットブラザーズと受け継がれていくことに。


このようにしゃべくり漫才と音曲漫才が残ることになりました。





結論


というわけで、


「漫才ってもともと何?」は、


「家族の繁栄と長寿を願う農家の副業」


でした。
 



解説してくれたのは


演芸評論家の相羽秋夫さん



相羽 秋夫(あいば あきお、本名:澤田健一郎、1941年9月20日 – )は、日本の演芸評論家、放送作家、エッセイスト。大阪芸術大学芸術計画学科元教授・学科長。日本笑い学会副会長。

愛知県名古屋市出身。1966年同志社大学法学部を卒業後、松竹芸能に入社。寄席のスタッフ職員・構成作家として活動した。一時は、大村崑、正司敏江・玲児などのマネージャーを務めている。

1978年に松竹芸能から独立した後は、フリーランスの上方演芸研究家として多数の演芸評論・エッセイを執筆するかたわら、放送作家として『すてきな出逢い いい朝8時』(MBSテレビ)の構成を担当。「M-1グランプリ」では、第1回(2002年)から第6回(2007年)まで、大阪予選の審査員を務めていた。

また、松竹芸能からの独立を機に、大阪芸術大学の非常勤講師に就任。専任教授に昇進してからは、芸術計画学科の学科長などを歴任した。学科長時代の2004年には、関西テレビの人気アナウンサーだった桑原征平を客員教授に招聘(その後教授に昇進 → 退官後の2015年から種智院大学客員教授)。その縁もあって、桑原司会のテレビ番組『桑原征平のおもしろ京都検定』(KBS京都・関西テレビ☆京都チャンネル共同製作)には、時折回答者で登場していた。現在も、桑原がパーソナリティを務める『桑原征平粋も甘いも』(ABCラジオ)へ、年に数回ゲストで出演している。

グルメへの造詣も深く、「毎日新聞」大阪版夕刊にグルメと落語のコラボレーションコラム「落語を食べる」を連載していたこともある。1996年度下半期には、その連載に基づく同名の番組をMBSラジオで放送。自らパーソナリティとして出演していた。

2012年3月末日をもって、25年間教鞭を執っていた大阪芸術大学を退官。退官後も、大阪を拠点に、上方演芸研究家・評論家としての活動を続けている。
(Wikipediaより)




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